13. 酔っ払ってモノマネする
重要な会話は途中で打ち切られてしまったが、今に限っては私は食事のほうにより興味があった。さっきアイリスが焼いてた時から気になってしょうがなかった。
置かれた皿の上からは先ほど窓越しに嗅いだものと同じ香りが立ち上っていた。そこには半分焦げたような魚が一匹身を反らしているだけで、付け合せの類も何も乗っておらず、些か飾り気に欠けている。
「こんだけ?でもいい匂いだな。どうやって食べるのこれ」
「さあ?俺も食ったことねーけど、魚なんてなんでも同じだろ。三人分切り分けようぜ」
ナイフを手にしたホルズから遠ざけるように、ジッフェが皿を手元に引き寄せた。
「各々が欲しい分だけお箸で身をほぐして取り分けるのが帝都流ですわよ。ホルズさん、お箸は扱えまして?」
「てめえと同じノギントリ出身の野蛮人だが、使えるぜ。右手でも左手でもな!」
細めた目でホルズを一瞥してから、ジッフェは自らの分を取り分けて、皿を中央へ返した。私とホルズは同時に箸を突き出して皿の上のサンマを骨だけにした。そして二人してすぐに皿の上のそれを食べ切ってしまった。
「うーん…。まぁ、食えるが、別に言うほどじゃねーし、値段の割りには量もしょぼくねーか」
私は値段は見ていなかったのでそれについての言及は避けた。
「塩の味ばかりだった。魚自体はなんか淡白だな」
取り分けた量が一番少なかったジッフェだけがまだ皿の上に身を残していた。
「基本的にお酒の肴ですから、そんなに一気に食べるようなものじゃないですわよ。と、言っても実際お二人の評価は的を射ていますわね。元々はるか北国で秋に獲って食べるような魚ですから。運搬には月日が必要でしょうし、その間に随分と身を細らせるはずですわ。この地方の料理人は調理にも不慣れでしょうし」
「なるほど。帝都の人たちが食べてるのはもっと美味いんだね。安心した」
「食は本来その土地、その季節に最適化されているものですわ。この土地の人にとっての奇異な食材で都への憧憬を煽るのは、航路の実質的な支配者であるリベイマ商会の商売上の戦略に過ぎません」
「へぇ。なんかめんどくさい話になってきたな」
私は再び麦酒を口に運んだ。塩の味が強いほうがこれとはむしろ合うような気がする。
「ちっ…またなんとか商会か…。なんなんだあいつらは」
そう言ってホルズもまた酒を口に運び、続いてジッフェもそうした。
「ヌビクさんはセリト=リベイマ氏とお友達なのでしょう?エジヤ姉妹を都行きの船に乗せるよう交渉できないかしら?貴方のことを亡くなったと思ってらっしゃるでしょうし、顔をお見せするだけでもきっと喜びますわよ」
「友達だからって商売と関係無い人をそうそう船に乗せたりしないんじゃないの?そもそもあいつは会長の息子ってだけで商会の一員でもなさそうだし」
「そうでもありませんわよ。コネの力ってこういう時に結構働くものですのよ。それなりの理由さえあればですけど」
「そもそもあいつはもうとっくに帝都に向けて発ったんじゃないかな。ノンドでの騒動からは一応無事脱出したとは聞いたが、あれからかなり経ってるし」
ジッフェに向けてそう話を続けつつ、ちらりとホルズの方を見てみると、退屈そうにそっぽを向いていたが、特に不愉快そうな顔をしてはいない。どうやら因縁の仇敵という間柄はセリトからホルズへ向けた一方的なものらしく、ホルズにとっては割とどうでもいい感じの相手という認識のようだ。
「ここ一週間ほどは確認していませんけれど、割と最近までここテンベナで姿が見られましたわよ。怪我の治療のための通院もあったようですけれど、しばしばテンベナ義兵団本部に出入りしていたようです」
ここでホルズが口を挟んだ。
「うん?なんだ、また敵に回るのか?いつでも殺し合えるぜ」
