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星と羽虫  作者: 病気
第一章・異能の女たち
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47. 虫たちの屠殺場




「このクソ野郎!!」


 私は一度振りかぶった剣で力いっぱい空を斬りつつ、そう怒鳴った。その怒号は私自身の想像以上の鋭さで吹き抜けの底を駆け巡り、それに伴って襲ってきた浮遊感によって私は数秒かけて我に返った。


 ホルズを助けなければ。


 当初の目的通り女たちを助けに行くべきか、ホルズとゼームのやり取りを阻止するべきか。それを選択しなければならないこの状況で、冷静になってまず頭に浮かんだのはそれだった。


 しかし、自分の中の別の自分が私の肩を掴む。


 助けるだって?一体何から?あの覆面の男がホルズに何をさせるのかもはっきりとしていない。私が奴を邪悪だと判断したのは根拠の無い直感に過ぎない。


 そもそも、ゼームと私の一体何が違うと言うのだろう。ホルズを意のままに操るための選択可能な手段として手の内にあったものが異なっていただけで、私だってホルズの力をあてにして、それを利用して彼が彼自身の敵と呼ぶ人物を救わせようとしていたのだ。皆から『狂犬を飼い慣らした』などと言われて得意になっていた部分が私の中にまったく無かったと断言は出来ない。私はあの純粋なけだものの信頼を盾に取り、私が蔑む卑劣と同等の行為を働いていたのではないだろうか。

 そして当のホルズは、私が無自覚にそれを犯していたことを理解した上で、私との対等の関係性を望み、この剣を与えたのではないだろうか。ならば今私がすべきことは、ホルズがこの剣に託した私に対しての期待に応えてやることなのではないだろうか。つまりそれは、彼の力に頼らずにオーリスとハステを助け出し、メセと和解することだ。


 そこまで思い至ると、私は剣を握る右手に力を込めて、そのまま駆け出した。


 少なくともこの時点では私は自身のその判断が正しいものだと信じ切っていた。しかし今になって思うと、私は私の拙い想像力でホルズの気持ちを勝手に決め付け、身勝手なこじつけの理由をでっち上げて彼への手助けを後回しにしてしまったような気がしてならない。ホルズを助けたいという気持ちが私の中にあったこと自体は間違いないはずであり、そんな私が何故彼の存在をこの時咄嗟に蔑ろにする必要があったのかははっきりとは分からない。だが恐らく、この時私はホルズか女たちのどちらかにしか助太刀に行くことが出来ないこの状況で、女たちと比較してホルズのほうが自身に降りかかった問題を自力で解決してくれる可能性が高いと見ていたのだ。女たちを優先的に助けようという意志は、そもそも最初から既に私の中で確定していたのだ。こじつけの理由を作り出したのは、きっとホルズを後回しにしてもよくなるその曖昧な根拠をただ私がもっともらしく納得するためだけだったに過ぎない。


 そうだとすれば、私は再び無自覚にホルズを裏切った。

 しかしこの時の私はそんなことにはまったく気付きもしないで、ホルズの信頼を守り通した気になっていた。覆面の男がゼームだったとすれば、彼がホルズに変わり果てた『あれ』の姿を見せることは間違いない。その時、彼が一体どうなってしまうか、少しでも想像すればすぐに分かったはずなのに。


 兎にも角にも私は選択した。ダーマの足跡を追って走り、比較的大きな通路に入るとそこからは特に分かれ道も無く、遠くから聞こえる男たちの声に導かれるように先へ進むと、正面に明るい松明の光で満たされた部屋の入り口を見つけた。私はほとんど何も考えずにそこに飛び込んだ。

 そこは闘技場かあるいは講堂のようなすり鉢状に中央が窪んだ円形の広間だった。そしてそのすり鉢の底に、八方を大勢の山賊たちに囲まれて既にまったく身動きの取れなくなったニャキとメセ、そしてハステの三人が背中合わせに立っており、ハステの足元には相変わらず泣きべそを描いたオーリスがしゃがんでしがみついているのが見えた。

 賊どもはおそらくはシギミヒの命令に従って、女四人を殺さず生け捕りにするつもりなのだろう。しかしそれを許さない者の姿も見つけた。

 私より僅かに先にこの部屋に着いていたのであろうダーマは、部屋の中心に降りるためのスロープに足を掛けたところだった。スロープの位置的に私は彼の顔を斜め正面から見ることが出来たのだが、その時初めて、彼の鉄面皮が人間らしい感情によって大きく歪む瞬間を目撃した。割れるほどに歯を食いしばり、吊り上げられた真っ白な眉の下の金色の瞳は溶けた黄金のような熱を放っている。そこから放たれる対象を焼き尽くすかのような視線は、すり鉢の底に居る四人の中の一番小さな人影に対してまっすぐ向けられている。それは自らの半身とも呼べる双子の妹を殺害した仇だ。彼はまるで憎しみの渦に足を取られないよう一歩一歩を踏みしめるかのようにゆっくりと歩き出した。当然、その片手には先ほどの戦闘用の斧が握られている。


