6. 入団の経緯
私がこの義兵団の名を持つ傭兵団に入団したのは、この一件からさほど過去のことではない。初めて故郷のテリモロ島を出た時期も同様だ。
私が生まれ育ったテリモロ島は、人口百人未満の小さな島で、よく晴れた日には大陸の港町テンベナから遠景に見えることもある。温暖な気候で、冬よりも夏のほうが長く、真冬においても雪や氷が観測されたことは、少なくとも私がこの世に生を受けてからは一度も無かった。野生の果物や漁業資源が豊富で、開けた部分では夜行性の食用家畜であるイワウサギが放牧されている。家畜の天敵となる大型の肉食猛獣は生息しておらず、危険な蛇や猿の類も全体の七割ほどを覆っている密林から出て来ることは滅多に無いため平和そのものである。
この島が大嫌いだった。
私は物心がついた時から毎日イワウサギの世話だけを生業として与えられ生活していた。島の住人は、私を産んですぐに死んだらしい顔も知らない母と、事件の数年前に生まれつきの病で早世した兄を除いて一人残らず好ましく感じていなかった。つまり兄が死んだ時点で私の心には誰も残っていなくなった。と、言うのも――酒を飲んで汚い言葉を吐く時は別だったが――、父や健康な他の兄たちは私に対して殴る以外の交流手段をほとんど持たなかったし、姉たちについてはそもそも私の存在を一切無視していた。それを理不尽と感じたことはない。私は幼いながらも家族から向けられる嫌悪の念を理解していた。病気の兄が一度だけ遠まわしに仄めかしたことがあるが、どうやら家族たちは母が死んでしまった理由を私に求めていたようだった。少なくとも私を産んだことで体調を著しく崩したのは事実だったようだ。私は家族にとっての不幸の運び手でしかなかった。
故郷の島で過ごした日々はそんな健全な少年時代とは言い難いものではあったが、我が家の書庫には父が病弱な兄のために集めた蔵書が十分にあり、私にはその本を読む権利といくらかの時間だけは与えられていた。矛盾しているようだが、私の嫌いじゃない世界はそこにあった。つまり、本の中にこそ島の外の世界があったのだ。
私は兄から文字を教わり、幼い頃から多くの書物を読み続けてきた。私にとっては島の牧童としての閉ざされた生活は仮初めであり、書物の世界への冒険こそが現実だった。
私は外の世界に憧れる半面、それを穢してはならないという戒めも、恐らくは本能的に持ち合わせていた。島には娯楽が皆無であったため、父や健康な兄たちはよく船で町へと遊びに行っていたが、私は一度も彼らに同行することはなかった。彼らとの関係が良好でなかったというのも理由の一つではあったが、それよりも自分の中で完成されていく世界を壊してしまうことが恐怖だったのだ。
しかし、そんな私も否応無しに島を出なくてはならない日がやってきた。事件はいつもと変わらないよく晴れた朝、少なくとも私にとっては何の前触れも無く突然にやってきた。
私を除く島の住人全てが虫になってしまったのだ。
世界は様々な恐怖で満ちているが、虫化病はその中でも特に大きく、不吉で、理不尽なものの一つだ。虫化に関しては明らかにされていないことが非常に多いが、まず特筆すべきは、発病する者たちの共通点が人間であるということのみで、人種、年齢、性別、習慣、発症時の状況、その他あらゆる点において共通性が発見されていないということだ。これはつまり、現時点では全人類が例外無く発症の可能性を持つと言い換えられる。
虫化が始まると体の一部が変形し、昆虫のような殻に覆われ始める。一度この状態になってしまった時点で破滅は不可避となる。治癒する手段は発見されていないのだ。そして数日ごとに、変化した部位から浸食するように昆虫の姿に変化していく。個人差があるが、全身の四分の一から半分ほどが虫の姿に浸食された時点で残る全身が一気に変形し、完全な人型の昆虫となってしまう。最初に発症してからこうなってしまうまで、早い者は半月ほど、持ったとしても二ヶ月が限度である。
