31. 双子の異邦人
「コンチワー!アナタたちすんごい強いねー!」
押し固められたかのような鉄の静寂の中でまるで場違いな、不可解なほどに陽気な声がその世界の色を一瞬で染め変えた。私は今まで無理矢理せき止められていた脂汗が一瞬でどっと流れ出したような、浮遊感にも近い不思議な感覚に襲われ、危うく膝から崩れ落ちそうだったが、なんとか状況を把握できるだけの冷静さを保った。
「ただのヒトが倍以上の数のムシをミナゴロシにしちゃうなんて思ってもみなかったよー!ホントにただのヒトなんだよねー?『テキセーシャ』じゃないよね?」
不気味な登場から一転、片言ながらもはっきりとした明るい口調で矢継ぎ早に質問を繰り出すそれは、私たちの鳩尾ほどまでの身長しかない小さな二人の人物だった。しかしただの子供というわけではなく、彼らは明らかにここデウィーバ帝国の人間でもなければ、地理的に程近い南のノギントリ教国の出身でもなかった。一目瞭然、彼らはメメトー人である。容貌が我々と違いすぎるのだ。
「な、なんだこいつら。気味の悪ぃガキどもだ。てめえらこそ人間か?」
ラリャンサがのけぞって言った。彼はメメトー人を見るのはこれが初めてなのだろう。かく言う私も、書物によってその特徴を予め知ってはいたが、目にするのはもちろん初めてだったし、おそらくはこの場に居る大多数または全員がそうだったはずだ。メメトー王国は地理的には西の広大な氷の砂漠によって断絶されており、政治的な意味でも二十年前の戦争によって帝国との関係を絶っている。国内で彼らを見かけることはまずないのだ。
「気をつけろ!こいつらメメトー人はガキに見えてもそうとは限らねえ」
リデオはまったく警戒を緩めようとせず、そう鋭く言った。彼の言う通り、メメトー人は子供と大人の区別が付きにくい。彼らの平均身長は男女共に成人ですら帝国人の十歳の子供程度しかないのだ。しかし外見が奇妙なのは体格だけによるところではない。彼らは全員がまるで石灰石のような極端に白すぎる肌と、それと同じ純白色の頭髪を有しており、金色の大きな瞳は暗闇の中では光を放つ――比喩ではなく本当に夜光性を持つのだ。顔の彫りは我々帝国人と比べると幾分浅く、刃のように鋭い先端を持つ涙形の両耳はまるで獣じみた大きさである。目の前に居る二人のメメトー人も例に漏れず、私が過去に図鑑で見たその特徴とまったく一致していた。
彼ら二人はそれぞれ背丈はまったく同じで、顔立ちも非常に似通って見えた。顔かたちが自分たちと極端に違う民族は皆同じ顔に見えると言うが、それを考慮して考えても彼らが強い血縁関係を持った間柄であるということは明白だった。おそらくは双子だろう。子供のような容貌の彼らの性別を見分けられる自信はあまりなかったが、どうやら片方が女性で、もう片方は男性であるらしい。先ほどから口を開いているのは専ら女のほうで、おしゃべりな彼女とは対照的に男は一言も喋らず、じっとこちらを見つめている。
「おい、言葉は通じるんだな」
そう言ったリデオは頭上に構えた剣を下ろしてはいたが、まだそれを鞘に収めるつもりもないらしく、両手に握り締めたまま、訝しげにこの小さな者たちをじろじろと見た。
「ワタシはペラペラだよー。こっちのダーマは喋れないけどね。あっ、ワタシはサトヤって言うのよ。よろしくねー!」
語調は友好的であるが、登場した状況を考えるに、彼らが本当に友好的な人物である可能性は考えづらい。そもそも状況など置いておいても、リデオらは本能的に彼女らの危険さを察知しているらしく、敵愾心を隠そうともしない。
「てめえら何モンだ。ここで何してる」
まるで悲鳴のようなリデオの問いに、サトヤはあっけらかんとした顔で、やはり明るい口調で答えた。
「こっちが聞きたいよー!アナタたち、ワタシたちがセントージッケンするつもりで置いといたムシを勝手に全部殺しちゃって、困ったね。ま、予めセッテイしておいた作戦が実行出来てるのは見れたからそれでいいんだけどね…。でもね、おかげでワタシはちょっぴりウンドーブソクだよー!」
サトヤがその台詞を言い終わるや否や、リデオとセリトが全く同時に剣を構えた。一瞬遅れてラリャンサも得物の鎖を握る手を持ち上げた。
「やる気だねー!いいね!でもオデブさん以外みんな要らないよ。こっちの弱っちいのは寝ててね!」
そう言って無邪気に笑ったサトヤは右手を挙げ、指さしたその先にはラリャンサが居た。するとそれを合図に、隣のダーマがやはり言葉一つ発せず、サトヤと鏡合わせになるような姿勢で左手を上げた。その手のひらもまたラリャンサに向いている。
「は?」
ラリャンサがそう短く言葉を発し、すぐにがくっと崩れ落ちた。見ると、彼の片足は膝から下が靴ごと無くなっていた。
