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星と羽虫  作者: 病気
第一章・異能の女たち
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49. また落ちる




 それは私の身体を一切傷つけることなく、私が落下するその速度だけを選ぶように殺した。物理的な何かが触れたような感覚は一切無かったが、それと矛盾して、確かに何かしらの大きな力による干渉を受けた自覚だけが私の中に在った。このひどく奇妙な、言うなれば第六感による知覚であろうものには過去にも覚えがある。そしてすぐに、自分が例の不思議に光る飛沫の嵐の中に居ることを悟った。


 私はすぐにその名を呼んだ。


「メセ」


 すると細く柔らかな何かが私の背中と腿を支えている、確かな物理的な感触が表れた。


「一体どっから降ってきた、おまえ」


 囁くような心地良い声が私の耳をくすぐった。


 メセが私を抱きかかえて空中を舞っていた。

 私はまた彼女に命を救われたのだ。


「力が…戻ったのか。そうか、例の遺物とやらから十分に距離が取れたんだ」


「それを期待して飛び降りた。危険な賭けだった。だが奴に対抗する手段は他に無かった」


 私はハッと我に返って、半透明の光のカーテンの向こうに目を凝らした。


「ダーマは、あいつはどこへ行った」


 そう言うや、突然私の視界はぐるぐると回転した。

 そして頭上から、相変わらずまるで独り言のような抑揚の指示が聞こえた。


「そこに居ろ」


 彼女は私の身体を崖のせり出した岩肌の上に転がし、私に背を向け、右の掌を前方に突き出した。

 状況を理解した。戦いの真っ最中なのだ。


 眼前に発生した強烈な閃光によって視界が真っ白になった。

 振動、轟音。

 白が一瞬で赤く塗り替えられた。

 炎だ。


「熱ッ!」


 露出した手足がちりちりと焼ける感覚があった。私は無様に叫び声を上げたが、火傷の程度はほんの軽いもので済んだようだった。視界を取り戻すと、メセがやはり右の掌を突き出したままの姿勢で眼前に居た。


「防いだのか」


「相殺した」


 よく目を凝らすと、突き出されたその掌から真っ黒な煙が立ち上っていることに気付いた。私は目を見開いた。


「手が…」


 炎を完全に相殺することは叶わなかったのか、メセの火傷は私の手足のそれの比ではない。彼女の手の五本の指の皮膚はその輪郭を残してほとんど焼け爛れ、赤黒い内側を曝け出していた。しかし彼女は苦痛の声一つ上げない。


「まさか今、僕を庇ってそんなことを」


「力を使って戦う上では支障無い程度の損傷だ」


 彼女は振り向かずに言った。その視線の先に捉えているダーマの姿を私もようやく認めることが出来た。


 奴もまたやはり並の人間では決して辿り着くことが出来ないような崖の中腹の狭い足場に立っていた。右手を頭上に掲げ、そこに巨大な火炎球を作り出している。先日深い森の中で奴が私たちを襲った際に作り出した火炎球はせいぜい人の頭程度の大きさだったが、こうして眺めている今も徐々に巨大さを増していっているそれは、既に大柄な帝国人を一人丸ごと飲み込めるほどにまで成長していた。今しがたメセが『相殺した』球がどれほどの大きさだったのか確認出来なかったが、これがそれと同じかあるいはさらに上を行く威力であるならば、これ以上メセにそれを防がせてはならない。


「すまない。もう受け止めちゃ駄目だ。次は回避してくれ」


「それはおまえが死ぬぞ」


 彼女はまだ手を下ろそうとしない。


 私はやましさのあまり、小柄な彼女に対して上目遣いになり、まるで卑屈に懇願するように続けた。


「僕が君の射線延長上に居なければ僕は平気なはずだよ。こんな言い方は気が進まないけど…あいつは君を狙うはずだから…」


 つまり、無駄に守ったりされると余計に危ないから遠くでやってくれという意味である。実際にそれが私とメセ双方にとって最も危険の少ない選択であるのだが、この切羽詰った状況で咄嗟にマシな言い方が思い浮かばなかった。


 するとようやくメセは振り向いて私の目を見た。無言の彼女の目を見つめ返すことなど出来なかった。


「ご、ごめんよ…」


 私が目を逸らしてるうちに彼女は動き出した。


「そこを動くな。射線を気にして位置を取る」


 動くなと言われるまでもなく、この狭い足場では断崖の底へと落下せずに身動きを取る方がむしろ難しい。だからと言うわけでもないだろうが、メセは私の返事を待たずに飛び出した。彼女は身長の十倍以上の距離を軽やかに跳躍し、ダーマの動向から目を離さないようにしつつ岩肌から岩肌へと飛び移っていった。


