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星と羽虫  作者: 病気
第二章・久遠の旅路
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14. 仲間たち





 痛みに釣られてうっかり目を開いてしまったので、見たくもない陰鬱な鉄格子が視界に滑り込んできた。再び眠りに戻れないかと、駄目元とばかりに目を閉じてみたが、徐々に覚醒する意識が痛みを全身に行き渡らせ、痛みは吐き気を呼び起こした。私はたちまち嘔吐したが、上半身をほとんど固定されていたので危うく喉を詰まらせて窒息するところだった。


 苛立ちを込めて足をばたつかせ、床を蹴りながら咳き込んでいると、私からは死角になっている場所にあるらしき石の階段を降りてくる靴の音が、ランタンの赤い灯に伸びる長い人影を揺らした。囚人の異変に気が付いて急いで近付いてくるという感じはまったくしない。その音はゆっくりと規則的で威圧感さえ覚える。私はこの時点ではまだ自身の置かれている状況をほとんど把握できていなかったにもかかわらず、足音の主が私をこの苦しみから解放してくれるとは到底思えなかった。私は足をばたつかせることをやめたが、再び嘔吐し、そして咳き込んだ。


「まさか本当におまえだったとは…」


 鉄格子の向こう側、松明の赤い灯を背負って現れた人物は二人居た。背の高い者と、背の低い者。それは現時点で最も会いたくない者の上位二名だった。


 背の低い者は私を見ると眉間に皺を寄せて鼻をつまんだ。


「とっ捕まえたヨモラが言うには、ぶん殴って縛り上げた時点でもまだただの酔っ払いにしか見えなかったとよ。連行してる途中でようやく初めてヌビクだって気付いたんだとさ」


 背の高い者も私を見るなり、同じように眉をしかめて掌で鼻を覆った。そんなに臭いのか。


「まあ…想像もしないだろう。一目でも顔を見られたらまずいような立場のはずの者が、町で一番目立ってるとは…」


 テンベナ義兵団ノラッド小隊隊長ノラッドと、副隊長リデオ。彼らは私のことを小隊を陥れた裏切り者と認識して復讐を目論むと同時に、帝国の要人からの依頼で抹殺対象のスパイであるとも認識している。二度殺されることはあっても生かして解放されることはまず無さそうだ。


「コイツとつるんでた連中については現在聞き込み中だが、どうも一人は『山火事ホルズ』っぽいな」


 まるで私に対して説明しているかのような台詞と共に、彼らは格子の錠を上げ、いまだに咳き込み続けている私へと接近した。


「それなら驚くことではあるまい。気になるのはその他の者たちだ。酒場の客に聞き込みするより、直接本人に聞いたほうが早いかもしれんな」


 私がどういう経緯で屠殺前の鶏のような状況に陥っているのかは今更考えるまでもないことだが、どうやらホルズとジッフェについては捕縛されることなく逃げ果せたらしい。他に誰か居たっけ?


「拘束を解いて、水を飲ませてくれたら話すよ」


 咳が止まった隙に一言言うと、ノラッドとリデオは顔を見合わせて肩を竦めた。


「半分だけ叶えてやるよ」


 と、言うリデオの足元に、まるで突如として出現したかのように、都合よく中身入りのバケツが一つ存在するのをその時初めて見つけた。彼の次の行動は予測できた。ああ、つまらないことを言うんじゃなかった。


 私の嫌な予感は必ず当たる。とりわけ今回はすぐさまに。

 バケツの中身を顔面から浴びた。


「約束は守れよ」


 私はバケツを放り捨てるリデオを下から睨みつけながら、答える。


「半分だけ教えるよ。二人居た同行者のうちの一人はホルズだ」


 次の瞬間、私の口はノラッドの靴の味を知ることになった。それは鉄のような血の味ばかりでまったく美味しくなかった。


「おまえは俺のやり方をその目で見ていたことがあるはずだが」


 私は自分の歯が全部無事であることを黙ったまま舌で確認した。運の良いことだ。


「やっぱ肝据わってんなあこいつ。こんなん絶対ただの牧童じゃないだろ。密偵で確定だって」


「だとすると俺たちの監視対象のすぐ近所の店で酔っ払って大騒ぎする愚劣さが解せんが…。よもや今こうして吐瀉物まみれで壁からぶら下がってる状況すら計算どおりなのではあるまいな」