 もはや彼は後先のことなど何も考えていない。シギミヒの言葉にも、他の誰の言葉にも従わず、ただメセを殺すことだけに自分の命の全てを使うつもりでいるに違いない。そうでなければあの瞳の金色の炎が嘘になる。


「そろそろやるしかないようだな」


 メセがその小さな顔の前で短剣の刃を煌かせた。


「包囲のどこか一点を切り開いて一気に脱出出来れば良いのですが」


 同じような短剣を構えたニャキが冷や汗を流して言うと、背中合わせのハステが言葉を継いだ。


「オーリス殿は丸腰です!迅速さが必要とされる作戦は困難かと。ここで持ちこたえるべきです」


「…どうして貴女がたはわざわざ足を引っ張るために合流したんです?敵の巣窟の深部で包囲された状態で持ちこたえるとは即ち敵の全滅を意味しますが、それを実現する自信がおありということですか?」


「………」


 歯を見せて怒るニャキを見て、ハステとオーリスは二人して今にも死にそうなほどどんよりとしたが、調子を崩さないままのメセが言った。


「武器をしまえ。命を張る必要があるのは俺だけのようだ」


「なんですって?」


 ニャキがそちらを振り向くと、メセはダーマから放たれる狂おしいほどの憎悪に対し、真っ直ぐな眼差しを持って応えていた。彼女も初めから、恐らくは一番最初にダーマと視線を合わせた時点で既に分かっていたのだろう。


「奴の狙いは俺だけだ。俺と離れてさえいれば、マスターも、ハステも、その女も、少なくとも殺されることはない。投降しろ」


 そこまで言うとメセは身を翻し、ダーマの反対方向のスロープへと一気に跳躍した。


「ああっ!ま、待ちなさい!」


 そしてその場を塞いでいた賊の一人の脇を目にも留まらぬ勢いですり抜ける。


「あぐっ!」


 すれ違いざまに軽く腕を斬られたらしい賊は少量の出血と共に怯み、メセを捕獲出来ず、彼女を反対側の出口から部屋の外へと逃がしてしまった。


「なんつーすばしっこさだ!超能力は封じてるんじゃねえのかよ!」


 他の賊どもがそう喚いてる中、やはり無言のままのダーマはメセを追って風のように姿を消した。その身のこなしから、彼もまた超能力を封じられたただの子供とは思えないほどの身体能力を持っているらしきことが想像出来た。こんな日が来ることを予め想定していたとは思えないが、日頃から超能力を行使しない戦闘訓練も行っていたのだろう。シギミヒがそんな特異な状況以外で無駄になるようなことを指示するとは思えないので、おそらく自発的にだ。


 メセを追うべきか、それともこの場で残された女たちに協力するべきか私が躊躇していると、少しもしない間に、メセたちが去った入り口から狂乱したような甲高い声が響いてきた。


「アーハハハッ!ツイてるなぁー!『仕込み』が済んだサナギどもがこんなに沢山!あっ、しかもあそこに裏切り者をもう一匹発見!うひゃひゃひゃ」


 今しがた外に出て行った二人と入れ違いとなるタイミングで、顔中血まみれで髪を振り乱したシギミヒが現れた。彼の金色の瞳もまた憎悪の炎を湛えていた。よく見ると顔面だけではなく、肩や上腕、腰など全身の至るところから出血しており、そのそれぞれの傷の深さもかなりのものだ。明らかに私と殴り合いをしただけで負った傷ではない。私と別れた後でまた何かあったのだ。


「あははは…痛ぇ…、うわっ、クソッ!どんどん血が出てきやがるぞぉ」


 きっとホルズに襲われたのだ。ゼームがそれをけしかけたに違いない。奴に刀で襲われれば命があるとは思えないので、おそらく遠距離から矢を射掛けられたのだろう。しかしどうあれ並みの手段では奴から逃げ切ることなど出来はしない。そこでどっからどう見ても既にやぶれかぶれになっているシギミヒがこれから取ろうとする行動は限られている。


