37. 不完全な狂気
「追い付いちまったわ」
先を歩くホルズが不意にそう言った。私は腰ほどの高さのある大きく張り出した木の根によじ登りホルズの視線の先を追った。鬱蒼と茂る森の緑が邪魔してその場の様子の全てを把握することは出来ないが、確かにハステらしい銀色の頭髪が木漏れ日に光っているのがちらりと見えた。彼女はニャキらしき人物と会話しながら背嚢を下ろしている。ここで休息を取るつもりらしい。私はこの時初めて、女たちが自分たちのすぐ先を歩いていたことを知った。
「ひょっとして今までずっと付かず離れずで尾けてたのかい」
そう言えば道中で私と会話している間もホルズは普段よりいくらか声の調子を抑えていたように思える。私は元々喋る声が小さいからいいとして、どうやら彼は先を行く女たちに気取られないようにずっと意識していたらしかった。
「ストーカーみたいに言うんじゃねーよ。たまたまあいつらが俺の行きたい方向に居やがるんだ。つっても追い付きたくはねー。あのやりとりの後で顔を合わせるのは気まずいかんな」
「おまえにも気まずいなんて感覚があったんだな」
「俺は繊細なんだよ。しかしまだ昼前だ。大休止には早すぎっぞ」
私が乗っている木の根にもたれ掛かりながら、ホルズは腕を組んだ。私は頭上からその姿を見下ろして問う。
「そもそもどうして樹海の奥の要塞を目指している彼女たちの進行方向が僕らと同じなんだ。僕らは来た道を引き返しているんじゃなかったのか」
「ああ、引き返してるぜ。うん?それで合点が行くな。道を間違えてるのはあいつらってことさ。案内も無しにあいつらがどうやって目的地に到達できると思う?」
すぐに一つのことに思い当たったので、私は口にした。
「そう言えば、メセに探知能力があるとかどうとか言っていた」
すると、ホルズが私を見上げた。
「それだ。よくわからねーが、それもあのちんちくりんの数ある超能力の一つらしい。どうやら賊の要塞の内部に何やら探知の対象になる人か物かがあって、それに至るまでの距離と方角を知ることが出来るみてーだな」
「オーリスさんの能力とよく似てるな」
「オーリン?例のヒワイな女のことか?だがそこまで便利な力じゃねーみてーだぞ。あいつは普通に過ごしながら常に能力を発揮出来るんだろ?違うか?あのちんちくりんの方はと言えば、昨日も何度かその能力とやらを使ってるところを見たが、その度にわざわざ座り込んではしばらくじっと目を閉じてる必要があるらしい。全能ってわけじゃーねーんだな」
「なるほど。それで早めの大休止なのか」
最後に探知を実行したのは今朝だと言っていた。こうして日に何度も探知のための休息を挟んで、その都度方向を修正して地道に進むつもりらしい。部外者に案内をさせることが信頼問題上無理だと言うのであれば他に手段も無いので仕方の無いことだが、随分と非効率的に思える。
「…それと、今ここでこそこそ隠れてる俺たちが奴に探知されちまう可能性は考えなくていいぜ。あいつは何かしら特定の条件のモノしか探知できねーらしい。最初に森に入った時も俺がこっそり後を尾けてたんだが、こっちから声掛けるまでまったく気付いてなかったからよ」
「メセが探知できる特定の何かが山賊の要塞に存在していて、そしてそのことを彼女たちが予め知っているということか」
最初にメセに出会った時に彼女が『近隣に複数の適正者を探知している』と言葉を漏らしていたことを思い出した。彼女が探知できる特定の存在とは『適正者』そのものであるのかもしれない。『適正者』とは…、これまでの経緯から推察するに、恐らくそれはメセのような超能力を持った不思議な人間たちのことなのだろう。
「ほら、見ろよ。石の上に置物みてーに座り込んじまいやがった。当分は動かねーぞ」
木の幹の上で少し歩いて角度を変えて見て、初めて小柄なメセを見つけることが出来た。メセはまるで修行僧のように、丁度いい大きさの石の上に膝を曲げてちょこんと座り、背筋を伸ばし、瞳を閉じた顔は正面に向けている。そのしゃんとした姿勢と対照的に両の手はだらりと肩から真下に下ろしており、自然な感じで軽く握った拳は石の上に置かれていた。彼女の近くではハステが周囲を警戒するように、腰の剣に手を当てたままきょろきょろとしている。まるで番犬のように勘だけはやたらと鋭い彼女に発見されないよう、私は木から降りてホルズの隣に立った。見つかってまずい理由も特に無いのだが。
