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星と羽虫  作者: 病気
第一章・異能の女たち
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26. 異能の女



 隊長は私とロウィスにハステを宿舎まで案内するよう指示し、彼自身はリデオと共に山火事の尋問のために石牢に残った。ハステを送り届ける先の宿舎とは、明後日にやって来るニーギン小隊が使用する予定の、今は誰も使っていない空き家だ。さすがに容姿が美しい上に頭のゆるい良家の娘を、荒々しい傭兵たちと同じ屋根の下に泊めるわけにはいかないという配慮だろう。さらにそれだけでなく、ノラッドはロウィスに対し、『万が一、良くない輩がやってきて良くないことをしないよう』、一晩中ハステの眠る部屋の前で見張っていろと命じた。それだけハステの身が心配であるということだろうが、なんだかんだと悪態を吐きながらもロウィス自身がその『良くない輩』に変貌したりすることは決してないであろうという隊長と副隊長の間の信頼も見て取れた。


 私がホルズの馬を曳きながらそんなことを考えていたちょうどその時、前を歩いていたロウィスがこちらへ振り向いた。


「さっきはみっともないところを見せたな」


 私たちは夜闇の中の農道を歩いていたが、先頭を行くロウィスが片手に松明を点していたので、眉を八の字に曲げたその弱々しい表情だけは十分によく見えた。むしろ彼の照らす松明の灯りだけが月の隠れたこの真っ暗な夜において過剰に眩しく、その光の照らし出せるごく狭い範囲以外の世界のすべてが闇に沈んでいたのだが、ひっきりなしに聞こえる夏の虫の声のおかげで、この灯りの外側の世界も消えてなくなってしまったわけではないのだということがかろうじて認識できた。


 副隊長の言葉は私に対して向けられていたように思えたが、私が黙っていたのでハステが口を開いた。彼女は頭部全体を覆い尽くす例の仰々しい兜を再び身に付けていた。


「そんなことはないですぞ。ロウィス殿が私を信頼して連れて行ってくれたおかげで、あの場は結果的に何もかも上手くいったのですからな」


 何もかも上手くいった、という言葉で私は胸が苦しくなった。彼女が理解して居ないだけで、実際には何一つ上手くいってはいないからだ。


「君は本当に素直な人間なんだな…もちろん良い意味でもそうなんだが…。あの人は…ノラッド隊長は俺の矛の師でもあるんだが…たまにひどく嫌になることがあるよ。いや、こんなことを会ったばかりの君に言うのはなんなんだが…」


「全然構いませんぞ。私は初対面の人から重大な秘密を打ち明けられたことだって何故か両手の指で足りないほどにありますからな」


「…なあ、ハスタリメノ。君はノラッド隊長の言うことがどこまで正しいと思う?」


 その言葉に、ハステはまたきょとんとした。兜のせいでその顔は見えないのだが。


「んん?」


「…いや、いいんだ…。これについては…俺がとやかく言うことじゃない…。しかしどうもあの人は…時として必要以上に過剰に武闘派を演じすぎるところがあるようだ。俺は隊長の過去は知らないが…彼は昔からあんな人物だったというわけではないのではと思える。きっとあれは何かしらの信念に基いての立ち振る舞いなんだろうが…それでも…俺にはどうにも…」


 先ほどの見え透いた茶番を不愉快に感じたのは私とホルズだけではないということだろう。しかしロウィスの言う通りだ。凶悪な山賊が一人、人知れず殺されたところで、それをわざわざ気にするのはハステくらいのものだ。