「野蛮!いいからお聞きなさいな。彼はどうやらヌビクさんのいらした小隊の副隊長、リデオ氏と交友関係を持ったようですわね。どうも彼から剣術を学ぶ見返りにいくつかの仕事を手伝っていたようです」
「そのなんとかっていう副隊長は、あの脚の短けぇデブのことか?あいつならよく覚えてるぜ!あのヘンテコな剣術をモノにしようってか?いいじゃねーか。俺だって習いてぇくらいだ。なんだかちょっと面白くなってきたな」
要塞で虫化した山賊たちを相手にしていた時から些かの兆候は見えていたが、帝国騎士流の伝統的な剣術を誇っていたセリトが、不良傭兵の手品じみた奇妙な剣術を自らに取り入れようとは、随分な変わりようだ。他でもないこのホルズにこてんぱんにやられた経験が相当影響を与えたと思われる。
「そういう経緯からするとリデオ氏からヌビクさんの生存の事実を聞き及んでいるかも分からないですわね。意外と向こうから捜してるかもしれませんわよ」
「とすれば、傭兵団側の立場に立っている可能性が高いし、姉妹を預けるのはリスクが大きそうだな」
セリトまでもが私が密偵だなどと言うリデオの妄言を真に受けていないことを願うばかりである。その新たに習得した剣術が私を殺すために使われたりでもしたら趣味の悪い冗談以外のなんでもない。
ジッフェは「ふむ」と短いため息を吐き、手元の酒に視線を落とした。私と同じことを考えているのだろう。私はジョッキを一息に呷って空にした。それを見たホルズが、丁度料理を持ってきた給仕に私の分のおかわりを要求していた。何か言おうと思ったが、まあいいか…。
「そんなに飲んで大丈夫ですの?またひどいことになりますわよ」
ジッフェが目を細めてこちらを見ている。隣のホルズもすかさずこちらに顔を向け、にやにやしている。
「流石に同じ過ちは犯さないよ。あんなのは金輪際ただの一度きりでたくさんだからね」
そして私は料理を口に頬張り、酒を待つ間を繋いだ。
「まだ比較的しらふだからそう言えるんじゃなくって?ご自分の限界が把握できるほど飲んだ経験があるとは思えないですけれど。それともゼームさんとやらのお宅で毎晩飲んでらしたのかしら」
「何の話か分からねーが、浴びるほど飲みたいって意味なのは伝わったぜ」
このような感じでホルズが軽口を叩き、それに対してジッフェが不平を述べるというやりとりをしばらくの間繰り返していたが、私の酒を持ってきた給仕と入れ替わりで、「ちょっと失礼」とジッフェが急に席を立った。
「突然どうかしたのかな」
私はやってきた麦酒に早速口を付けながら、店の奥のほうへと歩いていくジッフェを見ていた。彼女は死角へ消えてしまった。
「そりゃアレだろ。大か小かまでは分からねーが」
「不意に何かを見つけたような感じがしたんだが。驚いているようにも見えたな」
この時点ではまだ私の注意力はそこそこ保たれていたが、大体ここまでだった。
「ふーん。馴染みの店だっつってたし、知り合いでも見つけたんじゃね。彼氏かなんかかもな。男を二人も連れ込んで酒飲んでるとこ見られたらそりゃ気まずいだろうよ」
私が眉を顰めて無言で返事をすると、ホルズはけらけらと笑って続けた。
「なぁ、さっきの話の続きじゃねーが、あの女とは一体どういう経緯で知り合ったんだ?急に降って湧いたわけでもねーだろ」
「峠の村で偶然、金貨袋を取り戻してくれたって話したろ。思い返すと、まあ…、多分偶然じゃなかったんだろうけど」
「偶然じゃなかったらなんだ?運命か?」
「さっきから何言ってんだ?」
店に入る前に会話を交わしたときと同じように、再び面食らってそう尋ね返すと、今度は腹を抱えて笑い出した。こいつこそ急にどうしたんだ。
「彼女は予め僕のことを知っていて、情報収集の対象として接近する機会を窺っていたんだよ。金貨袋の件はそのきっかけだ。偶然じゃないってのはそういう意味」
