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星と羽虫  作者: 病気
第一章・異能の女たち
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48. 手を伸ばす




 私はハステとオーリスを先に走らせ、一番後ろに付いた。


「言ったように、同時に複数相手にすることは出来ません。後続に追い付かれない内に一瞬で仕留めます」


 ニャキはそう断言した。私が攻撃に成功するかあるいは失敗して食われるかして虫の動きを止めさえすれば、即座に仕留められる自信があるのだろう。てっきり彼女はボディガードのメセに頼りきりで、自力で戦う技術など持ち合わせていないのだろうと思い込んでいたが、意外にも実戦の心得があるのかもしれない。先日の噂話のように彼女が帝国の勇者の娘というのもあながち有り得ない話でもなくなってきた。


「後ろの奴、加速してるよ!」


 オーリスの悲鳴のような声で私は後ろを振り返った。私は側面から先行して走って来ている一匹を注視していたため、背後からやって来ていたもう一匹の挙動の変化に即座に気付く事が出来なかった。


「なんだあいつは!タイミングを合わせてきたのか!」


 普通に考えれば虫にそんな知性があるはずはないのだが、私は既に一度例外を目にしている。目の前の危機が偶然によるものなどという甘い希望的観測は捨てるべきだろう。


「これはいけない!足を止めなさい!後方の一体から先に迎え討ちます」


 ニャキのその指示が聞こえるや否やの内に、既に後方からやってきた虫人間と私はそれぞれの凶器の間合いの中に居た。

 私はほとんど目視すら出来ないままに、敵の腰辺りへ向けて水平に振り回した。甲高い金属音が鳴り響くと共に命中の手応えを感じたその瞬間、――刀剣による斬撃は鉄の甲冑並みの硬度を持つ虫の甲殻を相手にするのには不向きだ。――先日セリトがぼやいていた言葉がふと思い出され、すぐさま途方も無い後悔の念が襲ってきた。彼よりも技量でも体重でもまるで劣る私が虫の腰を刀で斬り付けるなど無意味極まりないことだった。

 私はそのまま最後まで刀を振り抜いた。まさか虫の腰を両断出来たのか…と、無様にもほんの一瞬だけ期待してしまった。両断されたのは当然虫の胴体ではなく、刃のほうだった。ホルズから拝借した荒々しい片刃の曲刀は私の素人丸出しの扱いのおかげで二振りと持たずにぽっきりと折れてしまったのだった。


 虫の攻撃の間合いでこのような隙を曝け出した以上、もはや私に命は無い。飛んでいった刃が地に落ちる音が先か、自分の額がスイカのように割れる音が先か。


「えっ?」


 一秒ほど待っても私はまだ生きていた。そのことに驚いてそんなとぼけた声を上げてしまった。


「うぐっ!」


 直後に聞こえてきたのは苦痛を伴った短い悲鳴だった。目の前の虫は何故か至近距離に居た私を無視し、私のすぐ後ろで攻撃の機会を計っていたニャキを目掛けて鉤爪を振り回したのだった。


 ニャキはバランスを崩して後方へ倒れ、尻餅を搗いた。どうやら直前で咄嗟に回避を試みたらしく、直撃による即死は免れたようだが、鋭利な鉤爪はむき出しの額を掠ったらしい。


 私はどうするべきかほんの一瞬躊躇したが、


「ニャキ殿!」


 ハステがニャキを助けるために飛び出そうとしたため、これまでの確執などというくだらないものは一旦横に置く他無かった。ハステのためにニャキを助けなければならない。


 跳躍し、先ほど切断し損ねた虫の腰を目掛けて両腕で掴み掛かる。体当たりの衝撃程度で虫人間を引き摺り倒すことはやはり叶わなかったが、奴がニャキにとどめを刺さんと繰り出した二度目の打ち下ろしは阻止することが出来た。


「早く、立って!」


 虫の腰にしがみ付いたままそう叫んでニャキを見ると、彼女は眼鏡の下で両目を半分ほど閉じたまま、まだ地に座していた。その額からは結構な量の血液が流れている。頭部の負傷で朦朧としているのだろうか、即座に立ち上がれないようだ。


