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星と羽虫  作者: 病気
第二章・久遠の旅路
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6. 愚者と盲人





「君の探している人はそこには居ないよ」


 ドアノブに手を掛けようとした瞬間だった。つい先ほどまで誰も居なかったはずの廊下の向こうに視線をやると、淡い朝の太陽を逆光に背負ったゼームがいつの間にか立っていた。


「確か以前にもこんなことがあった気がするな」


「君が初めてこの屋敷で目覚めた時のことだね。あの時は夕暮れだったけれど」


「ここに誰が居ないって?僕が誰を探していると思ったんだ?」


 結局あれから一週間もの間、私は眠りに就くたびに見知らぬ誰かの呼び声にうなされ続けた。今朝になってついに矢も盾も堪らなくなり、起床してすぐに呼び声の主を探しに屋敷を捜索し始めたのだった。


「呼び声の主だろう。まだ例の悪夢は続いているのかい」


「もう分かったんだ。夢じゃない。確かに呼んでいる」


 廊下には、私が寝室として間借りしている客間を含めて同じような戸が四つ並んでいる。その内の三つが同じような間取りの部屋であることは確認できたのだが、最後の一部屋だけはいつも戸が閉じられていた。私はその戸の前に立っていた。ここで初めて目覚めた夕暮れにも確かに感じたことだった。誰かが居る。


 私はゼームに構わずノブに手を掛ける。がちゃがちゃと音を鳴らすが、施錠されていた。


「そこも客間だよ。四つの部屋はすべて同じ間取りで、同じような家具が置いてあるんだ」


「何故ここだけ施錠してるんだ」


 私はこれ見よがしにがちゃがちゃを続けた。


 ゼームは些か同情を含んだように思える眼差しで私を見て、小さくため息をついた。


「開放する必要が無いから閉じっぱなしなだけだよ。鍵を持ってるから、今開けて見せよう」


 開ける必要の無い部屋の鍵を持ち歩いているとは、予め私の要求の内容を予期していたように思える。どうも行動を見透かされているようだ。そこまで思い至ると私はようやく冷静になった。