 …いいや…果たしてそうだろうか…。


 またしても示し合わせたようなタイミングでロウィスがこちらに顔を向けた。


「ヌビク。おまえはどう思う?」


 相変わらず過剰に眩しい松明の灯りは、ロウィスの顔の細かい皺の一つ一つに至るまでを鮮明に照らし出している。私は表情から人の心理を見抜く能力は常人以下だと自覚しているが、ロウィスのその困ったような表情はどこか悲しげで、そしてその反面強烈な義憤に震えているように見えた。彼がそんな、私の期待通りの気持ちを持って喋っているのかどうか、ひょっとしなくても単なる個人的な願望からそう思い込んでしまっただけなのかもしれないのだが、紅い炎の魔力だろうか、私はまばたきもせずに彼の顔を見ながら、熱に浮かされたように声を出していた。


「仮に…、今晩の内に『山火事』があの石牢から消えたとしたら、副隊長はどう思いますか」


「どうも思わない。今頃既に隊長たちが必要な情報は聞き出してる頃だろうし、奴は用済みだ。その後、盗賊一人がどのような末路を辿ろうと俺にとってはどうでもいいことだ」


 私の問いかけは隣のハステにしてみれば突拍子も無いものだっただろう。しかしロウィスは表情一つ変えることなく、奇妙なほどに落ち着いた抑揚の声でそう即答した。


 私も熱に浮かされたまま、まるで何かひどく急ぐように次の言葉をまくし立てた。


「隊長にとってはどうでもいいことではないようですが」


 するとロウィスは前方へと向き直り、私に背を向けたまま出し抜けに言った。


「…さっき石牢で隊長たちが山火事を痛めつけていた時、おまえ、自分がどんな顔をしていたか自覚はあるか?」


 普段の私であればひどく面食らったところだったろう。しかしこの時、私はやはりまともではなかった。ロウィスの言葉は、私自身が今まともな精神状態ではないのだということを私に自覚させただけに留まった。


「いいえ」


「だったら今からでも思い出してみるといい。あの時自分が何を考えていたのかを」


 ロウィスは振り向きもせずに言った。

 その言葉を最後に、私たちは黙った。丁度農道は終点に差し掛かり、村の中心の広場を隔てた宿舎の明かりが見えた。


 私とロウィスの間でせわしなく顔をきょろきょろさせながらこのやりとりを聞いていたハステがついに声を上げた。


「え…何…。急に何の話…」


 ロウィスはやはり前を向いたまま言う。


「俺が最初に君に質問したのは、君が一体どこまでさっきのやりとりを理解しているか確認したかっただけだ。しかしやはり必要なかったようだ。仮に理解しているとしたら、君が本当にその振る舞いどおりの人物であれば、こんなに素直に引き上げるはずは無いしな。意地が悪いことを言ってすまなかった」


「え…?つまり?」


「さてな。そろそろ着くぞ。ヌビク、おまえはその馬を繋いだら俺たちの宿舎からハスタリメノの食事を持ってきてやってくれ。そうこうしてる間に隊長たちは石牢から切り上げるだろう」


「はい」


 私は厩舎のほうへ、ロウィスとハステは空き家のほうへと歩みを進めた。少しも行かないうちに、背後からロウィスの声がした。


「あの盗賊がどうなろうともそれ自体は俺にとってはどうでもいい事だが…、正直に言うが、俺は隊長のやり方がどうしても気に入らない。…ヌビク、おまえの言葉は幸いだったよ。だが、全て聞かなかったことにする」


 私は首だけ振り向いて軽く会釈をした。


 ノラッドに対する反感は確かに私の中にもあったと思う。だが、明らかにそれだけではなかった。とにかく理由はどうあれ、この会話よりも前の時点できっと私は決心していた。




 先ほど通ったばかりの道を再び行く頃には月が出ていたので、暗闇の中を小走りで進んでも足を取られる心配はほとんど無かった。こんなことは傭兵団に対してはもちろんのこと、おそらくは社会全体に対する背信行為でもあるだろう。それにもかかわらず何故私はこんなバカみたいなことをしでかそうとしているのか、はっきりとした理由は自分自身でもわからない。あれは数刻前には私を本気で殺そうとしていた男でもあるのだ。