 どう振舞うのが正解だったのだろうか。まったく分からない。どうせどうやったってそっちの信じたい解釈で無理矢理都合の良い、否、都合の悪い存在にされてしまうんだろう。


「誓って言うが、僕はフィノケリ卿なんて人には会ったこともない。本当のことを話すだけでまた蹴られるのか?僕は本当にただの元牧童で、元ノラッド小隊隊員だよ。そういえば山賊征伐任務から生還したのにまだ報酬を受け取ってないんですが、隊長は約束を守らないんですか?」


「口の中にくれてやっただろ。それより、その御方の名前を一体どこで聞いた。俺たちはフィノケリ卿なんて一度も口にしてないぜ」


 私はほんの一瞬だけ迷ったが、回答にさほど時間を使わなかった。


「三日くらい前だっけ?隊長とニャキの会話の中で聞いたよ。オーリスさんの家で」


「何だと…」


 血を流したことで気分が些か高揚していたということもあるかもしれない。昨晩からどれだけ時間が経っていたのかはよく分からないが、酔いがまだ残っていた可能性もある。この回答によって彼らの殺意を取り返しが付かないほど性急に駆り立ててしまうリスクは理解していたが、彼らの反応を見てみたいという気持ちが勢いで勝ってしまったのだった。私のささやかな期待通り、流石のノラッドもその切れ長の目を見開き、私の空ろな瞳の奥を凝視した。隣でリデオが額に手を当てる。


「おいおい…マジかよ。その会合の存在はうちの隊員すら知らないはずだが」


「まさか本当に…あの場で、あの会話を聞いていたということなのか?仮にそうだとして、何故その事を今ここで暴露する?」


「意味が分からんぞこいつ…一体何考えてやがるんだ」


「蹴られたくないから正直に喋ってるだけだよ。何でも答えるから、早く拘束を解いて、水をくれないか」


「いや、待て…。何故、どうしてあの時あの場に居た。密会が行なわれることをどうやって前もって知ったんだ」


「知らなかったよ。たまたま運悪くあそこにいたんだ」


「たまたま居るわけねえだろ!こいつムチャクチャだぞ!」


「俺たちを愚弄しているのか…?」


 すべて偽りのない事実をそのまま喋ってみたが、やはりこの手段では無事生還できる気がまるでしない。


「僕は、ゼームに言われてあの時あの場所を訪れたんだ。きっとゼームは、僕がメセにお礼を言いたがっているのを知っていたから、気を利かしてくれたんだろう。それ以外の理由は無いよ…。要塞での出来事もあって団の人たちには顔を合わせづらかったから、隊長が来た時点で僕は地下室に隠れて、聞きたくもない会話をなりゆきでしばらく聞いていた。ただそれだけだよ…」


 ゼームの名を口にすると彼らは反応を見せた。馬鹿げた偶然がさんざん重なったことで私が槍玉に挙げられてしまっているが、そうでなければ恐らく最も密偵として疑われるべき怪しい人物はゼームに違いないのだ。


「要塞での出来事ってのはどれのことだ?色々あるが。俺たちが要塞を改めて訪れた時にその場に居たのも偶然か?落盤の直後に姿を現して俺たちを虫の居る路地へ誘い込んだのもたまたまそうなっただけってか?」


「僕は崖から落ちた後、ゼームに拾われて彼の家で療養してたんだ。その日もゼームに付き添ってその場に居ただけ…。落盤については僕らも巻き込まれた被害者だ。つまり…たまたまだよ」


 おそらくはゼームの素性や動向に関する質問をしようとしたのだろう、ノラッドが何かを言おうとする様子を見せた。だが、リデオが一歩進み出たことに気付くと、彼は腕を組んで口をつぐんだ。しばらくはリデオの個人的な質問を優先させてやるつもりらしい。


 危険な予感がする。


「ああ、そうかい。たまたまかよ。それじゃあもっと遡って、樹海で虫どもやメメトーのクソガキどもに襲われたのも、ラリャンサやトルシュやダミが細切れや丸焼きにされたのも、何もかも全部たまたまだってか?」


 彼は喋りながら拳が届く位置まで接近した。こんなのは無茶だ。どんな回答をしようが、それに対するリデオの反応は分かりきっている。


「…おい、黙ってねえで、何か答えろや…」


 憎憎しげな視線は回答とは見做されなかったようだ。このままずっと黙っているという選択もあったのだが、私はこの問答の理不尽さに耐え切れなくなり、怒りの感情を隠しもせずに口を開いてしまった。


