21. 暴走
「何だか知らないがやめろ。絶対に最低だ」
ニャキが指すほうから、騎乗した一団が歩いてくるのが見えた。ニャキの口ぶりから察するに、彼らに対し血生臭いことを仕掛けるつもりに違いない。彼らがフィノケリ卿によって差し向けられた救援であればニャキはそれを躊躇うだろうが、そうだとすれば恐らく反対方向から来るだろうし、そもそもニャキは彼らがやって来るのを事前に知っていたようだった。
「この丘はいいですね。こちらからは街道がよく見える一方、木々のお陰で私たちの姿は目立ちません。ひょっとして私のためにこの観客席をご用意下さったんですか?」
六頭の馬に跨る六人の男たち。その先頭を行くのは大きな両手剣を背中に背負った、精悍ながらもどこか冷たい雰囲気をまとった歴戦の戦士、かつての私の隊長だ。
「ノラッド小隊」
小隊の動ける者全員がここへ来ていた。最初に山賊征伐に出かけた時には総勢十五名だったノラッド小隊は、今やたった六名のみだ。一名負傷し、六名死んで、二名裏切った。武闘派で鳴らしたかつての姿は見る影も無いが、その現状に悲痛な思いを抱いているのは裏切り者の私などではなく、今そこに残っている六名だろう。彼らの表情は暗く、憔悴しているようにすら見えた。まるで潰走中の敗残兵のようだが、戦争では部隊の過半数が死ねば壊滅扱いと誰かが言っていた。ならばそれも遠からずだろう。
「何故彼らがここに…何故西側から現れるんだ」
「そんなことは考えればすぐにお分かりになるでしょう。確かにこの位置からはちょっと見えにくいですが…あぁ、ちゃんと居ますね。最後尾のリデオさんの馬に乗せられているようです」
私にも確かに見えた。リデオの馬の前部には、両手足を布で縛られたアイリスが横向きに乗せられていた。
ノラッド小隊がニャキの依頼を完遂するために攫ったのか、あるいはフィノケリ卿がエズチカ将軍との交換条件のために小隊を差し向けたのかは分からないが、それは今考えるべきことではない。ただ事実として、ノラッド小隊がアイリスを捕らえた。ハステの姿は見当たらないが、彼女はその立ち位置上恐らく無事だろうし、それについても今は考えなくていいだろう。
「アイリス、捕まったのか」
私が言わなくてもすぐにニャキが説明したとは思うが、迂闊にも声に出してしまったのでオーリスを不必要に動揺させてしまった。彼女は声も出さずに息を飲んで目を見開き、一歩前に踏み出して妹の姿を探した。
そしてどうやら彼女は妹の姿を見つけたらしかった。それはすぐに分かった。途端に彼女の目の色が変わったからだ。比喩ではない。本当に色が変わったのだ。しばしばメセが破壊的な能力を行使する時に見せる、紫色の妖しい眼光だ。
彼女の中の虫の殺戮本能が人間の理性に取って代わろうとしているのかもしれない。惨劇を止めなければならない。
「オーリスさん、大丈夫だ。彼らは決してアイリスに危害は加えない。テリリドニジグ…超能力者を必要としている組織が、騎士団とそう盟約を結んだからだ。縛られているのは今だけ、テンベナに着くまでの間だけだ。だから、あなたがこれ以上…血を流す必要は無い。落ち着いてくれ」
オーリスは名を呼ばれて私の方に振り向いたが、紫の眼光は収まる気配を見せない。むしろ彼女は眉を吊り上げて唇を食いしばり、憤怒の表情を私に投げつけた。彼女の怒りの理由は分からないが、理性を失いかけ、言葉の意味を理解することが難しくなった状態で、私がアイリスの救出を拒絶しているということだけを把握してしまったのかもしれない。
そうであるなら、ごく単純な言葉で呼びかけるべきだ。いや、命令するのだ。ニャキから受けたそれを打ち消すのだ。
「オーリス=エジヤ!決してあの人たちを殺すな!」
私の叫びと同時に、オーリスの眼球全体が完全に紫色の発光体となった。彼女はマントを脱ぎ捨てると背中の蝶の羽を広げ、前方のノラッド小隊に向けて飛び立った。首輪から伸びた紐が尾羽のようにひらひらと揺らめいた。
すぐさまニャキも命令する。
