20. 決着
セリトは叫び声を上げながら、蹴り飛ばされた小石のように素早く後方へ飛び跳ね、ホルズから距離を取った。右手に構えた剣の先はホルズの首筋へと向けたままではあったが、両目は閉じられていた。そのまぶたの周囲には多量の血痕が付着している。ホルズは一瞬の隙に自らの傷口から血液を放ち、目潰しに用いたのだ。そもそも負傷し血を流したことすら本当にわざとだったのかもしれない。
「見えなかったのか?じゃあこいつはどうだ?」
ホルズの右手が動いた。それはやはり私には視認することができないほどの恐ろしい高速だった。すると、長槍ですら届かないほどの位置に居るにもかかわらず、セリトが苦痛の声を上げた。右肩に匕首が突き刺さっている。投擲したらしい。
「暗器かっ…!クソッ、卑劣な…。剣で勝てる見込みが無いからってこんな姑息な手段に出やがって!この負け犬!」
「誰が剣で勝負するなんて言ったんだよ」
「ゆ、許さん…許さん許さん許さんぞ!!」
セリトの両目が開かれた。既に見えているようである。血液による目潰しは、セリトの視覚を長時間奪い続けられるほどの強力なものではなかったらしいが、その血によるものか彼自身の充血によるものか、彼は元々紅い瞳の周囲の白目までも赤く染めている。それはまるで本当にそこに火が点いているかのような激しい憤怒を湛えていた。
今度はセリトが先程のホルズを真似るかのように、まるで獣のように前方へ向けて大きく跳躍し、言葉通りホルズへ飛び掛っていった。ホルズは既に二本目の匕首を右手に握り締めていたが、その刃渡りは掌ほどの長さしかない。先程のようにセリトの長剣を正面から受け止め、斬り合うことは出来ないだろう。
「うおおおおお!死ね!死ね!クソブタ!!」
セリトは垂直に一閃、そして水平に一閃、十字を切るように剣を振り回した。先程セリトが斬り殺した賊が最期に取った行動とよく似ていた。太刀筋はめちゃめちゃである。肩に突き刺さった匕首のせいで右腕が自由に動かないのだろう。ホルズは再び両手をだらりと降ろすと、これを難無く回避した。
「ハハハ、せいぜい避けろ!私の長剣の間合いではその匕首は何の役にも立たんぞ!!」
「間合いは俺のほうが広いぜ。もう忘れたのか?」
ホルズの手から再び武器が手放された。
「甘い!山猿の考えることなどお見通し…ぐはっ!!」
セリトは、ホルズが右手の匕首を再び投擲すること自体は予想出来ていたようだったが、さらにその裏までは読めなかったようだ。彼は自身の眉間を目がけて放たれたそれを剣先で弾き飛ばしたまでは良かったが、それとまったく同時に別のもう一本の匕首が自分の左足に向けて放たれていたことに気付いたのは、それが狙い通りの場所へ突き刺さった後だった。
ホルズは手ぶらだった左手が自らの体の陰に隠れる瞬間に、隠し持った第三の暗器を抜くと、極めて小さな動作によってそれを右手のそれと同時に放ったのだった。
そしてセリトはその事実を頭で理解するよりも早く、激痛によって無意識に全身を大きく揺るがせた。その隙をホルズが見逃すことは無かった。むしろ隙が生じることまで計算ずくで次の行動を先に『置いた』ようにすら見えた。微塵の容赦も無く放たれた第四の匕首はセリトの左胸を目掛けて飛翔し、完全に本能にのみ頼った脊髄反射の防御行動によって振り上げられた右手の甲を貫通し、握り締められた剣の柄部分に当たって止まっていた。彼は剣を掴む力を失い、それを地面に転がすこととなった。
「割としぶてえな。それでいい、寝んじゃねーぞ。まだやれんだろ?」
セリトは苦痛と驚愕でその目を大きく見開いた。
「…一体何本持っていやがるんだ」
「数えたことねーなあ」