「ヌビクーッ!」


 ハステが私の名を呼んでいた。私はそれを拒絶するかのように両腕に込める力を強め、虫を引き倒さんと両足を可能な限りじたばたさせた。仮に引き倒すことが出来たところで折れた刀でその後どうにかなるものでもない。


 どっちにしたってもう終わりだ。


 しかしそんなあきらめよりもよっぽど絶望的な光景が目に飛び込んできた。私に気を取られてしまっているハステやオーリスの背後に、別の虫人間が迫って来ているのを見てしまったのだ。

 見たいはずなどなかったが、私は目が離せなかった。


 ――とろくさい虫けらめ、どうして僕の頭を真っ先にカチ割らないんだ――


 ハステたちの背後に居た虫人間はついに彼女らに追い付き、その前肢を振り上げた。この期に及んで彼女らはまだその存在に気が付いてもいない。


「あぁ」


 私が足掻くことすらやめたその時だった。冷たい虫の殻を掴んでいた両腕の手応えが不意に消え失せ、私は虫を下敷きにして地面に倒れ込んだ。見ると、その虫人間の頭部がぽっかり無くなっている。


「うわぁーっ、危ない!」


 そしてハステとオーリスが同時に間抜けな悲鳴を上げるのを聞いた。だが、最後に私の視界に入った彼女達の様子を思えば、声を上げる間も無く既に殺されていてもおかしくなかったのだが…。


 状況を理解出来ぬまま、一抹の希望に引っ張られるようにそちらへ視線を戻した。


 すると私が期待したように、ハステもオーリスも無傷で生きていた。

 助かったのだ


「セリト=リベイマ!居たのか!」


 驚きで目を見開いたハステの振り向きざまの大声でようやく何が起こったのか分かった。


 間一髪に颯爽と現れた金髪男はばつが悪そうに横を向いた。


「居たのかじゃねえよ、今来たんだ!クソッ…咄嗟に助けてしまった…。もうだいぶ慣れてもきたが、今度は一体何が起こってるんだ?そもそもなんでハスタリメノとニャキ殿までここに居る?」


 ハステらを背後から襲っていた虫人間は腰から上下に真っ二つになって地面に転がっていた。そちらを倒したのがセリトだとすると、私が両腕で捕まえていた首無しの虫の方は…。


「リデオさんも!」


 今度はオーリスが目を見開いて私のすぐ背後に立っていた人物の名を呼んだ。


 私は恐怖と共に大急ぎで振り返った。

 虫に殺されかけた瞬間よりもよっぽど恐ろしかった。


 先ほど会った時には私の眉間を目掛けて刀を振りかざした男が、今度は私を襲った敵を斬り倒してそこに居た。私に気を許したとは思えないが、かと言ってすぐに襲い掛かってくる様子も見られない。

 普段から恐らくわざと大げさな表情を作って話しているリデオが、感情のまるで読めない不気味な無表情で私を見下ろしていた。


「あぁ…状況的におめえが裏切ったのはまず間違いねえが、一つの矛盾だけがどうにもすっきりしねえんだ」


「………」


 言葉の意図が分からないので黙っていると、彼は目を細め、鼻をむずむずとさせた。ようやく無表情を破って見せたものの、その表情が何を意味するのかはまったく分からない。


 彼は続けた。


「森でバケモノどもに襲われた時、おめえは歩けなくなったラリャンサを担いでどうしようとしたんだ?よくよく思い出してみると、どうも助けようとしてるようにしか見えなかったんだが」


 表情が読めなかったのは、きっと喜怒哀楽どれにも当て嵌まらない、彼自身にとってすら不可解な感情だったからなのだろう。先ほどは唐突に発覚した私の裏切りで頭に血が上って、深く考えることなく襲い掛かってきたのだろうが、きっとホルズと追いかけっこをしている内にいくらか冷静になる機会を得られたのだ。奴に感謝しなくてはならない。