 私は自らの腰に差してあった射出器を手で確かめた。


 その場に居た賊や女たちは全員一斉にシギミヒへと注目したが、誰一人何一つ言葉を発することなく、皆してただ口を半開きにしていた。唐突にやってきた彼の異様な姿や口調に圧倒されて状況が飲み込めないのだろう。


 周囲から完全に引かれてしまっていることなど気にもしない様子で、血まみれのメメトー人が白目を剥いて舌を出し、気持ち悪い裏声で叫ぶ。


「あぁーっ、ちくしょう、女たちも全員揃ってる!今やっちまったら確実に巻き込むけど…、でも…クソどもをブチ殺すにはやむ無しか…!あーあー!なんかもうどうでもいいや!何もかもおしまいだ!さぁ、どいつもこいつもくたばれ!アホが!!」


 そう吐き捨てて彼は右手を正面に突き出した。彼の手に握られていた奇妙な物体が何だったのか、この場に居る者でそれを理解出来たのはシギミヒ本人を除けば私だけだったようだ。


「しまった。複数あったのか」


 私が声を上げると奴の目だけがぎょろりとこちらに向いたが、射出器の先は広間の中央へと向けられたままだ。


「アハハ、オマエはそこでぼんやりしてな!」


 そして躊躇無く引かれた引き金から発せられた小さな破裂音は、ほとんど彼の馬鹿笑いでかき消された。


「づっ!」


 女たちを取り囲んでいた賊の一人が小さな苦痛の声を上げた。その間にもシギミヒの指が何度か動き、射出器の微かな音が連続する。その連射性能は同じように引き金を引いて発射する武器であるクロスボウとはまるで比較にもならない。一体どこで製造されたどういった構造の道具なのだろうか、まったく想像もつかないが、そんなことを気にしている場合ではない。


「いだっ!おいっ、何しやがった!」


「何人くらい当たった?いくらか外したな。痛みで手が震えちまうよ」


 奴が虫化して使う手駒は連中が村から攫ってきた奴隷であるとばかり思っていたのだが、どうやらそうではなかったらしい。


「自分の手下までも使うつもりか」


 私は驚くよりも先に、シギミヒの非情さを心の底から軽蔑した。


「えへへ…山賊ごっこも結構楽しかったよぉ。でもこんなことになっちまった以上、ニンゲンとしてのコイツらは全員用済みだ!ここを出る際に処分ついでに戦闘実験にでも使おうと思って日頃から『仕込み』をしておいたんだけど…それがこんな形になるとはね!」


 奴が私と目が合ったにもかかわらず射出器をこちらに向けなかった理由を理解した。どうやら薬を塗布した針を撃ち込めばそれだけで虫化を促すことが出来るというわけではないらしく、予めいくらかの段階を踏んで仕込みをする必要があるようだ。


「あ?何を…言っ…あっ…」


 射出器によって針を打たれた賊たちが次々とうずくまり、不気味に痙攣しだした。その人数は咄嗟に数えられただけでも十人は超えていた。どこかで見覚えのある光景だが、今回のほうがだいぶ人数が多い。


「こ、これは一体なんだ?」


 ハステが目を丸く見開いて震える声を上げた。その足元のオーリスはもはや目を固く瞑ってじっとしている。


 私は可能な限りの声量で叫んだ。


「連中は虫化します!今の内にこっちへ!」


 ニャキはともかく、ハステとオーリスはこの瞬間にようやく私の存在に気付いたようだった。


「ヌビク!」


 今しかなかった。虫へと変態する予備動作のおかげで、包囲の輪にはむしろ隙が生まれていた。


「虫化、虫化ですって!?まさかメメトーはリドン精製の技術まで持っているのですか」


 ニャキはこちらへ駆け寄りながらシギミヒの方へと振り向いた。


「あー?リド…?なんだよそれ!…あぁ、この国ではコレをそう呼ぶのか。興味深いね。いや、やっぱどうでもいいか、もう」


 シギミヒの言葉の途中で、ついに最初の犠牲者が完全変態を遂げた。そいつの最も近くに居た者は、射出器の針を打たれなかった賊の一人だった。


「うわあぁーっ!なんだこいつ!来るな!」


 腰を抜かしその場にへたりこんだ男に向けて、虫化した賊は容赦なく飛び掛り、その鉤爪を振り上げた。


「させるか!」


 しかし賊の頭上で勢い良く突き出された剣の一撃が虫の顔面を貫いた。変態からほとんど時間の経っていないせいだろう、本来鉄のように固いはずの頭部の甲殻は人間の頭蓋骨とさほど変わらない程度の硬度にしか達していなかったようだ。