ホルズが両手を上着に突っ込み、それを再び表に出すと両手にはさらに一本ずつの投擲武器が握りしめられていた。
「ぐぐぐ…卑劣な…認めんぞ。私は絶対に負けはしない!」
セリトは素早く身をかがめると一瞬、使い物にならなくなった右手で剣を取ろうとする仕草を見せたが、それはすぐにあきらめて左手で剣を拾った。それを握りしめて再び構えを取ったものの、その姿は明らかに歪んで見えた。彼の騎士剣は元々右手で扱うように作られたものらしかったし、そもそも彼は左手での剣術は一切学んだことが無いのだろう。
ホルズは無言で右手の短剣を投げつけた。セリトは上半身の動きで何とかこれを避けたものの、明らかに動揺していたため、間髪入れずにホルズが蹴り上げた土を顔面でまともに受けてしまった。ホルズは続けて左手の短剣も投げつけた。刃はセリトの右肩を捉え、既に突き刺さっていた一本目の匕首のそばを切り裂いて背後に落ちた。肩口からは鮮血が吹き出した。
執念深い金髪の剣士はついに膝を突いた。
「まあ、こんなところか…。せっかく見つけたそこそこのオモチャだし、もうちょっと遊ぼうか迷ったが、飽きちまう前にそろそろ終わらせといたほうがいいのかもな。なんか実際その気になってみたらそれほどでもなかったしよ」
彼はいつの間にか第七の匕首を取り出して右手に持っていた。
「こんな卑劣な手段を使ってまで勝とうとするとは…結局野蛮人は野蛮人だな。え!?どうなんだこのウジ虫!」
「命の取り合いにルールがあるのかよ。てめえの敗因はそこじゃねーのか?」
ホルズは先ほどセリトがそうしたように、構え手を下ろしたまま彼に向ってゆっくりと近づいた。
「騎士様流のキレイな剣術ってのも悪くないんだろうけどよ、てめえのはちょっとばかりキレイ過ぎるぜ。常識と経験を盲信しちまってるから予想外の事に対応できねーんだろ。殺しってのはそんな型に嵌められるようなわかりやすいもんじゃねーんだ。どれだけ理屈で求めたって理解できやしないさ。誰にもな」
短剣がセリトの首筋に当てられた。セリトは左手の剣を振り上げようとしたもののその動きは遅く、難なく手首を掴まれてしまった。彼は短剣の柄で頬を殴られ、背後へ倒れた拍子にさらに手を蹴りつけられ、再び剣を手放した。
ホルズは言葉を続けた。
「だからこそ殺しは、血と怒りの世界は俺を惹きつけるんだ。てめえも本当はそうだったんじゃねーのか?最初にやり合った際にそんな気がした。だからこそ生かしておいたんだが、俺の見立て違いだったか?」
ホルズはセリトの左腕を捻り上げてその体をうつ伏せに引き倒すと、身動きできないように片膝で彼の背中を圧して地面に釘付けにした。
「なあ、てめえも俺と同類だろ?」
そして妙に真面目な顔をして、頭上からセリトにそう問いかけた。セリトはその言葉に一瞬うろたえたように見えたが、それは本当に一瞬だけだった。
「ふざけるな!薄汚い野豚の狂った世界観なんぞ知ったことではない」
「もったいねーな。素質はあるはずなんだが」
「黙れ。いいからそこをどけ!殺してやる!」
ホルズはため息をついた。
「泣いて命乞いすれば助けてやるけど?勝利の記念に両腕でも斬り落としてもらっておくけどな。もう必要ねーだろ」
彼は明らかに投げやりな様子だった。セリトへの問いかけの返答が彼にとって満足のいくものでは無かったのだろう。彼は剣を交えるさなか、セリトの戦いに対する姿勢を感じ取り、それに共感を得たのかもしれない。しかしそれを問いただしてみたところで、プライドの塊のようなこの金髪男が自分を盗賊と同類だなどと認めるはずがない。
「黙れ!ふざけるな!殺す!殺してやる!ぶっ殺す!」
ホルズはつまらなさそうに大きくため息を吐いた。そして彼は右手の匕首を逆手に持ち換え、大きく振りかぶった。
