◆「トモハル」
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理解が追いつかない、おねーちゃんが何を考えているのか、さっぱり分からない。
「その予言家を知る者は、今の魔族にはいない。ならば、『マビルこそ、魔界を統治する者』と変えたとしても誰も疑問に思いません」
「な、何を言っているの? そんな非常識な」
唖然としたけれど、おねーちゃんは真顔だ。
信じられないけれど、本気で言っている。
「予言とは、未来の物事を予測すること。ただし、正確ではないと思っています。いくらでも捏造出来ます」
えええええ、勇者が予言を捻じ曲げちゃうの!?
許されることなの!?
止める言葉が出てこないあたしを他所に、会話は進む。
「トビィお兄様。ナスタチューム様に協力を申し出ましょう。マビルを“聖魔族で大事に扱われていたアレク様の遠い親戚”とすれば、問題はないのでは」
「マビルを正当なるアレクの後継者、とするのか」
「はい。私が仮の魔王となった意味が分かった気がします。きっと、この為です」
「アサギの言う事であれば、皆は信用する。……その自信があると?」
「信用して頂けるよう、努力します」
ナスタチュームが誰か知らないし、何を言っているのか分からないけれど、ここで止めなければおねーちゃんは強硬手段に出そうだ。
あたしの身を案じてくれているのだろうけれど、手放しで喜べないっ。
「ま、待って、待って! あ、あたしは別にそんな」
確かに、女王として君臨することを夢見ていた時期もあったケド。
でも、今となっては興味がないの。
それよりも、予言など忘れて普通に暮らしたいのっ。
あたしが欲しいのは、いつもそこにある温もりっ。
あと……出来れば、コイツと一緒にいたい。
傷は塞がっているけれど、ぐったりしている脆弱勇者を見下ろす。
きっと、血を流し過ぎたのだ。
コイツはこの通り弱いけれど、美味しい飲み物やご飯を作ってくれるし、何かと便利だから。
「おざなりな予言だとは思うが……」
「予言や運命に縛られるのは嫌です。変更して、抗いましょう」
「あ、の」
あぁどうしよう、話がどんどん進んでいく!
言わねば離れ離れになってしまうのかな、嫌だな。
でも、恥ずかしくて言い出せないな。
どうしたらいいのかな。
魔界では、また独りぼっちになっちゃうのかな。
違うの、あたしはそんなものいらないから。
だから。
「私が新たに予言をしますね」
「はぃ?」
眩い笑顔を見せて微笑むおねーちゃんに、狼狽える。
「マビル、貴女はこの先女王となります。先の予言は誤り、こちらが真実です」
「あ、あたしはっ。もう女王になんか」
怯えて首を横に振ったけれど、途端におねーちゃんの顔が強張る。
「ですが、マビルは罪を犯しました。償わねばなりません」
……あぁ、やっぱりそうなのか。
調停者のような雰囲気に飲まれそうで、身体中が凍りついた。
怖い、と思った。
魔界で見た、得体の知れない時の雰囲気に似ている。
どちらが本当のおねーちゃんなのか、分からない。
「そ、それは……。ごめんなさい」
謝って済むものではないと、もう理解しているよ。
でもね、あたしは寂しかった。
言い訳になってしまうけれど、思うままに行動しなければ、生きる事を手放してしまいそうだったの。
寂しくて、怖いのは、嫌なの。
「きちんと謝ることができましたね」
不安げにおねーちゃんを見やると、そう言われた。
「だって、おねーちゃんが『悪い事をしたと思ったのなら、素直に謝りなさい』って教えてくれたから」
キィィ、カトン。
ん?
なんだか奇妙な音が鳴ったぞ?
何、今の。
木製の何かが回転した際に出す、軋む音だった気がする。
そんなもの、ここにはないのに。
トビィも訝って周囲を見渡しているから、聞き間違いではないみたい。
「……おねーちゃんに教えられた?」
「うん、おねーちゃんに」
「私に?」
「うん」
「……あれ? 昔、そう話した気がする」
「うん、教えてもらった」
間違いなく、おねーちゃんに教えてもらった。
……でも、変だな。
会話をしたのは今回が初めてなのに?
