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星と羽虫  作者: 病気
第一章・異能の女たち
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34. イワウサギの香草焼き




「…ひどい匂いですが…何をしているんです?」


 まだ呼んでもいないのにテントからニャキが出てきて火の側に居たメセに向けてそう言った。メセもいつもの伏し目がちの無愛想な顔でぽつりと答える。


「料理だ」


「死体を火にかけることを火葬と言うんです。知っていましたか?骨になるまで焼いたらちゃんと土に埋めるんですよ」


 ニャキはわざとらしく鼻を押さえ、眉間に皺を寄せていたが、刺激臭を帯びた薄黄緑色の煙を浴びた瞬間に少し涙目になったのは演技では無さそうだった。


「夕飯だ。間もなく支度が出来る」


 メセはそう淡々と言ったが、不意に風向きが変わり、今度は彼女が煙を浴びることになった。料理を馬鹿にされたからというわけではないだろうが、彼女はまるで縄張りを荒らされた犬のようなひどい顔をした。普段無表情に徹している彼女が明確に顔を変えるのを見たのはこれが初めてだったような気がする。それほどひどい匂いだったということだ。


「おい、話が違うぞ。どういうことだ」


 メセが縄張りを荒らされた犬の顔のままで、毒煙を上げる火の間近で服を着たまま乾かしていた私の方へと振り向いた。


「何がだい」


「高級食材と言った」


 私が返答に困っていると、ハステが平気な顔をして異常な煙を上げる肉塊を炎の上から調理台の上へと移動させた。そして彼女はメセの言葉を継いだ。


「高級食材だったら、料理の腕に依らず美味くなるはずなんだが」


 そう言って彼女はナイフを取り出し、丸焼きにされ毛皮ごとカリカリになったイワウサギを切り分け始めた。


 メセがハステから私へと再び視線を移動させて言う。


「だそうだ。ハステの言葉はいつも正しいとマスターが言っていたから正しい」


「言った覚えはありませんし、あったとしても撤回します」


 間髪いれずにそう口を挟んだニャキはいつの間にかかなり遠くに居た。


 樹上の枝に腰掛けて様子を見ていたホルズがメセに声をかける。


「おい、料理の経験はあんのかよ」


 そちらを見上げながら、ハステが拳を振り上げた。


「私がメセ殿に手ほどき差し上げた!」


「そう言うあんたはどうなんだよ」


「私もメセ殿も、街で宿の主人が作るのを毎晩後ろでじっと見てたからな。そろそろいくらか身に付いてきているはずだ」


「結局二人とも自分で作ったことねーのかよ!」


 そして、なんだかんだで食事の用意が整った。調理台はあっても椅子や食卓などは流石に準備できなかったため、私たちは大皿に山盛りになった焼いた肉の破片を立ったまま五人で囲み、それぞれが箸でつつく形になった。


「………」


「…で、これは何です?」


「料理だ」


「なんと言う料理ですか」


「知らん」


 メセがそう言ってハステの方を見たので、その意を汲んで彼女が続けた。


「獣の内臓を取り出し、そこに香草を詰めて丸焼きにしたものですな。切り分けた後に香辛料を振り掛けました」


「具体的になんと言う香草と香辛料ですか…?」


「さあ…?」


 今度はハステがメセの顔を見た。メセはハステの意を汲んで言葉を継いだ。


「さあ」


 真面目くさった顔で首をかしげる二人を見て、ホルズがついに腹を抱えてげらげら笑い出した。ニャキがうんざりした様子でそれを一瞥した。


「どなたが一番に行きますか?」


 少しの間、静寂の中に炎の音だけがぱちぱちと鳴いた。


 おもむろに、私の横から箸が伸びる。


 メセがいつもの仏頂面で、黙ったまま肉片を口に運んでいた。


「………」


 箸を持つ右手を下ろし、彼女は真正面の中空を見つめたまま、黙ってもごもごと口だけを動かした。


「不味いですか」


 ニャキが問いかけると、


「まずい」


 彼女は口に含んだ肉をぺっと吐き出した。


「こぁーっ!メセ殿ッ、お行儀悪いでふぞ!」


 いつの間にか口いっぱいに肉を頬張っていたハステがメセの態度を窘めた。言いながらも、ハステはさらに箸を運んで口の中に肉を詰めていた。


「うわっ、食ってる!」


 隣のホルズがそれに気付いて仰け反っていた。


「貴女もですよ、ハステさん。口に含んだまま喋らないでください」


 青ざめた顔でそう言ったニャキのほうへと、ハステが振り向いて言った。


「好き嫌いしちゃ駄目ですぞ!」


「飛んでます。口から飛んでますよ。汚いな!」


 ニャキもまた仰け反ってハステから距離を置いた。その反対側にいるホルズは、ようやく恐る恐る箸を伸ばし、小さな肉片をゆっくり口に運んだ。つい先日まで山賊をやっていた男とは思えない上品な食いっぷりだ。