 そして、この屋敷に来てから初めてこの部屋の中を見た。

 人が居た様子は無い。

 シーツが整えられていること以外は私の部屋とまったく相違が無かった。


「ここから聴こえたと思ったんだが」


 寝具や床板を剥がしてまで家捜しを強行するほど精神的に追い込まれているわけでもない私は、部屋の入り口に突っ立ってぼーっと中を見回していた。


「少し前までここに居たんじゃないのか?」


 そう振り向いた私の目を、ゼームが見つめ返す。


「誰がだい」


「呼び声の主だ」


「それは誰だい」


 導かれるように、私の口から一つの希望がこぼれ出た。


「メセ」


 そしてゼームは俯き、かぶりを振った。


「彼女はここに居ない」


 それに答えず、黙って部屋の中に視線を戻した私の背後で、ゼームが続ける。


「君が悪夢を見るようになったのは、ギリザの門を開けて、カナベロと名乗る男に導かれて要塞を歩いた日からだったね」


 先ほど私が夢じゃないとはっきり否定したにもかかわらず、むしろあえてそうしたのか、彼は悪夢と言う言葉を繰り返し使った。


「…その通りだよ…。確かにそれが何か関係あると考えるべきなんだろうな…」


 堂々巡りの言い合いをしても埒が明かないので、私は渋々ながらゼームの理を認めた。


「得体のまったく知れないあの不気味な男に、何か催眠の類を掛けられたのかもしれない。一度里に下りて気の病に詳しい医者に診て貰った方がいい」


「どうも医者に治せる類の症状な気がしないんだが」


 背後でゼームが立ち去る気配がしたので、私も振り向いてその後に続いた。そのまま自然に食卓へと足を運び、特に合図もなく私たちは朝食の準備をしていた。


「カナベロとのやり取りの中で何か思い当たることはなかったかい」


「わけの分からない言動ばかりでやたらと混乱を誘ってくる奴だった。そう思うと、話している間中ずっと催眠術を掛けられていても気付かなかったかもしれないな」


「ふむ…」


 冗談のつもりで言ったのだが、ゼームは神妙な顔つきだ。


 朝食は予めゼームによってある程度準備されていたので、私たちは簡単な配膳の後にすぐに食事に入った。


 チーズをパンに乗せる。


「特段奇妙な感覚を覚えたのはせいぜい二回か。一度目は赤い扉の先にあった金属の筒のような部屋で昇降機に乗せられた時。でもあれは奴によると部屋ごと高速で上昇していたそうだから、物理的な感覚だったんだろうな。二度目は例の『遺物』に触れた瞬間だ」


 喋っている途中で口の中がパンで一杯になったのでそこで一旦区切った。


「何があったんだい」


 ゼームは一口の茶で軽く口を潤すだけで食事には手を付けず、いくらか特別な興味を持った様子で私の言葉の続きを待った。


 私は咀嚼しながら続ける。


「…なんだか…今まで経験したことのない感じだった。ほんの一瞬だけ、不意に自分の魂が身体から離れて…いや、広がるような感じで、なんかこう…触れている掌を介して水晶全体が魂の器になったような…。自分の中に何かしらの変化が生じたのだとすれば、確かにあの瞬間が怪しいような気がする」


「カナベロに術を掛けられたと言うよりは、遺物そのものの影響のように聞こえるね」


「その時カナベロは僕が『第一の鍵を手に入れた』と言っていた。今思うとあのわけの分からん言葉はあの奇妙な感覚について言っていたのかもしれないな」


 私は喋りながら手に持ったパンや卓上のフルーツの方ばかり見ていたため、この時不自然に沈黙したゼームの表情を見ていなかった。後になって思うと『第一の鍵』という言葉が彼にとって特別な意味を持っていたのだろう。


 私は口をもごもごさせながら続ける。


「第一の鍵、と言うことは第二の鍵もあるってことなんだろう。これまでの話をまとめると、どうもテリリドニジグがそれっぽい感じだ。それで、多分だけど、第三の鍵も存在すると思う。カナベロは第三の聖域の存在についても触れてたから。それぞれの聖域に一つずつ鍵が存在するんじゃないだろうか。そういや奴はその三番目の聖域の名前もちらっとだけど口にしてたな…何と言ったかな…」


 そんな思い付きを私は何の気なしに口にしたのだが、ゼームは私よりも先にそこに思い至っていたに違いない。


「イェニス」


 彼は独り言のように呟いた。私はそれでようやくゼームの調子がおかしいことに気が付いた。


「…そう、確かにあいつはイェニスと言った。第三の聖域イェニス。思い出した。確かにそうだ」


 それから、私たちは奇妙な沈黙に包まれながら食事を続けた。






「間違いない。やはり誰か居る」


 今回この台詞を口にしたのは私ではない。ゼームは無警戒に森の中を歩く私を片手で制しながらそう注意した。


「私が侵入者発見のために置いていた仕掛けが作動している」


「獣や虫人間じゃなくてかい」


「五人から十人程度の集団だ。ここからは私が先に行くから、注意して付いてきてくれ」


 そう言いながらも、さほど声を抑える様子は無い。どうやらその集団とやらが声の届く範囲にいないということまでも把握しているらしい。


 山賊の生き残りがシギミヒの財宝を回収するために戻ってきた可能性もある。だが、シギミヒにこっぴどく裏切られた彼らがこの悪夢のような場所に対して植えつけられた恐怖と欲望を天秤にかけて後者が勝るとは考え難い。だとすれば傭兵団か、あるいは手勢を揃え直したニャキがここで起こった奇妙な出来事の正体を解き明かしに来たのかもしれない。あの一件から既にだいぶ月日が経過しているのだ。彼女の息のかかった者を呼び寄せる時間は十分にあったはずだ。