どういうこと?
あたし、誰かと勘違いしている?
いや、そんなはずはない。
そう教えてくれたのは、目の前のおねーちゃんだ。
「あたし、ちゃんと憶えていたよっ。偉いっ?」
こうすれば、おねーちゃんはあたしを褒めてくれる。
以前も、そうだったから。
……以前って、なんだっけ。
「よくできました。もう、大丈夫だよ。おいで、マビル」
まぁいいや。
あたしは、広げられたおねーちゃんの腕に飛び込んだ。
肺いっぱいに空気を吸い込むと、陽だまりのように柔らかな香りがする。
そして、あたしを包み込む優しい腕に酔いしれた。
あぁそう、これよ、これ!
おねーちゃんはね、あたしが眠れるまで頭を撫でてくれるの。
傍にいてくれたら、ちっとも寂しくなんかないわ。
「情け深いアサギの、救いたい気持ちは分かる。しかし、皆にどう説明する。犯罪者の過去は消えない」
トビィの声に、現実に引き戻される。
そうなのだ、あたしは悪いことをたくさんした。
魔界や人間界で魔族や人間を殺し、時に街を燃やした。
人間たちは怒っているだろうし、魔族だってあたしを受け入れるとは限らない。
道徳に反することをしてきたから。
面倒だから、おねーちゃんとてあたしを見放すだろう。
いくら信頼の厚い勇者であっても、あたしはきっと、手に負えない。
恐々おねーちゃんを見やると、困惑している。
ほら、なんにも言えない。
だってあたし、悪い子だから。
仕方ない。
「俺がなんとかする」
胸がズキズキ痛んでいると、小さくそんな声が聞こえた。
低くて掠れていたけれど、よく通る声だった。
これはね、あたしがとても好きな声だよ。
よろけているけれど、ようやく起き上がったコイツはトビィを睨みつけている。
……よかった、動けるみたい。
よかった、本当に……よかった。
「本っ気で斬っただろ、トビィっ。死んだと思ったっ」
「オレは常に本気だ。好きな女を護りたいなら、妥協せずに強くなれ。それでは無理だ」
……へ?
好きな、女?
「アイツと違って、目は斬らなかっただろ」
「そうだね、その点は」
トビィと会話していたけれど、あたしには内容が入ってこない。
護る?
おねーちゃんをでしょ?
挙動不審ながらもコイツを見上げると、目が合った。
好きな女って、おねーちゃんのことだよね?
じぃっと見つめ返してきたから、思わず息を飲む。
キィィ、カトン。
また、奇怪な音が鳴っている。
ただ、あたしは。
コイツから目を逸らすことが出来ない。
音が気にならないほど、引き込まれている。
「とっ、ともかく。全力で俺がなんとかするからっ」
陰鬱な空気を振り払うように、コイツが叫ぶ。
「何も思い浮かばない、けれど、絶対に方法はある。俺がそれを探すから、頑張ろう。一緒に暮らしていこう、マビル。もう、手を離さないから」
コイツは、あたしの名前を呼んだ。
「で、でも、アンタは」
頭の中が、ぐちゃぐちゃ。
コイツの唇から零れた名前は、“アサギ”ではなかった。
考えつかれて額を押さえると、おねーちゃんが優しく背中を擦ってくれる。
待って、落ち着いて。
あたし、この感覚を知っているの。
以前もね、コイツの背中を見ていた。
その近くにはおねーちゃんが居て、眩い二人はいつも一緒だった気がする。
でも、コイツが護っていた人は、誰だった?
本当に、おねーちゃんだった?