 今なら弁解できるかもしれない。そう思い急いで身を起こしたが、咄嗟に返す言葉が思いつかなかった。


 私が黙ってリデオの目を見つめていた隙に、ニャキが横槍を入れた。


「話している暇はありません。今のうちに早く脱出しましょう」


 頭部を強打したショックからようやく回復したようだが、その出血はかなりのものだ。彼女が立ち上がろうとするのをハステが支え助けた。


「とにかくよく来てくれた。おかげで助かった。さあ、ニャキ殿の言うとおり、今は立ち止まってる暇は無い。部屋にはまだ虫どもがたくさん残ってる」


 子守の対象がさらに一人増えたハステはふらつくニャキの手を引きながら歩き出した。反対の手では剣を握り締めたままでいたが、それを振り回すのに差し支える位置にまとわり付いているオーリスの存在で、見るからに危なっかしい。


 彼女らのその姿を見たせいなのか否かは定かではないが、リデオとセリトはその場を動こうとしなかった。


「…暇が無いってなら、作るが」


 リデオが刀の峰で自らの肩をトントンと叩くと、セリトが応じた。


「ふむ。丁度十匹か。今この広間に見えるだけで全部なら、下手に動くよりはここに留まったほうが安全だぞ」


 振り返ったニャキが親指で眼鏡を押しのけ、目に入りかけた血液を拭った。


「…何を言ってるんです?」


「壁際にお下がりください。ヌビクとハスタリメノはニャキ殿とオーリスを側でお守り差し上げろ!」


「お、おい…まさか戦うつもりなのか?」


 ハステが名を呼ばれてびくりとのけぞると、リデオが空いた左手で空を薙いだ。


「いいから下がってろって!さあ、クソ虫どもがやって来たぞ!」


 そしてその手で腰の短剣を抜くと見慣れた逆手の構えを取った。


 虫化することなく広間に取り残された賊たちは全員が脱出するか虫に食われるかして既に誰一人居なくなっていた。


 残り十体の全ての虫人間が一斉に向かってくる。


「けっ…、雑魚狩りは良い気晴らしになる。最近はふざけた敵の相手ばかりだからな。しかしここは上から奇襲される心配も無いし、少しラク過ぎるかもしれん」


 先頭を突っ走って来た一匹を迎え討つようにセリトが真正面から飛び出した。ただ接近して刀を振り上げるだけのシンプルな大振りの一撃はその荒々しさと裏腹に実に的確に虫の前肢を捉えた。そして体液を撒き散らす肢が宙を舞っている間に、そのまま往復で振り下ろされた二撃目が虫の頭部を真っ二つに叩き割った。


 先日の雨の森での戦い以降、特に実戦を積む機会に恵まれていたとは思えないが、驚くべきことにあの時よりも明らかに成長している。


「ちぇっ、セリトの野郎、何も考えずに飛び出しやがった。これじゃこっちのほうが広範囲をカバーしなきゃなんねえじゃねえか。俺が素早いデブじゃなかったら取りこぼすところだ」


 ただ単に十匹の虫を全て倒せばそれで良しというものでもない。壁際に退避したとは言え、すり鉢状の部屋でばらばらに襲ってくる敵集団を二人きりで全て防ぎ切るためには、単純な戦闘力に加えて広い視野と冷静な判断が必要になってくる。並大抵の人間に出来ることではない。


 リデオが二本の短い剣を向けた先からは三体の虫人間が立て続けに走り寄っていたが、私がまばたきしている間にその先頭の一匹の頭部が吹っ飛んだ。リデオは放たれた矢かあるいは食器棚の奥のゴキブリのような電光石火で虫から虫へと飛び移るように移動し、二度目のまばたきで三匹目の首が飛んだ。


「こりゃ確かに…ラクチンだ。森と違って敵が潜める茂みが無ぇかんな」


 デブのくせに息すら上がっていない。私はテンベナ義兵団ノラッド小隊隊員以外の傭兵というものをほとんどまるっきり知らないのだが、それでも彼の戦闘能力は一介の傭兵小隊副隊長のそれをはるかに超えているように思える。


「うわぁ…なんかすごいな…」


 人間離れした二人の助っ人の戦闘能力に尊敬するより先にむしろ気味悪がるように青ざめたハステの横で、ようやく泣き止んだもののまだがたがたと震えながらオーリスが呟いた。


「私たち…た、助かるのかな?」


 まだ敵が残っている以上、私は折れた剣を片手に形ばかりの警戒を広間の中央へと向けてはいたが、内心ではこれ以上自身で戦うつもりなどまったく無い。私は好転した状況に少なからず安堵していた。