もはやこれまでだ。このまま黙って見ていれば、一瞬後にはセリトは死んでいるだろう。
「やめてぇ!」
視界の外のすぐ傍でオーリスが叫び、その悲痛な声は私の背筋を凍り付かせた。
セリトはここで終わりだ。
ほぼ確信に近い形でそれをはっきりと自覚した瞬間、私の体はその思考と裏腹の行動を起こしていた。
「セリト」
背筋を這う氷のような冷たい何かが脳のてっぺんまで上り詰めるまでは、ほんの一瞬だけだった。ここ数日、ことあるごとに唐突に現れる奇妙な感情に苛まれっぱなしだが、この感情には覚えが無い。強いて言えば、私が昨晩セリトの鼻っ面を思い切り殴りつけた瞬間のそれに少しだけ似ていたかもしれない。
私はほとんど無意識のうちに足元に転がっていた小石を引っ掴むと、それをホルズの顔面を目掛けて投げ付けていた。
「ぎゃあ!!なにしやがる!」
狙いが思い切りハズれ、石はセリトの広い額に命中していた。
「ああー?なんだてめえやっぱりイカれてんのか」
「勝負しろホルズ。セリトを殺すのは僕の後だ」
私はやはり何も考える余裕も無くそう言い放った。少なくともこの瞬間にはオーリスが言っていた『援軍』とやらの存在は完全に忘れていたし、当然私がホルズと戦って無事で居られる自信も全くなかった。かと言って、決して強がりではなく実際にそうだったのだが、私はほとんど反射的に行動に出たにもかかわらず、心はひどく落ち着いていた。少なくとも昨晩の乱痴気騒ぎや、先程オーリスを後ろに乗せて馬を歩かせた時の数倍は冷静だった。
これもやはり正体不明の感情であることには変わらないが、ひょっとしたらどちらかと言えば好ましい感情だったかもしれない。天秤の片側に自らの命が乗っているにもかかわらずだ。
「これでいいんだ。目の前で死なれたりしたら気まずいしな…」
私は小声でそう呟いたが、きっと誰の耳にも入らなかった。
「本気でイカれやがった!貴様の勝てる相手じゃないだろ!とっとと逃げ…」
血まみれのセリトが叫んだが、言い終わらないうちに彼はホルズに後頭部を足蹴にされ、顔面を地面にめり込ませた。それで気を失ったのか、それ以上喋ることはなかった。
「お仲間を助けようとは見上げた根性だぜ。だけどよ、俺に勝負を挑んでおいて、またお得意のハッタリで逃げられるとでも思ってんだったら後悔するぜ」
「誰がそんなの得意なもんか!さあ、どうした。僕は丸腰だぞ。来いよ。短剣なんか捨てて素手でかかって来い」
と、半ばやけくそでダメ元で口走ってみたのだが、私の言葉が言い終わるや否やのうちにホルズは手に持った匕首を放り捨てた。
「おもしれー!見え見えの時間稼ぎだがてめえみてーな気の触れた雑魚は嫌いじゃねー。お望みどおり時間をかけて殴り殺してやるぜ!」
来た。彼はまったく要求通りにすぐに来た。飛んで来た。
そこそこの間合いがあり、真正面からまっすぐ突っ込んで来たこともあってか、視認できないほどの速度ではなかった。しかしどれだけ彼の動きを目で追うことができたとしても、見てから対応していたのでは私の身体能力ではそれに追いつけるはずはない。ならば接近される前にその動きを予想して一手先の行動を取る他無い。
「これでも食らえ!」
私は先程ホルズ自身がそうしたのを真似て、足元の砂をホルズの顔面目掛けて蹴りかけてみたが、案の定狙いが全く外れ、ホルズが何の回避行動も取らなかったにもかかわらず、砂は明後日の方向へすっ飛んでいった。
「そろそろお目覚めの時間だ!」
中空に散っていく砂を眺めていると、気付いたらホルズが目の前に居た。そこまでは理解出来たが、その先は何が起こったのかわからないまま、眉間に重い衝撃を受けて、私は仰向けに倒れた。
「いきなり死んでんじゃねーよ。時間をかけて殺してやるっつっただろが!」