「ヌビク、君はどう思う?来訪者たちは何者だろうか」


 思いがけずゼームの方から私の言葉を求めてきたので、私はたった今考えたことをそのまま伝えた。


 すると、


「君の考えはある意味実際の正解よりも正解に近いね。ここに来ているのはノラッド小隊の一部で、ニャリキミヒさんはそれには関知していない。彼女は立場上、この場所の重要性をもっとよく認識して早急に再調査するべきはずなのだけれど、どうもその気は無いらしい。ここで彼女が経験した悲劇と混乱を思うと心情的な理由で無理からぬことなのかもしれないけどね」


 知ってて試しやがったのか。私は言葉なくゼームの目を見た。抜け目の無い野郎だ。買出しで里に下りた時にでも例の隠密技能を発揮してせっせと情報収集していたのだろう。

 しかし、いかにゼームが並外れた速さで樹海とその外を行き来できるとしても、日が出ている間だけで往復できる範囲はせいぜいノンドバド村までだ。私がゼームの屋敷で生活を始めて以来、彼が晩までに帰らなかったことは無いので、つまりノンドバド村の中だけでニャキとノラッド小隊双方の動向を追えるだけの情報を集めることが出来たということになる。村に協力者が居るのだろうか。


「リデオ副長が以前ここへ来た時はオーリスさんを伴ってたな。今回も道案内役として同行してるんだろうか。だとすれば僕らがここでこそこそ話してることにも既に気付いていそうだけど」


 私がオーリスの名を出すとゼームは露骨に目をそらした。


「…いいや、来ていないよ。彼女は妹のアイリスさんと連れ立って村を出たらしい。聞くところによると、今はテンベナで生活しているそうだね…」


 てっきりゼームの情報収集の協力者がオーリスであると思っていたので、その回答については些か面食らった。


「へえ、テンベナに?なんで?」


 ここで改めて説明しておくと、テンベナ市はオーリスら姉妹の家のあるノンドバド村から峠を一つ越えた先にある賑やかな港湾都市だ。私が所属していたテンベナ義兵団の本拠地もある。山賊の存在以外でオーリスは村での暮らしに不自由していた様子はなかったし、その山賊が壊滅した今、彼女が町へ移住する理由についてすぐには思い当たらなかった。


「それについては時間のある時に話すよ。今は…ほら、見てくれ。あそこだ」


 疑問を残したままだったが従わざるを得なかった。彼が指さした先には要塞の入り口に差しかかろうとする一団の姿があった。


「人数は六人だ。先導者はリデオ副長のようだね。ここから他に確認できるのは、ドルニツ、ヨモラ、トトロイ…」


「いや、副長未満は名前を言われてもよく分からない」


「え?君の所属していた部隊だろう?」


 傭兵団のことなどすっかり忘れて森で優雅な養生生活を送ることに慣れ切ってしまっていた私は、連中の顔を見た途端に現実に引き戻されたような感じがして、なんだか具合が悪くなってきた…。


「…なんだか…ええと、大丈夫かい?」


「あんまり彼らと顔を合わせたくないんだが…」


「それはむしろ好都合だね。見つからないように先回りして、会話を聞き取れる距離から様子を探ろう。オーリスさんが同行していない以上、彼らは私の描いた地図を頼りにするはずだ。彼らに感づかれない位置取りは容易い。ただ、既に前方に居る彼らより先に要塞内に潜入するには、彼らの傍を通過する必要がある」


