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星と羽虫  作者: 病気
第一章・異能の女たち
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29. 雨脚



「おーい、ダミ。何が見える?」


「布だ」


「なんだって?」


「くだらねえ。破れた布切れが落ちてるだけだ」


「ちっ…どういうことだよ。まあいい。俺も今登る」


 我々ノラッド小隊リデオ班はゼームの残した地図に記されていた行軍ルートの一つを辿り、その正確性を検証すると共に、道中における敵の襲撃やその兆候を警戒する偵察任務に就いていた。リデオ班以外の二つの班についても、ルートが異なる点以外大まかな作戦内容そのものは同様らしい。


 明け方に開始されたその任務では昼の小休止を挟んだ半日以上の間、特になんら異常は無かった。雨天のために木々の間から差し込む光は薄暗く、視界はかすかに霧もかかって決して十分とは言えなかったが、ゼームの地図自体はまったく正確であり、わかりやすく付けられた目印のおかげで道に迷うことがないどころか、行軍中の我々に奇襲をかけられるような地形には特別な印がつけてあったために警戒に必要な時間や労力は最小限に抑えられていた。


 日没までにたどり着く予定の三班の集合地点に予定よりも随分早く到着してしまいそうだ、などと話しながら進む中、リデオ班長は遠方の崖上の木々の隙間に色とりどりの何かがあるのを目ざとく発見した。遠目に見る限りには野生の花の類に見えたため、私含め大半の班員は気にするほどのものでもないと判断したが、直感が騒ぐとの班長の一言で、それがなんなのかを確かめることとなった。私たちは重い背嚢を一旦下ろし、そして元の道に戻れるようその場の木に目印の布をぶらさげると、背の高い草の生えた道なき道へと突き進んだのだった。


「よいしょ…よっこら…畜生!ああ、そうだよ。俺はデブだよ!こんな垂直の崖登るのは一苦労ってもんだ」


 頭上でリデオが叫んだ。


 先に登ったダミの報告があの調子だったため、我々は遠目に見るよりはるかに高く急勾配な崖を全員で登ることになったのだった。


「おいトルシュ、俺のケツ持ち上げろや。さもないとおめえらの上に落っこちるぞ」


「ひぃ、無茶言わんでおくんなさいよ。私の両手も塞がってんのわかるでしょ」


 この元行商人らしい痩せた中年傭兵トルシュは、縦一列になって崖を登る我々の、私とリデオの真ん中の位置に居た。彼の頭上にリデオが落ちてくれば、出来の悪い喜劇のように私も巻き込まれて落下することになる。その時は喜劇のように無傷で済むとは思えないが。


「んじゃあ頭で持ち上げな!」


「私の頭で、副長のおケツを?こんな過酷な任務は傭兵になって初めてだ!」


 彼が怯んで動きを止めたため、私のヘルメットの鍔がこの痩せた中年男の尻に突っ込む羽目になった。


「うわ!やらしーね!」


「………」


 黙って見上げると、トルシュの体越しに、崖上に既に登り終えたラリャンサの姿が見えた。


「へへへ、ほらよ兄さん。掴まって!」


「気が利くじゃねえか」


 隊員でもありリデオの私的な子分でもあるラリャンサが片手で木に掴まりながら、もう片方の手で自らの得物らしい鉄球の取り付けられた鎖を垂らしていた。そしてもちろん期待はしていなかったが、リデオが登り終えると当然のようにすぐにその助けの手は引っ込められた。


「よっしゃ、んじゃあ次はあの金髪を助けてやんな。あいつ片手じゃこんな崖…あー…登って来やがった」


 別の場所から登っていたセリトが上に到着し、それから結構経ってからトルシュがようやく登り終えた。そして当然のように最後の一人となった私がようやく皆の元に辿り付くと、最初にダミが言ったとおりの光景が目に入った。その色とりどりの奇妙なものの正体は大量の衣服の切れ端だった。それらは全てが強い力によって無理矢理引き裂かれたようにびりびりに破かれ、無造作にその場に散乱していた。