 顔だけをオーリスの方へと向けて返答する。


「助かるはずです。つい先日にも彼らはこれと似た数の虫たちを無傷で倒しています」


 前回よりこちら側の戦力が一人ほど少ないが、それでも彼らが言ったように背後や奇襲を気にしなくていい分だけ確かに好条件なのかもしれない。


「ううっ…」


 オーリスは私と目を合わせると再び目に涙を溜め、すぐに顔ごと背けてハステの手を握った。


 え?珍しくポジティブに返したのに何この反応。


「大丈夫、大丈夫ですぞ。ヌビクは怖くないから」


 ハステがオーリスの背中をぽんぽんと叩いた。


「………」


 それでもオーリスは無言のまま、私の目をちらっと見てすぐに顔を背けた。なんだこれは。いくらなんでも幼児退行し過ぎじゃないのか。


 今度はニャキが、ハンカチで額を押さえながらオーリスのほうを向いた。


「セリトさんのほうも予想外の使い手ですが…、それよりなんですか?あちらの男性は…。先ほどリデオさんとお呼びになりましたか?」


「え、あ…、はい。リデオさんはヌビクリヒュくんの小隊の副隊長だそうです」


 おどおどしながらも、ニャキの方へは普通に返事をしている。腑に落ちないのだが、これは私が男性であるせいなのだろうか。彼女がこれまで私に対して余裕の年上風を吹かせていたのは、例の超能力で感情を読み取れるが故の自信の表れであって、心の読めない男性は恐怖の対象でしかないのかもしれない。


 私は個人的には私なんかよりニャキのほうがよっぽど怖いと思うのだが。夢で会話までしたのに信頼を得られていなかったようで些かショックだった。


 剣と甲殻がぶつかり合うたびに響くその甲高い音の方へと目を向けながら、ニャキが続ける。


「それでまさか、苗字はドロウィクとおっしゃるのでは?」


 横からハステが口を挟む。


「いえ、彼女の苗字はエジヤですぞ」


「貴女はちょっと黙っててください。リデオさんの話ですよ。どうなんですか、オーリスさん」


「み、苗字ですか…。そう言えば聞いていないです」


 ハステがまた何か言おうとしたようだが、黙れと言われたことを思い出したらしく飲み込んだ。


「ふーむ…。ひょっとしたら私の知っている方かと思ったのですが、リデオ=ドロウィクさんはもっと細身の体型だったはずです。しかし最後にお見かけしたのが十年以上前ですので、それだけ時が経てばあのくらい変わることもあり得るものなのでしょうか…。うーん…」


 私たちがのんきに話している間に、セリトとリデオは傷一つ負わされることなく次々に虫どもを屠っていった。そしてそれぞれが最後の一匹の敵の首をまるで鏡に映した様な左右対称の動作で同時に刎ね飛ばした。


「はい、これでいいか?」


 本当に二人で全て片付けてしまった。ここまで次元の違いを見せ付けられると感心するよりむしろ自分たちが先ほど死に掛けていたことが馬鹿らしく思えてくる。


 リデオとセリトは意気揚々と歩いて戻ってきたが、ニャキはぶっきらぼうな動作で彼らを手招きすると、再び部屋の出口へと駆け出した。


「いいえ。まだのんびりしている暇はありませんよ。お二方はここへ来る途中で小柄な人物を見かけませんでしたか」


 ハステもすぐに続く。


「そっ、そうだ!メセ殿をお助けせねば」


 勝者への労いの言葉が無かったからなのかどうかは分からないが、リデオはむっとしたように眉を左右非対称に歪ませた。


「はぁ?見てねぇよ。大体あんた誰だ?なんだか覚えのあるようなメガネだが…」


「私は貴方のような方はまるで覚えもありませんし、一体どなたか心当たりはまったくありませんが、そんなのはどうでもいいことです。私の部下が敵を陽動してこの出口の先へ進んだのです。貴方がたが彼女を見かけていないのであれば別の道を進みますので来た道を先導して教えてください。そのために出し物が終わるまで待ってたんですから」