「…うっわ…なにこれまっず…」


 ハステはもごもごと口を動かしながらしばらくそれを見ていたが、ついに振り向いて私に声をかけた。


「いや、なかなかいけるぞ!なぁ、ヌビク!」


 私もなりゆきで山盛りの肉を一つまみ頬張ってみた。確かにひどい味だが、その悪臭から想像したほどの不味さではない。これまでの人生で食べた物の中で明らかに最も不味いが、想像したほどの不味さではない。


「見た目よりずっと美味しいです」


「そうだな。少なくともそのへんの昆虫や生の木の根っこよりは多少美味いと思う」


 まるで実際そんなものを食べたことがあるかのような口ぶりである。しかし、彼女の顔を見るに本人は特に変なことを言ったつもりはないようだった。


 仰け反った姿勢のままのニャキが言う。


「貴女が今朝方、道すがらの木の根っこを引きちぎって齧りながら歩き始めた時はさすがに正気を疑いましたが、あれを美味しいと思っていなかったのなら私が思ったほど重症でもないのかもしれませんね。ハステさん、貴女はせっかく裕福な家にお生まれなのですから、拾い食いの悪癖は直したほうがよろしいかと思いますよ」


 本当に食べた経験があったらしい。しかも随分最近の話だ。


「マジ引いたわ」


 ホルズすら呆れていた。意味も無く走る馬から飛び降りる狂人ですら、意味も無く木の根に齧り付く行為は理解できないらしい。


 今日既に何度目か知れないため息をつくと、ニャキは腰に身に付けたポーチからビスケットのようなものを取り出し、かりかりと齧り始めた。奇妙な肉の塊で腹を満たすことはもうあきらめたらしい。


 対照的に、相変わらず口の中を肉で満たしたハステが言う。


「騎士たる者、拾い食い程度の嗜みは身に着けておくべきですぞ!」


「…はぁ?」


 意味の分からない返答をするハステに対し、ニャキはそろそろ本気で苛立ってきた様子で、僅かにずり落ちた眼鏡を直そうともせずに口を半開きにして見せた。


「戦場において糧秣も尽き極限状態に置かれた時、調達した食材を躊躇無く口へ運べるか否かが生死を分けるのです」


 真面目な顔をしてそう続けたハステを横目に、ニャキはようやく中指で眼鏡を上げた。


「今適当に考えたでまかせにしてはそこそこ尤もらしいですね。しかし糧秣に余裕がある内に変な物を食べて体調を壊して、その極限状態とやらをわざわざ自ら作り出すことのほうがよほど愚かしいですよ」


 そこまで言い終えると、ニャキは齧りかけのビスケットの残りを口の中に放り込んだ。その動きを目で追いながら、ハステが言う。


「だからこそ日常的に変なものを食って肉体的、そして精神的に耐性をつけるのです!」


 ハステは相変わらずの真面目な表情だ。実際にでまかせで言ってるとは思えないのだが、仮にでまかせでないとすれば、こんなわけのわからない理屈を本気で正しいと信じて実践していることになる。


「そうですか。はい。わかりました。ビスケット食べます?」


「あ、頂戴致します。…ふむ、うん?ビスケットってこんなに美味かったっけ」


 結局女たちは三人並んで座っておそらくは非常食らしいビスケットを齧り始めた。ニャキが私にそれを分けてくれるような気は全くしなかったため、私は腹を満たすため仕方なくイワウサギの香草焼きを黙って食い続けた。しかし結局、満腹になるまでその苦行を継続出来るだけの忍耐力は無かった。ちらりとホルズのほうを見ると、彼もまた早々にあきらめたらしく、彼自身が個人的に持ち歩いている食糧らしい干し肉をくちゃくちゃと噛んでいた。


