38. サトヤの手紙
「あいつはまるで誰でもいいから殺す相手を求めてるような口ぶりだった。僕ら以外でここらで最も近くにいる人たちの元へと向かっただろう」
それは即ちニャキ、メセ、そしてハステのところだ。
「そうか!クソッ、また来た道を戻るってのか」
『道』を戻れるならまだいいのだが、今来た道とは即ち獣道ですらない薮の中だ。
ホルズは両足で軽快に跳躍して再び緑の中へと飛び込んだ。
私も可能な限り急いでそれを追う。先ほどのようにホルズが払い除けた背の高い草が跳ね返って私の顔を何度も叩くが、それに文句を言っている場合ではない。
「こんなに遠かったか?」
ホルズの後姿は既にほとんど見えなかったが、私は大声で呼びかけた。前方から同じく大きな叫び声が返ってきた。
「急ぎ過ぎて方向がややズレたかもしれねー。んんっ、開けた場所に出るぞ」
薮から飛び出す際にまたやや高い段差があったが、今度は私は転倒することなく上手く着地することが出来た。開けた場所と言っても人為的に作られた通用路ではなく、視界を遮らない程度の短い草が自然に生い茂ったいわゆる天然の道だ。緑ばかりの森の中では風景の区別で自分の居る場所を認識することは難しいが、恐らくは先ほども通った、崖と女たちの休憩地点を繋ぐ地点であるらしい。
「ちっ、あの速さのままで直線的にすっ飛んでったとすれば、そろそろちんちくりんのバケモノ同士がぶつかり合っててもいい頃だ。もし殺し合いになってるとすりゃ、俺の見立てだと白塗りのほうが死ぬが…」
ホルズは一瞬きょろきょろと辺りを見回したがまたすぐに方向を決めて走り出した。
「それならいいけど、ハステさんが巻き込まれないとも限らないし、メセのほうも無傷で済む保障もない」
「チビとメガネはどうでもいいが、あのタヌキ姫がぶっ殺されちまうのは俺も胸くそが悪ぃ。とにかく急ぐぞ」
丁度その時、木々の向こうから鋭い金切り声が響いてきた。言葉にならない声だったが、それは明らかに苦痛を伴う悲鳴だった。
「クソが!いきなり殺し合ってやがるのか!おいっ、今のは誰の声だ」
女の金切り声は個人の判別が付きにくい。
「さっきのサトヤの叫び声に近い気がしたが、わからない」
恐らくはサトヤが出会い頭にいきなり攻撃を仕掛けたのだろう。戦闘にニャキの許可が必要と言っていたメセのほうから先制攻撃を行うとは考えづらい。だとすれば、先ほど私がサトヤから攻撃を受けなかったのは、やはり彼女は私の隣に居るホルズと争いたくなかったからに違いない。
「止まれ!」
ホルズが唐突に足を止め、顔は前方に向けたまま片手をかざして私に合図をした。
「なっ!」
「あっぶねぇ!」
昼の光の中でも十分にはっきりと見えるほどの非常に眩しい光線が緑の中を切り裂いた。光線は進路上にあるあらゆるものを消滅させた。それに少しでも掠った木の幹はまるで水しぶきのごとき脆さで炸裂し、その破片を私たちの頭上に降らせた。さらに二度三度と立て続けに光が閃き、何本かの木々は真ん中からごっそり抉り取られ、轟音を上げつつ薙ぎ倒されて行った。
「あの光は見覚えがある…つーか、俺もこないだアレをぶち当てられたんだが、なんで俺は生きてんだ?」
私もあの不思議な光には見覚えがある。あれはメセの掌から放たれるものだ。
「出力を調節できるんだろう」
つまり今は相手を本気で殺すつもりで能力を使っているのだ。手加減していては危険であると自己判断したのか、あるいはニャキから殺害許可が下りたのか。後者だとすれば、決断までがあまりにも早すぎる気もするが。
「あーあ…ありゃまったく勝負にならねーぞ。だが…うわっ、危ねーな!」
ホルズが大きく後ろに飛び跳ねると、彼が元居た場所に巨大な木の幹がまっすぐ降り注いで、爆発に近い巨大な音と共に地を揺らした。
「光が止まない。まだサトヤは生きてるんだろう。応戦しているのか追われているのかはわからないが」
その時、世界の終わりのような轟音と煙と木々の破片の雨の中、一瞬だけ通り過ぎる人影に私とホルズは偶然同時に気が付いた。
「居た」
サトヤだった。いつものような木から木への滑空飛行によって、光線が飛んでくる方角とは全く正反対の方向へと必死になって逃げている。その表情は恐怖と驚愕に満ちており、挑み掛かった相手から今まさに受けている反撃がその想像を遥かに絶するものであったと言うことが窺い知れた。そして彼女はその反撃によって既に致命的な痛手を被っていた。彼女の片腕は肩から下が手甲ごともぎ取られていたのだった。さらに脇腹からも大量に出血している。