『どうか、ご無事で。健やかにお過ごしください』
あたしに告げられた声が、聴こえた。
何時の記憶なのかわからないけれど、あたしはコイツを産まれる前から知っていた気がする。
だから、逢えるのを待っていた。
もしかしたら、あたしはコイツに逢いたくて、生きる道を選んだのかもしれない。
何をしてでも、生き延びるために。
サラサラの髪が綺麗で、あたしだけを真剣な眼差しで見つめてくれる瞳が尊くて、何もかもが好きだったのだ。
って、考えてから頭を横に振る。
何だ今の、あたしは甘い夢想家じゃないのにっ。
「あんたは、よ、弱いから、嫌い! あたしに操られていた、不甲斐無い奴っ」
「弱いかもしれないけど、操られていたわけじゃないよ」
何を今更っ。
しれっと言ったコイツに腹がたったので、胸倉を掴む。
「あたしを、おねーちゃんと間違えていたくせに!」
「いやいやいやいや、間違えてないよ! ひょ、ひょっとして、だから名前を教えてくれなかったの!?」
細くて下がり気味の瞳が、零れるほど大きく開いた。
あたしの手をやんわりと包み、軽く咳込んでからそう叫んだコイツ。
……不意に、出逢った日を思い出した。
『ねぇ! なんて呼べば良い?』
去り際のこれは、あたしの名前を教えてってことだったの!?
「ま、紛らわしい! 名前を教えてって言ってくれたら、あたしだって答えたのに」
勘違いが恥ずかしくて、コイツの身体を大きく揺する。
……最初から、あたしがおねーちゃんじゃないってわかっていたの?
嘘だ!
「ご、ごめん。だって、アサギと全然似ていないから、そんなこと思わなかったし……」
「う、嘘だ! あたしを間違えなかったのは、おねーちゃんを悍ましいほど溺愛していてるトランシスだけだっ」
これじゃ、あたしが間抜けなだけじゃん。
「横やりを入れてすまないが、オレも間違えない。ついでに、そこらにいる奴らも間違えない、間違えたら馬鹿だ。微塵も似ていない」
「うっさい、トビィは黙ってて!」
「ごめんマビル、ミノルも解ってたよ? 部屋で遭遇した時『どちらさま』って叫んだでしょ?」
「う、うっさいっ! だ、だって、惑星クレオの人間たちはあたしを「アサギ様」って崇めたもの」
「それは、間近でアサギを見たことがなかったからじゃ……。そもそも、今は髪の色が違うし」
髪の毛の色? あぁ、確かにおねーちゃんの髪は黄緑色だよねっ。
あたしは黒髪だから、間違えないよねっ。
「びええええええ、これじゃあたしが馬鹿みたいじゃんっ! そもそも、傀儡の術をいつ解いたのよっ」
穴があったら入りたい。
ムカつくから、コイツの胸を叩き続ける。
「傀儡の術って、もしかしてキスの魔法のこと? あれは……」
「キス!?」
しどろもどろ告げるコイツに、周囲が鋭く叫んだ。
外野うるさいっ、静かにしてっ。
顔面が真っ赤になったコイツは、両手で顔を隠している。
「あれ、意識は飛んだよ。けど、術にはかからなかった。好きな子にキスされたら、誰だって放心状態になるだろ」
さっきから、周囲が色めき立つそれはなんなのよ。
「キスって何」
訝って訊ねると、瞳を宝石のように輝かせたおねーちゃんがグイグイと近寄ってきた。
「キスとは、口づけのことです。そうでしたか、トモハルとマビルはすでに口づけをする仲なのですね!」
「ききききき曲解しないで! あれは口づけじゃなくて、傀儡術よっ」
うっとりとあたしを羨ましそうに見つめるおねーちゃんは、別の意味で怖かった。
根掘り葉掘り訊かれそうなのだ、勘弁してよっ。
「荷物を掻き集めたり、食事を運んだのは俺の意思だよ。色々大変だったんだ……」
確かに、あまりにも能動的で妙だなぁとは思っていたけれど。
コイツは項垂れるように、顔を両手で覆ったままくぐもった声を出した。
「寝室が一緒で、緊張して眠れなかったし。俺の服をパジャマがわりにしてると、肩が出て色っぽかったし。家族に見つからないようマビルの服や下着を洗って干すの、目を瞑っていたけれど恥ずかしかったし。とにかく大変だった……」
「ど、どうして私に相談しなかったの」
「多分……二人でいたかったから、相談しなかったんだと思う……」
「そっか……それなら仕方がないね……。気持ちは分かるから何も言えない……」
「流石アサギ、ありがとう」
「とても好きなんだね」
「うん……」
えっ、何この会話、恥ずかしくて身体中が痒いっ。
「うううううううう、嘘だ、嘘だ! でたらめだっ」
本当に、最初から効いていなかったの?