 私たちは木々で身を隠しつつ彼らの後を追うが、背の高い草を踏み分けるたびにいくら気を付けていても音を立ててしまう。


「副長はやたらと勘が良いんだ。君が誰かを見くびることはそうそう無いと思うが、一応油断が無いか確認させてくれ」


「大丈夫。こちらの音が気取られる範囲までは近づかない」


「彼らの会話を聞き取れるまで近づくんだろ。矛盾してないかい」


 そこでゼームは、再び片手を上げて私を制する仕草を取った。


「待って、もうすぐだ…。合図したら駆け出すからしっかり付いてきてくれ」


「相変わらず大事な時に限って説明が端的だな…。ギリザの門の罠を起動させた時を思い出すね」


 私は減らず口を叩きながらもゼームの視線の先を注視する。

 傭兵団がにわかにざわついた。そのざわめきの理由を私はすぐに理解した。


「なるほど、虫か」


 多人数で行動している彼らが要塞内の至るところに存在している虫人間を回避できるはずもなく、そもそも回避するつもりもないだろう。すぐにでも戦闘が行われることは明らかだ。


「今だ」


 剣と甲殻がぶつかり合う音が届くのとほぼ同時にゼームが駆け出した。大きな音を立てながら命がけの戦闘をしている者たちが、離れた位置の草が僅かに揺れる音にまで気を回せはしない。


 ゼームはけもの道ですらないまったくの草むらを、まるで見えない何かに導かれるかのように迷いなく駆け抜ける。その後を追う私も無事要塞の入り口横手の外壁まで到達した。そして、そのまま岩肌を駆け上がる。


「ここが裏口だよ。もう走らなくていい。完全に彼らの死角だ」


 獣の巣か何かのような、赤い岩肌にぽっかりと空いた人一人分の穴の前で彼は立ち止まった。要塞へ至る道のどこからも木々の陰になっていて見ることが出来ない絶好の位置だ。


「裏口?要塞の入り口は一箇所だけと聞いていたが」


「もちろん地図には描いていないし、シギミヒもホルズすらも知らなかった隠し通路さ。そもそも彼らも私の描いた地図によって内部の構造を把握していたからね」


 穴の中はほぼ完全な真っ暗闇だったが、相変わらずゼームは躊躇わず先へ進んでいく。私はゼームの服の裾をつまんだまま歩くことになった。暗闇の向こうから、男たちの怒声が反響しながら飛んでくる。先へ進むごとに徐々に鮮明になるそれが、言葉の意味を把握できるほどに近づいた頃にはいくらか落ち着いた会話に変わっていた。戦闘が終わったのだ。


「くそったれめ!全員無事か?」


「アデルがビビって尻餅搗いたくらいだな」


「そうかよ。優しくさすってやれ」


「…ったく、やれやれ…いきなり同時に三体か。虫どもが勝手に居なくなってくれてねえかと期待したが、どうやらここは随分住み心地がいいらしい」


 声と共に松明の炎がやって来て、私たちの眼下を照らした。そして私は自身の現在地が入り口正面の詰め所だとようやく理解した。シギミヒと初めて出会った場所であり、ホルズとリデオが斬り合いをした場所でもある。私たちは広間の天井付近に存在する狭い窪みのような場所で、暗闇に守られながら傭兵団の姿を一方的に確認することが出来た。


 先頭を進むリデオは室内に敵の姿が無いことを確認すると、土を盛って作られた机の上に巻物を広げ、自らもその机に腰掛け、短い足を無理矢理組んだ。


「地図の信頼性は高いと見ていいな。えーっと…宝物庫は左で、発掘場は右か」


 今回リデオと共に来た全員と思われる傭兵団員たちがその場に集まった。小隊での役職を持つ者は副長のリデオのみのようである。隊長のノラッドや二人目の副長であるロウィスの姿は無い。


「地図では右の通路の先は祭殿と書いてあるが…、賊どもは実際そこを掘り返してたっつったな?」


「ああ、だから発掘場さ。報告した通り、前回来た時にはほとんど探索出来なかったが、結構大掛かりな掘削がされてたのは確かだ。上階のしょぼい宝物庫は後回しでいい。まずは右へ進むぞ」