当然憎むべき相手ではあるのだが、私はサトヤのその必死の形相に、僅かながら哀れみの感情を抱いてしまったことに気が付き、慌てて一人で首を横に振った。
そんな私の様子に気が付いたらしいホルズが、私の目を見てまるで許可を請うかのような語調で呟いた。
「追うか…」
私はホルズのその表情の意図がわからず、聞き返した。
「追ってどうするんだ。とどめを刺すのか」
「さてな。見てから決めるわ」
間もなくして光線の嵐は収まり、しばらくの余韻の後、森は静けさを取り戻した。
サトヤは既に私たちの視界からは離れていたが、ホルズは当てがあるらしく、一直線に走っていた。しかしその速度は私でも追いつける程度に緩やかだ。もはやそれほど急ぐ必要は無いと判断しているのだろう。
「そうか…崖か」
たどり着いた場所は、先ほど私たちが別れた崖だった。先日私が彼女に追われて崖を目指して走ったように、今度は彼女が崖へと逃げ込む番になったのだった。
「この下にほら穴がある。きっと死ぬまでそこに隠れてるつもりだろうよ。あの怪我じゃ…、もうすぐだろうな」
ホルズは腰に装備していた縄に手を当て、私の顔を見た。
「てめえも来るか?」
「………」
私が黙っていると、彼は縄を私に押し付け、自分はそれを使わずに足だけでほぼ垂直の崖を駆け下りていった。
「来たきゃ来りゃいい」
私はそれほど長く迷うこともなくその縄を傍の木の幹に縛り付け、崖を降りてホルズの姿を探した。見渡してみると明るい色の岩肌の一部にそれほど少なくない量の赤黒い液体をぶちまけたような染みをいくつか見つけた。点々と続くそれを辿っていくと、件の洞穴はすぐに見つかった。
「にゃー、にゃー」
洞穴の中から、か細い奇妙な声が聴こえた。子猫のように儚げで、不安と悲しみに満ちた声だった。覗くと、狭い洞穴の隅に横たわり、残ったほうの片手で血まみれの脇腹を押さえているサトヤがその声の主であると知れた。彼女は虚ろに開いた金色の両目から大粒の涙を流しており、既にここにいる私やホルズの姿など認識出来ていないようであった。
「猫の真似じゃねーよ。ニャーってのはこいつらの言葉で『兄さん』って意味だ」
ホルズが振り向かずに言った。彼は一瞬間を置いてから一言付け加えた。
「幼児語らしいな」
その言葉はまるで私の頭をがつんと殴るような衝撃だった。もはや見るに堪えない。私はホルズの肩を掴んだ。
「もう必要無いだろ。ここを離れよう」
「仇はいいのか?」
「いいよ」
しかしホルズが黙ったまま動かなかったため、私もその場に張り付けられたように動けなかった。
虫の息のサトヤが再び口を開いた。
「ニャー・ア・リムンハ・セン」
恐らくメメトー語である。
ホルズがサトヤに顔を近づけ、小さな声で答えた。
「思い出した?何を思い出したって?ツテー・ル・リムンハ・セン?」
「ア・ムー・ギン・コン・レティエ」
サトヤは震えながら血まみれの手甲をゆっくり動かし、首から提げていたペンダントに当てた。瀕死の彼女は既に厚い生地で作られた手甲を細かく動かすことは出来ないらしく、ただペンダントに自らの血液をこすり付けるばかりでそれ以上のことは出来なかった。
ホルズはサトヤの代わりにペンダントに触れると、その蓋を開き、中から小さく折られた一枚の手紙を取り出した。
「そうか。こいつをてめえの兄貴に渡せばいいんだな?」
「…コン・レティエ・ファ・ル」
「ちげーよ…俺はてめえの兄貴じゃねーよ…。でも必ず渡すから…」
「コン・ファ・ル・ホルズ」
雪のように白いサトヤの唇から、ホルズと言う名前が発せられるのを聞き取ることが出来た。
「俺に託すって?なんで俺なんだよ」
サトヤの両目は今はホルズの姿をはっきりと認識しているようだった。
「ダーマは…もう、遅いよ。きっと、何も理解出来ないよ…。ホルズ、テメーじゃなくても…誰でもいいね。アナタでもいいよ。とにかく…それを…」
彼女は力を振り絞るように帝国語でそう言いながら、一瞬だけ私のほうにも視線を送った。涙が溢れる彼女の瞳には既に先ほどまでの狂気の色はまったく無くなっていた。
「喋らない方がいい」