「…たまたまだとしか言いようが無い。何もかも全部、僕は関知していない」


 動けない相手はさぞ狙い易いことだろう。リデオの拳は私の鳩尾を正確に捉え、先ほどバケツの水を浴びて若干マシになっていた私の衣服は再び胃液で上書きされた。悔し紛れに汚物を吐きかけてやろうとしたのだが、リデオもノラッドもそんなことはお見通しとばかりに一旦後ろに引いていたため届かなかった。私はわざとらしくリデオのほうを向いて精一杯咳き込んだ。


「がはっ!ごほ、ごほっ!…クソッ!何故だ?どうしてこんなことが出来る?ごほっ、ごほっ!僕はあの時、命を賭けて戦った。弱いなりにも捨て身で必死に戦ったんだ。虫の攻撃を反らして二度もダミを守ったし、瀕死のラリャンサを担いで崖から飛びもした。その努力の結果は…確かにひどいものだったけれど、だからってなんでそんな理由で僕を殴れるんだ?あまりにもひどくないか?」


 リデオが再びこちらへ歩み寄った。私は再び彼の顔めがけて咳き込んだが、彼は今度は避けようともしなかった。


「そんな理由で殴ってねえよ。あんなデタラメな状況からおまえだけ大した怪我も無く生き残って、その後涼しい顔して賊の巣窟で山火事どもとつるんでいやがったことはどう説明付けるつもりだ」


「あんただって生き残っただろ。だったらあんたが裏切り者じゃないのか?」


「今すぐ殺されてぇのか?」


 私は目を伏せ、ほんの一瞬黙ったが、すぐに怒りに押し出された呟きが漏れ出た。


「うるせぇよ、豚が…」


「おい、なんだと…うっ!」


 私はリデオの顔面に血や胃液の混じった唾を吐きかけた。

 殴られる前に急くように、怒りの非難をぶつける。


「なぁ。なんで僕が涼しい顔に見えたんだ?どうして仲間たちの死を気にしていないように見えたんだ?それはあんたが僕をちっとも信用してなかったからだよ。僕は…森で虫たちを全滅させた後、ようやくあんたたちに仲間として認めてもらえたような気がしてたんだ。正直言って、嬉しかった。だけど…てっきり…てっきり騙されたよ。あの時のあんたの汚ねぇ笑顔も、何もかも全部嘘だったってことなんだな」


 私は自分の口から吐き出される嘔吐物のごとき言葉をどこかまるで第三者のような気持ちで聞きながらその悪臭に慄いた。薄々感付いてはいたが、やっぱりそうだった。ただただ認めたくなかっただけなのだろう。それはおそらく入団した時からずっと心の奥底で感じていた、彼らに受け入れられたい、彼らと共に感情を分かち合いたいという欲求だ。ずっと存在自体を否定し続けてきたそれは、酔いと痛み、そして耐え難い怒りによってすべて私の外側へと垂れ流された。


「嘘なんかついてねえ。おまえが俺たちを騙したくせに掏り替えるなよ。あの時は本当におまえのことを味方だと思ってた。だがその後の諸々の出来事全てをたまたまで片付けるのはいくらなんでもあり得なさ過ぎるだろ」


 私は再びリデオを睨みつける。腹の中身はまだまだ残っている。


「嘘だ。もしも僕を騙したつもりがないのなら、あんたは自分を騙してるんだよ。僕を仲間と認めていたなら、疑わしくとももっと信じようとしたはずだ。あんたは要塞に乗り込んできた時、一度セリトのことも疑いかけたよな?だけど少しもしないですぐさまその疑いを無かったことにした。結構なことだね。その時既にあんたはセリトと仲間同士だったってことだ。僕とは違ってね。あんたは内心じゃ僕のことを一度だって認めたことなんて無いんだ。むしろ心の底からどうでもいい僕にすべての責任を押し付けることで、仲間たちの死という耐え難い事実に強引に蹴りをつけようとしてる。あんたは僕を犠牲にしたんだ」


 私は泣いているのか?なんて無様なんだ。


「………」


 リデオが仰け反ったまま何も言おうとしないので、さらに急き立てる。


「ラリャンサは僕の背中の上で、あんたを助けに戻るんだって最後までずっと言ってたよ。ダミは死の間際に、幼馴染へ遺言を持って帰ってくれと僕たちに懇願した。トルシュについてはよく覚えてないけど…。なあ、仲間がどうのと喚いて斬りかかる前に、こういうことを聞いておくべきじゃなかったのか?」