「金銀宝石が出て来たら今日限りで傭兵は廃業か。明日からは採掘業者だ」


「その前に害虫駆除業者だよ。てめえら気ぃ抜くんじゃねえぞ。まだわらわら居やがる筈だからよ」


 軽口を叩きながらも武器は抜いたまま、彼らは地下へ続く扉をくぐっていった。


「どうやら目当ては金品らしいな」


 戸が閉まると同時に私たちは小声で会話を交わした。


「彼らの取り分だよ。君もよく覚えてると思うが、彼らも少なからず犠牲を払ってる。それについて邪魔をするのはよそう」


「じゃあ、金品以外のモノについてはどうだい。地下を探索していたら例の遺物やシギミヒの研究室も発見するはずだし、あれの存在自体が彼らに別の目的を与える可能性もある」


 暗闇の中、ゼームは少しだけ悩むような空気を匂わせた気がしたが、さほど長い時間をかけずに回答した。


「実のところ、今となってはさほど気にしていない。この場所でするべきことは既にほぼ終えたと思っているから」


「ふーん、まぁ、シギミヒの研究資料も重要そうなものは全部回収したし、あの巨大な水晶については…君が以前言ったとおり、誰にも動かせはしないだろうからな」


 あれが金になるとしたら樹海の道を整備してここを観光地化するくらいしか思いつかない。そういえばシギミヒがここをホテルにするとか言っていたが、あれひょっとして本気だったのかな。


「ともあれ私たちも先へ進もう。この隠し通路は常に眼下に居る者の死角を取れるようになってる」


「君がホルズに追われながらモグラみたいに右へ左へ神出鬼没出来た理由が分かったよ」


 リデオたちは順路に沿って地下への階段を下っていく。私たちは地下牢の扉の前で発掘場を見下ろす彼らをさらに上から見下ろす形になった。


「君の趣味はなかなか良い感じだな。相手に気取られずに俯瞰で観察するなんて神様にでもなった気分だ」


「別に趣味でやってたわけじゃないよ」


 そう答えつつ顔の前で指を立てたので、私は口をつぐんだ。

 傭兵たちの会話に耳を澄ませる。


「下の開けたとこにまた三匹散らばってんな」


 六人の傭兵たちは虫人間の姿を見てもさほど怯む様子は無い。特に戦闘に慣れた者たちを選抜して来たのだろう。


「しかし一体なんだってここにゃこんなに虫どもがうろついとるんだ」


「俺は現場を見てないが、姫様が言うにはなんとかって言う賊どもの首魁が自分の手下を虫化させる術を持ってたらしい。そいつは行方を晦ませちまったがな」


 リデオが言った。恐らく姫様とは脱出時に彼と同行していたハステのことだろう。


「なんとかってなんだよ」


「姫様がそう言ったんだよ」


 間違いなくハステだ。


「あーあ、畜生。姫様可愛かったよなぁ。俺もあっちが良かったぜ」


「小隊を半分に分けてそれぞれ別任務って聞いた時点で嫌な予感はしてたがな。こっちはなまじ虫退治が得意だったばっかりに男だらけで山の中だ」


「こっちにゃ一攫千金、男の夢がある。男同士で仲良くやろうぜ」


「しかし残り半分の奴らの任務だが…、なんだって将軍の娘が俺たちに、あの銀髪の姫様の監視なんか依頼したんだ?二人は主従関係じゃなかったのか?」


 私とゼームは顔を見合わせた。


「元々はニャリキミヒ…あの将軍の娘が身動きを取れない間、彼女の代わりにノンドバドのエジヤ姉妹を監視するってことで請け負ったんだよ。ハスタリメノはその姉妹に関する見解でニャリキミヒと仲違いして、離反した挙句に姉妹を村から逃がしちまったんだとよ。そんで俺たちの監視対象が一人増えたってわけだ」