「そういう経緯じゃ、美人局でもなさそうで何よりだな」
「…とにかく、きっと彼女の仕事柄の能力なんだろう。内向的な人間から情報を引き出すのは」
「そう卑屈になんなよ。いや、かえって卑屈なのがいいのか。俺の見立てじゃ、あれはイケるぞ。てめえみてーなどんより根暗の卑屈で軟弱なダメ男を世話するのが好きなタイプに違いねえ。絶対そういう性格」
「おい、そんな下世話な話するなよ…。そういう下心を持って女性と話すのはあれだろ…。なんか、ダメだろ…。というか、僕のことムチャクチャ言うね…」
この野郎、なんだってこんな話を始めやがるんだ。居心地が悪い。
気付いたら既に手元の酒が半分以上減っていた。動揺をかき消そうと無意識に口に運んでいたようだ。
「潔癖かよ…。おまえにその気が無いんなら俺がちょっかい出してもいいか?」
「はぁ…。おまえそんなに軽薄な奴だったんだな。今初めて知って、悲しいよ。それなら試してみたらどうだ?彼女はなぁ…ジッフェは、おまえみたいなチャラついた男に靡くような安い子じゃない」
「えぇー、おいおい…マジかよ。こいつ既に魔法にかかっていやがるのか…」
と、そこでジッフェが戻ってきた。やはり妙にそわそわしている。席を立った際に感じたのは気のせいではなかったようだ。あるいは…、
「今の話、ひょっとして聞こえてなかったよな」
さすがのホルズもややばつが悪そうな顔をしていた。
「幸いにも聞こえませんでしたわ。わざわざそう尋ねるってことはろくなこと話してなかったんですのね?」
私とホルズは顔を見合わせて胸を撫で下ろした。
「ははは、おまえの話をしてたんだよ。こんな美人一体どうやって捕まえたんだってな…」
「ふん、私の話をしていたというところだけはきっと事実なんでしょうね」
そう言って、恐らくは不意に、くるりと後ろに視線を送った。下世話な話を聞かれたくない誰かがそちらに居るかのようなそぶりだ。
「誰か居るのか?」
「い、いえ…。その、そうですわ、ちょっと知り合いが居たので、挨拶を…」
実際かなり様子がおかしい。明らかにしどろもどろである。
と、ホルズが椅子ごとこちらへ近付いてきて、視線をジッフェに向けたまま、私にひそひそと耳打ちした。
「このカマトト女の仕事が何だったか忘れんなよ…。アホの振りしてわざと俺たちの質問を誘導してるかもしれねーぞ…」
私も同じように視線を前に向けたまま耳打ちを返した。
「どうだろう…。どうも彼女は見たとおりの性格なんじゃないかと思えるんだが…」
「それが魔法なんだっつーの!」
ジッフェは目を細めてこちらを睨みつつ、着席し、通りかかった給仕に水を二杯注文した。手元のジョッキにはまだ半分近く酒が残っているが、それには手を付けようとしない。
「人を目の前にしてこそこそ話をするということは、何を話しているのか訊いてほしいということですのね?」
「おめーがアホみたいに見えるって話してたんだよ」
「そうだね。実際大体そんな話だよ」
ジッフェはまた何か大きな声で言い返そうとする様子で、一度大きく息を吸い込んだが、それをそのまま吐き出した。
「はあぁーーー…」
やはりどうも、大声を出している姿を見せたくない誰かがこの店内にいるような素振りだ。どうも先ほどのホルズの言葉を意識してしまう。私はなんだか奇妙にいらいらし始めて、どうしようもなくジョッキを一息に呷った。
ホルズは身を反らせて腕を組み、まじまじとジッフェを見つめた。一人食事を続ける私の食器がかたかたと鳴り、周囲の喧騒に溶け込んで沈黙を支配した。そして痺れを切らしたように再び口を開いた。
「訊いてほしいのはそっちなんじゃねーのか。あからさまにそわそわしやがって。なんだ?今誰と会ってたんだ?彼氏か?こっちに呼べよ。一緒に飲もう。悪いようにはしねぇ」