「オーリス=エジヤ!貴女の妹を取り戻しなさい!障害物はすべて引き裂け!」
私はニャキを睨みつける。
「何故こんなことをする」
「きっとお気に召しますよ。聞くところによると貴方は彼らに物理的な尋問を受けたそうじゃありませんか。どうぞ溜飲を下げてください」
「そんなことは望んでない。それに、ノラッド小隊は各々が虫人間を軽々屠れる戦闘能力を持ってるんだ。オーリスさんが返り討ちにされるかもしれないぞ」
「勝敗はオーリスさんがどれほどの能力を獲得したか次第です。それを見極めるのが目的の一つでもあります。しかし、結果どちらが倒されたとしてもそれぞれ想定内ですよ。唯一困るのは、暴走したオーリスさんがアイリスさんまで殺してしまうことです。メセ、行きなさい。万一の時は貴女がオーリスさんを…」
「なんだって?どういうことだ。やめろ!」
私は木に縛られたままひたすら両足をばたつかせたが、そんなことをしても何の意味も無いことはつい最近地下牢で身を持って知ったばかりだ。いや、もっと前から知っていた。酔っ払ったアイリスがオーリスから羽交い絞めを受けた時にもそんな様子を見た。なんてことだ。あんな憂鬱だったはずの思い出に懐かしさを覚えてしまうなんて。
メセもまたオーリスのように無言で命令に従い、丘の上から街道目掛けて大きく跳躍した。彼女に羽は無いが、その跳躍力はまるで空を飛んでいるのと見紛うほどのものだ。私は丘の上にクソメガネと二人きりで残されることになった。
オーリスの能力を量るための戦闘実験の対象として、少人数ながら一定の武力を有するノラッド小隊が適当だと考えたのは理解できる。だが、オーリスが殺されても構わないとはどういうことだ?滅多に見つからない上級適性者を消費し、数ヶ月かけて作った新型の生体兵器をたった一度の戦闘実験で消費するつもりなのか?ニャキは戦闘能力の確認は目的の一つと言ったが、この行為にそれ以外の目的が存在するというのだろうか。
「さあ、いよいよです。特等席で観戦としゃれ込みましょう。お酒とお菓子があればなお良かったんですが」
空中に居るオーリスに一人の隊員が気付いて声を上げると、すぐに小隊は騒然となった。彼らは皆オーリスの顔を知っているし、彼女が尋常ならざる姿で両目を紫にぎらつかせながら捕縛された妹に向かって一直線に飛んでくる時点で――何故そのような姿になったのかの理由は到底分かるはずもないだろうが――危険を察知したことだろう。
小隊は号令もなしに全員が武器を構えた。一拍遅れて、アイリスの狂乱した金切り声が響いた。彼女も傭兵たち同様、何が起きたかを正確に把握出来たとは思えないが、恐るべき悲劇が起こっていることは一目見ただけで否応無しに理解せざるを得ない。どうにもやるせない気持ちが短い呻きになって私の口から漏れた。この光景を見たくないがために私はオーリスとアイリスを引き離したのだ。そして今、もっと見たくない光景が始まろうとしている。
オーリスは小隊のほぼ真上に近い位置まで移動すると、そこで一度くるりと縦回転した。それは急降下の予備動作だった。彼女はまるで魚を見つけた海鳥のように、最後尾のリデオ目掛けて強襲する。だが戦いに長け、勘もいいリデオは予備動作の時点で手綱を打ち、前方へ駆けることでこれを回避した。オーリスが地響きと砂煙を上げながら街道の上に着地すると、ノラッドを始め、五名の隊員たちが即座にリデオの前に立ち塞がり壁を作った。
正面突破するつもりか、オーリスは弾けるような勢いでまっすぐ前方へと跳躍した。その先に待ち構えていたのはノラッドだった。オーリスの俊敏さは人間をはるかに超越していたものの、その獣のように単純な動きを見切ることは百戦錬磨の傭兵隊長にとっては容易かったようだ。一手先読みで置かれた大剣の薙ぎは、馬上のノラッドの肩に掴みかかろうとしていたオーリスの顔面を捉えていた。
その間ずっとアイリスは金切り声を上げていたが、その瞬間ついに私も狂乱し叫び声を上げてしまった。だが、オーリスは顔面に大剣を受け止めたまま火花を散らしたかと思うと、まるで頭突きのような動作でそれを跳ね返してしまった。大剣はノラッドの巨体ごと馬上から吹っ飛んだ。遠目に見る限りだが、オーリスの顔面には傷一つ付いていないように見える。恐るべきゴリ押しだ。
