27. 夜明け前の号令
ホルズが予見したとおり、翌朝は寝坊する暇は無かった。私たちは夜明け前にリデオ副長の怒鳴り声によって起こされた。
「おらおら、お待ちかねの出番だぞ!四半刻後に昨日と同じ場所に集合だ。それまでにしっかり聖テリへのお祈りを済ませとけ!弱ぇ奴と要領悪い奴は特にな」
カーテン越しに見る限り、外は真夜中と変わらないほどの暗さだったので私はうんざりした。四半刻ぎりぎりまで二度寝しようとシーツに潜ると、それを強引にひっぺがされた。
セリトだった。
「貴様の考えてることはお見通しだ。さぁ、起きろ。他のバカどもがおろおろしてる間に私たちは朝食を済ませるぞ。摂り忘れたら必ず後悔する」
おそらくは昨日取り戻した彼の本来の旅装束だろう、セリトは見慣れないキザな真っ黒のシャツを着て、やくざのように胸元を開けて襟を立てていた。履いている赤みがかった革のズボンもまた悪趣味な装飾が施された高級そうなものだったが、ところどころかすれて毛羽立っており、付けられたいくらかの刀痕からは彼のこれまでの旅路が平坦なものではなかったであろうことが窺えた。ひょっとしたらそれらの刀痕は、その両手や頭部にこれでもかと言うほどぐるぐるに巻かれた包帯の下の傷のように、ごく最近に付けられたものなのかもしれない。
「怪我、痛々しいね。動いて大丈夫なの」
「腹立たしいことに右手は今のところまともに動かん。だが左手は痛くもかゆくもないし、何の問題も無いだろう。残る敵どもはどうせ雑魚だけだろうしな」
「えっ、まさかまだ戦うつもりかい。目的は達しただろう。ホルズは…その…と、捕らえ…た…んだから…」
寝ぼけ半分の私は喋っている途中でようやく昨晩私がしでかしたことを思い出し、そして口ごもってしまった。しかしセリトは私が吃った理由など気にもしないようだった。
「はぁ?バカめ。まだ始まったばかりだろうが。この期に及んでまだ貴様は、私が自分の荷物だけ取り戻したら後は知らぬ存ぜぬで立ち去るような人間だと思っているのか。どうやら私の戦いぶりを見ても結局何も学ばなかったようだな。これだから学校も出て居ない蛮族は…」
私はびしびしと吐き出される彼の罵り言葉を黙って受け止めながら、その顔をじっと見つめた。
「あ?なんだその目つきは。貴様も雑魚とは言え戦士の一員なのだから言いたいことがあれば言葉で言え。それともついに言葉を忘れるほど先祖返りしたのか?蛮人らしく、言葉より拳で語るのがお好みか?それでもいい。付き合ってやるぞ」
私は昨晩のことを彼に伝えるべきか否か、いや、伝えたらその瞬間に殺されることは目に見えているので、どうやって秘密にしようかと考えていたために黙っていたのだが、寝起きの腫れ上がった瞼のおかげで、単純に私がセリトの罵詈雑言を鬱陶しがっている風に見られたようだった。実際鬱陶しいが。
「いや、思ったよりずっと元気そうだね…。怪我の話じゃなくてさ。君はもっと落ち込んでいるかと思ったんだ」
気を逸らすためにとりあえずそう言うと、彼はくるりと一転し、私を挑発することをやめた。
「けっ!」
どうやら私の言葉は彼の望んだものだったらしい。待っていると彼はすぐに、まるで先を急ぐように説明し始めた。
「おい、一つ言っておくが、貴様、まさか私が怒りで我を忘れて例の巡礼証明書を破り捨てたとは思って居ないだろうな?だとしたら貴様は大馬鹿者だ。いや、そうでなくても大馬鹿者だが、それ以上にだ!私は気付いたのさ。ニャキ殿の言う通り、あの紙切れにはそもそも何の意味も無かったのだ。それは巡礼者優遇制度が無効になったとか、そういうことは関係無しに、元から何の意味も無かったのだ。なぁ、私が何を言いたいかわかるか?本当に騎士たる者に必要なものとは一体なんだと思う?」
「そう言うからには、君が持ってる何かなんだろうね」
「そうだ!で、何だと思う?」
「傲慢さ?」
「死ね!!」
わざと間違えたのだが、セリトもそれを理解していたようだったし、理解できるだろうという予測も私の中にあった。
セリトはしかめっ面の眉間はそのままに、口元だけでにやりと笑った。
「答えは信念だ」
ほとんど正解じゃないか。
「いいか、大陸の反対の国まで旅をして、ただ紙きれを持って帰るだけなら、そう、まさに商ん人にだって出来る仕事さ。巡礼というのはそうじゃないだろう。信仰を試すための儀式だ。ならば神がお与えになった試練は甘んじて受け入れ、全て乗り越えなければならない。そうすれば神は必ず私を選んでくださる。当たり前のことだ!」