 既に顔から余裕が消えているセリトが鋭い声で返答した。


「この先?この先ですと?この先は分かれ道らしきものは全て落盤か何かのせいで岩に塞がれて一本道です。そしてこの先にあるのは…」


 リデオが左右の眉毛の歪みを入れ替えて気まずそうな顔を作った。


「この先にあるのは…断崖だ。俺たちはそこの壁際を伝ってここまで来たんだが、すれ違わなかったってことは…」


「なんですって!?」


 ニャキが不意に大声を上げたので、セリトやリデオも含めその場に居た全員が背筋を伸ばして驚いた。


 彼女は額の傷から再び流れ出した血で顔面を染めながら、同じく血糊のべっとりと付いた眼鏡の下で目を見開いた。


「早く!早く案内…いや、一本道ならその必要はありません」


 取り憑かれたかのようにふらふらと駆け出したニャキの背に、セリトが叫び声を投げる。


「お待ちください。危険です!私が先頭を進みます!」


 するとニャキは振り向いて唾を飛ばした。


「だったら早くしろ!このグズ!」


 完全に我を忘れている。


「なっ…!」


 セリトの広い額に血管が浮かんだ。


 ハステがさっと間に入る。


「セリト=リベイマ。すまない。何ぶん状況が切迫してるんだ。だが、頼む。もう少しだけ手を貸してくれ」


「…頼まれなくてもそのつもりだ。件の断崖は遠くない。私が先頭を走る。おい、豚!貴様はしんがりだ!」


 セリトは追い抜きざまにニャキを憎々しげに睨み付けながら、剣を片手に駆け出した。通路はここまでのそれと同様、おそらくは坑道のように入り組んだ構造だったのだろうが、分かれ道だったらしき場所は全て土砂によって片側の通路が埋められており、ごく最近に強引に一本道に作り変えられた形跡があった。


「元々分かれ道があったみたいだね。さっきシギミヒが僕らの目の前でやったように、あいつが通りすがりに通路の罠を起動して道を塞いだんだ」


 特に誰に対して言うわけでもなく、しかし誰かに聞こえるように、私は走りながら呟いた。


 先頭のセリトが応じた。


「そのシギミヒとやらはご婦人方を断崖へ追い詰めたかったってことか?で、そいつはどこへ行った。虫に食われたのか?」


「いいや、広間の反対側から逃げてそっちもそいつが塞いだんだよ。シギミヒはこの山賊団の首魁だ。そして…ホルズが彼を殺そうとしていた。だから奴は単にホルズから逃げるために片っ端から闇雲に通った道を塞いだんだ。それ以外の意図がある可能性は薄いと思うよ」


「ハァ…?なんであのクソ野郎が自分の親分を?サル山のボス争いか?」


 今度は私の背後からリデオの声が応じた。


「つまり『誤解』ってのはそういうことだってか?山火事は賊の敵に回ったから、敵の敵は味方だと。だから奴に与していても俺たちを裏切ったわけじゃねえって言いたいのか?」


 そこまで考えて喋っていたわけではなかったので、私は思わず息を呑んでリデオに振り返ってしまった。


「いや…。それもそうかもしれないけど、今僕が言いたかったのはそういうことじゃないんだ…」


 喋りながら、眩しい太陽の光が目の中に飛び込んできた。随分長い間穴ぐらの中に居たような気がするが、起床した際に窓の外に見たそれと濃さにさほど違いはなかった。


「例の場所に着いたぞ。ここからは一列だ」


「ここを二列以上で進める方法があるなら知りてえもんだな」


 視界が開けると同時に一陣の風が吹き付け、血で濡れた私たちの身体を冷やした。私たちは広大な盆地状の地形の中心に塔のように突き立ったこの異形の要塞の果てまで辿り着いたのだ。眼下にはてっぺんの鋭く尖った樹海の木々がぎっしりと敷き詰められており、それはまるで地獄の針山を連想させた。


「ま、まさかメセは…ここから…」


 ニャキが両手を地面に突いて断崖の底を覗き込んだ。先ほど急に激昂したことと言い、ニャキが自分の護衛一人の安否のためにここまで真剣になるというのは私にとっては予想外のことだった。私だけではない、ただ一人を除いてここに居た全員がニャキの様子を不気味に感じていたことだろう。


