23. 騎士たる資格
「血なら既に流れている」
そう言ってメセが指さした方向には、先ほどセリトが斬り殺した名も知らぬ賊の死体があった。死体が何かの陰になっているというわけではなかったが、そこまでそこそこの距離があり、周囲が暗くなってきていたこともあってメセ以外の二人はそれに今初めて気付いたらしかった。
「うっ、うおお!これはなんとしたことだ!」
「これはいけませんね…。賊ですか?それともその被害者ですか?まさかあなたがやったのではないでしょうねメセ」
「私だ!」
セリトが遠くでぴょんと飛び跳ねながら叫び、そしてこちらへ駆けてきた。手には鞄が握り締められている。
「それも悪逆非道の賊の一味です。こやつらは最初は五人組でしたが、私が二匹殺して二匹追い払ったのです。私が一人で!五人を相手に!…そんなことより、おい山猿!これは私の荷物だろう!中に入っていた手紙大の紙は一体どこへやった!真っ白い上等な紙に大きな判が捺してあって、二ヶ国語で文章が書いてあるやつだ。と、言っても猿には帝国文字も教国文字も区別が付かんだろうがな!」
セリトが怒鳴りながらホルズへ近付き、その胸倉を掴み上げると、ホルズはしたり顔で呪文を唱えるように言った。
「左記の名、敬虔なる道を歩み、ここウェリテリのコルトーマ堂においてタトバの洗礼を受けし者である。ノギントリ聖務省枢機卿ファルソトムヌク=テミニロの名においてこれを証明する」
嫌がらせのように小難しい固有名詞が並ぶ文章を暗誦して見せた。セリトばかりでなく、ニャキまでが驚いた顔を見せた。
「…ってところか?訳すと。俺は帝国文字は読めねーけどよ」
つまり二ヶ国語で書かれているうちの教国語部分を読んで、口頭で帝国語に翻訳したということだろう。何故彼がデウィーバ帝国語を読めないにもかかわらず、異国の言葉であるノギントリ教国語だけ読めるのかはわからなかった。彼の帝国語の発音に訛りはないし、髪の色こそ珍しいが、顔立ちはこの近辺の出身の者とそう変わらなく見えるため、教国人とも思えなかった。
「はぁ~?こいつは驚いたなこのクソ野郎!」
セリトが捜し求めているものはつまり彼自身が教国へ旅をし手に入れた、帝国騎士への推薦状だ。私は先ほどゼームと共に襲われた際にちらりと見ただけなので細部までは覚えていないしそもそも全文を読めてもいないが、そこに書いてある内容は大体ホルズが言った通りである。
「とにかくそれだっ!どこへ隠した!何故ここに入っていないんだ」
セリトは彼自身の持ち物であったらしい洒落た装飾の施されたキザに黒光りする革の鞄を平手でばんばんと叩きながら怒鳴ったが、それに対するホルズの回答を聞いた瞬間、時が止まったかのようにぴたりと硬直してしまった。
「あのちり紙なら、こないだの野営でケツ拭くのに使った後で燃やしちまったよ。ゴミにしか見えなかったんでな」
少し間を置いて、ホルズの顔面にセリトの靴の裏がめり込んだ。怒りがついに頂点に達した金髪男はいつものように下品な叫び声を上げることもなく、完全に無言でホルズに飛び掛ると、その首に両手をかけた。
「やめろーっ!いきなり何をするんだ!」
ハステが咄嗟にセリトを突き飛ばし、ホルズの前に両手を広げて仁王立ちした。
「貴様こそ何のつもりだ!賊を庇い立てするのか!そこをどけ!さもないとそのエテ公もろとも叩ッ斬るぞ!」
セリトはすぐさまハステを払いのけてホルズの殺害を強行しようとしたが、その後に続いたハステの言葉によってその行為を中断した。
「縛られて無抵抗な相手を斬るつもりか。そんな行為はおまえ自身を傷つけるぞ!おまえは聖都までの大変な巡礼を終えたのだろう。おまえは自分のこれまでの旅を裏切るつもりなのか!」