状況を思い出すに、証書を破り捨てたのはおそらく怒りに我を忘れてのことだっただろうが、その後一晩掛けて考え抜いた上で出した結論がこれなのだろう。とにかく私が何かをしてやるまでもなく一人で勝手に吹っ切れたようだ。なによりである。
「そうかい。立派だと思うよ。本当に」
「ああ、だから私は今回の一件も当然最後まで付き合う。神に仇為す賊どもを成敗するのは敬虔なる剣を持つ者の使命だからな」
「でも片手しか使えない体で無理しすぎるなよ。胸の刀傷のほうは手の傷よりもっとひどいだろうしね。神の側で仕える騎士になりたいってなら戦死するのが近道だろうけど」
「貴様が私の心配をするなど百年早い。そもそも聖テリは不死の現人神だから天上ではなく地上におわすんだ。よく覚えておけ不信心者が」
どうやら私の反応がそれほど気に入らなくもなかったらしい。言葉は相変わらず攻撃的だが、表情を見る限り、セリトは完全に上機嫌になっていた。
私も安心して言葉を続けた。
「ふーん…ところで、君は昨日どこで寝たんだい。まだ夜明け前だってのによくここに戻って来れたね」
彼は指をぱちんと鳴らした。
「それだ。おい、聞けよ。空き部屋が一つあるって言うから、私はてっきりオーリスとその妹が居間で寝て、三つの寝室を三人の客で分け合うものとばかり思っていたんだが、あの姉妹は普段から一つの部屋で寝てるから部屋は二つしかないと来た。その上ニャキ殿は一人部屋でないと眠れないと駄々をこね出す始末だ!仕方ないから一つの部屋を私とあのメセとか言う例のバケモノみたいな子供で分け合って寝ようと提案したら、おい、連中なんて答えたと思う?」
「拒否されたんだろ」
「拒否の理由だよ」
「…さあね」
「…なんとあのガキは女だったのだ!いや、本人がそう言ったから間違い無い。おい、あのちんちくりんで男言葉のガキが実は女だったんだと。ハハハ!笑えるな。いちいち言わなきゃ知らんままでいたものを!貴様は気付いてたか?」
「………」
私は一瞬肯定しかけたが、あることに気付いてさっと口をつぐんだ。
「…あ?まさか、気付いてやがったのか。なんで?」
彼女の太ももを見たからだ。などとは言える筈がなかった。
「…けっ、ノリの悪い野郎だ。結局オーリスの奴、あろうことか私に台所で寝ろなどとほざきやがるから、傷の手当てをさせたら夜の内に早々に向こうを発ったというわけさ。しつこく引き止められたがな」
「ああそう、じゃあこの部屋で寝てたんだね。気付かなかった」
そう言いながら私は着替えを終えた。それを確認して、セリトは扉に手を掛けた。
「いや、他の連中の寝息がうるさかったから台所で寝た。深夜に貴様が外に行くのも見てたぞ。随分長い用足しだったな」
話しながら部屋を出、階段を下りる。
「うん、なかなか強敵だったよ」
「汚ねぇな。これから飯だと言うのに」
台所には私たち以外にも数人の隊員が各自の朝食を急ぎ準備している姿があった。中には既に食べ終えて一足先に外へ行こうとしている者も居た。
「昨日の汁物が残ってるようだが…。まぁいけるだろう。天気が悪いせいか今朝は妙に涼しいしな。おおい、トトロイ!その火そのままにしておけ。私たちも使う」
セリトはそこに居た隊員の一人に馴れ馴れしく声をかけた。彼はセリトの怪我を見て一瞬顔をしかめたが、一言「ああ」と答えると離れた椅子に着席した。
私は自分の皿にシチューをよそって、そのままそこにパンを一切れ突っ込んだ。そして先に着席していたセリトの隣の席に着いた。
「それにしても、結局ニャキさんたちはどうしてノンドなんかに…こんな辺鄙な樹海の村なんかに来てるんだろうね。君は昨夜何か聞いたかい。彼女らのほうから君に質問があったみたいだけど」
私が周囲の他の隊員たちに聞こえないよう意識して小声でそう話しかけたが、セリトはシチューを啜りながら、話の内容などまったく意に介さない様子で普段の声量で返答した。
「さあな。詳しくはわからんが、どうやら『超能力者』を探して旅をしてるようだな」
私はわざとらしく眉をしかめて見せたが、意図が通じたかどうかは怪しい。私はさらに息を殺して掠れ声で続けた。
「ニャキさんは軍隊か何かの所属なのかな。オーリスさんを雇うつもりなんだろうか」