「おう、なーにがくだらねえだこの馬鹿め。いい光景じゃねえか。なあ、ラリャンサ」


「え…?なにが?ゴミでしょ?これ」


「馬鹿ばっかだなおい!」


 ダミ、ラリャンサ、そしてセリトも、リデオの意図するところが理解できなかったらしく、一斉に同じ角度に首を傾けた。そんな中、一人だけ腰に両手を当ててにやにや笑いを浮かべていたトルシュが一歩前に進み出た。


「要するに、この布切れの持ち主たちはどこへ行ったんだって話でしょ、副長」


「おう、トルシュ。使えねえくせにお下劣なことばっかり頭が回りやがるんだな。おら、もうてめえらでも理解できただろ。こんな色鮮やかな服は男は着ねえ。大方、先月攫われたっていう村娘どものもんだろうよ。それにほれ、多少汚れちゃいるが、この雨の中だってのに泥はほとんど付いてねえ。まだひん剥かれて数刻と経っちゃいねえってことさ。俺たちは丁度良い時に来たみてえだな」


「へっ、なるほど。ここでお楽しみ中のところで降り出したから場所を変えたってことか。ホントに面白い光景が見られんのはこれからってか」


 想像したくもない何らかのくだらない理由で連れ出された村娘たちが、こんな危険な森の奥深くで衣服をここまでぼろぼろに破られてしまっているということは、賊たちは彼女らを要塞へ連れて帰るつもりも、無事で解放してやるつもりも無い可能性が高い。だとすればこんなところで暢気におしゃべりしている場合ではないだろう。


「けっ…これは確かにくだらんな」


 細い顎鬚に手を触れながらそっぽを向いたセリトが不愉快そうにぼそりと呟いた。その声は小さく低かったが、今回彼が立っていた位置からして、私以外の者にもきっと聞こえただろう。どうやら彼は既に他の隊員たちに自らの不平を聞かれないように気を遣うことをやめたらしい。


「ああ、くだらねえぜ。そうとわかりゃ、さっさと女どもを助けるぞ」


 寡黙な少年兵ダミも応じるようにそう呟くと、脇に唾まで吐き捨てて不快感を顕わにした。


 セリトはふんと鼻を鳴らした。


「その通りだ。行くぞ、ダミ。…ヌビクもだ。この雨だ、外道どもは大方…あの洞穴の中だろう。出口を塞いで殲滅するにはおあつらえ向きだ。リデオ殿、くだらん光景を眺めることが目的でしたら後から来て下さって結構です」


 崖を上り終えた時点で私含めおそらくは全員がすぐにその存在に気が付いていたが、セリトが指さした先の切り立った傾斜にはそれなりの人数が入れそうな洞穴が存在していた。


 セリトがずいずいと歩き出したので私もそれに追従した。隣のダミは洞窟までまだ距離があるにもかかわらず既に抜剣までしていた。言葉は無いが、剣を強く握り締めるその手からは激しい憤りが感じられた。どうやら彼もセリトのような猪突猛進型の人間らしい。


「おい!でしゃばるんじゃねえつったろうが!」


 すぐにラリャンサの怒鳴り声が背後から響いた。徐々に強まっている雨脚のおかげでその声は洞穴までは届かないだろうが、大声を上げるのは軽率な行為である。


 私たちが彼を非難するように一斉に振り向くと、リデオが制するように片手を挙げていた。


「ふむ、わかるぜ!若い奴らは気取りたがるもんだ!だがおめえらもいずれオトナになったら気付くだろうよ。カッコつけたところで自分も周りも得する奴は誰一人としていねえってことにな!そしてカッコつけておっ死ぬのが一番カッコ悪いってことにもな!」


 そう言って、下品に声を上げてげらげらと笑った。しかし隣のラリャンサは笑おうとせず、真面目な顔をしてリデオに言った。


「俺も行くぜ兄さん。あの金髪野郎よりたくさん殺したら、俺が小隊の…いや、テンベナ義兵団の第六位だって認めてくれんだろ?」


 彼は先ほどの鉄球付きの鎖を右手に握り締めると、空いた左手には腰に下げていた小さな丸い盾を装備した。


「ぜってぇ負けねえぞ。どいつもこいつもぶっ殺してやる」


「そうだなあ。女の数からしてクズどもも十人規模で出張ってる可能性があるな。得点を競い合うにはいい人数だ。おもしれえ。さあ、ようやくお勤め本番だぜ。ご褒美は抜きにしても楽しくなってきやがった」