 私が捨て身になってまで庇ったニャキも、失われた信頼がようやく戻りつつあったように思えたリデオも土壇場で私を見捨てたが、結局、これまで幾度となく一方的に私を助け続けてきたメセがまたしても私を救ったのだった。


 彼女は冷酷なニャキの命令に対し忠実に従う反面、命令に抵触しない範囲では無関係の人間でも積極的に助けたいと思っているのだろう。やはりハステが私に告げたメセに対する評価はまったくもって正しかったのだ。彼女は一見無口で無愛想で捉えどころが無いようだが、その実、ハステに劣らぬほどに善良な性質なのではないだろうか。

 とにかく、メセとはもう一度落ち着いて話をしなければならない。これまで助けられたことについて改めて礼を言うと共に、サトヤの一件で彼女の立場を理解してやれなかったことについて謝らなければならない。そのためにはこの場を切り抜けなければならないのだが、私はメセの生還を強く願う一方でダーマの死を望んでもいない。これは私がホルズに言った言葉であるが、彼もまたメセと同じかもしれないのだ。サトヤの手紙によれば、彼らもまた望まず過酷な使命の元に身を置いている。彼は私の仲間を殺したが、その結果に至った経緯を私は知ってしまった。


 しかし覚醒適正者同士の戦いにまで発展してしまった現状、少なくともどちらか一方の命を持ってして初めて決着が付くだろう。


「ダーマ…」


 彼が頭上に掲げる巨大化する炎の球はついに彼の右手を飲み込んだ。その肘から先は炭となり、まるで球体に吸い込まれるように火種の一部となった。直後、巨大な球体全体が血のように赤黒く色を変えた。彼が今具体的に何をしたのかは知る由も無いが、炎の様子は明らかに禍々しさを増している。どうやら自らの腕を食わせることでその威力を上げることが出来るらしい。だが、当然この手段はこの一撃ともう一回しか使えないだろう。


 彼にとってはこれが最後の戦いなのだ。


 それぞれ普段伏目がちな表情のメセとダーマはどちらも既に目を見開き、互いの殺意を確かめ合うように相手を真っ直ぐ見据えていた。


 赤黒い球体の表面が大きく波打った。


 その波はついに一本の長い触手に姿を変え、螺旋を描くような軌道でメセを襲った。彼女が回避行動を取ったため触手は崖に激突し、再び先ほどのように要塞全体を大きく揺らした。私は、先ほど私が落下したように上から他の誰かが降って来るのではと心配し頭上を見上げたが、そんな余裕は一瞬で無くなった。視界の端に捉えていたダーマに再び目を奪われたのだ。

 球体から伸びる触手は二本、三本、四本、五本…と次々にその数を増やし、まるで巨大な浮遊するタコのようにその姿を変えていた。触手を大きく広げたその姿は二階建ての家ほどもある。それはメセの放つ光の鞭と比べても遥かに威圧的で、より禍々しく、より破壊的に感じられる。シギミヒは彼を低レベルの超能力者であると断じたが、彼の見込み違いなのか、それとも力を隠していたのか、ともかく彼の双子の妹とは明らかに格が違う。習得している能力が単純に戦闘向きであるか探索向きであるかの違いに過ぎないとも思えない。


 触手が次々に翻り、爬虫類の舌のような俊敏さで一斉にメセを襲った。さらに触手の根元からはまるで矢のように細かい火炎弾が連射され、メセの反撃を徹底的に阻んだ。足を置くことができる足場は見る見るうちに削り取られ、彼女はほとんど垂直の崖から崖へ、羽虫のように休む間も無く飛び交って逃げる他無かった。


 しかし少しすると、ダーマは消耗に耐え切れなくなったのか両膝を地に突いた。彼の元々蒼白の顔面は大量の冷や汗と苦悶の表情に溢れている。彼は残った力を振り絞るかのように視線はメセから決して離さず、肘から上だけ残った右腕は頭上に上げたまま、残った左手でメセの方を指していた。どうやら左手で球体の挙動を制御しているらしい。