 ハステが膝を突いてニャキの肩越しに声を掛けた。


「ニャキ殿、さあ立って。私たちに出来ることはメセ殿が無事であることを信じてこの上を目指すことだけです」


 それに続いて、私は先ほど途中で遮られた言葉の続きを口にした。


「シギミヒが広間にやってきたのはメセが出て行ったよりも後のことだ。通路が塞がれるよりも先にその向こうへ行ったかもしれない。彼女がこの断崖へやって来たと断定は出来ない」


 ハステの言葉かあるいは私の言葉でいくらか希望を持ったのか、またはどちらの言葉とも無関係に自ら落ち着きを取り戻したのかは定かでないが、ニャキは黙って立ち上がって断崖の上に通じる道の先を見やった。ぎりぎり人一人分の足場しかなく、踏み外せば即奈落の、道と呼ぶべきかもわからない道だ。


 セリトが軽く鼻を鳴らして先頭を進んだ。


「どちらにせよ今私たちが脱出する道はこれを除いて無いだろう。当たり前のことを言うが、足元に注意するんだな。途中で足場が崩れてる部分もあるしな」


 セリトの次にハステが続き、彼女に手を引かれたオーリスがその後に続いた。そして誰が指示するわけでもなくニャキと私が順に続き、しんがりにはやはりリデオが付いた。


「ひ、ひいぃ…。ちょっと…高いなぁー…」


 ニャキを隔ててオーリスの震え声が聞こえてきた。


「高いところが嫌いなのですか?」


「この状況が好きな奴などどこにも居まい」


 セリトがそう言って舌打ちするのが聞こえたが、ハステはオーリスに対して続けた。


「あまり足元を見ないほうがいいですぞ」


「いや、余計危ないだろうが!ちゃんと見ろよ!」


 その時不意に、突風が私たちに吹き付けた。


「ひえぇ!」


「危ねぇ!止まれ!」


 オーリスの悲鳴に続き、私のすぐ背後のリデオが怒鳴り声まで上げたので私はそれに驚いて落下しかけた。


 号令など掛かるまでもなく全員当たり前に足を止めた。


「う、うおぉ…。これは確かに…危ないなぁー…」


 流石のハステも崖にへばりつき目を丸くして下を見ていた。


「だからそう言ってんだろ。さあ、早くこんなところは抜けるぞ。地震が起きないことを祈ってるがいい」


「地震は…危ないなぁ…」


「危ないなぁ…」


 私たちは再び一列でぞろぞろとムカデのように歩みを再開した。速度的にはムカデというよりは芋虫に近いが。


「さっきの話の続きなんだが、」


 再び背後のリデオが口を開いた。


「実際、現時点で山火事ホルズが賊どもと敵対しているってのが事実だとしても、まだ矛盾は残ってる。おめえと奴が手を組んだタイミングだ。こないだ俺らが村の牢屋で尋問した際には奴はそんな気配は微塵も見せてやがらなかった。あの晩、あの牢屋で、俺らが帰った後、一体何があった?あいつの脱走におまえが関わってるのか?それで奴を懐柔したってのか?」


 私は自分のつま先から目を離さず、一歩一歩を確かめるように足場の悪い崖際を進んだ。


「答えられねえのか?聞こえてるんだろ?」


 私はなんと答えるべきなのだろうか。この状況でリデオの殺意が蘇れば、私を文字通り奈落の底に叩き落すことなど容易い。ホルズが山賊団と敵対する意思を抱く前に私が奴を牢から解放したことは紛れもない事実なのだ。それを正直に話すわけにはいかない。


「副長にとって、ホルズが山賊団と敵対してるかどうかというのは、重要な問題なんですか?」


「あ?どういう意味だ?」


 私は回答を少しでも先延ばしにする目的で話をはぐらかそうとしたのだが、それに何の意味もなかったことに口を開いてから気付いた。


「…副長が奴を敵視している直接の理由はそれよりもっと前、何年か前の事件にあるんでしょう。だとすれば、現時点であいつの矛先がどこを向いていようと、あいつと協力している時点で僕は敵なんじゃないですか?だってあなたは小隊を伴わずにここへ来た。それは任務としてではなく個人的な復讐の為に来たってことだ」