 そしてリデオも腰に下げた二本の短い剣を両の手それぞれで引き抜くと、左手のほうの一本は逆手に握った。私も歩きながら、友の死体を埋めるのに使ったスコップ形の槍を引き抜き両手に構えた。そして武器を抜いていないのは最後尾のトルシュだけとなった。彼は泣き出しそうな声で、しかしどこかおどけるような調子で言った。


「ひぃー、できりゃ戦闘なんて起こらないことを祈ってたのに、相変わらず役に立たねえ祈りだわ。いつものことだけどね!みんなどうして平気なのさ。晩飯食う前に死ぬかもしれないよ」


 リデオはそちらのほうへと振り向き、逆手に握った左手の剣を振り上げた。


「おめえに限っては少しくらいカッコつけろや。この酔っ払いのガキですらもうやる気だぜ。おめえの半分も生きてないこいつがおめえより先にオトナの階段登っちまうぞ」


「いやな言い方だなあ。やりますよ、やりますよ。でも期待しないでおくれよ」


 トルシュもついに剣を抜いたが、それを振り回す様子まで見なくとも彼がまるで剣の素人であろうことが、素人の私にすら明白だった。わざと実力を隠しているようにも見えない。どうやら戦いに関しては私と変わらない程度にまるで役に立たないものと思われる。


「待っておくれよぉー」


「しーっ!もう声を立てるな。全員身を低くしろ」


 我々はそれぞれ左右に散ると、洞窟の入り口脇の壁に張り付くように移動しながらそこへ近付いた。洞窟の左側からセリトが、そして右側からラリャンサが同時に中を覗き込むと、二人はまるで示し合わせたように声を揃えて言った。


「畜生!」


 その声が危険を報せるものだと思ったのだろう、リデオはラリャンサの背後からその腕を引っ張って引き戻し、間髪入れずに剣を構えたまま自ら洞窟の前へと躍り出た。するとその大きな三白眼をさらに大きく見開いて一瞬絶句し、すぐに緊張が解けたようにげらげらと笑い出した。


「ハハハ、なんだこりゃ。俺たちバカみてえじゃねえか!」


 雨の森の暗さと霧のせいで内部がよく見えなかった洞窟は、間近で見るとすぐにその全容が明らかになった。それは我々六人が身を寄せ合ってもまともに雨宿りすら出来ないほどの浅いもので、当然その内部には人間どころか鼠一匹として居なかったのだった。


「笑ってる場合ではない。どちらにせよ近くに居るはずだ。それは間違いない」


 セリトが言った。また癇癪を起こしそうなほどに苛々しているのは明白だった。


 似た者同士の隣の不良傭兵もやはり苛立ちに満ちた調子で続いた。


「ちっ、んなこたわかってんだよ。とっとと探そうや。だが居場所の目星がなくなった以上、散ったほうがいいかもな」


 リデオはかぶりを振った。


「待てよ。敵の規模が明らかじゃねえ以上、こっちの戦力を分散するのは危ねぇ。それに…あれ…」


 彼は先ほどの馬鹿笑いがまだ顔に張り付いたまま喋っていたのだが、言葉の途中で突然我に返ったかのような真面目な顔つきになって言葉をつぐんだ。


「兄さんどうかしたん。昼飯当たった?」


「いや、マジで待て。それどころじゃねえ。なんか…なんか…急に寒気がしてきた…」


 最初はそれもまたいつもの悪ふざけの延長かと思ったのだが、ラリャンサとトルシュもまたリデオと同じように神妙な面持ちでそちらを見ているのに気付いた。彼らの顔面は蒼白だった。


「…兄さん、それって…二年前の…」


「え、え、冗談でしょ副長。こんな時に驚かすのは無しにしといてくれよ」


 二人は何か心当たりがあるようだった。彼らはおそらく私やセリト、そしてダミと違って、少し以上昔から隊に居るのだろう。


「ああ、二年前の冬の日も火の前に居たってのに急に寒気がしたんだ。後で聞いたらその時がまさに小隊の半分があの山火事にぶっ殺されてる最中だった。それにそん時だけじゃねえ。よくわかんねえけど、俺は昔っからヤバいもんが勘でわかるんだ。しかし…いつものことだが…わかるのが少し遅すぎる…」