「おお!瞬間甲殻化の能力を訓練もなく使いこなすとは驚きです!想像を超えてきましたね!」
ニャキが隣で拳を振り上げながらそう実況解説した。まるで闘技場で拳闘の観戦でもしてるかのようなノリだ。今しがた私がオーリスの死を覚悟して悲鳴を上げたのを、単なる観戦者の興奮程度に認識されてしまったのではないかと考えるとかなり腹が立つが、そんなことは今はどうでもいい。
しかし、オーリスの体重から考えると、空中に居ながらにして馬上の大男の大剣の薙ぎを完全に跳ね返してしまうのはどう考えてもおかしい。剣が皮膚を通らなかったこと自体は瞬間甲殻化とやらの効果なのだろうが、彼女はどうやらそれだけでなく、メセのように物理法則自体を捻じ曲げることによって力を引き出しているようだ。
純粋に言葉の意味どおり『あり得ない』怪力で理不尽に落馬させられたノラッドだったが、器用に空中で身を翻すと、両膝と頑丈な剣先を使って着地体勢を取った。だが再び剣を構え終わるよりも、オーリスの接近の方が早い。彼女の虫の手がノラッドの首にかかる。そのまま力を込めれば熟れた果実のようにひしゃげるだろう。
私はあらん限りの声を振り絞って叫んだ。
「殺すな!!鱗粉を使え!眠らせるんだ!」
「鱗粉ですって?そんな能力が…」
私の声が届いたのだろうか。そして、ただ聞こえただけでなく、その意に従うつもりがあるのだろうか。オーリスはノラッドを殺害しなかった。彼女は払いのけるようにしてその手を離すと、再び背中の羽を大きく羽ばたかせた。七色の霧が陽の光に輝きながら急速に広がっていく。
私の声はオーリスだけでなく、その場に居た傭兵全員にもはっきり聞き取れたようだ。ノラッドを援護しようと馬を転回させていた彼らは、その動作が終わるや否やの内に拡がる虹色からの緊急回避を試みたためぐるりと一回転するように動き、そしてばらばらと散開して距離を取った。その円陣の中央で、ノラッドがうつ伏せに倒れ伏すのが見えた。
「何故だ!?私は引き裂けと言ったのに!まさかヌビクさんの命令を聞いたと言うのですか?」
ニャキは大いにうろたえた表情で一瞬こちらを見て、すぐさま視線を戦場へ戻す。私はその背に向けて言う。
「僕は気付かせただけだ。彼女は自身で判断したんだ。人間として」
「そんなはずはありません!彼女に何かしたんでしょう。私の命令を書き換えるにはそれなりの手順が必要なはずです」
「するもんか。あんたと一緒にするなよ」
やはり命令を書き換える手段はあるようだ。口ぶりから察するに今回私がただ言葉で命令を発しただけでそれが出来たのはどうも例外的なことのようだが、強化虫人間の前例自体がほぼ皆無である以上、ニャキさえも知らない特殊な条件での書き換え手段も存在するのかもしれない。
オーリスが周辺範囲を鱗粉で包み込んでしまったので、傭兵たちは攻撃を仕掛けることが出来ずにいたが、膠着状態はすぐに破られた。
オーリスはさらに広く濃く拡がりつつあった鱗粉を煙幕として利用し、予備動作を相手に見せることなく瞬間的に飛び出した。
狙いは当然、リデオの抱えていたアイリスだ。リデオはノラッドの大剣ですら跳ね返せなかったオーリスの突進を無謀に刀で防ぐつもりなどはないらしく、あえてアイリスを曝す形で後方へ飛び退き、地面に着地した。
オーリスはアイリスが落馬する前にその身体を受け止めると、傭兵たち全員の顔を一通り眺めてから、再び羽を広げて飛び上がった。そして妹を抱えたまま私とニャキの居る丘の方へと飛んできたが――彼女は私たちの顔も一瞥するとさらに高く飛び上がり、丘を一気に飛び越えて森の反対側へ消えてしまった。
「ええっ、どこへ行くのです!オーリスさん、戻りなさい!何故…何故命令を…。ああ、メセは何をしているのです!早くオーリスさんを追うのです!」