 ここで、それまでずっと黙って聞いていたノラッドが組んでいた腕をほどき、剣に手を当てカチャリと鳴らした。


「リデオ、飲まれるな。話術はこいつら密偵の十八番だ。本性を現したに過ぎん」


「また暴力で黙らせるつもりか?今の言葉はすべてあんたにも言ってるんだよ、隊長」


「チッ…。山火事よりよっぽどタチが悪いな」


「待て…待て待て」


 再びリデオが前に出てノラッドを制した。一発も殴られていないくせに苦悶の表情を浮かべている。


「おまえが仲間を語るなよ、ヌビク。まだ言ってなかったが、おまえを許せない理由はもう一つあるんだ」


「まだあるのかい」


「俺たちはノンドでの任務の後、おまえが埋めたレニタフとカイノの墓を確認した。カイノはともかく、レニタフはおまえのダチだったはずだよな?」


「………」


 今度は私が黙る番となった。


「動物やらに荒らされた形跡はねえのに、ひっでえ有様だったぜ。改めて葬ってやろうと掘り返してみたら、二人分の遺体がぞんざいに絡み合ってて、おまえが二人をゴミのようにくしゃくしゃにまとめて捨てたのがよく分かったよ。火葬した時点では繋がってた骨も何本か真ん中から折れてた。埋め易くするためにシャベルで叩いて折ったのか?既にその時点でおまえのことを裏切り者だと思ってはいたが、それでもやっぱり思ったよ。人の心がねえんだろうってな」


「…二人には…悪かったと思ってるよ。確かにあれは…埋葬と呼べるものじゃなかった。あんなものは…」


 私は呟きながら、ホルズと共に彼の幼馴染を埋葬した時のことを思い出していた。


「そんだけか?なあ、おい!言う事はそれだけじゃねえよな!」


 正直なところ、私はここでレニタフたちの一件について言及されることをまったく予想だにしていなかった。そのことこそが彼らの死に対する冒涜とも言えるだろう。私は彼らをぞんざいに葬った時のみならず、思い出しすらしないということで、今この時点までずっと彼らを冒涜し続けてきたのだ。一体どうして私はそのような無慈悲なことができたのだろうか。この時点ではその理由についてまったく思い当たることが無かったが、私は俯き、口から血の混ざった胃液と言葉を垂れ流しながら、自分の中の思いをまとめようとした。


「本当に…人の心が無かったのかもしれない。短い間だったとは言え、実際レニタフは僕の友達だった。そんな彼にどうしてあんなことが出来たのか、今となっては分からないんだ。傭兵団に入る前は、ずっと一人きりで本ばかり読んで暮らしていたせいかもしれない。あの時はまだ自分自身の行動や置かれている状況にまるで現実味が持てていなかった。彼らの死をもっと悲しむべきだったのに、どうしてもできなかった。どうしようもなかったんだよ。悲しみ方を知らなかったんだ」


「だから言ってんだろ。そんなおまえが仲間を語る資格なんてねえんだ」


 だが、樹海でのさまざまな出来事の中、何かが自分の中で変わったような気がする。とりわけ人の死との向き合い方を私に教えてくれた教師は、ホルズだったように思える。今この状況でその名前を出すわけにもいかないが、私は確かにホルズのことを心に描きながら言葉を続ける。


「埋葬の件については、本当に僕が悪かった。改めて埋葬し直すのも、確かに僕がやるべきだった。でも…こんなことを言うのもおこがましいけれど…、今もし生きてレニタフに会えれば、もっとずっとマシな友情を築けるような気がするんだ。今更そんなこと言ったってどうしようもないけど、本当にそう思うんだ。今の僕はきっと違うよ。頼むよ、信じてくれ…」


 私はここまでのやり取りの中で、この時最も心を込めて「信じてくれ」と口にした。


「とんだ茶番だな」


 だが、返ってきたのはノラッドの冷ややかな言葉だった。

 私は大いに落胆した。


「リデオの仲間思いの性格に狙いを定めて動揺を誘うつもりなんだろう。無駄な時間稼ぎだ」


 そして彼はついに剣を抜いた。ここから初めて尋問が始まるのだ。


 覚悟を決めるべきか見苦しく泣き喚いて命乞いするべきか、どちらが正しい選択なのだろうと、全身や眼球まで震わせながら必死に思いを巡らしていると、まるで狙い澄ましたかのようなタイミングで頭上から叫び声が聞こえた。


「隊長、敵襲です!敵は単独ですが、山火事です!」


 二人目の副隊長であるロウィスの声だった。


「これが時間稼ぎの理由か?」





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