 突如、雨脚が強まり風が横殴りに吹き抜けた。ついでに雷鳴の一つでも鳴り響きそうなきな臭さだ。隊員たちは誰も彼も目に見えぬ敵への戦慄と殺意で張り詰めている。これはもはやどう考えても冗談で芝居をしている雰囲気ではない。これが芝居だとすればここにいる名優たち全員で劇団を立ち上げるべきだ。


「やっぱりだ!もうとっくに囲まれていやがる!」


 リデオがついに怒号を上げた。そしてセリトがまるで対抗するように無意味な大声を上げる。


「バカな!どういうことだ!」


 何もバカなことなどない。バカがいるとすればそれは敵が近くに居ると知りながら暢気に笑いながら行進していた我々だろう。


 強い雨のせいで周囲はほとんど見えないが、そのことを考慮に入れた上でどれだけ見渡しても敵の姿は見えない。


「い、いやいや、いないじゃないの。どこにも敵なんていないじゃないの。ねえ、もういい加減悪ふざけはおしまいだよ副長。まさかイカれちまったわけじゃないでしょうね」


 トルシュの泣き言を途中でかき消すように、リデオは全員に指示を出した。


「洞穴の中に引っ込め!真上にも居る!崖を背にしたって上から射られるぞ!」


「おいおい…兄さんらしくもねえ。山賊なんぞ何匹居たってそんな逃げ腰になるこたないでしょ」


「あたりめえだ!敵が賊ごときじゃねえから言ってんだろうが!なにかわかんねえがまともな連中じゃねえ。数も…十以上だ」


「賊以外になにが居やがるっての…!?」


「ひいぃぃぃ!」


「けっ…何かが居るのは私にもわかる…しかし一体何者だってんだ…まさかまた昨日のバケモノ乱闘の続きか…?」


 戦々恐々とする隊員たちの中、これまでずっと黙って剣を構えていたダミがぼそりと呟いた。


「手で服をひん剥いたって、あんな破れ方はしねえ」


 全員黙ったまま一斉にそちらに振り向いた。


「見覚えあると思ったが、ようやく思い出した。みんな虫になっちまったんだ」


 誰一人としてその言葉に対して何かを言おうとはしなかった。世界から雨音以外のあらゆる音が消え失せて、そのまま時が止まったようにすら感じられたが、それはきっとほんの一瞬だったに違いない。


 洞穴の正面の木々の隙間に黒い影のようなものが横切るのが見えた。私が目視出来ただけでも四、五体。当然私以外の全員もそれに気付いたらしく、なんの指示も無かったにもかかわらず、リデオ、ラリャンサ、そしてセリトが外に飛び出し、それぞれが正面、右側、左側の敵の強襲に対して身構えた。


 二本の刀をそれぞれ頭上と腰の後ろに構えたリデオが、背を向けたまま怒鳴る。


「トルシュ、ダミ、ヌビク!てめえらは上だ!虫どもが降ってきたらてめえの身を守りながら合図を寄越せ!始末は俺がする!」


 右手をぶらりと垂らしたまま、左手の湾刀を前に突き出すように構えるセリトが戦いの高揚に耐えかねてか唐突に高笑いを始めた。


「ハーハハハ!これは驚いた!この豚野郎、チンピラの分際で思ってたよりずっとまともな指示が出せるんだな。おい、チンピラの腰巾着!相手が虫でも勝負は継続だぞ!怖気づいていないだろうな」


 背を向けているラリャンサの表情は見えないが、一瞬ぎくりと身を震わせたように見えた。彼は何も言わなかったが、リデオのほうはやはり背を向けたまま声を上げた。


「ひひひ!ようやく本性現しやがったな金髪!だぁーれが豚だ。おめえ、後で覚えとけよ」


 そして、扇状に我々を包囲していた人型の巨大な虫が三体。まったく同時に飛び出してきた。


「ひええ!」


 私の隣にいたトルシュは今出てきたばかりの洞穴の中へとまたすぐに引っ込んでしまった。ダミのほうは案の定、飛び出してきた前方の虫たちに完全に意識が行っている。その姿に猛烈な不安を覚えて大急ぎで視線を頭上に移すと、崖の上からダミの後頭部を押し潰さんと飛び出した虫人間が既に空中にいた。



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