私は最初、彼女がまたどうせ何かわけのわからないことを言い出したのだろうと思ったのだが、その言葉を冷静に噛み砕いてみても特に妙なところはなく、それどころかそれはまるで僧侶か教師が口にする説教のような至極まともな内容だと気付いたため、一瞬遅れて面食らった。これまで知性の欠片も感じられなかった彼女がこのような火急の場面で咄嗟におかしくないことを言えるとは思ってもみなかったのだ。
「だ、黙れ。畜生は繋いでから屠殺するのが筋だろうが!…大体、貴様なんぞに何がわかる!」
ともかく私はセリトが狼狽している隙にホルズに背後から近付き、こっそりと声をかけることが出来た。
「おい、おまえこそウソツキじゃないか」
「あ?何だって?今あの女が良い事言ったから感動してんのに邪魔すんじゃねーよ!」
「…ついさっき僕らにあの紙を見せびらかしてただろう。上着のポケットに入れたはずだ。あの金髪に対するちょっとした腹いせのつもりかもしれないけど、そのせいでどさくさで首を絞められても面白くないだろ。ほら」
私はすぐに彼のポケットからその手紙を発見した。私がそれを抜き取り、周囲に見えるように掲げようとする間もなく、セリトはめざとくそれを見つけて叫び声を上げた。
「ああーっ!!あるじゃねえかっ!」
彼は私からそれをひったくると、安堵したように大きくため息を吐いた。
「はあぁぁー………クソが」
腕組みをしてやや離れた位置から様子を伺っていたニャキが彼に声をかけた。
「それが例の推薦状ですか。本物は初めて見ましたよ。私の知り合いの騎士は元々貴族の出ばかりですし、血筋にも才能にも恵まれた彼らはそんなもの必要としませんから。大商会のご子息とは言え、平民の出自とはまったく難儀なものですね」
丁寧な言葉遣いながらも言葉の端々に相手を卑下する言葉を用いる彼女に対し、セリトは敵対心を顕わにして下から睨み付けるような視線を投げながらも、彼女の真似をするかのように丁寧な口調で答えた。
「…ええ。お恥ずかしいところをお見せしました…!私の中の下劣な商ん人の血がたびたびこうして悪さをするのです…。しかし…帝都に帰り爵位を授かれば私も貴族ですからな。それによって私はこの忌々しい血を洗い流し、新しく生まれ変われるというわけです」
その言葉は自虐的と言えるほど卑屈で、いつもと違う方向に痛々しく、極度の自信家である彼には相応しくないように感じられた。これまで彼は私に対してある程度の身の上を語りはしたが家柄に関しては一言も話さなかった。都会の学校で貴族連中に囲まれて学んできた彼にとって商人という血筋は大きなコンプレックスとなっているのかもしれない。たとえ周囲のどんな貴族より裕福な家庭であっても、ただ貴族でないということそれだけでだ。
しかしニャキの言葉には続きがあった。
「爵位を授かる、ですか。それに関しては…可哀相に。同情致します。だってその紙はもう効果がありませんよ」
「…効果が…え?なんですと?おっしゃることが…」
きつねのように鋭いはずのセリトの両目がたぬきのように丸く見開かれ、ニャキに向けられた。
「巡礼による優遇制度は、その長く険しい道のりを陸路で歩んだ者の敬虔さに対して適用されるものですからね」
「なおさら意味が…わかりませんが。私は確かに聖都まで陸路を使い…」
セリトの声は少しだけかすれて聞こえた。ニャキは口の端を少しだけ上げ、眼鏡を光らせた。