虫化が完了した時点で、その者は正気を失う。そして人間を見境無く襲ってその強靭な鉤爪と大顎で食い散らかし、人間によって作られたもの全ての徹底的な破壊を試みるのだ。彼らは人間だった頃よりはるかに鋭敏になった感覚で音や匂いや気配を感知し、満たされることなく貪欲に、執拗に獲物を追い求める。しかし彼らが人間を殺したり、人工物を破壊したりする理由は明らかにはされていない。彼らはその生命活動に一切の栄養摂取を必要としない超越的な化け物であるということだけは判明しており、捕食のために人間を殺すということはないとされている。
空はよく晴れていた。それが不快だった。島にいた頃、私の仕事は夜に始まり朝に終わっていたため、朝の輝く光は不快な疲労の象徴だった。その朝はめずらしく私の家族全員、父と二人の兄と二人の姉が揃って家に居た。誰が最初に異形へ変化したかはよく覚えていない。仕事を終えて帰宅した私が部屋に籠るために台所を横切ると、家族の一人が突然呻き声を上げて虫の姿に変化した。他の家族もその状況に驚く間もなく、ほぼ同時に次々と虫になっていった。
それは私にとって青天の霹靂と言えた。この瞬間まで、彼らが虫化病に侵されていることに私はまったく気付かなかったのだ。これまで彼らに虫化の兆候はまるで見られなかったし、隠している様子すら窺えなかった。島はまだ長い夏のさなかであり、島民は皆手足を露出した衣服で日常を過ごしていた。末期ともなれば少なくとも四肢のどれかには必ず甲殻化が見られるはずである。いくら私が彼らに対し無関心だったとは言え、この時点まで気が付かなかったというのはまさに異常だったと言えるだろう。
そもそもまったく同時に近くの者たちが複数同時に虫化を終えるなどと言う事例は一度も読んだことがなかった。上述の通り、虫化病は伝染病の類でもなければ発症の法則性も無いとされているのだ。
しかし私がこの奇妙な経験の謎に触れるのはずっと後のこととなる。
悠長に疑問を抱いている暇は無かった。虫化した者は、相手が人間とあらばたとえ肉親であろうと見境無く食い殺すのだ。大急ぎで外へ飛び出すと、遠くの家々が次々と崩れていくのが見えた。虫化した島民が自分の家を破壊しているようだった。虫になったのは我が家の住人だけではないらしい。信じられないことだったが、島中が皆同時に虫化してしまったのだ。そんな中で何故私ただ一人だけが人の姿のままでいられたのか、それを疑問に思ったのもまた後のことだ。この時私は笑い出しそうになっている自分に気付き、正気を押し込めるために真顔を保つことに必死になっていた。
私が家族のことを好ましく思っていなかったのは結果として不幸中の幸いだったのだろう。悲しむ必要が無い分だけ多少は冷静に判断が出来たのだ。私は以前にも一度だけ島内で虫化を見た経験があったし、彼らの獰猛さを経験で知っていた。それに書物によって虫化病に関する知識もそれなりにあったため、彼らを救おうなどという感心な考えは一切持たなかった。
私が遠景に見える大陸へ向かって小舟を漕ぎ出した時にはもう、私の心には恐怖や悔恨等の負の感情は一切無かった。強いて言うならば、これほどの悲劇が降りかかってもまるで悲しみを覚えない、そんな自分を形成してしまったこれまでの半生を顧みて、そこに僅かな悲しみを感じたかもしれない。
陽が雲に翳り、そよ風が心地良く感じた。私は船を潮に任せて少し眠った。船が沖に流されるかもしれないなどとはまるで考えなかったし、大海に放り出されたところで身体的な限界が訪れるまでは死を意識することも無かっただろう。この頃の私は自分の行く末や、生死に関してまでもまるで無頓着だった。本を読むことで私は世界を俯瞰で見つめるための想像力を培ったが、それと同時に、空想に過剰に依存した生活ばかりを続けることで自分自身を見つめるための想像力についてはまったく養われることがなかったのだろう。
凪の中で夢うつつになっている間、これは今まで世界に触れることを恐れていた自分にとっての好機なのではないだろうか、などと考えていたかもしれない。私はきっかけが無ければ一生島に引き籠っていただろう。ひょっとしたら世界は私が妄想したよりも美しく、広大なのかもしれない。そんなおめでたい妄想がこの時の私に一切無かったとは言い切れない。