何故だか今更びっくりしたかのようにジッフェは仰け反り、両の掌をこちらに突き出してひらひらと振った。
おい…まさか本当に彼氏なのか…。
「いえ、いえいえ!そういうんじゃないんですのよ、本当に!」
今にも泣き出しそうな顔だ。
今度はひそひそ話でなく、二人に聞こえるよう直接言った。
「ほらな。どうもこれは、実際単に予想外の人物にたまたま会ってびっくりしただけのように見えるね」
すると、ジッフェだけでなく、ホルズまで少し驚いたように目を丸くしてこちらを見た。
「なんだい」
「あの…あたくしの態度が気に障ったのなら謝りますわ。でも、本当にそういうんじゃないんですのよ」
まったく自覚は無かったのだが、私の語調からはいらいらした様子が漏れていたようだった。しかし私自身、何故自分が苛立っているのか理由がよく分からない。
酒のせいだろうか?
酒…。
酒?
「なんてこった…ジョッキが空だ。おーい…給仕さん、麦酒をもう一杯…」
「ちょ、ちょっと…飲みすぎではなくって?」
そう言ったジッフェを一瞥してにやりと笑うと、私は半分残っていた彼女のジョッキを手元にかっぱらい、その中身を呷った。
「ははは…、なるほど確かにコイツはヤバそうだ」
呆気に取られているジッフェと、うつろな目でそれを見つめている私との間で視線を往復させて、ホルズは肩を竦めた。
彼女がこの店で予想外に出会ってしまった人物とは一体誰なのか、酔いの回った頭でいくらか推測してみたが、すぐにどうでもよくなった。もはや私は何も考えられずに右手の箸と左手のジョッキを交互に進め続けた。
「いや…なんか…悪かったね。べ、別に、アレだよ。苛立ってなんかいないよ、本当。せっかく三人でアレを…乾杯もしたんだから、今からは…楽しくやらないか。もう今更、こんな酔っ払って…真面目な話なんかしたってしょうがないしね」
「こんな陰気な『楽しくやろう』は初めて聞いたわ」
「あの、もうすぐお水が来ますわ。ちょっと一旦休憩を挟んだほうがよろしいですわよ」
その時、テーブルに顎を乗せて伸びていた私のつむじ越しに、ジッフェが明確に誰かに対して目配せするのを見つけた。ホルズもそれに気付いたらしく、背後に振り向いた。
「お?アイツか?なかなかイケてんじゃん、彼氏」
私は硬直し、振り向くことができなかった。
「だーかーら!そういうんじゃないんですのよ!それで、あの、いつまでもこんなぐだぐだしてても仕方ないので思い切って言いますけれど、実はあの方も私たちのこの会合に参加したいとおっしゃっていますの。その、私は…あんまり気が進まないんですけれど…、お二方とも、お許し下さいますか?」
私は黙っていたのだが、ホルズは勢いよく片手を振りかざし、背後にいるらしき誰かを手招いた。
「さっきから呼べっつってんじゃん。おーい、この優男が!さっさとこっち来いや!」
「乱暴な言葉遣いはやめてくださいまし!」
呼ばれた男が私の背後の空気を揺らし、横切る。彼は近くの席から椅子を引っ張ってきて、ジッフェはそれを迎えるために彼女の隣に場所を空けた。男は私の真正面に居るが、私は視線を上げず、男の腹の辺りを凝視した。清潔そうな純白のシャツに、金の刺繍が煌いていた。
「お冷二杯っすね。どうも、お待ちどうさまです!」
水二杯を載せたトレーを威勢よくテーブルに置いたのは、これまでの地味な給仕の女ではなく、華奢な金髪の青年だった。それは私の正面の位置からジッフェを取り上げた、『彼氏』その人だ。意地でも視線を上げようとしない私の視線の先に、腰を下ろした彼の整った顔が入ってきた。
「はっはっは。やあ、どうも!僕が噂の彼氏です。皆さん、うちのジッフェがいつもお世話になってます!」
ジッフェはびっくりして腰を浮かし、椅子の足をがたがた鳴らした。その音には周囲の無関係の客まで振り向いたほどだった。
