5. 呼び声
ゼームは少しの間目を伏せたが、すぐに顔を上げて話始めた。
「…君の口からメセという名を初めて聞いた後、私も彼女についてひどく気になりだしたんだ。だけど…この書庫に保管されているリドニッツ関連の書物においては、彼女の素性についての記述は徹底的に省かれていた。とても残念なことだけれど…きっと彼女の正体は永遠に謎のままだ」
永遠に謎のまま、と、彼はまるで急くようにそう断言した。私はそこが妙に引っかかった。
「それはメセがリドニッツの中でも特に優れた能力者だったから、より秘匿レベルの高い機密として、ここへ持ち出せるような資料を研究者たちが残していなかったということかい」
「はっきりとは言えないけど、その可能性が高いと思う」
やたらと説明的な性格の彼にしてはシンプルな回答だ。このことについてはこれ以上話したくない、そんな印象を受けた。
彼が私からメセという名を聞き、それから彼女について調べてみたというところまでは本当なのかもしれない。しかしゼームは私よりずっと先にこの書庫に出入りすることが可能だった。彼はひょっとして既にメセの素性について調べ上げているのではないのか?そして、何らかの理由でそれを私に教えることを是とせず、関連する資料を隠したのではないか?
そんな疑念がぼんやりと私の中に生まれていたのだが、私は何故かこの時、それについてそれ以上食い下がろうとしなかった。
「君の先生にも限界はあるんだな」
一体何故だろうか。考えてみるに、私は眼前ではっきりと彼女の死を目撃したにもかかわらず、それでも彼女の生存について期待しているところが元々心のどこかにあったのではないだろうかと思う。ゼームが私に伝えたくないと思うほどの何らかの重大な秘密が存在している。その秘密を知ってしまえば、疑念によって生まれた期待の芽を完全に潰してしまうことになるのではないだろうか。私は咄嗟にそれを恐れたのかもしれない。ひと月以上の間、まるで故郷の島に居た頃のように本の中に篭る生活を続けるうちに、また私はありえない空想に依存する性質に逆戻りしていた。
私はこの時すぐにそんな自分の考えに気が付き、そんなはずはないだろうと無言で小さく首を横に振る程度の冷静さもあった。だが、それにもかかわらず、私の中にあるメセの生存への期待は日に日に増していくことになった。
その日はメセに関する記述だけが不自然に欠落した資料を参照しながら、ゼームからテリリドニジグやリドニッツに関する講義を受けて夜が更けていった。その後食事をし、湯を浴び、ベッドに入るまではいつもどおりだったが、普段と違うことは私が眠りについた後に起こった。
呼び声がする。
それが夢なのか現実なのかは分からなかった。以前オーリスに夢を使って手紙を届けられた時の感覚と少し似ているような感じも受けたのだが、今聴こえてくる声はあの時のようなはっきりとした意味のある言語としてではなく、もっとずっと曖昧な、まるで感情や感覚をそのままそっと手渡そうとしているような、上手く捉え難い何かだった。
怖い。嫌い。違う。
ここには居たくない。やめて。
あなたはどこ?悲しい。痛い。
何も見えない。
誰?