「え…?おい…あ…」
消滅した彼の膝下に赤い滝が生まれた。
一体何が起こったのか、もちろん私たちの誰にもわからなかった。しかし既にリデオとセリトはそれぞれサトヤとダーマに向かって斬りかかっていた。剣を振り上げながら、リデオが叫ぶ。
「てめえら逃げろ!全員ばらばらの方角へだ!」
「アハハハハッ!」
サトヤの姿が消え、彼女の高笑いが響いた。声の方向を目で追うと、彼女はまるで空を舞うように木々の幹から幹へ飛び移り、リデオの剣から逃れていた。
その横では、セリトの振り下ろした三日月刀がダーマを捉えていた。それはダーマの肩口に完全に命中していたが、ダーマがさほど分厚くない衣服一枚しか身に着けて居ないにもかかわらず、刃はまるで金属同士がぶつかり合うような甲高い音を立てて弾かれた。
「ああ、またバケモノか。なんでもいい。今度こそ殺してやる」
セリトはそのまま、怪我でまともに動かなかったはずの右手を持ち上げ、その親指をダーマの喉にかけた。そしてそのまま左手の刀を顔面に振り下ろそうとしたが、この物静かで無表情なメメトー人は素肌を露出している生身の右手で刃を払いのけてしまった。
「剣は効かないのか。ならばこのまま谷底に突き落とせばどうなる?」
彼は左手の剣を投げ捨ててダーマの小さい体を両手で掴むと、もつれ合って歩き出した。セリトが武器を手放したのは、敵の危険性を理解していないからではなく、まったくその逆だった。彼が最初からいきなり捨て身だったのは、命を惜しんで勝てる相手でないとわかっていたからに違いない。
彼らが進んだ先には、先ほど私たちが登った崖があった。セリトはダーマを持ち上げてそこへ投げ落とそうと試みたようだったが、やはりこの化け物じみたメメトー人には体格的優位など意味がなかった。逆にダーマが片手でセリトの胸倉を掴むと、いとも簡単にその体を宙に浮かせてしまった。
「うおお!うお!うがあああ!」
ダーマはやはり無言のまま、ぽいっ、と、セリトを崖の下に放り捨てた。セリトの喚き声が遠ざかっていった。
「逃げろつったろうが、バカがぁ!」
リデオのその叫びをかき消すように、頭上の少女も同時に叫んでいた。
「あははーっ、要らない。要らないよー!でも一人も逃がさないよ!みんなここで殺すよー!」
縦横無尽に木々の間を飛び回るサトヤは翻弄するようにリデオの頭上遥かを通り過ぎると、その両手にはめた手甲を振りかざした。彼女の拳からは、先ほどさんざん見たばかりの虫の鉤爪によく似た金属の刃が飛び出した。
「やべえクソが。待ちやがれ!」
彼女はそのまま別の標的に向けて飛び掛った。そこに居たのは真っ先に走って逃げ出していたトルシュだ。
「トルシュ!走れー!」
リデオの呼びかけも空しく、サトヤの両の爪はトルシュの背中に追いついた。彼女が触れた瞬間、霧のかかった薄暗い森の中でも、トルシュの五体がばらばらになるシルエットをはっきりと見ることが出来た。
私の隣でダミが呟いた。
「死んじまった」
その隣では、地を這うラリャンサが今にも嘔吐しそうな真っ青な顔をしている。
「死んだ?一体誰が死んだ?俺はまさか死んだのか?」
「トルシュが死んだ」
「ああ…?何が起こっていやがる…。意味がわからねえ…。おかしい…。お、お…俺の脚は、どうなったんだ…?」
全身に泥をつけて、片足で立ち上がろうとするラリャンサの両脇を、私とダミが同時に支えた。
「お、おまえら…」
「ダミ、彼は僕が背負って走る。君は反対方向へ走るんだ」
私がそう言う間も、向こうではサトヤがリデオをあざ笑うかのように飛び回っていた。別の方向からはセリトを片付けたダーマがゆっくりと歩いてくる。
「めんどくせえ」
私の提案にダミはかぶりを振った。
「俺も怪我してるし、どうせ逃げられねえ。囮になるから、てめえらは生き延びて俺の遺言を持って帰れ。いいか、テンベナ市立女学校に通う二十八期生の…」
いつに無い早口で最期の言葉を残そうとしたダミが、目の前で炭になった。唐突に激しい炎が彼の全身に吹きつけたのだ。振り向く暇すら惜しかったが、視界の端に入っていたサトヤはいまだリデオと追いかけっこをしていたので、恐らく私の視界の外に居たダーマが先ほどラリャンサの足を飛ばした能力を使ったのだろう。
「ダ、ダミ」
私は放心状態のラリャンサを黙って背負い、そのまま真っ直ぐ走り出した。
「すまねえ。俺は…俺は…」
崖だ。崖を目指すしかない。走るより落ちるほうが速い。しかしセリトが落ちた先の方角にはダーマが居る。
私は逆方向の崖へと走る。
「こらー、ダーマぁー。森の中で火は危ないって言ったよねー。火事にならなかったからよかったけどね。足飛ばすぐらいにしといてよー。動けなくすればどうせゆっくり殺せるんだからね」