「ひいい!どうかご冗談はおやめくださいまし!あの、そんなんじゃないんですのよ!本当に違うんですの!」
彼女はひっくり返らんばかりに動揺して、真っ赤になった顔の前で両手を千切れんばかりに振っている。そしてずり落ちた体を急いで元に戻そうとして、今度は椅子ごと後ろにひっくり返りかけたのを、その金髪の優男が支えて止めた。
男は声を上げて爽やかに笑う。私はその顔に視線を向けたまま、石のように硬直してしまった。そして酔いでぼんやりする意識の中、かろうじてその男の目と鼻と口の形を認識した。大きな赤い瞳に、すっと通った鼻筋、そして張りのある白い肌。ゼームほどではないにせよ、それでも街行く女性が皆振り返りそうな中性的な美貌の持ち主だ。そこまで認識した途端、何故だか猛烈に、いや、今更何故だかということも無いのだが、猛烈に腹が立ってきた。
「あんた誰だい」
あらん限りのぶっきらぼうさを体の奥底から搾り出して、そう尋ねた。私が不機嫌になっている理由に思い当たったらしいホルズが、隣でぷっと吹き出すのが聞こえた。笑うんじゃねえ…。
「ええと、その、こんな思わせぶりな登場をするつもりは無かったんだ。ヌビクくんと、ホルズくんについての話はちょっと前から聞いていて、お近づきになる機会があれば…と、思っていたんだよね…。ただ、今はちょっと間が悪かったかな…?飲み会の邪魔をするつもりは無かったんだ」
私からあからさまに歓迎されないということは予想外だったらしく、男はまるで許しを請うように私のうつろな目を見つめた。
「それに…そう!僕がジッフェの彼氏なんてのももちろん嘘さ!ちょっと調子に乗りすぎちゃったかな、えへへ…」
隣のホルズがまたしても吹き出した。私が唐突に不機嫌になった理由はどうやらバレバレのようだった。私自身ですら今この時に初めて理解したというのに。私は猛烈に恥ずかしくなって、何も言い返せずに金髪男の顔を見つめたまま下唇を噛み締めて再び硬直した。既に随分酔っ払っているにも関わらずさらにどんどん顔が熱くなっていくのを感じる。
「で、誰なんだよ」
私の代わりに隣のホルズが私の言葉を繰り返した。
「あの、言葉に気をつけてくださいまし。この御方は…」
隣のジッフェが続けて何かを言おうとしたが、金髪男は片手を上げてそれを制した。
何がこの御方だ。偉そうに。僕とほとんど変わらないくらいの若造じゃないか。
「僕はジッフェの同僚だよ。と言っても、込み入った話をする空気じゃないから、今日はただお酒でも酌み交わしてお近付きになれれば…、くらいに思っていたんだが…」
「俺は別に構わねーが、こっちの王様はどうもご機嫌斜めみてーだな」
いつまでも子供のようにふてくされていても余計に恥ずかしいだけだと悟った私は、ようやく顎をテーブルから持ち上げて、三人の顔を代わる代わる見た。
「べ、別に機嫌悪くなんてないよ…。ちょっと酔っ払ってるから違って見えただけだろう?それじゃあ、今度は四人で乾杯しようじゃないか…。ヒ、ヒック!ああああー…ほら、丁度僕の麦酒が来た!」
しかし真っ赤な顔のままのジッフェが、慌ててジョッキを取り上げた。
「もうホントにおやめなさいな!どう見ても限界ですわよ!貴方はお水で乾杯してくださいまし!」
「意地悪言うなよぅ。ぼ、僕はまだまだ飲める。飲みたいんだ」
再びテーブルに額を着けてしまった私を見て、男たちは抗議の声を上げる。
「ヌビクくんがこう言ってるよ。お近づきの印に一杯だけでもいいじゃないか」
「ダメですぅー」
変に語尾を延ばしてジッフェが答えた。
「ここまで来たんだから飲み潰れるまで行くルートだろ」
「ダメですってば」
ホルズに対しては語尾を延ばさず答える。
「ヌビクくん、顔を上げなー!乾杯するよー!」
「ダメですよぅー!」
また語尾を延ばした。一体なんだこの口調は。彼氏にぶりっ子ぶってるつもりか?