殺して。
叫び声。私の声だった。そこからはまぎれもない現実だ。私は初めて聞いた自分の悲鳴に戦慄し、ベッドから半身を起こした。こみ上げてくる恐怖心に強制されるように夜闇に目を凝らしてみたが何も不審なものは無い。開放された窓でカーテンが揺らぎ、私の額に秋の風がひやりと触った。それで自分がひどく汗をかいていることに気が付いた。
一瞬だけ、不意に虫の声も木々のざわめきも止んだ瞬間があった。その時確かに感じた。誰かが居る。この部屋ではない。だが近くだ。それはゼームでもなければ、ましてやカナベロでもない。それだけは分かった。きっと呼び声の主だ。
「メセ」
理由も分からずそう呟き、上半身を起こした姿勢のまま私はじっとしていた。月が翳ったのか、ふっと夜闇が濃くなったが、私は身じろぎ出来なかった。そしておそらく少し眠ったと思うが、気付いた時にはその姿勢のままで夜が明けていた。
死人の声じゃない。生きた誰かが確かに呼んでいた。ただ、私を呼んでいたのかどうかはわからない。
「え?そうかい、私の部屋までは聞こえなかったよ。私の寝室は二階だし、結構離れてるからね。ごめん」
「何も謝ることじゃない。君の眠りを妨げなかったようでよかった」
「大丈夫かい」
「ただの悪夢だよ」
昨晩私が叫び声を上げたことについては、ゼームは認識していなかったようだ。私はこの朝は珍しくゼームが出かけるよりも前に朝食の席に顔を出したのだが、もちろんゼームの安眠を妨害しなかったかどうかが気になったからそうしたわけではない。誰でもいいから見知った人間の顔を見ないと不安で仕方なかった。
「今日もきこりの仕事に?」
「きこり…ね。今更そんな風に言う必要も無いだろうね。例の遺物の調査で要塞に通ってるんだ」
まったく他意のなさそうな感じで彼は答えた。が、他意がどうとか今はどうでもいい。何でもいいから会話していたい。
私はわざと時間をかけるようにぎこちない手つきで塩漬けの豚肉をパンの上に乗せる作業をしながら問いかける。
「遺物って言うのは、あの大きな虫の入った半透明の石のことかい。アレについて、現地にまで赴いて毎日何をそんなに調べてるんだ?」
そしてわざわざサンドイッチ状にした肉とパンを齧りもせずに皿の上に放置して茶に口をつけ、大げさに何度も頷きながらゼームの返答に耳を傾ける。
「遺物の中で最も重要なのはもちろんあの石だし、超能力を封印する不思議な場を作り出しているのもあれが根源で間違いは無いと思うけれど、あの要塞の地階で発見された遺物はまだ他にもあるよ。シギミヒが不思議な道具を持っているのを見なかったかい。テリリドニジグにあるとされる機械に似たものもいくつか発見できた。見に行くかい?」
少なくとも今日に限っては屋敷に一人で留守番する選択肢がなかった。それまでの調子と打って変わって急いで朝食を済ませた私は靴を取りに部屋へ戻った。外はよく晴れており、木々の合間から見える空に流れる雲の動きは速かった。爽やかに涼しい秋の朝だ。昨晩の夢か現実か分からない不気味な出来事を良い感じで忘れられそうだ。
「不思議なことに、ここに取り残された虫たちは何故か人間を攻撃しない。しばしば見かけると思うけど、心配することは無いよ」
まるでわざとのように、道中の樹海で彼はそう告げた。昨日のカナベロの発言が正しいとすれば、ここの虫が特別に人を襲わないというわけではないはずだったのだが、何故虫たちがゼームのことすらも攻撃の対象としないのかは分からなかった。私とカナベロに続いてゼームまでもが虫に無視される超能力の持ち主で、そんな三人がよもや偶然同じ時期にこの場所に集結したということは流石に無いだろうと思うが、いくら考えたところで分かるはずもない。カナベロの言葉を借りると、ここには水差しが無いのだ。
ゼームの言葉からたった一つだけ私が理解出来る確かなことは、私が虫に攻撃されないことを彼が既に知っているということだけだった。
「そうだね。昨日カナベロにもそう教えられた。びっくりしたよ」
「これもあの遺物の影響なのかもしれないな」
私たちはまるで参拝でもするかのように巨大な氷付けの昆虫の様子を見に行き、昨日までと特に何の変化も無いことだけを確認すると踵を返して別の部屋へと歩みを進めた。
