◆おねーちゃんの、存在感。
地面に、血が溜まっていく。
あたしは治癒魔法を扱うことが出来るのに、頭では分かっているのに、動けない。
助けたいのに、身体が大きく震えて何もできなかった。
あたしに出来たことは、ただ泣くだけ。
「トモハルは何をやってるんだ」
「この子を護りたいのだと思います。とても……大切なのです」
呆れたようなトビィの声が降ってきた。
ぎこちなく顔を上げると、悪びれた様子もなく飄々としている。
斬った張本人なのに!
トビィはおねーちゃん以外無関心なのだろう、トランシスと同じで。
激怒した二人は、そっくりだった。
顔も、雰囲気も。
血の滴る剣が目に入り、あたしの心臓が跳ね上がる。
あぁ、あたしもあの剣で斬られてしまうのかな。
それでも、いいや。
もう、どうでもよくなってしまった。
それなのに、痛いのと怖いのは嫌。
おねーちゃんが近寄ってきたから、思わずコイツの身体にしがみつく。
ぐったりしているのに、コイツなら助けてくれそうで。
あたしはコイツに縋るしかないのだ。
「大丈夫だよ、何もしません」
あたしの心を見透かすように告げるおねーちゃんは、あどけないのにどこか心強い笑みを浮かべていた。
見た瞬間に懐かしさを覚え、息を飲む。
なんだろう、あたしはこの笑顔を知っている気がする。
いつも間近にあった気がする。
混乱するあたしをよそに、目の前で治癒の魔法を詠唱するおねーちゃんは神々しく、美しかった。
驚くべき速度で、コイツの傷はみるみるうちに塞がっていく。
あたしも治癒魔法は得意だ、けれど、根本的に何かが違う。
愕然としていると、顔を覗き込まれた。
びえっ、近くで見ると思ったより綺麗でムカつく!
「な、何よ」
不覚にも上ずった声を出し、仰け反った。
なんだかお花みたいに柔らかい匂いがするし、近くにいると調子が狂いそう。
おねーちゃんは、何かがおかしい。
多分、存在自体が。
「治癒の魔法、使えるよね? トモハルに使ってあげて欲しいな」
「はぁ!? ど、どうしてあたしがっ」
傷口はすでに塞がってるじゃん!
あたしの出る幕なんてどこにもないでしょっ。
それに、今使ったところで、あたしとおねーちゃんの力の差が明白になるだけ。
とても、惨めだ。
でも、コイツが低く呻いたから、つい詠唱をしてしまった。
あんなに強張っていた身体が嘘のようで、今は滑らかに動くから。
「と、特別に。気まぐれで」
突っぱねるようにそう呟いて、あたしは懸命に詠唱した。
少しでも、コイツが楽になるように。
助けてくれたから、あたしも助ける。
これで、おあいこ。
「ありがとう」
「ふんっ。アンタに言われたからじゃない、コイツがあまりにも惨めだから」
噛みつくように叫んだのに、おねーちゃんは朗らかに笑っていた。
なんなの、やっぱり変だ。
身体の端から蕩けていくような感覚に、あたしは翻弄されている。
「ジロジロ見ないでよ。あたし、女は嫌いなの」
観察するように見られていたから、気分が悪い。
隣に座り込み、にこにこと笑みを溢しているおねーちゃんが、不意に口を開いた。
「貴女は、素直な良い子なんだね」
「はぁ!?」
舌打ちしてそっぽを向いたけれど、とんでもない言葉が飛び出したから思わず目を合わせた。
はぁ???
どのあたりが素直なの?
「アンタ馬鹿なの? 勇者でしょ? あたしが誰だか知ってるでしょ?」
愛らしいあたしの顔が、今は歪んでいると思う。
それほどまでに、衝撃だった。
「貴女は怪我してない?」
「……別にっ」
「よかった。ところで、名前は? 私はアサギといいます」
「あたしはマビルと」
言いかけて、口を塞ぐ。
誘導され、つい名前を言ってしまったけど迂闊だった。
「貴女の名前は、マビル」
穏やかに微笑むおねーちゃんに、唇を噛み締めた。
……わかったぞ。
何故、おねーちゃんの周囲に多くの人間が集まるのか。
周囲の空気が、異常なんだ。
勇者とは、次期魔王とは、こういうモノなのだろうか。
存在自体がこの世の賜物というか……空気だけで他者を心酔させる力を持っている。
その微笑が、心の汚い部分を消してくれるのだ。
いわば、浄化装置。
それに惹かれ焦がれ、皆が群がる。
これは、唯一無二の天性の素質だろう。
だから、あたしは勝てない。
あたしがどれだけ可愛くて美しくて完璧な美少女であっても、無理なのだ。
根本がというか、次元が違う。
それは眠りについて、安らかな寝息を立てている時のような。
朝、隣の体温に安堵し、笑みを零してしまうような。
昼、きらきらした森の中で、微睡んでいる時のような。
誰かに傍に居てもらえて、こちらを見つめて貰っている時のような。
圧倒的な包容力は、荒んだあたしすらも清浄へ導く。
胸がポワポワしてきたので俯いたら、思い出した。
……あたしは知っている気がする。
おねーちゃんは、きっとあたしを護ってくれると。
どうして今まで、“頼る”ことを選択しなかったのかな。
助けを求めたら、手を伸ばしてくれた気がするのに。
おずおずと顔を上げると、おねーちゃんは微笑し、そっと顔を寄せた。
ほのかに甘い香りが漂って、あたしの頬が熱を帯びる。
「必ず、ソコから出してあげる」
小さい声だったけれど、確かにそう言った。
ん?