 既に真夜中だった。背の高い木々の壁の傍らに存在する半球状の建物に月明かりは当たらず、それは闇に沈みきって、手を触れるほどの距離まで近付かなければその存在を認識できないほどだった。その姿は陰鬱で寂しげな反面、まとわりつく夏の熱気と湿気は気が遠くなるほど不快であり、ほとんど直接的に死を連想させる。本来ホルズがここで死ぬ運命だったのかどうかは定かではないが、彼以外にも以前にこの場所でなんらかの原因によって命を落とした者は少なくないのかもしれない。


 私は手探りで入り口を探し、目を閉じているのと変わらないほぼ完全な暗闇の中、靴の裏と、両側の壁を伝う両の手の指先の感触を頼りに階段を下りて行った。すると、半分ほど下ったところで、扉の隙間から漏れる僅かな松明の灯りと、囁くような話し声に気が付いたので、私は凍りついたように歩みを止めた。


 中に居るホルズ以外の誰かがノラッドであれば敵わない。既に私の気配程度は感じ取っているかもしれないし、このまま扉の前に立って曲者として扉ごと斬り伏せられても大いに困る。


「おい、誰か居やがるぜ」


 硬直した私の顎から汗が滴り落ちるより早く、中からホルズの声が聞こえた。今しがた聞こえた囁き声とは違う、明らかに扉の向こうにいる私にも聞こえるようにわざと発した声である。


 私が今すぐ踵を返して走って逃げ出そうかと考えた直後、室内に居たもう一人の誰かも声を上げた。


「ヌビク」


 ハステの声だった。名を呼ばれたからと言うわけではないが、私は中に入らざるを得なかった。


「二人だけですか」


 扉をくぐって早々私は自分の目を疑ったが、それだけ何とか口に出した。


 部屋の中では例の兜を外して素顔を見せた状態のハステが、部屋の隅の椅子の前に立ってこちらを向いていた。おそらく私が来るまでそこに座っていたのだろう。兜は傍らの机の上にきちんとこちら側を向けてまっすぐ置かれていた。それよりも問題はホルズのほうだ。彼は一応檻の中に留まってはいたものの、壁の拘束具からは解き放たれ、その前に胡坐を描いて座っていた。


「いや…あそこに繋がれてたら一晩中立ったままの姿勢だろう…しんどいかと思って…」


 もしかしなくとも、ハステが外してやったらしい。


「ホントは枷外させたらソッコーで逃げようと思ってたんだけどよ、こいつが待てって言うから、待った」


 見ると、ハステとホルズを隔てている鉄格子の鍵は閉められていた。


 話通りだとすると、一旦ハステが檻の中に入り、この猛獣の枷だけ外した後、自分だけ外に出て鉄格子の錠を再び降ろすまで待てと指示し、猛獣がそれに素直に従ったということになる。


「なんで…?」


「さあ?」


「言っただろう。彼は悪い人間ではない」


 私は片手で頭を抱えて俯いて見せたが、心の中ではきっと笑い出すのを耐えていたに違いない。これから私がしでかそうと考えていた行為に対する罪悪感を、ハステが全て吹き飛ばしてくれたような気がしたからだ。


「…そう言えば、今、どうして扉の向こうにいたのが僕だとわかったんです」


 私はハステからもホルズからも目を逸らしたまま、そっぽを向いて尋ねた。視界の端でハステが椅子に腰掛けながら答えた。


「さっきの帰りがけの会話が気になっていた。それは未だに意味がわからんのだが、とにかくどうにも寝付けないのでここに来た」


「答えになっていませんが…」


「そしたら何故だか今晩の内におまえもここにやって来るような気がした。そして何故だかわからんが、ホルズ=トーヤカンジクがそこに誰かが居ると言った時点で、それは確信に変わった」


