1. 農村ノンドバド
笠を持ち上げて額の汗を拭ったところで腕自体も汗まみれであるため、不快感は緩和されない。
夏の終わりの照りつける太陽の下、我々ノラッド小隊はいつの間にかノンドバド村に到着していた。いつの間にか、と言うのは暑さとけだるさのあまり私の思考はほぼ遮断されており、ほとんど惰性だけで足を動かし続けていたからである。入団前までずっと昼夜逆転の生活だった私にとって、日中の熱気は拷問に等しい。
ノンドバドとはノンド樹海の北側、という意味である。樹海に巣食う山賊どものねぐらへ向かう我々にとっての最後の村であり、その山賊に被害を受けて我々を召喚した村でもある。
周囲からは我々小隊の者たちの話し声を除けば人の声らしきものはほとんど聞こえてこないが、家畜や虫の鳴き声だけはひっきりなしに様々な方角から響いてくるため、町ほどではないが私の神経が不快を感じる程度には騒がしい。村の家々はかなりの間隔を空けて不規則に建っており、それぞれの家の土地を囲む柵も無く、訪問者を敷地へ導く道すらも無かった。村全体が来客を――様々な意味での来客を迎えることを前提としていない作りなのだろう。外見上は開放的な作りと呼べるかもしれないが、そう考えると本質的には閉鎖的である。海上交易で栄えるテンベナ市と比較にならないのはもちろんだが、小規模ながらも宿駅として機能していた先日通り過ぎた峠の村と比べても明らかに前時代的な集落だ。建物自体の色や形はだいぶ違うものの、雰囲気としては私の故郷のテリモロ島に近い。
「賊どもはどこだ?随分とのどかじゃないか」
そして憂鬱の種がもう一つやってきた。傲慢な金髪剣士セリトは、歩きながらいつの間にか私の隣まで来ていた。
私と同じ日除け笠を被った彼の顔面もまた汗だくになっており、顎につけたキザな細い髭を湿らせていた。北国出身と思われるこの金髪剣士は暑さには弱いらしく、男だらけの集団でいちいち格好つけて白い肌を赤く焼くよりは、不格好な笠で自慢のプラチナブロンドを隠すことをやむなく選んだようだ。
二言目には不平を漏らすであろうことは容易に予想出来たので無視してやろうかとも思ったのだが、この男は満足のいく返事が得られるまでいつまででもしつこくまとわりついて来て、終いには癇癪を起こしてしまうだろう。無駄に消耗したくなければ、勝手に飽きてどこかへ行くまで相手にしてやるしかない。
「こんな小さい村じゃ占拠したところでなんの楽しみも無いだろうし…たまに来て適当に荒らした後はその都度森の奥のアジトへ引き返しているんじゃない?」
「次はそのアジトとやらまでまたマヌケ面並べて行進するのか?村に着けば連中を皆殺しに出来ると思って楽しみにしていたのだが」
そんな会話をしていると、小隊全体が木の陰に隠れたのを見計らってか、先頭を歩いていたノラッド隊長が足を止めて振り向き、声を上げた。
「この人数でこれ以上先へ進むと目立ちすぎる。存在する危険の有無に応じて村への入り方を決める。三日先行して発ったベナラハタ小隊の斥侯がもうじきここにやってくるはずだ」
私はこの時初めて、山賊征伐部隊は我々ノラッド小隊だけではないことを知った。隊長が説明するところによると、ベナラハタ小隊とノラッド小隊、さらにニーギン小隊を含めた合計三小隊が日を置いて行軍しており、総勢五十名で樹海の奥にあるという賊どもの巣食う要塞に攻め入るという大がかりな作戦であったらしい。いや、我々の隊は二人減って一人増えたため、総勢は四十九名である。
「三小隊?おいおい、イリニア小隊以外のうちの全戦闘員がたかが盗人相手のために出動してるってことかよ。そんな大人数で一体何しに行くっつんだ。弱え町なら一つ滅ぼせちまうんじゃねえのか」
リデオが両手を挙げた。この副隊長はそれを知らずにここまで来たらしい。私はリデオに対して抱いた反感を心の中で共有できる相手を反射的に探してしまったのか、特に考えもせずにロウィスの方に視線を向けた。しかし彼はリデオには目をくれず、真面目な顔をして黙ってノラッドの話を聞いていた。彼の咥えていた煙草から灰が落ちた。
「町じゃない。城を一つ落とすんだ。奴らの根城としている要塞跡は有史以前の時代に作られたものと見られているが、崖や木々を巧みに利用しているため非常に堅固であるとのことだ。仮に奴らが我々の襲撃を事前に察知したとしたら、ここにまともに攻め込むこととなる。深い森の奥にあるため当然攻城兵器などは使えないし、そもそもここにそんなものは無い」
「敵の規模は?」
「確認されている限り我々三隊の合計とほぼ同数だ」
多い。敵は山賊なのでおそらく烏合の衆だろうが、テンベナ義兵団の者たちも、訓練所でのだらけぶりから考えて兵として練度が高いようにも思えず、地の利は敵にある。同数では足りないのではないだろうか。周囲の隊員たちを見やると、多くの者が私と同じ考えらしく不安そうにきょろきょろと互いの顔を見合っていた。