 私はそこまで言って初めて振り向いてリデオの目を見た。


「あー、もう、めんどくせえな」


 彼はぶんぶんと頭を振った。


「質問にまともに答えられねえってことは都合の悪い答えしか用意出来ねえからってことでいいか?とにかく俺が聞きてえのはあいつを豚箱から逃がしやがったのがおまえなのかどうかってことだ」


 私がリデオの目を見たまま眉をしかめていると、反対側から予想外にニャキが口出ししてきた。


「あの赤毛の盗賊の牢破りを助けた人を知りたいんですか?ハステさんですよ。彼女が一人でやったと言っていましたが」


 彼女の声の小ささに吹き抜ける風の音も相まって、その言葉はぶつぶつ独り言を言いながら歩く前方のハステには届いていないだろうが、私とリデオまではしっかりと届いた。


「は…?」


 ハスタリメノ=フィノケリがハステという偽名を使っているということについて、リデオに対しては説明されていないはずだと思うが、彼はハステという名が誰を指すものであるのかすぐに理解出来たようだった。意味あるのかこの偽名。


「おいおい…マジで?なんで?」


「知りませんよ。ここへ来るまでの道案内が必要だったので、彼女が珍しく気を利かせたんじゃないんですか?」


 そこまで言うと彼女は一瞬私の目を見てから、自分の足元に視線を戻して歩みを再開した。


「一体どういうことだ…?」


 一体どういうことだろう。リデオのその台詞を私も心の中で反復した。今のやりとりはまるでリデオに言い詰められている私にニャキが助け舟を出したように見えた。まさかとは思うが、私が彼女らの脱出を手助けしたこと、彼女自身に降りかかった危機から身を挺して助けようとしたこと、そしてメセの無事の可能性について言及したことなどについて少なからず感謝しているということなのだろうか。


 だとすれば、ひどく気味が悪いが、すごいことだ。この高飛車なメガネ女と関係修復出来るなど今の今まで考えもしなかったことだったのだ。心情的にそれを積極的に受け入れるかどうかは置いておくとしても。


「へっへっへ…まぁいいや。面白ぇ。おめえの処遇についてはこのクソみてえな場所を出た後でもいいか。またじっくり説明してもらうぜ」


 リデオの含み笑いを背に、私もまた自らの足元に視線を戻して、慎重に歩みを再開した。


 何もかも上手く収まるかもしれない。


 ここを乗り切れば、シギミヒを倒したホルズや、ダーマを振り切ったメセと合流し、私と私に対して友好的な人々は全員無事に樹海から脱出出来る。そんな漠然とした何の根拠も無い危険な期待が胸の中に生まれるのを感じていた。


 その時だった。


「あっ!」


「えっ、マジか」


「危ない!危ない!」


 何人かの驚きの声が聞こえた。私たちは全員咄嗟に膝を折り曲げ、片手あるいは両手を地面に付けてバランスを取った。


「地震!?」


 何の予兆も無く、唐突に正体不明の巨大な振動が私たちを襲ったのだ。


「いや、違う。地震じゃねぇぞ!何かすげえ重たいもんが崖にぶつかったみてぇだ」


「一体何が」


「なんだかわからんが、足下よりも頭上に気をつけろ!崩れた岩が降ってくるかも知れん」


 先頭のセリトがそう言ったので私はほとんど反射的に頭上を見上げた。


 するとその瞬間、案の定と言うべきか、私の足元のまさに私の足を置いていた部分の岩ががらがらと音を立てて崩れ落ちた。


「えっ…」


 私の身体は宙に浮いた。


 視界に、リデオとニャキの顔が入った。二人それぞれと目が合った。


 この時の二人のまなざしはきっと永久に忘れないだろう。


「助け…」


 咄嗟に両手を伸ばしたが、二人のどちらもそれを掴もうとするどころか、腕を動かす気配すら微塵もさせなかった。


 私の前後を歩いていたのがセリトかハステ、あるいはオーリスだとしたら助かっていたのかもしれない。


「クソが」


 ごく自然に汚い言葉が口をついて出た。私は背中から落下した。落ちながらすぐに伸ばした両手を引っ込めた。彼らの視界から消えない間に。





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