「つまり勘ですか」


「バカに出来たものではないぞ。何故だかわからんが私の勘は気味が悪いほど的中するからな。現に全て当たった」


「ええ…なにそれ…」


 私はほんの一瞬だけ、ついに噴出してしまった。格子の向こうでホルズもひひひと笑った。


「まあ、俺がここに留まったのは、てめえがここに来るってこいつが言ったからってのもあるんだぜ。で、何しにここに来たん」


 ホルズがそう問いかけながら胡坐を解いて両足を投げ出すと、ハステも重たそうな金属のブーツを履いた片足を持ち上げ、腰掛けたまま足を組んだ。


「そうだな。先に来ておいて変な話だが、それを聞くのが私がここに来た理由と言っても間違いではない」


 私はついに心の底から楽しくなってしまった。今すぐ格子扉の錠を上げて「これが答えだ」と言ってやりたかったが、それを抑えるためになんとかその場の地面に腰を降ろした。


 私は言う。


「ハステさんは…ノラッド隊長の言葉がどこまで真実だと思いますか」


 すると、ハステは私の目を真っ直ぐ見つめ、きょとんとした。長い睫毛を持つ美しい赤色を湛える両の目が、それこそまるでタヌキか何かのようにひょうきんに丸く見開かれていた。


「なんだかさっきもそんなこと聞かれた気がするぞ」


「ロウィス副長はあなたに伝えたいことがあったんです。だけど立場上難しかった」


「つまりどういう…」


 ハステが首を傾げると、ホルズがとうとう腹を抱えて笑い出した。


「あの偉そうな隊長様が大ウソツキでペテン師の人殺しってことさ!」


「おい、ノラッド殿を侮辱するな」


 ハステは静かだが強い語調でホルズに釘を刺した。しかしホルズの笑いは止まない。


「本当のこと言っただけで侮辱になっちまうような行いをしてる野郎が悪いぜ」


「どういうことだ。ヌビク、おまえも同じ考えか」


 彼女は眉間に皺を寄せていたが、事情を飲み込めないまま怒り出すほど気の短い人物とも思えない。ただ、陰口を叩くことを黙って見過ごすような人間でもない。彼女の前で誰かを非難する際にはその理由の明確な説明が必要なのだ。もったいぶらずに今すぐ早急に、極めて具体的な言葉によってそれは為されるべきだ。


「隊長がホルズについて『無駄に痛めつけたりせずに五体満足で公的な機関へ送って処罰させる』と言った際に、リデオ副長に向けて合図を送るのを確かに見ました。話しながら秘密の合図を送るということはつまり言葉と内心はあべこべと言うことです。つまり隊長はホルズを『さんざん痛めつけて五体を不満足にした上で私的に処刑する』つもりです」


「そんなバカな!」


 ハステが立ち上がった。


「私は彼の一族のことはよく知っているぞ。ランロー家の一族は皆、勇敢で、勇猛で、武勇に長けていて…それでいて…その、そう、誠実な人々だ。私を騙すわけがない。おいホルズ、何故また笑う」


 今度ばかりは私は釣られて笑い出しそうになることもなく、真面目な表情を保ったまま言葉の続きを話すことが出来た。


「伝えたかったことはこれだけです。僕は隊長の一族の人々については何も知りませんし、彼らよりも今日会ったばかりの僕の言葉のほうを信じてくれとも言いません。ハステさんが思うように、隊長はきっと高潔な人物なんですよ。だからこそ仇討ちを容易く断念なんてしない」


 そう言いながら私が立ち上がると、ハステは不安そうに私の姿を目で追った。


 相変わらず笑ったままのホルズが言う。


「お、もう帰んのか?なあ、てめえはこのタヌキ女が居ることを知らずにここに来たんだろ?結局何をするつもりで来やがったんだ?」


「誰だタヌキって」


「まだ帰らないよ。でも、すぐ済ませて帰る」


 私がそのまま歩みを進めてハステのほうへ近付くと、彼女は恐怖にも近いように見える表情で私の姿を見つめていた。しかし、私が彼女の兜の傍らに置かれていた卓上の鍵束に手を伸ばすと、素早く私の手首を掴んだ。