 ともあれ虫はその一撃で即座に絶命し、その隙に男は立ち上がることが出来た。


 突き出されたその剣の持ち主はハステだった。


「さあ、走れ!とにかくここは危険だ!」


 彼女に肩を押され、救出された賊は一目散に走り出した。


 ニャキがメガネをずり下げながら絶叫した。


「はぁ!?この期に及んで一体何を考えてるんだ!死ぬつもりか!早くこっちに来なさい!」


 しかしハステはニャキの非難には答えず、私に向かって言った。


「ヌビク!ニャキ殿とオーリス殿を連れて逃げてくれ。私はメセ殿を助けねば。彼女はこの奥へ進んだのだ」


「ぐっ…!」


 ニャキは何事かを言おうとしたが、それを飲み込むと今しがた駆け上がったスロープを引き返し、ハステの手首を掴んだ。


「貴女のくだらない正義感などは関係無しに、メセは必ず救出します。しかし、今はとにかく生きてここを出るのが先決です。来なさい、早く!」


「ニャ…ニャキ殿…」


「まったく、世話の焼ける…」


 ハステはニャキの目を見ると、すぐに彼女の指示に従うことを選択したようだった。彼女は足元のオーリスを抱き上げるようにして走り出したが、その背後では次々と賊たちが虫化していた。


「出口はこっちです!急いで!」


 そちらを気にするあまり、私のすぐ横まで近付いて来ていた人物のことは、彼のほうから声を掛けてくるまでまったく気に留めていなかった。


「無駄だよぉ。まだまだいる。あの裏切り者が何人捌いたか知らないけど、ボクの手下が少なく見積もってまだ三十体、奴隷を合わせれば五十体ほどの虫を作り出せる。どいつもこいつも全員おしまいだぁ。でも、出来ればオマエの食われる姿を見てから脱出したいもんだねぇ」


 私は耳元で煩わしいシギミヒの喉を目掛けて、無言で刀を振り抜いた。


「うわっぶねぇー!躊躇ねえな!何、キミって意外と人殺し慣れてる系なの?」


「一緒にするなよ。でもあんたみたいな奴で慣れとけばそういう類の葛藤も克服し易いかもしれないな」


 残念ながら奴が身をかわしたので剣は宙を薙いだ。


「いや?一緒じゃないかな?ボクも人を殺したことは一度も無いんだ。ばっちぃしね」


 そして奴はそのまま背後の出口まですっ飛んでいった。


「おおっと、バカがもう一人追って来たぁ」


 私から逸らされたその視線の先を追うと、その向こうにホルズが居た。その表情は彼の長い赤毛で隠されて見えない。彼は既に暴れ出していた虫どものことなどまるで見向きもせず、無言で弓を構えると鏃をまっすぐシギミヒに向けていた。


「残念でしたぁ!ここは通行止めだ!」


 私がホルズに気を取られたその一瞬の隙だった。


「あっ、しまった!」


 シギミヒが通路の先で何をしたのかは見えなかったが、おそらくは罠のスイッチを起動したのだろう。私が今しがたこの部屋へ入る際に使った通路、即ち私達がこれから逃げ込もうとしていた出口は天井から降り注いだ大量の岩によって轟音や砂煙と共に塞がれてしまった。シギミヒより先に脱出していた僅かの賊を除き、虫化を免れた彼の手下も含めた残りの全員がこの虫どもの食事場に取り残されることとなった。何人かの賊が悲鳴を上げながら虫と交戦していたが、少しも持たずに食われることだろう。


 先ほどホルズが弓を構えていた場所に再度視線を戻すと、彼は既に姿を消していた。私や彼の仇であるニャキの姿に気付かなかったのか、あるいはそれが眼中に入らなくなるほどシギミヒへの殺意に駆り立てられてしまったのか分からないが、ともかく今の彼はシギミヒを殺すこと以外何も考えていないようだ。


「ハステさんがバカなことをしなければあのメメトー人より先に脱出出来たのに!こうなればどちらにせよメセが去った向こう側の出口を目指す他なくなりましたね」


「ううむ…結果として良かったのか悪かったのか…」


「悪いですよ!最悪!この虫だらけの広間をどうやって切り抜けるつもりですか」


 先ほどハステが仕留めた一匹については、たまたま運が良かっただけと考えるべきだろう。虫化した人間は硬い甲殻と怪力、そして並外れた瞬発力を持つ上、死や苦痛を一切恐怖することなく襲ってくるのだ。最近は例外をよく目にするが、基本的には並みの人間が数人がかりで対抗しても倒せるようなものではない。