 不意に、彼の視線がぎゅるりと私の方へ向いた。

 私は棒立ちの姿勢のまま彼の目をまともに見つめ返した。

 黒い炎に照らされた顔は、苦痛というよりは苦悩に満ちているようにも見えた。


 彼がそのまましばらく私から目を逸らさなかった理由はすぐに知ることになった。


 彼の掌が私に向けて突き出された。


 何かが起こるのを目視するより先に私は身体を地面に突っ伏した。すぐにごく至近距離で爆音が響き、私のしがみ付いていた岩が角度を変えるのを感じた。砕けた小石が飛んできて私の頭をコツコツと叩いたが、特別痛みは無い。触手あるいは炎の矢の命中は免れたようだった。


 いいや、恐らく奴はわざと外した。


 目を開くとダーマを隔てた向こう側にメセの姿が見えた。


 そういうことか。

 ちくしょう、こっちに来るな。

 そう祈って一度だけまばたきすると、それはもう眼前に居た。


「そのまま伏せていろ。振り落とされるな。防御のために出力を上げる」


 ダーマはメセにこれ以上回避に徹し続けられては困るのだ。彼に残された時間は少ない。命を削り切ってしまうまでに妹の仇討ちを完遂せねばならない。たとえ妹の遺書もろとも私を消し飛ばすことになっても。


 再び私とダーマの間に立ちはだかったメセは、やはり先ほどと同じように焼け爛れた掌をまっすぐ前に向けた。


「彼はもう限界だよ。メセ、君が逃げればダーマは追いかけることも出来ない」


「黙っていろ。舌を噛むぞ」


 メセはさらにもう片方の手も突き出し、それぞれの掌に光の渦を発生させた。二つの渦は徐々に大きさを増して互いに触れ合い融合して一つの巨大な渦となり、禍々しい赤に対抗する金色の光の盾となった。

 それに応ずるようにダーマの頭上の巨大な赤黒いタコの触手が収縮し、全てその表面へと溶け込んだ。それは再び元の一つの球体へと姿を戻した。あの球体そのものをぶつけてくるつもりらしい。


 ダーマは、メセが決して私を見殺しにしないと信頼しているのだ。彼もまたメセの善良さを見抜いている。しかしなお目的を遂げる意志を曲げない。彼にはもう他に何も無いのだろう。


「メセ…、君には改めてお礼と謝罪をしたいと思ってたよ。でもそれが叶わないならせめて君の足を引っ張りたくない。僕のことは放っておいてくれ。頼む」


 ダーマの火炎球が動いた。その巨大さ故に目視することは容易だが、やはりその巨大さ故にこの足場で回避することなど並みの人間には絶対に不可能だ。

 メセはついに動かなかった。彼女の両手から発せられる光の渦が火炎球を包み込むようにして食い止めた。密閉され空気の供給を断たれた炎が徐々に消えゆくのと同じ理屈だとはまったく思えないが、まるでそれと似た様子で光に包まれた球体が徐々に勢いを失ってしぼんでいくのを見ることが出来た。


 このまま押さえ込めるか、そう思った時、メセがついに苦痛の声を上げた。


「ぐっ!」


 彼女は両手で保持していた光の盾から片手を離した。正確には、彼女自らの意思でそれを離したわけではなく、押さえるための手を失ってしまったのだ。言葉通りの意味でだ。彼女の左手だったものが液体となり私の顔面に降りかかった。その熱で、私の顔の皮膚の大部分が焼け爛れた感覚があった。片目が見えない。


「メセ!もういいんだ、頼む、回避してくれ!」


「問題無い…。押さえ込めた」


 光の中の炎の球は人間の頭部大、拳大と急速に窄まり、ついに豆粒大となった直後に完全に消滅し、それと同時にメセの放出していた光も消えた。


「何故そうまでするんだ!?もういいだろう。本当に逃げてくれ。これ以上は耐えられない…」


「あれは…俺の使命だ」


 彼女は搾り出すようにそう呟くと、再び背筋を伸ばし、残った右手をダーマへと向けた。


「八つ裂きにしてやる」


 気丈な言葉とは裏腹に彼女の足下はふらつき、危うく崖下に落下しそうになったのを私は抱き止めた。


「クソッ、言わんこっちゃない!まさかもう跳べないのか。これじゃどうやって逃げるんだよ。しっかりするんだ!」


「平気だ。多分脱水症状だ。砂糖水を飲んだら治る」


「砂糖水なんか無いよ!ただの水ならあるけど!ほら、待ってろよ…」


 私がほとんど混乱しきって腰の水筒に手を当てていると、ダーマが再び両足で立ち上がるのが見えた。


「あ、あいつ…」


 警戒する私に対し、メセはかぶりを振った。


「奴の力はもう弱まっている。これ以上遠距離攻撃は出来ない。あの足場ではここまで近付くことも出来ない」


「…そうなのかい?」


「俺が回復したらすぐ八つ裂きにしてやる」


 私はそれでもなおダーマの様子を警戒しながら、水筒の蓋を開けてメセの唇に押し付けた。


「もしあいつが無抵抗だってなら…もう捨て置かないかい。説得することがどうしても無理だってなら、静かに思いにふけりながら最期を迎えさせてやるくらいはいいだろ。君だって一刻も早く手当てする必要がある」