「あんたはともかく、ノラッドにとっては恩人の娘じゃねえのか。いいのか?こんな仕事受けちまって」


「だから絶対に一切危害は加えるなって奴に言われてるだろ。むしろ恩人の娘が帝国の裏切り者へと落ちる前に優しいおじさんが一肌脱ごうってんだよ」


「しかし姫様はそんなあれこれも露知らずテンベナでやたら堂々と生活してるよな。自身が追われる身なくらいは自覚があってもよさそうだが」


「あの子は…あんまり頭が良くないんだよ」


「器量良しで、善良で、おまけに頭が悪い。理想の恋人の三拍子だな」


 彼らは相変わらずの軽口を止めることなく、ごく自然な足取りで虫たちの居る広間へと降りていった。

 それを見送ってから口を開く。


「聞いたかい」


「ニャリキミヒさんがエジヤ姉妹の監視をノラッド小隊に依頼したことは知っていたよ」


「だと思ったよ」


「隠すつもりはなかった。時間のある時に話そうとさっき言っただろう。姉妹がテンベナへ移り住んだのはハスタリメノさんの勧めだよ。わざわざテンベナ義兵団の本拠地近くに行くあたり、監視されていることには気付いてなさそうだけど」


「そうか。ようやく話が見えてきたよ」


 あのニャキが遠い樹海まで長旅をしておきながら目的だったラン=ダーウェの回収を断念し、そのまま手ぶらで帰るなんてはずはなかったのだ。強化人間の優秀な適性者と思しきオーリスとその妹のアイリスを代わりに拉致しようと目論むのは当然のことだ。そしてハステは既にニャキの非道なやり口をその目で見ている。善良極まりない彼女が姉妹の身を案じて離反することもまた道理だろう。


「オーリスさんたちのほうは一体いつから監視されてるんだ?」


「この場所での例の一件があってから数日のうちに、まだ傭兵団がノンドバドに滞在している間にニャリキミヒさんが持ちかけたんだ。細かい交渉の内容までは把握できなかったけれど、どうやら彼女は正体を明かした上で、過去に帝国騎士団と繋がりがあるらしきノラッド隊長に直接依頼したようだね。彼なら秘密を守れると踏んでいるんだろう。彼のフィノケリ家に対する感情も考慮に入れてるのかもしれないね」


 樹海の道中でさんざんノラッドの陰口を叩いておきながら虫のいい話だ。だがメセに死なれ、ハステにも見限られ孤立してしまった彼女が新たな味方を獲得することに必死になるのは仕方のないことだとも思える。


「傭兵団と手を組んだニャキから、ハステさんと手を組んだ姉妹が逃げる構図か。戦力差は随分あるように思えるな…」


 テラスから広間の様子を見下ろす。悠々と歩みを進める巨躯の隊員は無言で戦槌を振り上げ、正面から向かってきた虫人間の頭部を一撃粉砕した。


 その様子から目を離さずに、ゼームが言葉を零すように口にした。


「やはり、旅立つ理由が出来たみたいだね」


 広場から目を離さなかったというよりは、私の目を見ないように言った。というのが正しいかもしれない。この間の森からの帰り道、彼が『旅立つまでの間だけでも』という言葉を使っていたことを思い出した。少なくともあの時点では既に、私が遠からず旅立つということについて確信を持っていたのだろう。


「僕が彼女たちを助けるために森を出ると?」


 私はゼームの方を向いたが、暗闇で結局顔はほとんど見えなかった。


「違うのかい」


 もはや随分以前のことのようにすら思えるが、私はオーリスの思いやりで一度心を救われたことがある。それに、私が遭難した時にもセリトらを伴って樹海深くの危険な山賊の砦まで来てくれたのだ。気持ち的にも人道的にも、どちらの理由においても必ず助けなければならない理由がある。私ごときの助力がどの程度役に立つのかは分からないが、少なくともテンベナから離れるように勧めるだけでも違うだろう。


「…今日、戻ったら支度をするよ。まだ例の呼び声の件が解決していないのは心残りではあるけど」


「そうかい」


 そしてようやくゼームはこちらを振り向いたが、やはり暗闇で表情は見えない。

 彼は言葉を続ける。


「だけど、今日明日すぐにでも旅立たなければならないほどには状況は切迫していないはずだ。ニャリキミヒさんはしばらくノンドバド村から動けないからね。どうやらまだあと二週間ほどは滞在するようだよ」