「食う?」


「肉はもういいや。野菜無い?」


「ねーよ」


 この数ヶ月後に初めて知ったことだが、イワウサギは普通の獣肉とはまったく特性が異なり、調理法も特殊であるらしい。肉や内臓には強い浄化作用や強壮作用があり、天日干しで乾燥させてから擂り潰して粉末状にし、まるで香辛料のように他の獣肉の保存あるいは薬用として用いるのが一般的だそうだ。即ち私たちは香辛料に香辛料をかけて食っていたことになる。高級品として珍重される所以はその味に依るところではないのだ。単純な食用として肉を調理する場合は、これに関しては私も島に居た頃加工に加わった経験が少なからずあるが、塩を使って漬物にすることでかろうじて食うに堪える味に仕上がる…らしい。食べることを許されたことはないが。しかしそれもその強力な浄化作用に由来する保存性と栄養価を重視しているため、それこそあくまで食うに堪えると言った程度の味であるし、狩りで捕まえたその日の内に作って食べられる料理でもない。


 しかしひょっとしたら、私が昼間飲んだ泥水のせいで腹を壊さなかった理由は、この時食べたイワウサギの解毒効果のおかげだったのかもしれない。そう考えるとなんともお誂え向けの夕食だったと言えなくもない。


 私が皿の脇に箸を置くと、どうやらそれを待っていたらしいメセが音も無く歩いて来てひょいと皿を取り上げ、いつの間にか掘ってあった穴に食べ残しの焼け焦げた肉を全部捨ててしまった。彼女がその穴に足で土を蹴りかける姿を見守っていると、奇妙な名残惜しさがこみ上げてきたが、別の方向からハステが呼びかけてきたので私は我に返って振り向いた。


「いやー、よく食べたな。全然食べてないが。ヌビク、おまえは疲れただろう。まだ陽が落ちたばかりだが、今晩はもう休むといい。私の寝袋を使っていいから」


 彼女はそう言って私の背に手を置くと、テントの中へと私を招き入れようとしたのだが、当たり前のようにニャキに制された。


「駄目ですよ。決まってるでしょう。貴女は子供の頃、拾ってきた犬を勝手にお屋敷に上げようとして叱られた口ですか」


 ごく当たり前のように私が野良犬に例えられているが、今更ニャキのそんな言葉を気にかけることもない。


「いいえ、むしろ母上が屋敷に上げた野良犬に父上が餌をやっておりました。そしてどんどん増えて仕方がないので仕舞いには犬の世話のためだけに女中を二人も雇う始末です」


「そう言えば貴女の家庭環境は少々特殊でしたね」


「しかしですな、確かに一晩ずっと天候が変わらなければ外で寝ても平気かと思いますが、このへんは北の帝都と違って雲行きがころころと変わりますぞ。外で寝て、降り出したらどうするのです」


「どうもしませんよ」


「雨が降ったら、雨に打たれますぞ」


「知ってますよ。それが何か?」


 ニャキはわざとからかうように、くすくすと笑った。ハステは気にせず同じ調子で続ける。


「雨に打たれたら、風邪をひきます」


 するとついにニャキはハステに向かってにっこり微笑んで見せた。しかしその笑顔から放たれた回答は相変わらずの調子だった。


「ハステさん、貴女はやはり勘違いをしていらっしゃいますね」


「と、言いますと…」


「確かに私は彼らの同行を許可しましたが、それはあくまで私たちの足を引っ張らない範囲での話です。彼らの健康や安全のために私たちの誰かがリスクを負うことは許しません」


 その言葉に、ハステは無言のまま呆けたようにぽかんと口を開けた。彼女にとってはニャキの言葉が想定外だったのか、単純に返す言葉がすぐに思いつかないようだ。


 横からホルズがにゅっと顔を出した。


「あーあ、もういいよ。俺が寝るためにさっきのうちに掘っといた穴ぐらが向こうにあるからよ。そっちに来いや。詰めりゃもう一人くらい入れるだろ」


 私やハステが何かを言う前に、ニャキがふんと鼻を鳴らした。


「それは大変結構です。体を壊して付いて来れなくなっても置いて行くまでですが、そうなったらなったでどうせハステさんがまたくだらない駄々をこねるでしょうしね。私たちの苦労を最低限に抑えるためにも、無事で居てくれるに越したことはありません」


 その後、ホルズは私をその即席の寝床とやらに案内した。それは川のせせらぎが聞こえる斜面に作られた小さなほら穴だった。外見はまるでけだものの住居そのものだが、せり出した木の根を屋根として利用しているらしく、雨が入り込んでも奥まで染みこまずに斜面の下へと流れ出る構造に工夫されていた。


 その晩、しばらくの間ホルズが外をぶらぶらしていたこともあり、私は一人きりでそのささやかな穴ぐらに潜り込んで横になり、真っ暗な木の根の天井を見上げたのだが、その狭く暗い寝床は私にとっては驚くほど心地良い世界だった。


 心配事が無いわけではないが、とにかく今は眠るべきなのだろう。


 目を閉じると、すぐに意識が落ちた。




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