「二年かけたと口で言っても、実際は一年半の間そこらで遊び歩いて、残り半年で気楽な船旅をしたとも考えられます。騎士団の重鎮たちは貴方の言葉など信じませんよ。あなたはあのベルナ殿のご子息なのですから。あなたが航路が完成する予定が早まることを知っていたと見るでしょう。まあ、あなたに限らず巡礼者が徒歩で旅を完遂したことを証明する手段が無くなってしまった以上、事実上この制度は現在で既に無効ということになりますね。今年中にでも正式な廃止が公に通達されるでしょう。しかしあなたはお父上に感謝すべきですよ。彼のおかげで騎士などと言うお金の儲からない職業に就かずに済み、その大商会を継げるのですから」
セリトはまたしても石のように硬直してしまった。しかし今度は、しばらく経っても動き出すことはなかった。もはや完全に腑抜けたように、口を開けて空を見つめていた。
「え…ええ…。ど、どういうことだ…」
一言も言葉を発しないセリトの代わりにハステが困惑の言葉を呟いた。
セリトはそれに対してもなんら反応を示さない。
すると、今まで反抗的な視線を投げてきた『のら犬』が完全に牙をへし折られたその姿を見て満足したのか、ついにニャキは隠そうともせずにくすくすと声を出して笑い出した。
「おい、クソメガネ!笑うんじゃねえ!てめえなんか大っ嫌いだ!!」
真っ白になって微動だにしないセリトの代わりに今度は何故かホルズが激昂した。しかし正直なところ、私も反吐が出そうだった。
「セ、セリトさん、気を落とさないで。ねえ、きっと、そう、セリトさんが歩いて旅をしたのは事実なんでしょう。説明すればわかってもらえるはずだよ…」
見かねたオーリスが近付いてセリトの肩に手を置くと、彼はようやく震えながら口を開き、弱々しい掠れた声を出した。
「…言われてみれば、私も一度は考えたことがあった…。仮に私の旅の途中に運河が完成してしまうようなことがあれば…全てが無駄になってしまうだろうと。しかしまさか本当にそうなるなどとは思いもしなかっ…いや、違う。きっと意図してそれを深く考えないようにしていたのだ。心の底では、きっとわかっていたのだろう…。ニャキ殿のおっしゃる通り、私は父の仕掛けた罠にまんまと嵌ったのだ。…またしても私が負けたのだ…」
セリトは虚ろな眼差しを地面に落としながらぶつぶつと独り言を呟くようにそう言った。それはこれまでの彼の狂気じみてすらいるほどの過剰な自信家ぶりからはまったく想像の付かないほどの悲壮感漂う姿だったし、彼と彼の父との間にこれまでにどのような軋轢があったのかは知る由も無いが、さまざまなものに勝ち続けてきたと豪語していた彼が「またしても負けた」と表現したこともことさら悲しく感じられた。
ハステが言葉を遮るように、腰をかがめてセリトの顔を覗き込んだ。
「そう、その通りだ。いや、いやいや違う違う。違う。その通りと言うのは、おまえじゃなくて、彼女の言うとおりだ。きっと私が騎士団に証明してみせよう。一団員である私の証言はそれなりに効果があるはずだからな…」
しかしセリトはその言葉を聞いた途端、急に憤怒を取り戻したように眉間はおろか額や鼻筋にまで目いっぱい皺を寄せた鬼気迫る形相で彼女を睨み付けた。その怒りの大きさは驚くべきものだったらしく、第六感で感情を知覚できるオーリスが突風に煽られたかのような勢いで飛び退いてしまうほどだった。
「…そうか、そういうことか…貴様は…騎士になったんだな…。あぁ、貴様は何の才能も無い大バカ者だが、あのフィノケリ家の娘だからな。…私が…物心付いてからただ一つの目標として全力を尽くして追い求めてきたそれを、貴様は血筋だけで容易く拾い上げたというわけだ…」
「お、おい…そんな…」