そのまま馬乗りになって殴られることを予想したのだが、ホルズの行動もまた蹴り上げた砂の軌道のように斜め上だった。彼は私の手首を掴むと無理矢理体を引き起こしたのだった。
「起きやがれ!そして死ね!」
振り向く暇も無いまま、背後から腰の辺りを思い切り蹴りつけられた。再度吹き飛ばされた私はうつ伏せの姿勢で地面にぶつかったが、今度はそのまま転がるようにして自力で起き上がった。しかし振り向きざまに膝で鳩尾を蹴られ、またよろめいた。
「まだ死ぬんじゃねえぞ。少しは反撃しろ!気味わりーな」
「じゃあ、お望みどおりに反撃するから、頼むからじっとしてろ」
私はそう言って拳を突き出したが、腕が伸びきったところで手首を手刀で垂直に叩かれた。そして、三発、四発と立て続けに頬や額、腹、腰などを殴られ、私は後ずさりながらよろめいた。
「おい…ぐにゃぐにゃ気持ち悪い動きしやがって。殴ってて嫌な気分になるだろーが!最初の勢いはどうした!」
やはり全然ダメだ。
一方的な戦いでも地面にうずくまってしまえばその時点で完全な負けだ。意識がある限り、倒れても起き上がり向き合わなければならない。それを理解してはいたが、もうしんどい。耐えられない。立ち上がって前を向けば顔面を殴られる。それよりはうずくまってわき腹を蹴られたほうがマシだ。
私は団子虫のようにうずくまった。そして当たり前のようにわき腹をがんがん蹴られた。
それほど長く足止めできる自信は元々無かったが、その予想よりもずっと早く私は片付けられてしまった。私の意識が飛べば、その瞬間が私の終わりだ。
そんなあきらめが頭の中をよぎったが、反撃の機会は意外と簡単にやって来た。
「もうやめて!」
つんざくような声がして、ホルズの攻撃が止まった。
「チッ、お願いされて仕方なく遊んでやってるってのに雑魚どもが調子に乗りやがって!てめえも死にたいのかこのクソアマ!どいつもこいつもイカれてやがる」
嬲り者になっている私を見るに見かねたのか、どうやらオーリスが割って入りホルズを止めたらしい。
「離しやがれ!俺は女を殺して喜ぶ趣味はねーん…お、おい!ぎゃっ!離せっつの!」
「離すもんか!」
顔を上げると、オーリスが得意の背後からの羽交い絞めでホルズの動きを封じていた。彼女自身わかっていてわざとやっているのかどうかは考えないようにするが、あれをされれば大抵の男はそれなりに怯む。屈強で残酷なホルズですら咄嗟にはそれを振り払えなかったようだった。
すると今度は背後から走り寄って来た何者かが、倒れている私の頭上を飛び越えた。
「ふはは!でかしたぞオーリス!そのままだ!」
やはりこの男は私たちが死に物狂いになっている間に呑気に寝ているはずはなかった。通り過ぎる一瞬、跳躍していたセリトの顔をほぼ真下の位置から見たのだが、その表情からは私やオーリスに対する心配の色など微塵も感じられなかった。彼は心底楽しそうに笑っていた。彼はホルズから受けた屈辱さえもさっぱり忘れてしまったかのように、歓喜に満ちた歪んだ笑みをもはや隠そうともしなかったのだ。
「てめえどうしてまだそんなに動け…ふがっ!!」
セリトの左拳が閃き、ホルズの鳩尾を捉えた。オーリスは驚いたのか咄嗟に絡めた腕を離して身を引いたのだが、セリトは抜け目無くホルズの片足を踏みつけていたため、重心を崩しよろめいた彼の顔面に続けざまに左拳をめり込ませることに成功した。
「ハーハハハ!ざまあ見やがれ、バァーーーカ!!」
「寄ってたかって卑怯だぞてめえら!」
一瞬怯んだ後すぐに姿勢を戻してそう叫んだ拍子に、彼の二つの鼻の穴から勢いよく血が噴き出した。その見事なタイミングに私も思わず噴き出してしまい、それによって気分が高揚していることをはっきりと自覚し、改めて驚いた。