私はついに膝を折ってそう言ってしまった。
「ごめんなさい…」
彼女はそう言って瞼を閉じた。
それから少しの間静寂が支配したが、サトヤが子猫のような声で再び小さく短く鳴いたのが一つの合図だった。
「ニャー…」
サトヤは死んだ。
さらにまたしばらく経ってから、ホルズが舌打ちをした。
「チッ」
その合図と共に私は立ち上がり、膝に付いた土をはたいた。
「僕はメセたちの様子を見てくる。おまえはどうする」
「そうだな…てめえはやっぱりあいつらと一緒に行くといい。俺は仕事が増えた。こいつを届けてやらねーと。腐っちまう前に」
「サトヤを…運ぶのか?ダーマの元に?」
「悪いか?」
「いや…、おまえという人間がよくわからないだけだよ」
「なんとでも言えや…。あ…?そういや、手紙…」
そしてホルズは一度サトヤの遺体のほうを見てから、すぐに自らの手に握ったサトヤの手紙を開いてそこにある文字に目を落とした。
「…やっぱりメメなんとか語で書いてありやがる。読めやしねーし」
「相変わらず喋れるのに読み書きは出来ないんだな」
「で、てめえは逆だろ?どうせ読めるんだろ」
そう言って私に手紙を手渡した。
「読んでいいのか」
「聞いてただろ。俺たちが託されたんだ」
そこには明らかに少女が書いたものと思われる丸っこく崩された癖のあるメメトー語の文字が並んでいた。字体は崩されているが決して悪筆ではなく、文字ごとの配置も整っており、文章そのものは読み易かった。それはそれなりに几帳面で真面目な人物が書いたものであるように窺われた。
手紙の全文は以下である。
――変わってしまった私へ
こんにちは。そして、はじめまして、未来の私。あなたはきっと私のことも、お兄ちゃんのことも、すべて忘れてしまっていることでしょう。ペンダントに隠されたこの手紙の存在に気が付けるかどうかも、今の私には分かりません。
きっとあなたは、お兄ちゃんと二人で多くの罪を犯し、これからもまたさらに多くの罪を重ねることでしょう。とても恐ろしいことですが、それに抗う術は私たちには与えられません。強化手術は記憶と理性を奪うばかりか、耐え難いほどの殺人欲求を植え付けてしまいます。私たちは、私たち人間として、とても大切なことを思い出す暇もなくただひたすら殺し続け、思い出しかけたところで次の欲求に駆られ、また何もかもを忘れてただ殺すのです。
私たちはきっと、与えられた戦闘によって、あるいはとても短い寿命によって死を迎える間際に、ようやく殺意の渦から解き放たれ、そして本当にあらゆる記憶を取り戻すことになるでしょう。私たちの手術が決まった時点から薄々そんな予感がしていましたが、手術を前日に控えた今となってはそれは既に確信に変わっています。それは私自身がこれから未来に犯す罪に対する神様からの罰であるに違いありません。私たちは罪を犯す前に既に罰せられているのです。
あなたはこの手紙を読んでも、きっとほとんど内容を理解することは敵わないでしょう。だけど、覚えておいてください。そうすることであなたは最後の瞬間だけでも、自らの行いを悔いることが出来るはずです。それがすべてへの罪滅ぼしになるとは思えませんが、ほんの僅かでも人の心を取り戻してから逝くことが出来れば、あなた自身、そして私自身が報われることになると思えるのです。
そしてもしこの手紙を拾得された、あるいは『彼女』自身から託された方がいらっしゃいましたら、どうか然るべき時のために、これを保管していただけないものでしょうか?帝国の人々を殺すために自国の子供たちを生贄にする、このような無意味な生体兵器の計画は非難され、放棄されるべきものです。デウィーバ帝国とメメトー王国、同じ神を信じるもの同士、どうして手を取り合えないのでしょうか?
最後に再び、未来の私へ。あなたがどんなに汚れても、私とお兄ちゃんは、最後まであなたを愛しています。あなたも、私とお兄ちゃん、そして変わってしまった後のお兄ちゃんのことも、愛してあげて下さい。変わってしまっても私は私です。私は最後の瞬間まで、明日××××(※註:読めない。恐らく固有名詞)の手術台に乗せられるその瞬間でも、きっとあなたのことを信じています。
あなたと、お兄ちゃんと、先に旅立ったお父さんとお母さんを永遠に愛する――
×××(※註:固有名詞。女性名の署名。恐らく『サトヤ』)