「どうする。迂回していくかい」
「そうすっか。待ってる意味もねーし、探知が終わって方向修正したら連中はこっちに引き返してくるだろうしな」
ホルズはそう言って、獣道ですらない草むらの中をずいずいと進んでいった。森に慣れているとは言え、そのようなところへ歩いて行って本当に迷わないのか些か不安ではあったが、私はそれに続く他無かった。
しばらく進み、背後を振り返っても元の道が見えないほどの茂みの中、ホルズが歩きながら振り向いた。
「しかしよ…超能力者どもはどいつもこいつも、形は違えどそれぞれ探知能力ってのを持ってるもんなのか?」
その表情を見るに彼はただ何気無く問い掛けただけのようだったが、私はこのやたらと不安を煽る視界の悪い茂みの中で、丁度一つの心配事を思い出しているところだった。
「メセとオーリスさんの他にもまだ超能力者を知ってるのかい」
その第三の、そして第四の超能力者たちについては当然心当たりがあったが、私はその名を自ら口にすることを躊躇った。理屈ではない。口に出すことで私の中に曖昧に存在している悪い予感がより明確なものになってしまうような気がしたのだ。
しかしホルズの次の言葉は私の悪い予感を裏切らなかった。
「ここの賊どもの中にも居るんだよ。双子の外人どもなんだがよ。その少なくとも片方の奴が遠くに居る人間を嗅ぎ分けられる力を持ってんだ。本人から聞いたんだが、あいつはよくわからん第六感で存在を感知するってわけじゃなく、言葉通り、嗅ぎ分けるんだ。単純にメチャメチャ鼻が良いんだってよ。二つ向こうの町の酔っ払いのゲロの匂いで鼻が曲がりそうになるくらいにな」
匂いが遥か遠くの町まで伝わるようなものだとは考え難い。恐らくは嗅覚にとてもよく似た別の知覚を有しているのだろう。
「…へぇ…つまりそいつが森の中に居たら、僕らの体臭からその位置も手に取るように把握できるってことかい」
私が自分の中に膨らみつつある嫌な予感を確かめるように、ゆっくりとそう問いかけたが、ホルズはやはりあっけらかんとして答える。
「どうだろうな。多分そうなんじゃねーのか。つっても身近な人間以外の個人の区別は出来ないって言ってたから、俺たちを狙って見つけることは出来ないだろーよ。今、森の中には俺たち以外に複数の人間が入って来てるみてーだしな」
「…そいつらが今、森の中に居て、そして森の中に来ている人間を見つけ次第殺そうとしているとしたら、数日間も僕らの前に姿を現さないのは何故だと思う…?」
ホルズはぴたりと立ち止まり、もう一度振り向いた。その顔は眉を顰めていた。私も立ち止まってその目を見た。
「…そりゃ別の誰かのところに行って、そいつを殺してるんだろうよ…」
「それは困る」
ホルズはようやく私の不安の原因を察知した。
「ああ、そうか。てめえの班を襲った奴ってのは…」
彼の言葉を最後まで聞くまでもなく、私はそれを遮った。
「急ごう」
「今更って感じもするが…。なんで今までのんびりしてやがった」
そう言いながらもホルズは走り出していた。私は顔に跳ねる背の高い草を払いながら、見失わないように必死でその後ろを追いかけた。
「奴らにも探知能力があるなんて知らなかったんだ」
「ハ!殺しのある場所じゃ常に最悪の状況を予想するようにしとけや!さもないと酷い目に遭うぜ。てめえんとこの隊長さんに聞いてみろ」
そして目の前を走るホルズの姿が不意に消えた。私は何が起こったのか咄嗟に理解出来なかったし、理解出来たところで視界の悪い草むらを必死になって駆けていた私がそれに対応出来ていたとも思えない。
そこには私の身長分ほどの段差が存在していたのだった。
「おいっ、ちょっと、待っ…」
視界が開けた瞬間には既に空中だった。私が大の字の姿勢で腹と胸と両手両脚を余すことなく使って着地するまでのほんの一寸の間で、そこが樹海の中で村と砦を往復するために賊たちが用いているやや広い道の上であることを認識した。