それでもなおハステはセリトに近付こうとしたが、彼は大袈裟に両手を振り回して拒絶した。
「オレに触れるな!近寄るな!絶対に貴様なんぞの世話にはならんぞ!オレは貴様を永久に認めないし、決して許さん!…ああ、こんなもの…何の意味も…いっそ…こんなもの…」
ぎらついた視線を手の中の推薦状に落としたセリトは、震える両手の指先でその端と端をつまんだ。
「ああっ、何を…やめろ!」
ハステがその手首を掴んだ時には、既に手紙は縦に真っ二つに切り裂かれて風に舞っていた。
全員が無言で、飛んでいく紙片を眺めていた。視線を上げようとしないセリトただ一人を除いて。
さすがに哀れだった。彼がたった一つの目標のために何年も努力を重ねてきたのはきっとまぎれもない事実だろう。
しかし彼の長い巡礼の旅は、ここで唐突に終わりを迎えたのだ。
再びセリトの元へ歩み寄ったオーリスは、今にも泣き出しそうな顔をしながら、硬く握り締められたセリトの拳にその手のひらを重ねた。私にすら出来たのだ、超能力など無くてもきっと悲しみの大きさは感じ取ることができた。セリトはオーリスの手を振り払うようなことはしなかったが、かと言って彼女へ顔を向けようともしなかった。宵闇の中に佇む、泥と血にまみれて疲れ切った金髪剣士の横顔はまるで絶望を象ったオブジェのようで、不意に吹き付けた風に少しだけ胸が苦しくなった。
「あーあ…」
沈黙の後、ホルズがそう言ってため息をついたのをきっかけに、ニャキが場を仕切り直した。
「さて、もうほとんど日が暮れました。先を急ぎましょう。この村のどこかに宿を取れる場所はありませんか?」
オーリスは涙を浮かべながらセリトに寄り添っていたが、ニャキに問いかけられるとそちらへ顔を向けた。しかし、彼女が何かを言うよりも先にメセが言葉を挟んだ。
「待て。思い出した。さっき、赤いのと黄色いのがそれぞれ『適正者』を知ってる口ぶりだった。詳しく聞く必要がある。そのあとで赤いのを殺す。八つ裂きにして殺す」
「先ほど、今すぐ殺そうとか言ってませんでしたか?」
「思い出したんだ」
「どちらにしたって殺しませんよ。しかし興味深いですね。そういうことは最初に言ってください、メセ。では…どうしましょう。完全に日が落ちる前にどこかに入りたいですが、宿に盗賊を連れ込むわけにはいきません」
そう言ってニャキはオーリスに向けたその切れ長の目を細めた。オーリスも気付いたように言った。
「あ、それじゃあ私の家にいらして下さい。空き部屋は一つしかないけど…ね、ねえ、セリトさんも来て。傷の手当しなきゃ」
「…ああ」
オーリスに手を握られたままのセリトはまるで痴呆老人のように、目線を動かさずに虚空を見つめながら短く返事をした。
「…あっ、でも…」
オーリスは何かを思い出したかのように言葉をつぐんだ。意地の悪い眼鏡女のことがいけすかないのはオーリスも同じであろうが、彼女の部下が命の恩人である以上、報いないわけには行かない。しかし言葉を濁したのはそれが理由ではないだろう。どうやらアイリスのいる家に盗賊を上げることを躊躇っているらしい。
あのような状態のセリトに説明させることは出来ないため、私が気を利かさなくてはならないようだ。
「賊は駐屯地へ連行して団に引き渡します」
周囲の者たちにとってだしぬけに声を上げる形になってしまったためか、セリト以外の全員が一斉にこちらに振り向いた。
「…はい?」
「…あれ…すみません…。あの、申し遅れましたが、僕は…僕はこの盗賊たちを討伐するためにノンドに来ている傭兵団の一員です。…賊の身柄は僕らに引き受ける義務があります…」