「この場所にあるさまざまな機械も稼動させることが出来れば、テリリドニジグのように強化人間養成施設として機能するのかもしれないね。でもこの劣化した機械がまだ動くのかは分からないし、そもそも動力となる資源が不明だから私一人の力ではどうすることも出来ないだろうな…」
「動力?」
「水車を動かす川の流れや、牛車を牽く牛のようなものだよ。テリリドニジグの機械は私たちが知りすらしない謎の資源を使って動いてるんだ」
私たちはそれぞれのカンテラで室内を照らし出した。私がシギミヒと殴り合いをした場所からすぐの一室だ。そこにある不思議な金属の箱のように見える巨大機械はひどくくすんだみすぼらしい姿をしている。見た目からそう判断しただけだが、どうやらこれらも赤茶けた土の中から発掘されたものらしい。もう少し掘ったら壁の中からまだ何か出てきそうだ。きっとシギミヒもそう思っていただろう。
「強化人間の素体になってくれる人も必要だしね」
「ははは…そうだね。そこからまず難しいな」
様子を見る限り、どうやらゼームもまだこの場所の調査にはさほど時間を割いてはいないように思えた。ここで起きた騒動からは既にひと月以上が経過しているが、現在のように落ち着いて調査が出来るほどの状態になったのはつい最近なのだろう。
「そういえばここから賊を追い出すのは君の悲願だったな」
「まさにね。今がその待望の時だよ。以前はこの部屋はシギミヒによって施錠されてしまって私も立ち入れなかったし、その鍵は彼が持ったまま姿をくらましてしまった。結局力ずくで扉を破壊したんだ」
「結構力技に頼るところがあるよね」
ゼームはほとんど土をかぶっていない真新しい書棚の前に立った。本をめくる彼の肩越しに覗き込むと、メメトー文字の記述が見られた。シギミヒによる調査記録らしい。
「まだ最近読み始めたばかりで読破していないんだ。意外と上手くまとめてあるよ。印象よりは結構真面目に研究に励んで、ちゃんと記録を残すタイプだったみたいだね。でも、彼の山賊稼業日記も兼ねてるから不快な記述も多くてそこがちょっと困りものだな」
背表紙に『ラン』と札の貼られた本が目に留まった。私がそれを気に留めたことにすぐに気付いたらしいゼームが釘を刺した。
「シギミヒ本人から聞いているかもしれないけれど、ラン=ダーウェは高レベルのリドニッツ適性者だったそうだね。その本は彼女の自然覚醒を促すために不完全な手法で試行錯誤した記録だよ。昨日テリリドニジグの資料で説明したように、リドニッツの自然覚醒は過度の肉体的及び精神的なストレスが引き金になる。その本は読まないほうがいい。嫌悪が好奇心に打ち勝つなんて私にとっては初めてのことだったよ。途中で閉じて、もう読む気がしない」
ゼームが珍しく刺々しい調子でそう言い捨てた。当然忠告には従った。私は元々好奇心より嫌悪のほうがよっぽど強い人間だ。読んだら多分狂って死ぬ。
「昨日テリリドニジグの適性者名簿にライ=ダーウェという名を見つけたんだが、ひょっとしてラン=ダーウェの血縁なんだろうか。知ってるかい?」
本の内容について言及する気にはならなかったので、私は昨日気になっていて聞きそびれたことについて質問をした。すると、
「それについては話そうと思ってたんだ」
ゼームは読んでいた本を閉じて向き直り、私の目を見て話し出した。
「その通り、兄妹だよ。彼は覚醒済み第三レベル、即ち最も優秀なリドニッツだ。おそらく同じレベルだろうと思われるメセさえ除けば、あの書庫の記録にある限りでは、精神的に安定した覚醒済み第三レベルは彼の他には一切出現していない。ライ=ダーウェはおそらく現在でも帝国最強の生体兵器の一人として国の要人に仕えているんだろう」
「そうか。ホルズの幼馴染にも、兄さんが居たんだな」
死の淵で兄を呼ぶサトヤを見てホルズが急に彼女に同情し始めた理由がなんとなく分かった気がした。
ゼームが訝しげに私の表情を覗き込むのを視界の隅に捉えたので、私は顔を上げて話を戻した。
「…確かリドニッツ適性は遺伝によって受け継がれるんだったね。ニャキさんはきっと闇雲に適性者を探す旅に出たわけでなく、ライ=ダーウェから直接妹の存在を聞いて、その居場所の目星があった上でノンド樹海にやって来たんだろうな」
「今となっては私もそう考えてるよ。その目的地にたまたまこの遺物があったことは、彼女にとっては巨大な誤算でしかなかった…」