私は顔をテーブルに突っ伏したままジッフェの口調を真似して言う。
「ダメですぅー、ダメですよぅー」
男たちが笑うのが聞こえた。私は少しだけ気分が良くなったが、やはり顔は突っ伏したままで、くくく…、と笑った。
すると今度は頭上からジッフェの声が聞こえた。
「意地悪言うなよぅ。お酒をくれよぅ」
何だ。今のは。誰かのモノマネか。
私の時よりもさらに大きな爆笑が聞こえた。
私が大急ぎで顔を上げてジッフェのほうへ目をやると、今度は彼女のほうが顔をテーブルに突っ伏して、そのまま悲鳴のような声を張り上げた。
「僕はまだまだ飲めるよぅー!」
クソッ!こいつも完全に酔っ払っていやがる。
私は発狂したかのように床にぶっ倒れ、半分踏んづけられた毛虫のように転げ回り、窒息しかけるまでひたすら腹を抱えて笑い続けた。頭をテーブルの足にしたたかにぶつけた。
このあたりから、私の記憶は飛び飛びになる。
「もうぐだぐだじゃねーか」
誰かが言った。数分あるいは数十分ほど時間が飛んだらしい。随分視界が低い。どうも私はいまだ床に寝っ転がったままのようだ。私たちの周りに他の客たちもどやどやと集まってきて、大声で何かを言っている。何を言っているのかはよく分からない。一際目立つ赤毛の男が彼らに混じって、こちらを指さして大笑いしていた。ああ、ホルズか。
「あああー!違うんですのよ。これは…」
誰に対しての言葉なのか、ジッフェはきょろきょろしながら頭を抱えた。どう見ても錯乱している。
「あー…ああーー!!何なのこれ…どういうことですの…。なんかもうわけわかんない…あはは」
そして中空を見つめたまま口を半開きにして完全に動きを停止した。
また数分が経過した。
「あれぇ…。ちょっと待ってくれよ!こんなつもりじゃなかったんだが…。うわぁ、落ち着いて!」
金髪の優男がこちらに向かって両手を突き出して制止のポーズを取って見せた。うん?僕に対して言ったのか?彼は鼻血を流していて、私はいつの間にか元気一杯に立ち上がって、両手の拳を握り締め胸元に構えている。何があった。
「うわぁ、やめてやめて!暴力反対」
金髪男はなおも両手を挙げ、ただただ降参の意を示し続けている。一体何のためにしゃしゃり出てきたんだこいつ。そもそも誰…?
「サーバリヌズ=フィノケリ」
飛び飛びの意識の中、金髪男の口からその名が出たことだけを朧げに覚えていた。
次に目が覚めた時、私の両手は鎖で繋がれ、冷たい石の壁にぶら下がっていた。