どうやらニャキは、私をたまたま盗賊に襲われた村人、おそらくはオーリスの弟か何かだと思っていたらしく、目を丸くした。
「…そうでしたか。そういうことも早く言って頂けると助かるんですが。しかし、確かに盗賊はあなたが連れて行くのがいいでしょうね」
そう言ってセリトに視線を向けた。彼とホルズが同時に存在すれば話を聞き出す効率がむしろ悪化すると考え直したのだろう。
ニャキは初めて私の目をちゃんと見て言った。
「傭兵団とは…テンベナ義兵団の所属の方ですか?」
「はい」
「ノラッド小隊はご存知ですか」
「僕の所属する小隊です」
私が答えると、彼女は中指で眼鏡を押し上げた。
「またしても奇遇ですね。これは好都合です。では、私とメセはセリトさんと共にこの女性の家に向かいますので、ここからはハステさんとは別行動です。貴女はこの傭兵団員の方と連れ立って賊を駐屯地まで護送し、そこで小隊の隊長であるノラッド殿に協力を仰いでください」
「はっ、了解しました!」
「どんな内容の協力を仰ぐか、理解していますか?」
「………」
きっと兜の下で目を泳がせていた。
「…明日の朝、私が訪問するという旨を伝えるだけで結構ですよ。ノラッド殿は貴女のことをご存知でいらっしゃいますので、必ず協力してくださるはずです。でもまた無駄に名乗りを上げる必要はありませんからね。顔を見せればそれで十分です」
「そのあとは?」
「以上です。明日の朝私たちと合流します」
「…私の宿は?」
「自分で見つけてください」
おそらくニャキは、ハステもまたセリトと共に居ると彼から話を聞き出す際の障害となると考えたようだ。先ほどのやり取りを思い出してみるに、それが正しいのだろう。
ハステはまだセリトの様子が気になる様子だったものの、その場に居た全員がニャキの指示に反対する意思を見せなかったため、結局各々がそのまま出発の準備をし始めた。死んだ賊一人の所有物を戦利品として獲得したため、本来一匹足りなかった馬は人数分丁度足りていた。私に軽く挨拶をしてその場を去ったオーリスの後に、ニャキ、メセ、そして最後にセリトが続き、我々はその後姿を見送った。するとすぐに、ハステは風で飛ばされ草むらに引っ掛かっていた両断された巡礼証明書を拾い上げ、小手の指先の非金属の部分を使って丁寧に土を払うと、自らの荷物の中に大事にしまいこんだ。
ホルズはその様子を見届けてから、ふてぶてしい声でハステに向けて要求した。
「おいこら、足首縛られてちゃ歩けねーよ。どうにかしろ」
「よかろう、足だけでもほどいてやる」
ハステがすぐさま当たり前のように応じようとしたので、私は急いで制止した。
「ちょっ、ちょっと待ってください。彼はとんでもない身体能力を持ってるんです。油断してたら両手が塞がってたってのされてしまいますよ」
「私をみくびってもらっては困るぞ少年。でも嫌な予感がするからやめておこう。じゃあどうする」
舌打ちするホルズを横目に、私は考えてから言った。
「馬の背に乗せましょう。彼が乗っていた馬がいいです。あの馬は手綱が付いてないので牽引せざるを得ません」
「横向きでうつ伏せに乗せるしかないな。じゃあ私が腕を持つから…少年、名はなんと?」
「ヌビクです。僕が腕を持ちますよ。脚をお願いします」
「そうか、すまないなヌビク。苗字は?」
「…リフュルシュ」
私は答えながらホルズをうつ伏せに転がし、後ろ手に縛られた彼の肩を脇に抱え込むようにして持ち上げた。長身で筋肉質な男の体だ。二人がかりでもとてつもなく重い。
「じゃあ行くぞヌビク=リフュルシュ。よいしょ。三、二…あ、私の名はハスタリメノと言う。ハスタリメノ=フィノケリだ」