「メセが死ぬなんて思いもしなかっただろうに」
私はそう言ってゼームの目を見つめ返そうとしたが、既に彼は私のほうを見ておらず、本に視線を戻していた。
私たち二人はそのまましばらく、仄暗いカンテラの灯りの下で、たびたびその内容について意見交換しながらシギミヒの調査書を読み続けた。途中で私がメメトー語の読み書きを習得した経緯を尋ねられたりするなどといった細かい雑談はあったが、それ以外はほとんどわき目も振らずに、ついにゼームはこの一日で全てを読破し、私もゼームの解説に頼りながらだったが八割がたを読み終えていた。上述した読みたくない本は除いてだったが。
「ごめんよ。昼食を摂り忘れたね」
「忘れたと言うか、お互い読書を続けたかったから敢えて黙ってたんじゃないか?」
「はははっ、お見通しか」
カンテラの燃料の減りから見て、そろそろ外では陽が傾いている頃のはずだった。ゼームは何冊かの重要な記述のあった調査書をまとめると、完全に陽が落ちる前に急いで帰ろうと促したが、私は一つ寄りたい場所があると彼を引き止めた。
「日がなずっと外国語の文章を読んでいたからか、ふと思い出したんだ」
先導しながら私が何気なくそう言ったのをゼームがちゃんと聞いていたかどうかは確認していない。少なくとも彼は返事をしなかったし、私もそれほど重要なことを言ったとも思っていなかった。
私は、ただの一度だけこの要塞で一晩を過ごしたあの『客間』に再び足を踏み入れていた。ぼろぼろの粗末な寝台の上の薄汚れたシーツはまさにあの朝私が目覚めた時の形のまま微動だにしていなかった。その寝台の足元に目をやる。そこに置いてあったそれもまた、ぱっと見た限りではあの日の姿のままだった。
「その鞄は…」
「ホルズのものだよ。僕が中身ごと譲り受けたんだが…」
紐をほどき、カンテラで照らすと、その中身がおかしいことはすぐに分かった。
「干し肉」
「え?」
「食べるかい。昼食を抜いたし腹が減ってるだろ」
私はホルズの鞄からそれを一切れ取り出してちらつかせた。
「ここは小虫やネズミが多いし、鞄の密閉性もあまり良くなさそうだから気が進まないな」
ホルズの鞄からは、ニャキの日誌だけが何者かに抜き取られて消失していた。それは暗号の解読さえ出来ればメセの素性についての手がかりになり得るであろう唯一の資料だった。
誰が持ち去ったのかはわからない。だが、こんな樹海奥深くの要塞の、なんら特別な場所にも見えない単なる一つの個室に置いた鞄の中から、他の物に一切目もくれずに本を一冊だけ抜き取って立ち去る人物など、かなり特殊な境遇の人物に限定されるはずだ。
だから私はゼームに何かを訊ねようとは思わなかった。
「ホルズにはまた会えるんだろうか」
私はしばらくぶりにその鞄を背負いながら、それだけ口にした。
「断言することは出来ないけれど…私はまた会えると思うよ」
何かしらあてのありそうな口ぶりだった。
外も既にだいぶ薄暗くなっており、樹海を進む私たち二人は木の根などに躓かないよう、途中でカンテラを点した。
すると、私たちの正面あたりの木々の隙間の暗闇に一つの人影が存在していることに気がついた。
「ホルズ…?」
ホルズのことを考えていた私は何の気なしにそう声を出したが、ゼームが冷静に否定した。
「あれは虫だよ。要塞の外まで出たやつも居るんだね。でもあいつも襲ってこないタイプに違いない」
私たちはまるで無防備にそれに近づいてカンテラで照らした。確かにその人影の正体は一体の虫人間だった。それはやはり私たちに対してまったく反応を見せない。まるで私たちがこの世に存在しないかのように、音もなくじっとそこに佇み、巨大な渓谷をただ見下ろしていた。
「まるで詩人か哲人のような佇まいだな。人間を襲っていない姿を見る限り、知性が無いようには見えない」
私がそう言うと、ゼームは虫の横に並んで立ち、それが見つめている渓谷をそれと同じように見下ろしながら、答えた。
「これは無根拠の個人的な見解だけど、彼らはみんな人間のような知性を持っているよ。ただ、魂の存在する次元が私たちと異なるというだけ。まじまじと観察していると、なんだかそんな印象を受ける」
私は珍しくゼームの言葉が気に入った。
「なんだいそりゃ。君が哲人のようだな」