「だりぃなあ。マジかよ。多くてせいぜい俺らの小隊と同人数程度だと思ってたぜ。はぁーあ」
不良傭兵とはいえ流石に副隊長ともなれば場慣れしているのだろうか、リデオは他の者たちの不安もどこ吹く風で能天気に欠伸した。
「たかがその程度なら俺とおまえの二人だけでも十分だろう」
隊長がそう答えると何人かの隊員たちは緊張が解けたらしく、いくつかの笑い声が聞こえた。少し余裕を取り戻した雰囲気の中、一人の隊員が口を挿んだ。
「ノンドバド村の住人にこの人数が満足できるだけの報酬を支払う資金力はあるのか?見たところそんなに裕福そうな村には思えんが」
「村も報酬金の一部は出すようだが、大半はこの地域を統治している領主から支払われることになっている。そもそも賊どもの討伐はノンドバド村が領主に出兵を懇願して実現したことだ。しかし、峠を越えた先のこの樹海にまでわざわざ正規軍を寄越すのは結構な手間だからな。それで我々テンベナ義兵団が全面委任されたというわけだ」
ノラッドの返答に、首を傾げたリデオが続いた。
「椅子にふんぞり返るばかりの貴族様にしては賢明な判断だぜ。ところで金の話で思い出したんだが、なぁ、なんか妙だと思わねえか?」
「何がだ?」
「盗人どもがこんな山奥に引き籠ってやがる理由さ。旅人や村を襲ったところで稼ぎなどたかが知れてる。木以外何にもありゃしない樹海の腐った要塞跡なんぞでそんなに大勢でまともに生活できるもんかね?」
隊長はリデオとは古い仲だ。リデオの言わんとしていることは瞬時に理解したらしい。ノラッドは腕組みをしながら少しだけ考えるふりをしたが、すぐに言った。
「徒歩で一昼夜もかかる距離にある村から…ましてや防御塔も柵すらもない村から金を奪うためだけに五十人かそれ以上もの構成員が居るとは、確かに随分と非合理的な組織だな。奴らが山賊稼業以外の何らかの目的のために古代の要塞跡に集まっていると?」
彼は口の端に小さな笑みを浮かべ、腕組したまま右手の人さし指を上げてリデオを指しつつそう尋ね返した。それは、聞くまでも無く返答はわかっている、と言いたげな仕草に見えた。
「お宝の匂いがしねえか?金か銀か宝石か、まあ鉱山資源の類がそれっぽいぜ」
リデオが下卑た笑みを作って応えると、ノラッドは小さな声で笑った。私はそれを見て少し嫌な気分になった。強欲なリデオが敵からの略奪品に興味を示すことに関しては今さら何も言うことは無いが、私は隊長までが彼の下劣な考えに理解を示すとは思っていなかったのだ。私は隊長のこれまでの威厳ある振る舞いから、彼をもっと高潔な人物と思い込んでいた。
こうなるともはや大半の隊員は不安などすっかり忘れてしまったようで、各々期待に満ちた表情で言葉を交わしていた。そんな中、一人神妙な顔をしていたロウィスが恐る恐る口を挿んだ。
「どうでしょうか…そんな良い稼ぎがあるならばわざわざ貧しい村など襲ったりはしないのでは?今回我々が討伐に乗り出すことになったのもそれが原因です。彼らにとっては自らの首を絞めるようなものではないでしょうか…?」
多くの隊員たちは隊長であるノラッドに対しても対等の口の聞き方をするが、何故かロウィスだけは違った。彼は常にノラッドに強い畏怖の感情を持って接しているように見えた。
彼の意見は辛気臭い顔に相応しい悲観的な発想だが、内容はもっともである。彼が二人居る副隊長のもう一人の座に就いている理由は十分納得できる。集団は、こういった慎重な思考を持つ人間に発言力を与えておくべきなのだ。それはあまり大勢居ても士気を下げることになるので一人で十分ではあるが。
しかし隊長はかぶりを振った。
「要塞跡の存在自体は元々ここら一帯の住人には知れ渡っていた。そこで見つけた財宝の存在を隠すために、あえて不必要な略奪行為を働いてただの山賊の振りをしているのかも知れんな」
そしてリデオも隊長に同調する。
「そうさ。空気読めよ木偶の坊。実際お上もまんまと騙されて単なる山賊だと思ったからこそコストのかかる正規軍を出さずに、俺らを遣わしたってわけだ。まったくありがたい話だぜ」
「まあ、まだ財宝があると決まったわけじゃない。期待しすぎると何もなかった時にショックがでかいぞ」
「いいや絶対にあるさ!分かるんだよ。俺には第六感があるんだ。知ってるだろ」
私とロウィスを除いて、隊員たちは皆笑った。見るとセリトも笑っていた。
その後やって来たベナラハタ小隊の斥候の報告で、現在村に残っている賊は居ないと知れたため、一応用心のために数人ずつに分かれはしたものの、我々は比較的気楽に村の中心へと歩みを進めた。村からは小隊ごとに二軒の空き家が貸し出され、ニーギン小隊の到着を待つ二日間をそこで過ごすことになった。私は野営を張らなくてよいと知ってほっとした。
「村の貧乏くさい様子から予想はしていたがとんだ安普請だ。おい、見ろ。家の中まで虫だらけだ。外で寝るのと変わらんぞ」
都会育ちのセリトがまたしても私にだけ聞こえるように愚痴っていた。
だったら外で寝ればいいのに。