目の前を横切る私を見ながら、サトヤが樹上でそう言った。私は彼女がそこに存在しないかのようにそれを無視してただ走った。
人一人を抱えてこの化け物たちから逃れられるはずなどないのだが、私は考える暇もなく本能的に行動を起こしていたのだった。仮にこの時の私に何かしらの考えがあったとすれば、どうせ何も背負わず一人で走っても同じ運命であるなら、こっちのほうが死んだときに綺麗に見えるだろう、という思いくらいだったはずだ。どちらにせよ、決して善意や正義感から取った行動ではない。
「それなによー。それで逃げてるつもりじゃないよねー?そのシニゾコナイ捨てたら、歩いたってまだよっぽど速いと思うよ?」
「待てや」
背後で声が聞こえ、そしてすぐに金属同士がぶつかり合う音が聞こえた。音が聞こえた方向から刃が回転しながら飛んできて、私の頭上前方の樹に突き刺さった。リデオの投擲用の剣だ。彼は短時間の間に二度も、私のためにあれを投げた。
私は振り向かなかった。
「あははーっ!いいよー!じゃあ待ったげるよー!あれが逃げ切るまでアナタが死ななければねー!」
背後で金属音が連続した。
「ああっ、兄さん!兄さーん!駄目だ降ろしやがれ。リデオ兄さんが戦ってる」
背中でラリャンサが喚き、私の両肩に手を置いて揺さぶった。しかしその力は、怪我や恐怖によって普段より衰えているであろう事を考慮しても、その体格から考えればやけに弱々しい。彼は私の行動を本気で阻害するつもりは無い。きっと口で何を言おうと、本心では生き残りたいのだ。ならばリデオと心中させてやる必要も無い。
私は彼の言葉を無視して、自分の言葉を返した。
「崖だ。飛び込むからもっとしっかり掴まるんだ」
「ま、まさか。てめえと心中するくらいなら俺は…」
私はわざと彼の言葉を遮った。
「木の枝をクッションにすれば運が良ければ助かる。立ち止まったら仮に運が良くても苦しむ間もなく死ねるだけだ」
私はそう言いながら、同じように崖から落下したセリトもまた、木の枝に守られて生き延びていることを心のどこかで祈っていたように思う。
「ううっ…兄さん、兄さん…」
背中で聴こえたラリャンサの言葉を、やはり私は無視した。
ようやく眼下に崖が見えた。ここに辿り付くまでひどく遠く思えた。しかしようやくだ。
既に樹海は闇に落ち、その崖の底はまったく見えない。この底なしの大穴がこのまま地獄まで直通で続いているのか、それとも――それとも――…いや、前向きな意味合いの比喩が思い浮かばない。どう見たって地獄行きだ。
瞬間――。
跳躍する手間が省けた。強烈な突風が背後から吹きつけ、赤くまばゆい光が眼下の大穴を一瞬で照らし出した。唐突に木の葉のように軽くなった私の体は、今まさに飛び移ろうと考えていた背の高い樹のその遥か上を通り過ぎてすっ飛んでったのだった。
一体何事が起こったのか考える必要は無かった。熱い。身を焼くこの熱さと、眼前にフラッシュバックするダミの最期の姿こそが答えだ。
上も下もわからなくなるほど私の体は空中で回転したが、常識的に考えると落下した方向はおそらく下だったと思う。そして硬質な何かが激しく引き裂かれる音がしたが、それが私の骨の音ではなく、私の体が突っ込んだ木の枝の立てる音だと理解するまで、耐え難いほど長い時間――およそ数秒を要した。しかしそれよりよっぽど信じられなかったことは、私がいまだ生存しているということだった。そればかりか、意識もある。
私がはるか空高くから落下したのは間違い無いが、私は私の希望的観測を裏切ることなく、この上なく上手に木の枝をクッションにしたようだ。そして、雨でぬかるんだ土の上に細く柔らかい雑草や落ち葉などが積もった、まるで水風船のように優しい地面へと尻から着地したのだった。
少し迷ったが私は立ち上がってみた。立てる。
そして恐る恐る足を踏み出した。動く。歩ける。
私は駆け出した。走れる。痛みはさほど無いが、自分が死んでいないと自覚できる丁度良い塩梅にはある。
ならばとにかく遠くへ、可能な限り遠くへ逃げなければならない。
私より先に崖下へ落下したセリトや、私たちを逃がすために戦ったリデオ、そして私が背負っていたはずのラリャンサの行方は当然気にはなったが、後者についてはすぐに気にならなくなった。私が進む道なき道の脇にそれを見つけたのはまったくの偶然だった。もちろん意図しなかったことだが、私はどうやらラリャンサを盾にしてダーマの火炎攻撃の直撃を防いだらしい。私よりはるかに軽くなり、さらに遠くまで飛翔した彼自身はそこに居たのだが、首から下まで探し出して葬ってやる余裕はこの時の私には無かった。