……駄目よ、これは出任せだ。
信用するな、あたし。
甘い言葉で誘われて裏切られる、そんな苦い思いはもうたくさんでしょ?
突き動かされる感情に身を委ねて殴り掛かったら、右手を難なく掴まれた。
顔が近づき、長くて綺麗な睫と色っぽい唇が間近に迫る。
そうだね、鎖骨や手も存外イイ感じよね。
ぅ……きゃーっ!
びええええ、近寄るな、近寄るな、近寄るなっ!
鼓動が狂って呼吸がままならないから、近寄らないでっ。
あたしは、変だ。
何これ、何これ!?
胸がきどきど……ではなくて、どきどきするっ!
「マビルは、とっても素敵な女の子なんだよ。俺は知ってる。マビルのこと、大好きだよ」
「はわ、はわわわ」
近い近い近い近い近い!
仰け反っても顔がついてくる!
くっそ、そんなに優しい瞳で見ないでっ!
「好きなんだ」
ボン、って、音がした。あたしの頭の中で、何かが爆ぜた音がした。顔が、熱いよ。
「好きなんだ。最初に見たときから、好きだ」
な、なんなの!?
身体が言うことを聞かないよぉ、このままだとあたしは飛散して消えてしまうよぉ!
「傍にいたい。マビルのこと、護りたい。俺が勇者になったのはこの為だ」
身体が震えて、脳が痺れ、顔が熱くて溶け出しそう。
あたしはどうなってしまったんだろう。
脚から崩れ落ちそうだったけど、おねーちゃんが支えてくれた。
「マビル。私とトモハルで、貴女を必ず護ります。罪を消すことが出来なくても、償うことは出来ます。辛いとは思いますが、一緒に頑張りましょう」
「俺とアサギで、絶対にどうにかするから」
コイツが強く手を握ってくれた、おねーちゃんが頭を撫でてくれた。
あぁ、あたしはようやく安住の地を見つけたのかな。
「あたし。……一緒にいいてもいいの?」
「もちろん」
気付いたら、泣いていた。
「うっ、うぅっ」
伝えたいことはたくさんあるのに、声が出ない。
息をするので精一杯だ。
本当に大丈夫?
あたしは、お荷物じゃない?
心を入れ替えて頑張るから、どうか見捨てないで。
あたし、光の中を歩けるように努力するから。
コイツを見たら、照れくさそうに微笑んでいた。
その笑顔を、信じても良いの?
あからさまな深い溜息が聞こえたから見やると、トビィが苦々しい顔をしていた。
「アサギがそう言うのなら、仕方がない。不本意だが、協力しよう。……まぁ、こうなるのは想定内だ」
「アサギ様がいる以上、厄介事は必然ですしね」
周囲に集まってきた人間たちと、トビィの竜が笑ってる。
……憧れ望んだ世界に、あたしが居てもいいのかな?
その輪の中に混ざっても、許されるのかな。
「悪かったな、斬りつけて」
どぎまぎしていると、トビィの鋭利な視線があたしに突き刺さった。
怖いけれど、でも、口元は優しい気がする。
コイツの衣服を握り締めながら、見返した。
「言い分を聞こうと思ったが……売られた喧嘩は買う性質なんでね。そもそもアサギに傷を負わせた時点で終わりだ、仇名すなら斬る。当然だろ?」
言いたいことは山ほどあるけれど、おねーちゃんを傷つけたあたしを敵とみなしたのだろう。
この男は、おねーちゃんを溺愛しているから。
おねーちゃんには、トランシスという恋人がいるから不毛なのに。
でも、今ならなんとなく分かる気がする。
好きな気持ちって、簡単に消せるものではないんだね。
簡単に生まれるのに、不思議だね。
あれ?
そういえば、トランシスは何処?
どうしてここにいないんだろう?