「ハハハ!おい、山猿の分際で今の冗談はなかなか気が利いてたぞ!」
そう言ってセリトは思い切り拳を振りかぶったが、フェイントだった。それを振り下ろすより先に、右足で砂を蹴り上げたのだ。ホルズは驚いた様子も見せずに難無くそれをかわしたが、砂が標的に当たらなかった事それ自体はこの時のセリトにとってはどうでもよかっただろう。砂を蹴りかけるという行為そのものに意味があったのだ。
「誰が貴様なんぞに殺されるものか。この間抜けが。貴様ごときが、道端のクソに湧いたウジ虫ごときが私を殺すだと?崇高な目的と信念を持つこの私がここで殺されるだと?そんなことは絶対に許されんぞ。世界が、歴史が許さんぞ!絶対にな!」
セリトは右肩にずっと刺さったままになっていた短剣を抜き取るとすぐさま投げ捨て、さらに右手の甲に刺さっていた短剣も引き抜くとそれを左手に握りしめた。傷口から流れ出る血液は勢いを増し、周囲へ盛大に飛び散った。私だったらとっくに貧血で失神しているであろうと思われる量の倍ほどの血が既に流れていたのではないだろうか。
「オレの剣が綺麗すぎるだとか抜かしたな?クソ生意気なことほざきやがってクソ虫が。ならばよかろう。畜生には畜生にふさわしい罰を与えてやる。これは戦闘じゃない。害獣駆除だ。もはや騎士道精神に準じた誇り高い戦い方に拘る必要もなかろうよ!おい、オーリス!誰が離して良いと言った!そのまま押さえ付けとけ!ヌビク、貴様もとっとと起きろ」
「そうさ!そうこなくちゃいけねえ!最初からそうしとけっての」
ホルズは叫びながら第八の匕首を取り出し握り締めると、それでセリトへと斬りかかった。セリトは左手の匕首で応戦するのかと思いきや、彼はすぐさまこれを投げ捨て、素早く一歩踏み込み、素手でホルズの右手首を掴んでそのまま捻り上げた。
「オレは剣闘で負けたことが一度も無いと言ったが、ケンカで負けたこともまたこれまでに一度も無い!」
「どっちの記録も今日で終わりだな!」
ホルズが空いた左手を背後に回し、器用にセリトの喉に指をかけると、危険を感じたセリトは一撃頭突きを見舞ってからその手を離し、距離を取った。
「いつまで寝てんだ!てめえとの勝負も終わってねーぞ!」
ホルズが私に向けて絶叫した。私は自分の置かれた状況を忘れて、二人のルール無用の格闘戦に見入っていたため、意表を突かれてしまった。
私はうつ伏せに寝っ転がったままの姿勢だったが、目が合った瞬間に匕首で容赦無く斬り付けられた。そのまま横に転がることでかろうじて回避したが、無理のある姿勢で急に体を捻ったため、すぐには起き上がれず、続けざまに攻撃されれば次は間に合わない。
「させるか!」
セリトが喜劇舞台のような大袈裟な飛び蹴りですっ飛んできた。ホルズは空中でその足を掴んでセリトを引き倒そうと試みたようだが、彼がそちらに気を取られた隙に、私は寝っ転がったままの姿勢からホルズに足を絡ませ、私の存在を軽視していた彼を転ばせることに成功した。目の前で地に伏したホルズの顔面を、セリトは思いきり蹴りつけた。彼は悶絶しながら猛スピードでごろごろ転がって行った。
「て、てめえら全員ぶっ殺してやる!」
ホルズは猛々しい叫び声とは裏腹に、まるでゴキブリのように、低い姿勢で奇妙に走り後方の草地へ引っ込んだ。そして、立ち上がるとその右手には片刃の蛮刀が握り締められていた。私も、そして表情を見る限りセリトもオーリスもまったく把握していなかったようだが、ホルズ自身は先程セリトによって弾き飛ばされた刀が落ちた位置を記憶していたらしかった。
