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星と羽虫  作者: 病気
挿話
59/90

廃墟化したイェニスにて




「なんか食うもんねーか?」


 それは流暢なノギントリ語だった。

 ジッフェ=ニュールフプードは椅子から半分ずり落ちた。


 誰も居ないはずのこの廃墟で不意に人の声を聞いたというだけでももう小心者の彼女が混乱するには十分な理由だったが、ここメメトー王国の凍土の最果てで聞くことなどまずない遠い母国の言葉で話しかけられたことも余計に彼女を驚かせた。


 丁度今しがた読み終えた本を閉じ、一息吐こうと椅子ごと振り向いたところだった。蝋燭のほのかな揺らめきに浮かび上がった、本来そこに存在しなかったはずの影の存在に一瞬違和感を覚えたものの、それが人の形と認識できるよりも先に、影が声を発した。


 ジッフェが陸に揚がった魚のようにばたついて椅子の上に体を戻しながら影を凝視すると、炎に照らし出された真っ赤な頭髪を確認することが出来た。


「ホ、ホルズ=トーヤカンジク!」


 彼女はこの男を知っていたが、かと言って彼が現在友好的な立場である確証も無く、仮に敵対する意志があった場合は大変しぶとい脅威になるということも知っていた。


「あ、貴方、一体ここで何を…!い、いいえ、それよりそもそもどうやってここに入り込んだんですの!?」


「悪ぃ。でもビックリしたくなきゃ呼び鈴くらい付けとけよ。あと表札も」


 最初から質問に答えるつもりもなさそうな様子で軽くいなしながら、彼は部屋のあちこちを物色しだした。


「…い、いえ…、そうですわ…。この『回想録』に書かれていることが真実ならば合点が行きますわ…。貴方は奇しくも、六年前にノンドでヌビク=リフュルシュと出会っていた。その時彼と共に第一の聖域に触れていたとしても不思議はありません。その後テリリドニジグで生活していた折に、第二の聖域の『鍵』もまた手に入れていたとすれば、貴方にもここに来る権利はあったはずですわね…」


「ふーん。訊いてもないことをぺらぺらと、大した密偵じゃねーか。あの白塗り野郎がてめえで来ないでわざわざ俺を寄越した理由が今わかったぜ。あいつはその『鍵』とやらを持ってねーから、たとえ雪の中這い蹲ってここまでやって来たところで外で足止め食らうだけだったってわけだ」


 手近な場所で特に何かを見つけた様子も無いホルズは、おもむろにジッフェの元へと歩み寄った。彼女は警戒して立ち上がり背後の机に半分腰掛けるような姿勢となったが、ホルズの目当ては卓上に置かれた袋だった。彼女がそれに気付いて身を反らすと、ホルズは遠慮無くその袋を手に取った。


「白塗り?メメトー人ですか?ピツーニスさんが貴方をここへ?」


 ジッフェはホルズの一挙一投足を警戒しながらそう問いかけたが、袋の中身を確認中のホルズはそちらへ見向きもせずに答える。


「よく分かったな」


「貴方と仲良しでいらっしゃるメメトー人は彼くらいのものでしょう?それに、あの方はどうにも…油断ならない方だと思っていますの」


 袋の中に琥珀色の小さな球を発見したホルズは、それを摘み上げて口に放り込み、ぼりぼりと砕きながら、眼差しだけ真面目に繕ってジッフェのほうを向いた。


「…ニュールフプード。俺が何を知るためにここまで来たか、当然分かってんだろ?そして、奴もてめえも、その答えを知ってるくせに俺にイジワルしてやがるんだ」


「いいえ、トーヤカンジク。彼はきっと答えには至っていませんし、私だってまだ情報を整理できていませんの」


 彼女は先ほどまで読んでいた卓上の本に視線を落としながら言葉を続ける。表紙には著者名の記述も無く、『回想録Ⅰ』とだけ書かれている。


「だからこそピツーニスさんはその思い付きが正しいかどうか、貴方に確かめさせようとしていらっしゃるのではなくって?そもそも彼が『鍵』の存在を知っていたことも驚きに値しますわね。貴方も含め、それを手にしていらっしゃる方たちでさえ、ほとんどがその存在自体に気が付いていないと言うのに」


「それか。その本が理由であり、答えってわけか」


 ジッフェの視線の先を追い、彼もまた卓上の本の上でそれを止めた。


「それはどうかしら。今のところ事実と一致するところの多いだけのただの小説のようにも見えますけれど」


「うーん?」


 ホルズは首をかしげながら、袋の中に再度指を突っ込み、砂糖のまぶされた琥珀色の球をもう一粒取り出した。ジッフェはその動きを目で追う。


「甘いものがお好きなんですの?見かけによらないですわね…。そんなにがっつかなくても貯蔵庫に行けば保存されているものがまだ山のようにありますわよ」


「このノギントリ産の芋菓子、てめえのか?よくもこんなはるばる雪国まで持ってきやがったもんだな」


「あたくしが山のようなお菓子を背負って凍土を踏破するほど酔狂に見えまして?ここの以前の住人の好物だったらしいですわ」


「相当食い意地張ったバカだな、そいつ」


 そう言ってホルズが投げ寄越した一粒の菓子を受け取ると、ようやくジッフェの顔から微笑がこぼれた。


「そう、それがまさに貴方の知りたがっている答えになるかもしれませんわよ」


「あ?」


 ジッフェは再び椅子に腰掛け、上半身だけで振り向いて片手を『回想録』の上に置いて見せた。そして問いかける。


「ホルズ=トーヤカンジク、貴方は本当にヌビク=リフュルシュは亡くなったと思いまして?」


「首をもがれて胴体を火葬された程度で人が死ぬんなら死んだんだろーな」


「次巻を探しましょう。首の無い方が書いた本が見つかるかもしれませんわ」




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