「ただ、トモハルの本気を見たかったこともある。その女を護りぬくと誓ったのなら、命くらい賭けてもらわないと」
コイツは言葉を飲み込み、項垂れて頭を下げた。
でも、その顔は何処となく嬉しそうに見える。
「惚れた女が弱み。気持ちは十分解るが、言葉足らずだ。早い段階で相談していたら、大事にならずに済んだだろ。……その辺り、今後考慮しろ」
突っ走ったことを反省しているのか、コイツは縮こまっている。
「トモハルは……これでも可愛い弟子みたいなもんだ、悪女に翻弄されても困る。そっちの女がどう反応するか見定めてはみたが、一応合格にしておこう。何が好いのか、オレにはさっぱりだが」
ん?
今、さりげなく侮辱された気がする。
「っ! あの悪魔みたいな奴と同じこと言わないでっ!」
「悪魔……? トランシスか。止めてくれ、それ以上言うと今度こそ息の根を止めるために斬る」
「どこまでも失礼な奴らっ! 二人共そっくり!」
「だ、駄目だよマビル。それはトビィに禁句だから」
「だって、髪も瞳も色が同じだもんっ。性格が歪んでいるところもっ、おねーちゃんの前でだけ愛想がいいのもっ」
ぎゃーぎゃー騒いで、我に返った。
あれ、あたしはすでにこの輪の中に馴染めている?
まるで、昔からあった場所のように、自分を曝け出して。
嬉しい!
誰かと一緒にいられるって、とても幸せ。
明日からは出来る限り罪を償えるように、努力しよう。
コイツやおねーちゃんの隣にいても笑われないように、頑張ろう。
簡単なことではないけれど、やってみせる。
もう、泣かないぞ!
指先で涙をすくったら、トビィが目を丸くした。
「あぁ、今の笑顔はごく僅かだが、アサギに似ていた。……かもな」
「マビルのほうが可愛いよ」
「それは聞き捨てならん」
コイツとトビィは、笑い合っている。
そっか、険悪な仲に見えたけど、違う。
実はとっても、仲がいいんだ。
ここの仲間たちは互いを信頼しているから、憎まれ口を叩いても平気なんだろう。
いいな、すごいな。
あたしもそこに混ざることが出来るかな。
そっとコイツを見上げたら、優しく微笑んでくれた。
わぁ。
……嬉しい、とても幸せ。
おねーちゃんに成り代わらなくても、あたしが欲しかったものはちゃんと手に入るんだ。
嬉しくて、泣けてきた。
けれど、泣かないの。
我慢する、恥ずかしいから。
明日からは、心穏やかに笑って過ごせる素敵な世界が……あたしにも訪れる。
「まず、何から始めようか」
「クレロ様に報告かな。天界城に監禁されたら困るけど、断固として反対するから大丈夫」
「あとは住む場所だよね。秘密基地の俺の部屋はどうかな。あっちはそんなに使ってないから、マビルの大量にある荷物を置けそう」
「荷物? ……そんなに?」
「うん、ものすごく多い。今、俺の部屋大惨事」
おねーちゃんと話すコイツだけれど、いつものようにあたしと手を握ってくれていた。
クレロ様って、誰だろう?
天界城って、なぁに?