「だから言ったじゃん。これはまだ最悪の状況じゃないけどな」
「知ってたなら教えろよ。情報共有は危険回避の基本だろ」
何故か不思議と落下や転倒で怪我をしない私は相変わらずやはりまるで平気だったので、急いで立ち上がった。しかしホルズはその場で立ち尽くしてやや遠くを見たまま、動こうとしない。
確かにずっとあの調子で猛然と駆け続けられても遅かれ早かれ私ははぐれることになってしまっただろうが、森の中へやって来ているオーリスたちがあの双子の化物たちに追いかけられている可能性を教えられた後ではじっとしてもいられない。
「どうした?」
急かすように私は言ったが、ホルズは振り向かずに一点を見つめている。
「いや、もう急ぐ必要もねーよ」
「何故…」
私は問い掛けながら、気が付いてホルズの視線の先を目で追った。生い茂る草木の向こう、やや上方の逆光の中で、何かが素早く動くのが見えた。
木々の間から間へ滑空するように飛び交いながら近付いてくるその動きには確かに見覚えがあった。そんな芸当が出来る人間の子供大の生物は私はそう多くは知らないが、今そこを飛んでいるそいつは友好的な方のそれではなかった。明るい陽の元ではその真っ白い頭髪と肌の色は、それがまだ遠くに居る段階でも簡単に認識することが出来た。
「あいつか?」
「あいつだ」
「あいつがてめえのお仲間をひき肉にしたのか?」
「そうだ。あいつだ」
丸腰の私は手持ち無沙汰な両手を持て余しながら身構えた。隣のホルズは腰から剣を提げていたが、両腕は組んだままで、白い歯だけを攻撃的に剥き出しにして、そのメメトー人の動きをじっと見つめていた。
「居た居た居たよーっ!見つけたよ!誰だ!テメーか!!」
メメトー人は空を飛びながら私たちの姿を視界に収めると、まるで悲鳴のような金切り声を上げた。その両手に着けられた虫人間の鉤爪の形をした手甲から、それが双子の内の女のほうであるサトヤだと認識出来た。前回彼女は双子の片割れと共に二人組で襲ってきたはずだったが、そのダーマの姿はどこにも見えない。
サトヤは最初に私たちに発見されてから僅か数秒もせずに、仁王立ちするホルズの正面すぐの至近距離に両膝を曲げて着地し、その純白の髪をたなびかせた。地面が大きく振動したのが離れていた私まで伝わってきた。
「ホールーズぅー!なんでテメーなんだよ!あのおデブさんは一体どこ行ったんだよー!許さないよ!殺すよ!殺す殺すよー!!」
サトヤは一瞬ホルズを睨みつけるとすぐに仰向けにひっくり返ってまるで駄々をこねる小さな子供のように、両手で頭を抱えながら続けざまに金切り声を上げた。
「マジうるせえ」
ホルズが不愉快そうに脇に唾を吐き捨てた。普段うるさい奴は自分よりうるさい奴と出くわすと静かになることが多いが、彼が妙に口数が少なくなったのはそれだけが理由ではないように思える。同じ山賊団に所属しているとは言え、互いの関係はあまり良好ではないらしい。
「うおー!ちくしょー!見ろよ!この傷だよ!」
サトヤはいきなり飛び起きて自らの顔を指した。
「あのおデブさんがやったんだよ!非テキセーシャだと思って手を抜いて遊んでやってたらこのざまだよ!あいつ何者なんだよ!」
どうやら私が崖から落下した後、リデオはサトヤに対して一矢を報いてさらにその場から逃げ果すことに成功したらしい。彼女の顔面には、眉間から始まって斜め下に右頬まで抜けた新しい傷があった。それは既にかさぶたになっていた。
私はその時初めて、メメトー人の血の色も赤であるということを知った。
「誰だよ。知らねーし。それよりてめえのクソ兄貴は今日は一緒じゃねーのか?あのノータリン、てめえが一緒じゃなかったら一人で便所も行けねーぞ」
「行けるよ!ダーマはね、はぐれたんだよ!てゆーか、イッシンフランに走ってたらいつの間にかはぐれてたよ!ダーマにはワタシみたいなタンチノーリョクが無いから、多分はぐれた時点で合流はあきらめて一人でヨーサイまで帰ったと思うよ!」
「そりゃいい」
牙のように尖った歯を見せたまま、ホルズがにやりと笑った。その微笑に苛立ちをさらに煽られたサトヤは手甲の爪を唸らせながら地団太を踏み、語尾のおかしな片言の帝国語で叫んだ。