「とにかく強行突破するしかない」


 スロープの手前の段差を飛び降り、私は彼女らに近付いた。


 するとニャキはまるで私から逃げるように先頭を走り出し、ハステに合図した。


「…その通りです。賊たちが生きて囮になってる今ならまだ運次第で走り抜けられるかもしれません。ハステさん、命令です。今度つまらないことをしたら、メセを助け出す気が無いものと見なします。走りなさい!」


 しかしその号令から間髪入れず、ばらばらと足並みの揃っていない我々の側面から、既に賊を一人食い散らかした血まみれの虫が襲い掛かった。


「ハステさん、防御しなさい!」


「お任せを!」


 ハステが先ほどと同じように虫の顔面を目掛けて刀を突き出したが、既に硬化の進行しているその外殻は金属のような甲高い音と共にそれを受け流した。


「硬い!」


 自分の攻撃が通用しないなど思いもしなかったと言いたげな様子で目を見開いていた。


「自分の身を守れと言ったのです!迎撃しろとは言っていない!」


「うああっ!」


 ハステに怪我などさせるわけにはいかない。ましてや最悪の事態などは絶対に避けねばならない。


 私は転がるようにハステと虫の間に割り込むと、敵の脳天を目掛けて力任せに剣を振り下ろした。

 奇妙な感覚だった。それは明らかに攻撃が命中するよりも前のことだった。何故か目の前の虫の動きが不自然にぴたりと停止した。そのため私の剣は回避されることなく狙い通りに目標の頭部へと命中し、その外殻にひびを入れることが出来た。

 そしておそらくは私とほぼ同時に虫へと飛び掛っていたであろうニャキがすぐさま側面からの一撃を加えた。彼女の短剣は虫人間の喉を貫き、その巨体を地に倒すことに成功した。


「とどめだ!」


 ニャキが荒々しく叫び、虫の腹を足蹴にして喉に刺さった短剣を引き抜いた。逆手に持ち替えられたその黒ずんだ不思議な素材の刃が再び閃き、先ほど私がひびを入れた頭部へと刺し込まれた。虫はもがく暇すら与えられず絶命し、振り上げかけた前肢はそのまま力なく地に崩れた。


 ニャキが短剣に付着した虫の体液を払いながら、眼鏡ごしに間近でまともに私の目を見た。


「…まさか共闘することになるとは思いもよりませんでしたね…。てっきり、貴方はあの赤毛の男と結託して私を殺そうとしているものと思っていましたが」


 そして、ふん、と鼻で息をすると再び先頭を走り始めた。


「二体以上同時に来られてはおしまいです。急ぎましょう」


 私はハステとオーリスの様子を気にしながら無言で彼女に追従した。私になんら言葉を返す意志が無いことを悟ると、ニャキは前方を向いたまま独り言のように、しかしはっきりと私にも聞こえるように呟いた。


「ふむ…やはり、緊急事態なので一時的に我々を利用しているだけと見るべきでしょうか?」


 それについてもやはり何も答えずにいたが、場に沈黙を決して許さない切羽詰った状況のおかげで、私はニャキと口を聞く義務から逃れた。すぐ背後でハステが叫ぶ。


「んっ、来た!もう一匹来た!ニャキ殿、ニャキ殿ー!指示を!」


 奮戦していた賊たちも次々と食い尽くされ、既に一匹だけでなく複数の虫たちが私達の存在に注意を向けていた。


「うわぁーっ!後ろからも一匹追っかけて来てるよ!」


 ハステに続いてオーリスも叫んだ。彼女は既に自分の両足で走っていたが、やはりまだ片手だけはハステと繋ぎ合っていた。


「わぁわぁうるさいですね!もう出口はすぐそこですが、何体かは振り切れそうにありません。ぎりぎりまで引き付けてから応戦しましょう。先ほど一体退治した手順をもう一度繰り返します」


「最初に私が斬り込むわけですな!」


「いいえ、まずヌビクさんが注意を引き、その隙に私が急所を狙います」


「ええと…じゃあ私は?」


「貴女は子守です!」


 注意を引くと一言で言っても虫人間相手では無事では済まない可能性が高い。それどころか高確率で食われることになるはずだ。ニャキは私が戦闘の素人であることくらい分かっているだろうから、むしろそれが狙いなのかもしれない。逃げ切るまでに追い付いて来る一、二匹程度を足止めすることが今現在の火急の目的なのだ。まともに応戦するよりも捨て石をひとつ食わせておいたほうがよっぽど時間を稼げる。


 しかしそこまで分かっているからと言って拒絶するつもりもない。私が拒んでもハステとオーリスを含め全員死ぬだけだ。


 やるしかない。




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