分からないことだらけ、でも、おねーちゃんはきちんと教えてくれるだろう。
だから、心配することはない。
それに……大丈夫。
コイツはあたしを大事に思ってくれている、だから傍にいてくれる。
嘘じゃないって、分かるよ。
心強いし、嬉しいよ。
「マビル。もう分かっていると思いますが、悪い事をしたと思ったなら、素直に謝りなさい。嘘をついてしまって、悪かったと思ったのなら、遅れてでも構いません。きちんと、思いを伝えてね」
「うん、分かってる。あたし、もう間違えない」
大きく頷いたけれど、心に靄がかかっている。
以前も言われたはずなのに、やっぱり思い出すことが出来ない。
思い出さなきゃいけない気がするのに、心の引き出しに鍵がかかっていて、開けることが出来ないの。
気持ち悪い。
……何故だろう、こんなにも幸せなのに、不確かな不安が忍び寄る。
「それから、トモハル」
「何?」
「護り抜くと誓ったなら、トモハルも無茶をしないで。身を挺してマビルを庇うのは嬉しいけれど、死んだら終わりだよ。絶対に忘れないでね」
突如、おねーちゃんの声が豹変した。
急に冷めたというか、威厳ある声に変わった。
聞いていたあたしですら、委縮するほどに。
「わ、解ってる……そうだね、“解ってる”」
だから、直に言われたコイツは怯えている。
繋いでいた手から、汗が吹き出た気がした。
「へぇ~! 仲いいんだぁー!」
茶化すような声に、我に返った。
ゾロゾロと近寄ってきた多くの人間に、少しだけあたしは怖くなった。
あ、あたしは意外と内気なので、大勢に囲まれるとどぎまぎしてしまうの。
……慣れていないのだ、こんな風に過ごしたことはないから。
思わず、コイツの背に隠れる。
ボスッと鈍い音がしたから恐々見やると、ミノルがコイツの腹部を殴っていた。
は? ムカつくっ!
殺意が芽生えたけれど、二人は笑い合っている。
どうやらこれは、ただの馴れ合いらしい。
「い、いいだろっ。別に」
見上げると、コイツは真っ赤になっていた。
握っている手が、もぞもぞと動いている。
それが妙に子供っぽくて可愛いから、あたしもくすぐったくなってしまった。
「名前はなんていうの?」
知らない男が、あたしを見てそう言った。
「可愛いだろ。マビルっていうんだ」
「マビルちゃん、かぁ。僕はケンイチ、よろしくね。トモハルと同じ勇者だよ」
ふむ、勇者のケンイチ。
なんとなく名前だけは憶えている。
「……やっぱり、“マ”なんだね」
朗らかに笑って、ケンイチがそう言った。
マ?
マ、って何だろう。
その隣で、背の高い男が相槌をうつ。
「そういえば、“マ”の女の子にやたらと反応してたっけ。予感でもあった?」
「……分かんない」
困惑しているトモハルを見上げていたあたしは、足を踏み鳴らしているミノルを一瞥した。
ミノルは少し苦手だ。
子供っぽくて、うるさいから。
物静かで大人びたコイツは違う。
「予感どころじゃねーよ。最初に行ったジェノヴァの宿でも、『マ……マ……』って寝言を言ってただろ」
「えっ、そうなの!? は、恥ずかしいな。予感があった、っていうか。……どうかな、マビルは見た瞬間に、好きだ、って思ったよ。一目惚れ、っていう言葉では終わらせたくない、そんな想いかな。上手く表現できないけど」
「ヒエー! 流石トモハル、キザな奴っ」
周囲が沸いて、あたしたちはもみくちゃになった。
でも、あたしたちの手は離れない。
正直、少し怖いし驚いたの。
こんなに大勢いるから、中には悪いことをしたあたしを憎む人間もいるんだろうな、って思っていた。
でも、違う。
ここにいる人間は、みんな優しい。
それはおねーちゃんとコイツと親しいからかもしれないけれど、彼らの笑顔は嘘偽りないものに見えた。
「おっ、アサギたちもこっちへ来るぞ」
仲間たちにあたしの説明をしていたのか、離れていたおねーちゃんが手を振っていた。
さらに人間が増えるけれど、大丈夫。
もう、怖くない。
……でもね、あれ?
おねーちゃんの顔色が、とても悪い気がする。
どうしてあんなにも真っ青なの?
「みんなに紹介するよ。大変だから一度に憶えなくても大丈夫だからね」
「あたし、賢いから大丈夫!」
元気よく返事をしたけれど、あたしはおねーちゃんから目を離すことが出来ない。
どうしたの、どうしたの。
何故、そんなにも辛そうなの?
隣のコイツは嬉しそうにはしゃいで、両手を空に掲げた。
やってくる仲間たちに手を振っていたから、あたしも真似をしたの。
少し照れくさいけれど、仲間に入れてもらおうと思って。
「ダメ、マビルッ!」
あたしの身体が、大きく揺れた。
……え?