しかし結局のところ私の元々の予想通り、真実の世界を知ることは私にとって苦痛となった。
気楽な命懸けによって単身島を脱出した私は、幸運にも、と言うべきか、とにかく無事港町テンベナに程近い海岸へと辿り着いたのだが、既に無一文だった。出発した時から一切の金を身に着けていなかったのだ。家を探せばおそらくある程度はあっただろうが、突然の出来事だったし、そもそも取引の大半が物々交換である離れ小島から出たことのなかった私にとって、金銭の概念すら本の中の世界でのものでしかなく、咄嗟にそれを持ち出すなどという考えには至らなかった。買い手さえ見つければ乗ってきた小舟と交換にいくらかのパンが手に入るだけの小銭が手に入ったかもしれないが、そのことに気が付き数日後に戻ってきた時には、放置していた船は消えていた。
大陸に渡ってからしばらくの間、商店や畑から作物を盗むことで惨めになんとか食い繋いだ。私は夢の中にいるような気分で郊外の農村や市街地をのんきに観光した。しかし、物珍しかったのは最初の数日だけで、目を凝らせば世界はまるで空虚だった。今まで本の中でしか知らなかった世界に放り出されたところで、そこにいる人々はやはり自分の手の届かない遠くに在る。誰も私を妨げないが、私が誰かに影響を与えることも無い。どこかで他の誰かが見知らぬ誰かに干渉し、私がそれを観測することも無い。島の内側と何も変わらない。何もかもが他人事なのだ。ならば、どうせなら世界は想像の中だけに存在してくれた方が良かった。私はほとんどすぐにもう本の世界に帰りたいと思うようになっていた。
虚無感に苛まれながらテンベナの町をうろついて、たまたま傭兵団の求人看板が目に止まった。生きる気は無いが死ぬ気も無い。ならば必要なものは金だ。そして金を手に入れるために必要なこと。
それは触れたくもない世界に干渉すること。
即ち労働だ。
触れたい世界は遠くに在り、不愉快な何かは否応無しに向こうからやってくる。今ここに在る世界はまさに牢獄であり、結局のところ私はあの忌々しいテリモロ島に閉じ込められたまま、まだそこに居たのだ。
軟弱で世慣れしてない私に、傭兵などという荒々しい仕事が務まるとはまるで思えなかったのだが、私は自暴自棄になっていた。疲労と空腹も相まって最悪の気分だった。何の躊躇もなくその戸を叩いた。数分間だった。何の審査も無しに、名字の記入すら必要としない入団志願書をその場で書き殴って提出すると、私は職業傭兵となった。傭兵という職業で入団者の身元を照会しないのは、新兵の命を軽んじている証拠である。また、団員が真っ当な仕事に就けないようなならず者ばかりであろうことも容易に想像がついた。しかし、生きる気力が無い私にはそれもどうでもいいことだった。
私はノラッド小隊に配属され、団本部の訓練所で過ごすことになった。訓練所とは言っても大した施設ではない。小隊の他の傭兵達からごく基本的な戦い方をだらだらと学んだらあとはほとんど自主トレーニングである。報酬は仕事に対して与えられるので訓練中は無給だったが、訓練や有事の際の控えのために拘束される見返りとして寝食が保障されたので、給金の事などすぐにどうでもよくなった。
テンベナ義兵団は元々は非営利の町の自警団だったらしいが、近隣の村や集落へ要請を受けて出動するうちに企業形態へと発展し、組織を拡大していったようだ。とは言え、凍土や砂漠を隔てたはるか西の蛮族の国を除けば、この大陸には国家間や大きな勢力間の戦争はしばらく起こっていないため、我々の仕事は専ら施設の警備や隊商の護衛ばかりに限られ、矢の雨が降り注ぐような危険な場所へ送られることはほとんどない。突発的に舞い込む危険の大きい仕事はせいぜい虫退治依頼である。
しかし数年に一度、組織的な盗賊団を退治しに遠くの村や街道へ大規模な派兵をすることがある。私は入団して二週間でそれに当たった。人間同士の戦闘での新兵の生還率は高くない。
ともあれ生還さえすれば金が手に入り、生還出来なければ死んでいる。生死さえ問わなければ、飢えに苦しむ心配だけは皆無と言える。
序章・虫になる人々 完