「まあ、超能力の存在そのものについてはあのメセとかいう小娘がはっきりと見せ付けてくれたおかげで疑う余地は無いし、オーリスの力とやらも本物なんだろうな。いいんじゃないのか?もし帝都へ召喚されることになればあいつも鼻が高いだろう。私が騎士になれば任務を共にする機会もあるかも知れんな」
「えっ、まさか君はオーリスさんの力のことをニャキさんに喋ったのかい」
私は思わず声を大きくしてしまった。
「…なんだってんだ急に…貴様は私が婦人の身の上をぺらぺらと話すような人間だとでも思っているのか」
「昨日ゼームにぺらぺら話してただろう」
「…ああ、そうだ!確かにニャキ殿に喋った。だがぺらぺらとは喋ってないぞ。むしろ逆だ。昨日は雑談なんかしてる気分じゃなかったからとっとと解放されたかったのだ。しかし、とにかく…ニャキ殿なら問題無いだろう。ハスタリメノが下に付いてる時点で彼女が信頼の置ける地位の人間であることは確かだからな」
「信頼の置ける地位なんてそんなに信頼できるものでもないよ。オーリスさんは他でもないその超能力で相手が善人か悪人かがわかるんだ。話すかどうかは彼女自身が判断すべきことだよ。大体、超能力なんか無い僕が見たってニャキさんとメセはとてつもなく怪しく思えたよ。ハステさんはともかく」
セリトはパンを咀嚼する口を止めた。
「おい…口が過ぎるぞ。貴様みたいな田舎者に何がわかる。我らがデウィーバ帝国の要人ともあろう御方が貴様の考えるようなくだらない陰謀を秘めるなどあり得んことだ。確かにニャキ殿はびっくりするほど性格が悪いが、それは個人的な問題であって、彼女の任務自体には関係の無いことだ」
彼は私を窘めたが、その語調は静かなものだった。仮に私が疑ってかかった帝国の要人がニャキではない他の人物だったとしたらセリトは激昂したかもしれない。しかし彼自身としてもあの性格の悪いニャキを庇うためにわざわざ声を荒げて反論することは馬鹿馬鹿しいと思ったのだろう。
「取り越し苦労だといいんだけどね…。でも、ニャキさんが実際に何者かもわからないんだ。…ああ、そうだ、昨日ハステさんからニャキさんの本名を聞いたんだけど、君ならそれで彼女の素性がわかるかな。君は聞いたかい?」
「ほう…聞いていないが…」
「聞きたいかい」
「どうしても話したいというのなら聞いてやるが…」
「………」
「早く教えろよ!」
私がそっぽを向いて欠伸をしていると肩を掴まれたので、私は仕方なく話した。
「ニャキさんの本名はニャリキミヒ=エズチカと言うらしいよ。僕は知らないけど、エズチカってのは帝都じゃ有名な貴族か何かなのかい」
「エズチカ姓と言えば、小学生や犬猫ですら知っているほどの大変名高い御方がいらっしゃるが…そのエズチカの一門なのだろうか。おい、貴様ももちろん知っててとぼけてるんだろうな」
「君も僕が知らないということをわかった上でわざととぼけてるんだろうね」
「我らが帝国の生きた伝説、イロドイアヌオズ=エズチカ将軍のことだ!帝国騎士団を再編し現行の形態を作った張本人であり、二十年前のメメトーの蛮族どもとの戦いではその騎士団を率いて百倍近い軍勢を打ち破り戦乱を終結に導いた、英雄の中の英雄だ。話によると、剣の一薙ぎで甲冑を着込んだ敵を十人まとめて刺身にするほどの豪腕だそうだ!」
「最後の話は眉唾臭いからその将軍の偉大さを伝えたいならむしろ黙ってたほうがいいと思うよ」
「貴様が黙っとけ!…しかし…ふむ!確かにエズチカ将軍の下の娘はニャキ殿くらいの年齢だったと記憶している。あの若さで、その任務の護衛としてフィノケリ家出身の騎士やわけのわからない超能力者を与えられるほどだ。将軍の娘だとすればそれも納得できるというものだな」
その将軍の娘だとすれば、軍事絡みの任務であることは間違い無いだろう。メセの口ぶりではオーリスに限らず多数の超能力者を必要としているようだったし、それはつまりメセのような恐るべき戦闘能力を持った存在も含めてということだ。この国では現在大規模な戦争は起こっていないが、今しがたセリトが少し触れた二十年前のメメトーとの戦争の因果を引きずって居ないわけではない。ますますきな臭い陰謀めいたものを勘繰ってしまう。
「ふーん、別にそんなことは…どうだっていいけどね…。ところで君は…、左手で匙を使うのが上手いな」
この話題についてはこれ以上は一人で考えたかったので、話の流れを切るべく私は別段大した意図も無くそう言葉を続けたのだが、それに対する彼の返答に少しだけ驚かされた。
「…貴様、一昨日の晩飯の時点で気付かなかったのか?…私は元々左利きだ」