「そうなの?あの何にもない村で何をしているんだ」


 ゼームは改めて広間での戦闘へと視線を投げ、


「治療だよ」


 簡潔に答えた。

 この男は言葉数が少ない時ほど発言が意味深に聞こえる。


「確かに頭に怪我をしていたな。そんなに深かったのか」


「…さあ、今は尾行を続けよう。彼らは私の想像以上に手際がいい。急がないと見失いそうだ」


 そう言ってゼームは段差を飛び降り、真っ暗闇の通路に身を躍らせた。


「それにしても、何故虫は僕らのことは無視するのに彼らには襲い掛かるんだろうな」


「彼らの方から先に攻撃を仕掛けているからじゃないか?流石に危害を加えられたら反撃くらいはするだろうしね」


 彼が本当にそう思っているのか、あるいは知っててとぼけているのか、どうも後者のような気がするのだが、ここで議論しても仕方が無いので、私が虫人間を思い切り蹴飛ばしても一切抵抗を受けなかったことについては黙っていた。


「残念ながら地階の発掘場には隠し通路の存在する場所が限られてる。少しの間、彼らと同じ道を使って進もう。より一層慎重に、私の指示に従って動いてくれ」


 そして普通のものより一回り小さく、透明度の低いガラスで作られたランタンを取り出すと、淡い明かりを灯した。わざわざ尾行用のものを携帯しているらしい。照明としては心許ない光量だが、壁にぶつからずに歩くには役立つだろう。


「知っての通り、この先は入り組んでる。通路の死角を利用すればこちらの灯りが彼らの目に入ることはないさ。基本的に彼らの灯りを追って進もう」


「しかし本当に真っ暗だな。初めて来た時は壁掛けの松明が点っていたから印象がまるで違うな。こうも暗いと、逆に僕らが誰かに尾けられていても気付けないだろうな…」


 特に意味もなくそう言ったのだが、淡い光に浮かび上がるゼームの顔がさっと凍りついた。

 彼はすぐさま背後へ振り向き、ランタンを握った手を正面へ突き出す。


 暗闇の中で何かが確かに揺らめいた。


「見たかい」


 ゼームのほうに視線を移すと、彼は既に空いていた方の手に長剣を抜いていた。


「虫だろうか」


 私はそう問いかけたが、ゼームがそう思っていないことは剣を抜いている時点で分かっていた。


 彼は、


「カナベロ」


 簡潔に、それだけ言った。


「隠し通路に居た時からずっと尾けられていたのか」


「あちらを追う」


 その言葉を言い切るまで待ちもせず、ゼームは駆け出していた。理由は定かではないが、随分とカナベロに対して執着があるように見える。


「いや、誘ってるようにも見えた。何か企んでるかもしれない」


 私の制止も聞かず、ゼームは曲がり角の先へと行ってしまった。私は急に一切の光を失ったためか一時的に平衡感覚を失い、不意に顔面から壁にぶつかってそのまま地面に転がった。前後左右どころか上下すら曖昧になった私はすぐに立ち上がることも出来ず、そうこうしている間にゼームの気配は感じられないほど遠くへと消えた。


「暗闇で影を追うは愚者あるいは盲人なり。あの男はいずれであろうな?」


 その呪文のような低い声は、地面でもがく私のすぐ耳元で聴こえたような気がした。

 そして直後、呪文に呼応するかのように、巨大な振動と共に轟音が押し寄せ、耳を劈いた。

 何も見ることが出来ないが、この轟音の正体についてはすぐに思い当たった。確かに以前にも覚えのある音だ。逃げ出そうにも適切な方向が分からない。私は粉塵をなるべく吸い込まないよう蹲った。


 天井の崩落によって通路は塞がれ、私は暗闇の中でゼームと完全に分断された。





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