前にも聞いたぞ。
……あれは、最初に魔界で見かけた時。
結界ごしにそう言われたのを、覚えてる。
どういうことだろう、もう結界はないのに?
“ソコ”って、何処?
あたしを、何処から出そうとしているの?
理解出来なくて、訝っておねーちゃんを見たら。
背筋が寒くなって、胃がキュッと締まった。
微笑んだおねーちゃんの向こう側に、何かが見える。
恐怖ではなく、威圧感というか、どう言葉に表せばいいのかな。
……敬うべきモノ?
あたしには、勇者にも次期魔王にも思えない。
おねーちゃんは、そういったものではなくて……。
「ところで、マビル。何故こんなことに? 教えてくれると助かります」
思案していたら、思考を遮られた。
今、何か掴みかけた気がしたのに。
不思議そうに見ている瞳を見つめ返すと、おねーちゃんが軽く笑う。
「何故って……言われても。あたしは、おねーちゃんの影武者だから。それが嫌だったから」
告げたら、きょとんとしていた。
首をひねり、眉を顰めている。
……え?
「ねぇ、もしかして本当に何も知らないの?」
「うん。……その影武者、って何? それから、どうして私のことを『おねーちゃん』って呼ぶの?」
驚いた、てっきりおねーちゃんは何もかも知っているのだと思ってた。
「魔族には、“予言家”と呼ばれる秘密の一族が存在したのよ。代々魔王は、その一族の予言を聞いて動いてきた。あたしはその末裔」
「アレク様は知っていた……?」
「うん、存在を認知してた。ちなみにあたしの兄はアイセルよ」
「アイセル様の妹なの!?」
その名に驚いたのはおねーちゃんだけでなく、トビィもだった。
意外そうに瞳を開き、あたしを見ている。
あっ、その鋭利な視線好き。
そっか、おにーちゃんと面識があるんだっけ。
「あたしと瓜二つな少女が何れ姿を現す。その子は、現魔王アレク様に代わって魔族を率いる女王。……お兄ちゃんは、その予言をずっと聞かされていた」
思い当たる節があるのか、おねーちゃんが唇を真横に結んだ。
考え込むおねーちゃんの横で、トビィが軽く溜息を吐いている。
「瓜二つではないが、大体は合っているな。次期魔王が決まるまでの仮の期間とはいえ、アサギは現時点で魔族を率いている。仮だとしても」
「率いてはいませんけど……」
動揺するおねーちゃんを熱いまなざしで見つめてから、トビィは憐みの視線をあたしに投げた。
なんだか、めちゃくちゃ馬鹿にされた気がする。
「似てなくて悪かったわねっ! ……とにもかくにも、そのはた迷惑な予言のせいで、あたしは彼女の影武者をせねばならないって言われたのっ」
「双子というのは、容姿が似ているから、という意味か。顔はともかく、身体つきが大体同じというだけな気もするが。二人は種族が違うのに、妙なことを」
「詳しいことはもう解らないよ、詳細を知る者は全員死んでしまったから。あたしは力を受け継がなかったから、予言なんて出来ないしっ。あたしは産まれた時から生きる路が決められていた。それが嫌で、好き勝手生きようと思ったの!」
そう、全てはその奇妙な予言のせい!
これさえなければ、あたしはっ。
あたしとトビィの会話を沈黙して聞いていたおねーちゃんが、怪訝そうに口を開く。
「……予言をしたのは、どなたですか? ご先祖様でしょうか」
「あたしの母さんよ」
「お母さん……? マビルの、お母さんが?」
まるで稲妻に打たれたように、おねーちゃんは硬直している。
複雑な表情で額を押さえ、困惑気味に深い溜息を吐いた。
そりゃ混乱するよね、あたしだって意味不明だったもの。
「……腹を痛めてマビルを産んだお母様が、大事な我が子にそのような責務を負わせるでしょうか。回避しようとしたのではないかと思うのです」
「でも確かな予言だもの。母さんは、すごいんだから」
少し、カチンときてしまった。
母さんは優しくて温かくて、あたしの誇りだったのに、侮辱された気がして。
「……ただ。私は魔族の女王になるつもりはありません。予言は誤りです」
決意を宿した瞳で見つめられ、あたしの喉が鳴る。
母さんを下に見ているのかな、確かにあたしも予言は憎いけれど、その能力は本物なのに。
あぁやっぱり、なんだか悔しい気がする。
「マビル、貴女が女王になってください。私は勇者として、貴女を支えます。それが妥当だと思います。勇者の私なら、きっと貴女を護ることが出来る」
「はへ?」
言葉を素直に受け入れることが出来ず唇を尖らせていたら、驚いた。
まさか、そんなことを言い出すとは思わなかった!
お読みくださり、有り難う御座いました。
月影の晩に ~DESTINY外伝4~
http://ncode.syosetu.com/n4044u/
この話で二人は出遭っているので、興味がありましたらどうぞ。