「何をする気だ」


 今日ハステさんと会わなければきっとこんなことはしなかったでしょう。と、言いたかったが、あまりにも思わせぶりで臭い台詞だったので咄嗟に飲み込んだ。


「自分でもよくわかりません」


 すると何を思ったのか、彼女は手を離したので、私は鍵束を掴み、格子扉の前に立った。


「ホルズ、さっきおまえは僕を殺そうとしたけど、まだ殺す気かい」


「いや」


「誓うか」


「俺はウソはあんまりつかねーよ」


「おまえはさっきセリトが落ち込んでる時にあいつや僕の代わりに声を荒げてニャキさんに抗議したな。それと…、いや、これはその時のお返しだよ。とにかくこれでゼロだ」


 この男を自由にしてやることで、近い未来にまた罪の無い人々が彼の手によって殺されるのかもしれない。だとすればこの悪党が隊長たちに痛めつけられ、苦しみ抜いて死ぬことが世界にとっては正しい選択なのかもしれない。それがわかっているのにも関わらず、何故だかホルズが殺されることが、言いようのないほどに腹立たしいのだ。ただ、腹立たしい。本当にそれだけだった。


 私が鍵を鍵穴に差し込もうとした瞬間、ハステが声を上げた。


「待て!」


 私は行為を中断して振り向いた。


 ホルズが殺されてしまうことが腹立たしく思える理由のひとつが、きっと彼女の存在だったと思う。


「はい。ハステさんに従います」


 私は自分の行いを善だと言うつもりは決してないが、かと言ってそれを一刀両断出来るほど歪んだ偽悪に酔っているわけでもない。今夜の私のこの発作的な行動が何を意味しているのか本当に自分自身でもまったく理解出来ていないのが事実だ。


 ハステは既に真実を知っている。色んな意味でだ。ならば彼女に従うべきだ。


「ああ、俺もあんたには従うよ!あんたが死ねつったら死ぬぜ、女王様!」


 ホルズが熱狂したように叫んだ。彼も私と同じ思いだったのかもしれない。仮に私と彼の立場が逆で、私自身の生死がかかっている状況だとしたら、同じように言えたかどうか自信は無い。そういう意味では私より彼のほうがハステに対して『敬虔』だったと言えるかもしれない。


 とにかく、生来の正しい人間である、そしておそらくは神に愛されているに違いないこの清廉潔白な騎士道の権化の判断に従うことこそが、細かい理屈を抜きにしても、私が選び得る選択肢の中で最も正解に近いはずだ。先にも書いたように、結果が良い方に転がろうと悪いほうに転がろうと、彼女の存在そのものが正解であるということは、――少なくとも私の中では絶対的に――確実なのだ。彼女は必ず私の期待通りの判断をしてくれる、そんな確信があった。彼女はきっと後で悩むことになるはずだが、それでも目の前にいる人間が苦痛の中で死ぬ未来を告げられて、それを見過ごすはずが無い。


 私はきっと、この確信を目に見える形に変えたかったのだろう。私の意志次第では真実を隠し、彼女を適当に言いくるめてこの場から去らせた後、私自身の手によって事を終えることも出来たのだが、それをしなかったのはそんな発作的な誘惑に負けたからに他ならない。