「よくねーよ!テメーも殺すぞよ!」
「あ?やってみろよ。てめえのバカ兄貴が居ねーのが嬉しいのはそこさ。一人ずつなら負けやしねーかんな」
そしてホルズはついに腰の刀を引き抜いた。サトヤはホルズのこの反応が意外だったらしく、一瞬大きく仰け反ってから素早く後ずさり、真意を探るようにやや上目遣いでホルズの目を見た。
「な、なんだよー…。テメーまでワタシをイジメるつもりなのかよ…!おいぃ!ワタシを敵に回すのがどういうことかわかってるね?シギミヒさんに楯突く事になるんだよ…!」
サトヤの言葉が終わると、ホルズは刀を握り締めたまま無言で一歩前に進み出た。それに応じてサトヤはさらに一歩後ずさる。
「言うのが遅れたな。俺はこないだ山賊稼業から足を洗って、こいつの味方に付いたんだ」
ホルズはそう言って、後ろに居た私の方を空いている左手の親指で指さした。
「仇討ち代行は殺し合う理由になるよな?こいつの顔、覚えてるか?」
サトヤと目が合った。メメトー人である彼女の明るい金色の目はまるで不思議な宝石のようだったが、その瞳の奥はまるで夜闇の中の水底のようにひどく暗く濁って見えたような気がした。これまでの言動からでも十分に推測出来たことではあるが、その時初めて私は、彼女が狂人であることをはっきりと理解した。
彼女は私の目をしばらく見つめた後、何故かひどく怯えるように唇を震わせた。
「…アナタ、覚えてるよ…。ダーマの火を食らってバラバラになって吹っ飛んだよね。キモチワルイ。なんで生きてんのよ?どうやってくっ付いたのよ?」
先ほどの勢いが嘘のように大人しくなってしまった。彼女と口を聞く義理も無いのだが、私は憎悪を込めて返答した。
「あいつがばらばらにしたのは、僕が背中に背負っていた奴だ。彼が盾になったから、僕は生き延びた」
「しょってたヒトがバラバラになるくらいのショーゲキを受けて軽傷ってありえないよね。おかしいと思わないの?」
「…えっ…?」
狂人であるサトヤに指摘されて始めてそれが奇妙であることに気が付いた。私はその指摘に対する回答を即座に用意することは出来なかった。
「ヘンな奴ばっかだよ。非テキセーシャのくせによ。キモイから近付くなよ。アナタも、ホルズもね!」
「あっ!てめえ、待てや!」
ホルズがサトヤの不可解な言葉に首を傾げていた隙だった。サトヤは背後の背の高い木に飛び掛かると、鉤爪を利用してその幹をよじ登り、あっという間に遥か頭上の枝に飛び移って行ってしまった。いかにホルズが身軽と言えども、人間の限界をはるかに超えているその跳躍を追いかけることは出来なかった。
「逃げやがんのか!」
「なんだかんだ言って、ホントはワタシと戦ってみたいだけなんだろ!このキョーケン!」
「そーだよバカが!戻ってきやがれ!殺してやるから!」
「やーだよ!ワタシもダーマも、テメーのことは殺したくないんだよ。似た者同士だからね!」
つい先ほど彼女のことを狂人であると認識したばかりだったが、今の彼女の言葉には何故だかいくらか人間味が籠もっているように思えた。
「あぁ?どーいうことだ!俺はてめえみたいな白塗りのちんちくりんじゃねーし」
「ホルズはワタシたちと同じ、イジメられっ子なんだよ。でもまだニンゲンだからね。シギミヒの元を去るんなら、それがいいよ。どこでもいいからどっか遠くに行っちまえばいいね。だけどワタシたちはもう遅いよ。もっともっと殺さなきゃ」
「意味がわかんねーぞ!おい待て!」
「お別れだよ!」
狂った少女はホルズに謎をかけたまま、木々の間を飛び移り、やって来た時と同じようにあっという間に姿を消した。
「おまえが彼女らに対して思ってるほど、向こうはおまえのことを嫌いでもないんじゃないのか?」
私がそう言うと、ホルズは極めて素早い動きで即座に振り向いた。私は言葉とは裏腹に意図的に険しい表情を作って見つめ返した。
「だったらどーなんだ?てめえはあいつを許すのか?仇だろ?」
「傭兵団の仇敵だ。僕個人の仇敵じゃない。だけどあいつがここに来てる僕の知り合いを殺したらそうじゃなくなる」
「急いで追いかけっぞ。そんで、殺そう」
そしてホルズは向き直って駆け出した。私は少しだけぞっとした。