メセは姉妹が接触した直後から強引に追いかけようとしていたのだが、オーリスが高く飛び上がったのでその手が届くことはなかった。さらにはどうやらその時に鱗粉を吸ったようだ。彼女はオーリスのように私たちの頭上を飛び越えて行こうとしたのかこちらへ向かって跳躍したのだが、私たちの目の前で藪の中へと落下して、そこから出て来ようとしない。
「ああっ、メセ!なんという…なんということだ!貴方、どうして鱗粉の能力のことを黙っていたんですか」
「言う義理があると思うか」
「ああ、ああ!これでは全てが台無しだ!私の命令の効き目が切れたら、オーリスさんは妹を殺しますよ。彼女は普通の虫人間と同じように、人間とあらば肉親さえも見境なく殺す本能に突き動かされて生きているのです」
「それは…」
オーリスの人間としての心を信じたい。と言い返したい気持ちは強いが、そんな無根拠の夢のような思いに彼女らの生死を預けるわけにはいかない。これについてはニャキの言葉が正しい可能性が極めて濃厚だ。
「それは絶対に止める。僕が行く。彼女はまた僕の言葉を聞くかもしれない。早くこの縄を外せ!」
そうだ。理由は分からなくとも、彼女は私の命令に従って殺人を思いとどまったのだ。希望は残されている。
だが、ニャキは叫ぶ私に振り向いたかと思うと、縄を切って解放するどころか両手で胸倉に掴みかかった。
「やかましい。もうたくさんだ。忌々しいフィノケリの犬が。謀ったのはサーバリヌズか?それとも貴様か?ラン=ダーウェを奪い、アイリス=エジヤを奪い、そして…まさか、メセまでもを私から奪うつもりか。一度のみならず、二度までも!」
ニャキの眉間に厳しく顰められた皺が額の傷痕と繋がり、まるで第三の目のように見えた。血走らせた三つの目は憤怒よりも憎悪の感情をより強く湛えているように感じられる。彼女に憎まれていることは当然理解していたつもりだったが、その度合いを見誤っていたことは今初めて分かった。彼女は、かつては取るに足らない存在とばかり認識していた私のことを、今となっては恐らく世界で最も憎んでいる。彼女が今の今まで私を殺さない理由もまた分かった。私を楽に死なせたくないからに違いなかった。
「オーリス=エジヤをアイリス=エジヤの目の前で殺すことが出来れば、本来の目的はそれで果たされるはずでした。ですが、どうもオーリスさんの様子を見る限り、貴方たち二人はここ最近で随分心を通じ合わせたようですね。まったく、微笑ましい事です。だから私はオーリスさんの惨たらしい死に様を、アイリスさんだけでなく、貴方にも見せ付けることにしたんです」
彼女の言葉は元の慇懃無礼な調子に戻っていたが、憎悪の視線と私の胸倉を掴む両手はそのままだった。
「オーリスさんをアイリスの目の前で殺す?あんたの目的は、アイリスの自然覚醒か」
適性者の自然覚醒を促すための精神的ストレスとして、最も効果が大きいとされているのが『死』だ。死ぬ者は親しければ親しいほど『良い』。ニャキは最初からオーリスを生かして連れて帰るつもりなどはなかった。もう一人の上級適性者であるアイリスの覚醒のための素材として消費するつもりだったのだ。
ニャキはようやく私の襟から手を離した。彼女は、ノラッド小隊が倒れた隊長を回収してこの丘へ登って来るのを眺めていた。私の声が聞かれていたのだから、当然居場所は割れている。
「ご存知のはずですが、リドニッツ覚醒手術は対象者の年齢が二十歳を過ぎると成功率がほぼゼロにまで激減します。私たちが必要としていたのはアイリスさんだけだったんですよ。既に二十歳を過ぎているオーリスさんには大した価値はありません。新兵器の試験作としてデータの採取に利用できればそもそもそれで十分でしたが、彼女ならそれに加えてアイリスさんの能力を引き上げることも出来るのでより効率的だと考えていました。ですが皮肉にも試験作が予想しなかった能力を有していたため、私の計画は破綻寸前です。ああ、これについては貴方のせいじゃなさそうですね。私としたことが取り乱しまして、失礼いたしました」