 促されるままに水を飲むメセの失われた左手に私は目を向けた。傷口が炎で焼かれたせいなのだろうか。何の処置もしていないが出血が継続している様子は見られない。


 彼女は一息ついて、再びダーマに鋭い視線を向けた。


「あれは俺の使命だ。殺さなければならない」


「それはニャキさんの命令だからかい」


「そうだ」


 距離があるため私たちの会話の内容は聞こえていないだろうが、ダーマは立ち尽くしたまま何の行動を起こすわけでもなく、ただじっと私たちの様子を眺めていた。その眼差しからは先ほどまでの妹の仇に対して向けられていた激しい憤怒の色は見られない。それは諦めとも悔恨とも付かない奇妙な色であったが、敢えて言うならきっとそれは郷愁だったのではないだろうか。


 これは私の勝手な推測だが、私とメセの様子に自分と妹の姿を重ねていたのかもしれない。


「…やっぱり彼を殺すべきじゃない…。一刻も早くここを去ろう」


「…分かった。そうしよう」


 予想外に、メセは私に従った。たった今、ニャキの命令であると告げたばかりのダーマの殺害について彼女が即座に主張を曲げたことに私は少なからず驚いた。彼女はその場を適当に言い繕ってやり過ごそうとするような人物とも思えないし、私に同調しているのは偽りではないだろう。よく分からないが、今はとにかくここから上に上る道を探さなければ。


 と、思った矢先、


「待て、やはり駄目だ」


 彼女はまたしても意見を翻してそっぽを向いた。


「なんなんだよ…」


 私が呆れ顔で何の気無しに彼女の視線の先を追うと、ダーマが信じがたい姿に変貌しているのが目に入った。


「あれは…自害…なのか…?」


 彼の全身は激しい炎に包まれていた。その姿はむしろ彼自身が人型の炎になってしまったかのようだ。彼を構成する欠片が灰と煙になって青空に立ち上っていく。炎を放つ超能力によって、身体のありとあらゆる部分から炎を噴射しているのだろう。きっと、全身に油を被った者に火をつけてもあれほど激しく燃え上がったりはしない。


「あまり直視しないほうがいいんじゃないかい…」


 戦闘時のように目を見開いて炎を見つめるメセの背中に呼びかけると、彼女はまったく見当外れの返答をした。


「この下の川、深いだろうか」


 確かに眼下の森にはそれなりの太さの川が流れていた。


「そこそこ深いように見えるけど、ここからじゃ高すぎてよく分からない」


「そうか。危険な賭けだ。だが手段は他に無い」


 不意に彼女の小さな身体が動き、私に衝突した。


「ええっ…なんで…」


 先ほど断崖から落下したばかりの私の身体は再び断崖から仰向けに空を飛んだ。


「すまん」


 メセのその声はほとんど爆音にかき消され、目の前が真っ赤に染まった。ダーマの炎の色だった。


 この時に起こったことを後になって冷静に思い出すと、恐らくダーマは自らの身体を爆破することで一気に飛翔し、メセの至近距離に到達したのだろう。上半身だけ、あるいは頭部だけでも良かったのかも知れない。必殺の位置まで到達したら後はメセもろとも自爆するだけで彼の目的は完遂された。


 落下する私の頭上に、ばらばらにちぎれた人間の手足が舞ったのを見た。一瞬だったが昼の光の中ではっきりと見えた。それは焼け焦げたメメトー人の手足ではなく、帝国人の肌色をした少女の手足だった。


 そして私自身もまともに考えて助かるはずがない。この高さから落ちればたとえ落下した先が海だろうと死ぬはずだ。そもそも、空を泳げるわけじゃなし、上手く川に落ちること自体はなから無理なのだ。


 私は落ちながら首を捻って下を見た。直後、顔面から岩肌に激突した。

 首の骨が折れた感覚から先はものの一秒も続かなかった。




第一章・異能の女たち 完

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