「鍵をくれ。後は私が一人でやる。おまえは傭兵団を裏切る必要は無い。明日の朝、何食わぬ顔で目覚め、そこで初めて捕虜が脱走した事件を知るんだ」


 実際にハステは期待通りの言葉を告げた。私はそのことについて少なからず罪悪感を覚えたが、それを遥かに上回る満足感によって満たされてしまった。


「ありがとうございます」


 私にはそれ以外に言うべきことが無かった。私は彼女に鍵束を手渡したが、その目は見れなかった。


「ホルズ=トーヤカンジク。約束しろ。悪事からは足を洗え。これからは真面目に働いて生きるんだ」


「あんたが言ったように、俺はそもそも悪党じゃねーんだ。いや、マジで勘違いされやすいけどな。俺はただ与えられた仕事を真面目にこなすだけさ」


「ならば盗みや殺しの仕事を寄越す雇い主とは縁を切るんだ。そして今後一切関わりを持つな」


「りょーかい」


 ひどく安請け合いしているようだが、ハステはきっと信じるだろうし、私がとやかく言うことでもない。


「私も最初からこうするつもりだったのかもしれない」


 独り言のようにハステが呟いた。格子扉が開かれた。


「私の予感は気味が悪いほど当たるんだ。ノラッド殿を疑いたくはないが、ここに放っておいたらおまえが殺されるような気がしていた。だからここに来ずにはいられなかった」


「そんじゃ聞くけど、俺があんたを裏切るような予感はする?」


 格子のこちら側へ出てきたホルズは両手を挙げて大きく伸びをした。


「しない」


「ふん、じゃあそうなんだろうな。俺も自分のことがよくわかんねーけどよ。てめえらと一緒でな!」


 そう言いながらホルズが私の肩を叩いた。


「なんだよ」


「助かったぜ」


「忌々しい。早く行けよ」


「ああ、もうずらかるぜ。でもまあ、またすぐにでも会えるだろーよ。てめえも早く帰って寝るんだな。俺の予想だと、てめえら予定繰上げで明日の朝からもう忙しいぞ。ってのも別に俺が脱走すっからじゃねー。さっきあのクソどもに例の腐れイケメン野郎のことを洗いざらいぶちまけてやったら予定変更だのなんだの抜かして血相変えてすっ飛んで帰りやがったからよ」


 どちらにせよ明日の朝にはセリトの口から流れていた情報だろうと思うが、ゼームが内通者であるということを隊長たちに正直に教えたということらしい。具体的にどこまで話したのかはわからないが、ホルズが洗いざらい喋ったと言うからにはきっと、本当に洗いざらい喋ったのだろう。


「それは手間が省けて助かるよ」


 私の言葉の途中で既にホルズは部屋の入り口をくぐって階段の手前の通路に居た。入り口の脇から顔だけ出して彼は言う。


「あっそ。あばよ。おい女王様!あんたとも必ずまた会えるぜ。すぐにな」


 そして返事を待たずに大急ぎで階段を上って去っていった。


「達者でな」


 ハステのその返事はきっと届いてないだろう。


 眉をしかめ、口をへの字に曲げた彼女の表情には戸惑いや恐怖が見て取れたが、背筋を伸ばし、顎もやや上へと逸らせたその立ち姿は表情とは対照的に堂々として見えた。自らの行いがきっと正しいはずだと信じているのに違いない。


「これでいいんだと思います」


 私は思わずそう口にした。


「ああ、その通りだ。彼は間違いなく足を洗うだろう。私と約束したんだから」


 彼女は私の肩にぽんと片手を置いた。


「夜が明けたらノラッド殿に正直に話してみるつもりだ。もちろんおまえのことは伏せてな」


 彼女が一体どこまで私の存在を隠しながらこの一件を器用に説明できるのか、不安は大いにあるが、彼女がボロを出したとしてもその時は仕方の無いことだ。なにせ私は彼女を試し、そして利用したのだ。必ず報いは訪れるべきだ。


 たまたま最後に鉄格子に鍵を通した手の持ち主が私でなく彼女だったとかそういうレベルの話ではない。私は精神的な意味での責任を彼女に押し付けた。彼女はこの先、今晩の出来事の是非についてきっと悩むことだろうが、私にはその必要がなくなったのだ。私の中で彼女は無条件に正しいのだから。



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