ニャキはそう、謝罪の言葉を口にしながらにやりと笑い――身動きの取れない私の頬を裏拳で殴りつけた。
私は怒りを込めて彼女を睨みつける。すると彼女は大きく口を開いて歓喜の表情を作り出し、逆の頬をもう一撃。口の中に出血を感じる。そして往復でさらに一撃。血を吹いてしまった。傭兵どもよりはるかに野蛮だ。
「こんなことをしている暇があるのか?」
「犬が…!犬が!よく訓練された犬だな!泣き喚いて命乞いしたらどうだ」
彼女は片手で私の首を締め上げた。不安定な奴だ。リドニッツに投与しているとか言うふざけた薬を自分に打ったほうがいい。
鬱血し顔が熱くなるのを感じる。私は首に力を込め圧迫に抵抗したが、ニャキはそれに呼応するかのように容赦なく力を強めた。だが、徐々に混濁する思考と視界の中、ニャキの背後の茂みから何かがもぞもぞと這い出てくるのが目に入った。
「ニャキ、こっちだ」
メセだった。彼女がオーリスの鱗粉を吸い込んだのは確かだと思うが、吸入量が少なかったのか、あるいは再生能力の応用で効き目を軽減することが出来るのか、意識を失うには至らなかったようだ。しかしそれでも、彼女も首を絞め上げられた私とさほど変わらない程度に朦朧とした様子に見える。
「メセ!無事でしたか!」
「あの変な粉を吸った。出力を一定以上上げられない。だが、やれる。ニャキ、俺に命令しろ。あの女を殺せと」
私はぼんやりとメセの顔を見つめる。
「オーリスさんは大丈夫だ。僕が助ける。だから落ち着け」
木に縛られて孤立無援で血を吐きながらそう言ったところで、メセでなくとも誰も私の言葉など聞かなかっただろう。
「あの女はもう駄目だ。急速に力を増している。急速に自我が崩れている。俺以外誰にも止められない。あの女の妹だけじゃない。放っておけば村も町も滅ぼされる。何百もの人間が死ぬ。俺が殺さねばならない。ニャキ、今すぐ俺に命令しろ。俺の使命を、俺に思い出させろ」
メセは淡々と、噛み締めるように、言葉と共に自らの決意を塗り固めていくように、いつになく長い台詞を喋り切った。改めて命令を求めたのは、何も殺人の責任をニャキに押し付けようとしてるわけではなく、哀れな被害者であるオーリスを殺したくないという心情を強制的に上書きさせたいが故だろう。暴走状態のオーリスによる更なる惨劇を止めるには殺害以外に手段は無いと確信していたのだ。
ひょっとしたら、いや、きっと本当に彼女が正しいのかもしれない。だが、私には耐え難かった。オーリスを救う手立ては必ずある。こんな形で終わらせるべきではない。終わらせたくない。
本来、介錯は自分の役目ではなかったのか?今となってはそれを必死で止めようとしている。何百もの無関係な人が死ぬと予言されてもなおだ。なんと利己的なんだろう。最初からそのつもりだったくせに。
私はメセに懇願する。
「待ってくれ。頼む」
だが、ニャキの命令がそれを打ち消す。
「命令します!行け!オーリス=エジヤを殺せ!!」
メセの瞳もまた、紫色にぎらついた。這うのがやっとといった調子から一転、彼女は跳ねるように立ち上がると、突風を帯びながらすぐに私の視界から消えた。
ニャキは狂喜して回りながら天を仰ぐ。
「ははは!あはははははは!!メセは、メセだけは貴様ではなく、私の命令を聞くようだな!残念でしたね?実に残念でしたね?なあ!」
そして両手を広げてなおもくるくる回りながら、両脚を捻ったまま私と目を合わせてぴたりと止まった。
「お楽しみ頂けましたか?さぁ、いよいよ舞台も大詰めです。さあさあ、ヌビクさん!共に驚きの結末の目撃者となろうではありませんか」
彼女は踊るように短剣を翻し、私の縄を断ち切った。と、同時に私はすぐさまニャキに向かって飛びかかったのだが、既にぼろぼろだった私はあえなくニャキの長い脚で腹を蹴り飛ばされ、ふらふらと後ろによろめいた。背中を誰かに支えられたので振り向くと、丘を登りきったノラッド小隊が居た。
「どういう状況だ…」
リデオが呟いた。
「あーはっはっはっはっはっは…」
ニャキはまだ踊っていた。