その時、ホルズに最も近い位置に居たのはオーリスだった。赤毛の殺人狂の瞳はけだもののようにぎらついた。相手の殺気を直に知覚できるオーリスにとって、その恐怖の輪郭は常人が感じるそれの何倍もの鮮明さがあったに違いない。彼女は震え上がってへたりこんだ。
「ひいっ、やっ、やめ…」
私とセリトはやはり思考する余裕も無いままに、凶刃を振りかざすホルズへ向けて同時に駆け出していた。刃が振り下ろされるより先にホルズの刀の間合いに入れれば少なくとも一瞬の間だけはオーリスは助かる。
先にホルズの間合いに入ったのはセリトだった。後から思えばこれは幸運だったと言わざるを得ない。私が先だったら、きっとこの一太刀で即死していた。しかしその瞬間は自らの悪運の強さに安堵するどころではなかった。容赦なく振り下ろされた刃はセリトの左肩から袈裟懸けに腰へと抜けた。背後からそれを見ていた私には、この一撃は明らかな致命傷と見えたのだ。
「しゃらくさい!」
不可解なことに彼の顔は完全に笑っていた。斬られた部分からは当然激しく出血していたが、倒れる様子も無い。それどころか彼は自らの身を斬らせつつ、剣を振ることが出来ないほどの至近距離まで強引に入り込もうとした。しかし、セリトは既に満身創痍だ。負傷の程度が軽いホルズのほうが段違いに俊敏だった。次こそは決まる。
「死ね!」
万事休すか。そう思った時、ホルズの動きが止まった。彼は陽のほとんど沈んだ濃い藍色の空へと視線を投げていた。
「大丈夫」
オーリスがきっとセリトに向けてそう言った。
「あ…?なんだあれ…ああ?」
ホルズがそう呟き、
「今度はなんだ」
セリトが続いた。
「………」
私はそれに一番最後に気付いた。釣られて見上げると、小さな人影が我々の真上、はるか頭上を飛んでいた。
人が空を飛ぶはずは無い。
私は一度だけ瞬きをした。その次の瞬間にはもうそれは私のすぐ眼前に居た。私の思考はごく短い間機能を停止した。それの着地は星を揺るがすほどの轟音と衝撃を伴っていたような気もするし、まったくの無音で静寂に満ちたものだったような気もするが、どちらにせよ実際何らかの強い力をその身に受けたらしく、私のすぐ傍に居たホルズはまるで爪の先で弾かれた卓上の蟻の様に、目にも止まらぬ速さで吹っ飛んで行った。しかし、何故か私とセリトとオーリスはその場に貼り付いたまま微動だにすることがなかった。
ようやく現れた。これが『援軍』だ。私たちは全員助かる。この一瞬の間で、説明できる理由も無いまま、そんな考えが何故か確信めいた明らかさを持って私の中に生まれた。
それは人の子供の形をしていた。肩の上まで伸びたその黒に近い焦げ茶色の髪は風でざわつき、肩から下をすっぽりと覆っていた髪と同じ色のマントもまた風で一瞬だけめくれ上がった。その隙間から、真っ白い曲線を描いた太ももが覗き、私は状況もわきまえずに少しだけどきりとした。
少女だ。空から少女が降って来た。
「おまえ、以前どこかで俺と会ったか」
それが私に向けられた少女の第一声だった。彼女は路傍の石を見やるかのようなまるで無感動な視線を、その場で棒立ちしていた私に向けながらそう問うた。
「人違いだと思うけど…」
実際まったく身に覚えが無く、気の利いた返事を考える余裕も無かったので、私は素直に即答した。
彼女はすぐに私から視線を離した。一体何の意図があったのだろうか。
「状況が不明なので武装している者を一旦排除した。…死傷者がいるようだな」
彼女は奇妙なほど落ち着いた抑揚の無い口調で、誰とも視線を合わすことなくそう言った。その小さな声は消え入りそうなほど、まるで妖精の囁きのように繊細だったが、何故か風の音に邪魔されることなくはっきりと聞き取ることが出来た。
「助けてくれるの?」
オーリスが問いかけた。
「助けよう」
少女が答えた。