少し笑って、そのまま屋敷へ向けて歩みを再開した。
すると私の背中に向けて、ゼームから思いがけない言葉が投げられた。
「あの日、要塞に現れた覆面の男は私だよ」
淡々とした静かな語調だったが、何かしらの強い意志を持って発せられた言葉なのは確かだった。話の内容自体から考えても明らかなことだ。
私は一瞬だけ硬直したが、すぐに振り向いた。
ほとんど山の向こうに消えかけた紫色の西陽を背負ったゼームは、こちらへ向いて立っていた。ゆっくりとした大きな風が通り過ぎて彼の前髪をかき上げて、彼のまっすぐな視線と私の間を阻むものがなくなった。
「藪から棒だね」
私も立ち止まり、首だけでなく全身でゼームと向き合い、彼の言葉の真意を探るべく注意深く言葉の続きを待った。
「ホルズに関して、本当に悪いことをしたと思ってる。私は遺物を守るため、とにかく必死だった。手段を選ぶ余裕が無かったんだ。だからといって、そのためにあの男の心を犠牲とすることに躊躇が無かったわけじゃない」
「心だけじゃない。あいつは君の計画のために命までも落としかけたはずだ。でも…確かに心のほうが重要だ。そこは僕も同意見だよ」
「許してくれと言って許してもらえるような程度のことだったとは思ってない。ただ、本当にすまなかった」
打算めいた感情は見えない。それなら私も流石に皮肉や嫌味で返すわけにはいかなかった。
「許すも何もない。君は僕を助けこそすれ、危害を加えたことはないだろ。君を裁くのはホルズの役目だ」
「…それについては…実はホルズとは既にこの件について交渉を持ってるんだ。その時交わした約束を守り通せば、彼は私を殺さないと言った。ただ、やはり許すとは言ってもらえなかったけれど」
私が屋敷で書を読んでいる間にも、彼は再びホルズと会っていたらしい。
「それなら口出しするようなことは無いよ。ただ、…ありがとう、僕のことを助けてくれて」
約束とやらの内容を詮索するつもりはないので、私は思いのままを口にした。それは自分でも意外な言葉だった。
私は急くように言葉を続ける。
「それより…どうして今、急にこんな話を?」
そうして再び歩き出すと、すぐに彼の追従する足音が聞こえた。
「…さあ…よく分からない。ただ、居ても立っても居られなくなったんだ。多分だけど…羨ましかったんじゃないだろうか。君とホルズの間の信頼関係が」
「君が僕なんかを羨ましがるなんて変な話だな」
そして彼は追いつき、私たちは並んで歩くことになった。
今更分かりきったことではあるが、この男があの要塞の遺物に執着する理由は、恩人の遺志を継ぐ、ただそれだけではないのだろう。彼は何かしら大いなる秘密を抱え、断固として誰にも頼ることなく一人きりでやり抜かなければならない理由があるに違いない。それが一体何であるのかは私には想像も付かないことだが。
「ヌビク、君が旅立つまでの間だけでも、私と友人で居てくれ」
そんな途方も無い孤独な境遇がまったくの平気というわけではないようだ。数ある秘密の一つを今唐突に打ち明けたのはきっと本当に発作的なことだったのだろう。孤独については私も多少は知っている。
「旅立つなんて言ってないよ」
完全に不信が拭われたということはないが、ただそれでも、ゼームに対してこれまでよりもいくらか人間味を覚え、ほんの少しだけ爽やかな気分になったのは確かだった。
しかしこの晩にもまた、昨夜と同じ怪奇現象が繰り返された。その呼び声は、近くて遠い奇妙な世界から漂いやってきて、耳から、口から、毛穴から、身動きできない私の中へとするすると入っていく。相変わらずそれがどんな意味の言葉なのかははっきりとは分からない。言葉ではなく、感情そのものだったのかもしれない。その感情とは、ただただ、深い悲しみと恐怖、そして絶望。
ある時点からいつの間にか私自身がその呼び声の主となっており、死を望む言葉を口にした瞬間、またしても昨晩と同じように汗だくで飛び起きることとなった。今日は風が吹いていない。じっとりと汗が染み込んでいく。
相変わらず正体不明の現象だが、その呼び声の主がどうやら女性らしいことは新たに分かった。
「君は一体誰なんだ…」
呼び声の発信源を突き止めるまで、きっとこの現象は毎晩続いていく。そんな確信が私の中に芽生えていた。