おねーちゃんの叫び声が響き、遅れて人間たちが口々に悲鳴を上げている。
驚愕したアイツは真っ青で、切羽詰まっていた。
あたしに向かって必死に手を伸ばしているのに、離れて行ってしまう。
「マビルッ!」
……え? 何?
あたしの身体が、みんなから離れていくの。
な、なんでっ、どうして!
周囲の風景が流れていく。
ものすごい勢いで、あたしの身体が後ろに引っ張られていることに気づいた。
まるで、全身に糸が絡まっているみたい。
止まらないの!
落ち着こう、あたし。
魔力を集中し、この身体を止めるのだ!
そう思うのに、動揺しているのか全然駄目。
狼狽えている間に、あたしだけがドンドン引き離される。
まるで、『お前はあそこにいられないよ』とでも言われているように。
ううん、違う!
あたしは、あそこにいるっ!
必死にこちらへ向ってくるおねーちゃんと……アイツが見える。
だからあたしは、諦めない。
でも、これは一体なんなの!?
あたしはあそこにいたい、だからお願い、居場所を奪わないでっ。
あそこに、居させて!
呼吸が苦しくなってきた、あたしはこのまま死んでしまうのかな。
皆から引き離されて、一人で塵になって消えてしまうのかな。
あぁ、身体中が引きちぎれそう、痛い、痛いよ!
あたしは、すんなり理解した。
そうだ、あたしはここで“死ぬ”。
多分、殺されるのだ。
……嫌。
絶対に、嫌。
死にたくない。
お願い、あたしは、まだっ。
まだ、アイツの名前を一度も……。
「お、おねーちゃん、おねーちゃん! 助けて、助けて!」
泣き喚いた。
声が出ているのかも解らないけれど、喉が潰れるまで懸命に叫んだ。
「やめて、おねがい、あそこにいたいの!」
「馴れ合ってもらっては困るんですよ。邪魔ですね、影武者」
何処かで聞いた声がした。
目の前が回転していて思い出せない……でも、腹が立つほど痺れる声の持ち主などそういない。
思い出した、人間の村で魔物と対峙した時に出遭ったあの魔族だ。
結構綺麗な顔立ちの、桃色の髪の男!
目の前に、真っ赤な花弁が飛散している。
あぁ、綺麗だなぁと思ったけれど。
これは、あたしの血だ。
花弁じゃ、ないよ。
あたしの血と肉片が、舞っている。
微かだけれど、ピッて音が聞こえてくる。
痛い、皮膚が切れ、肉が抉れているんだ。
精一杯、手を伸ばすの。
お願い、護って。
助けに来て。
一緒に、いたいよ。
でもね、もうだめだ。
目が霞むよ。
声が出ないよ。
力が入らないよ。
何も見えないよ。
……今度は、同じ人間に産まれたいな。
そしたら、おねーちゃん、ずっと一緒に遊んでくれる?
ねぇ、トモハル。
あ、あたしね。
あたしは。
もう、瞳には何も映らないけれど。
でもね、トモハルの笑顔だけは、ちゃぁんと瞼に映っているよ。
そうだね、あたしのことを見ていてくれたね。
あたしを楽しませようと、一生懸命だったね。
嬉しかったよ、愉しかったよ。
だから、とても幸せだったような気がするよ。
貰った苺の首飾り、ここにちゃぁんと持っているよ。
だって、飛び切り可愛いもの。
何より、トモハルが選んで買ってくれた物だから。
そうだね、きっとあたしはトモハルのことが好きだったのかもしれないね。
だって、おねーちゃんのことを好きなんだろうな、って思うと気分が落ち込んだよ、嫌だったよ。
あたしだけ、見ていて欲しかったよ。
……違うね、見ていてくれたんだよね。
お願い、最期に名前を呼ばせて。
あたしは一度も、アイツの名前を呼んでいないの。
アイツの名を呼ぶあたしの声を、聴かせていないんだ。
……お願いします、来世では真面目に生きるから、命と引き換えに今だけあたしの願いを叶えてください。
「たすけてーっ、トモハルーっ!」