ハステがホルズの脚を持ち上げて、馬上へ放り投げようとしたところで急に動きを止めて喋り出したので、私は危うく転びかけた。
「知ってますよ、ハステさん」
「そうそう、ハステだ。ところでおまえは?」
ハステがうつ伏せで持ち上げられたままのホルズの腿を指で突つきながら言った。
「えっ、俺か?俺の名はホルズだ」
ホルズは珍しく驚いたような声で答えた。捕縛された盗賊という身分である自身がまともに会話の中に入れられるとは思っていなかったようだ。私もそれに関しては彼と同様に驚いていた。
「苗字は」
「トーヤカンジク。ホルズ=トーヤカンジクだ」
「私はハスタリメノ。ハスタリメノ=フィノケリだ。おまえたち二人とも良い名前だなあ」
「おー、ありがとよ。さっきから思ってたけどあんた良い奴だな」
「おまえも悪人には見えないからな。ノンド傭兵団での裁きが軽くなるよう私が頼んでやろう」
どこからどう見ても悪人だし、ハステはホルズとは初対面のはずで彼がこれまでどんな所業をしてきたのか全く知らないはずなのだが、それにしてはあまりにも軽率な言葉だ。きっと彼女は出会った全ての人間が善人に見えてしまう類の人なのだろう。
「ノンド傭兵団ではなく、テンベナ義兵団です。それより、あの、重いので早く上に上げましょう」
「うむ。じゃあ行くぞ。一」
彼女が唐突に先ほどの続きからカウントを再開したため、私は調子を崩されて結局その場に転んでしまい、抱えていたホルズの下敷きになった。
「だらしない奴だな!…あれ、どうした…。起き上がれないのか…。まさか怪我したのか。大丈夫か…!」
最近誰かに転ばされたらあてつけでわざとゆっくり起き上がるよう習慣が付いていたので、しばらく地面にうつ伏せにじっとしていたのだが、ハステが心配そうな声を上げたので私は急に恥ずかしくなって飛び起きた。
「これは元々です。見た目ほど悪くありません。平気です」
彼女は本気だ。わざとふざけているわけではない。他の者が同じことをしてきてとぼけて見せても私は絶対に信じないが、彼女に関しては嘘は無い。直感的に理解した。
「どうあれおまえも治療する必要がありそうだな。着いたら私が診てやろう」
彼女に対しては今後決して嫌味な態度を取ってはいけない。こんな行為は、この上無い邪悪だ。
「あー、めんどくせえ。もうてめえで上るわ」
ホルズはそう言って飛び起きると、両腕を背中に縛られ、両足首をぴったりと固定されている状態にもかかわらず、迷うことなく軽やかに背後へと跳躍し、馬の鞍の上に器用に横向きに腰掛ける体勢で収まった。
「ほら…すごい身体能力でしょう…」
「今のかっこいいなあ。私も今度練習するとしよう」
「そんなクソ重そうな甲冑着けたままじゃ俺だって難しいぞ…そもそも一体なんなんだそりゃ?鎧もそうだがその覆面もこの真夏に暑くねーのか?バカみてーだぞマジで」
「いや、物凄く暑い。これはニャリキミヒ殿の命令で仕方無くだ。おそらくは髪の色のせいだと思うが、どうやら私の容姿は人々の中で無駄に目立ってしまうらしく、人前に無闇に露出することを禁じられているのだ。おい、今バカと言ったか」
「ニャリキミヒ殿とはどなたです?」
おそらくはニャキのことだろうが、私はあえて問いかけてみた。すると案の定、彼女はさらにぼろを出した。
「ニャリキミヒ=エズチカ殿だ。ほら、眼鏡の。もう忘れたのか、駄目だな!」
エズチカ家とやらがどれほどの名家なのか私は知らないが、セリトならわかるだろうか。あとで話してやろう。話している間だけでも今日の出来事から気を紛らわせる程度には面白がるかもしれない。




