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星と羽虫  作者: 病気
第一章・異能の女たち
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15. しょんぼりするゼーム



 アイリスはテーブルに片手を突いて立ち上がり、もう片方の手に持った空っぽのコップを前へと突き出した姿勢のまま止まっている。すぐに彼女の目がカッと大きく見開いた。それは先ほどの恐怖に満ちた目ではない。昨日の晩に見たあの全てを焼き尽くそうとする破壊者の目だ。


「あたしまで篭絡したとでも思った?このマヌケめ!そのお得意のオカマみたいな猫なで声で世界がなんでも思い通りになると思ってたら大間違いよ!」


「いや、ちょっと待ってください。そんなつもりは…」


「ちょっとあんた、今日もまた!?ホントどうしたの、やめなさい!」


 アイリスは手に持ったコップをさらに何度もゼームへ向けて突き出し、その底に僅かに残っていた茶も残さずゼームに引っ掛けた。ゼームは右腕を上げて身を守っている。


「姉ちゃんも目を覚ませ!あたしも危ないところだったよ、クソッ!こいつは女をたぶらかす悪魔だ。そしてヘンタイだよ!あたしにはわかんのよ。何かおっかないことを企んでいやがる。間違いない、こいつはペテン師だ!ブタ野郎!!」


「こら!」


 アイリスはコップをぐるぐる振り回すとそのままの勢いでテーブルに叩きつけ、テーブルに足をかけてゼームに掴みかかろうとしたが、すぐに姉に腰を捕まれ引っ張り戻された。


「なんなの急に!とりあえず落ち着きなさい!ヌビクリヒュくん、台所から手ぬぐい持ってきてあげて!」


 言われたとおり、私は立ち上がって台所の正面に下がっていた手ぬぐいを取り、ゼームに差し出し、またアイリスの正面の席に腰を下ろした。アイリスは上から両肩を押さえつけられ椅子に釘付けにされていた。


「ああ、これはどうも…。ええ、アイリスさん、確かにこれは難しい問題です。私を疑うのも無理はありません。じっくりお話しませんか。そうすればきっとわかっていただけると思います。私は人々を救いたい、ただそれだけなんです…」


 手ぬぐいで顔を拭きながら発したその声はやや弱々しく聞こえた。怒っている様子はまったく無いが、かと言って怯えた様子も見られない。おそらく彼は悔やんでいるのだ。アイリスが言ったとおり、彼女のことも篭絡できたと思い込んでいたのだろう。しかし予想外に唐突に牙を剥かれ、話し合いに文字通り水を差されてしまった。悔やんでいるとしたら、それはこの話し合いの場において彼女を軽視して先を急いでしまった自分の甘さに対してだろう。


「そんな必要ないわよ!いいから出て行きなさいよ、この詐欺師!人殺し!泥棒!ブタ!毛虫!」


 この男は女性からこんな罵詈雑言を浴びたのはきっと生まれて初めてだろう。


 それにしても先ほどの恥らう乙女は一体どこへ行ったのか。今日はしらふだろうが、昨晩とさして変わらない程度に怒り狂っている。オーリスの驚きぶりを見るに、別に普段からここまで荒れていると言うことはきっと無いはずだ。こうなってしまった原因はやはり、姉の身に危険が及ぶことを何よりも恐れているからに違いない。私にも身に覚えがあるのでなんとなくわかるのだが、おそらく彼女はこれまでの人生において姉以外の人間とほとんど交流を持ったことが無いのだろう。彼女の世界では姉の存在こそが全てなのだ。それを奪われることはきっと世界の終わりに等しい。たとえ伝説的美男子と仲良くなれるかもしれない機会を潰してでもそれは優先されるのだ。


「離して!離してよっ!」


 アイリスは何度か立ち上がろうとしたが、そのたびにオーリスが上から押さえつけている。


「こら!暴れないの!ちょっとヌビクリヒュくん、押さえるの手伝ってよ!」


「わ、わぁ!触んないでよ!やっぱりあんたもヘンタイか!」


 私は机を隔てた正面の席に腰掛けたまま微動だにしていないのだが、手伝うまでもなくアイリスはおとなしくなった。しかしやはり怒りは冷めていないらしく、硬く握り締めた両の拳を机の上に置いてゼームを威嚇し続けていた。


「うぅ…こうなっちゃったら今日はもう話し合いになりそうもないなぁ…ごめんね、今日は引き取ってもらっていいかな…私とアイリスでよく考えておくから。決行は明後日だったよね。遠くからわざわざ来てくれたのに本当に申し訳ないんだけど、よければまた明日にでも来てよ。きっと結論を出しておくから」


「二度と来んな!さっさと帰れ!」


 ゼームは慇懃な様子でゆっくりと右の掌をアイリスの方に向けたまま頷くと、席を立ち、そのまま玄関へと歩みを進めた。


「もちろん、今日中にお返事が頂けるとは最初から思っていませんでした。それではまた明日来ます。…アイリスさん、貴女とは必ずわかりあえるはずだと思っています。それはこの件に限らず…私は本当に貴女たちとお近づきになりたいんですよ。ヌビクさんとも先ほどそう話していたんです」


 心の奥底で何を考えているかはともかくとして、彼は心底残念そうな様子で目を伏せ、まるで懇願するような口調で言った。アイリスはさすがに気が咎めたのか、それに対しては何も言葉を返さなかったが、眉間に寄せた皺は相変わらずだった。家の中は葬式のように憂鬱だった。


「ありがとう…。じゃあまたね。本当にごめんね」


「いいえ、私の方こそ本当に失礼をしました…。ではまた…」


 半ば追い出される形で、ゼームは帰って行った。


 オーリスは閉めた玄関の扉を黙ってしばらく見つめていたが、いずれゆっくりとアイリスのほうへ振り向いた。その表情に秘められた感情が一体なんだったのかは私には理解できなかったが、少なくとも怒りや恐怖、そして哀れみの色は無かったように感じられた。


「もう、ひどいじゃん。言いたいことがあるなら私たちはいくらだって聞くのに、いきなりあんなやりかたはないでしょ。明日ちゃんと謝んなさいよ」


「姉ちゃんはあたしより、あの顔と口だけのペテン師の言うことを聞くの?」


 オーリスはこちらへと歩み寄ると、立ったままテーブルに両手を突いた。


「私はいつだってアイリスの望みを優先するよ。私自身よりもね。でも最初から全否定したりせずにゼームくんの話を聞いてみれば、そのアイリスの望み自体が変わるかもしれないよ」


「ふん!そんなわけないよ!」


 アイリスは拗ねて頬を膨らませた。しかし否定的な言動ではあるが先ほどゼームに対していたような刺々しい感じはまったくない。


 何かが違う。


「…はぁ、私もアイリスももう何年も前からずっと『ゼーム様』のファンだったんだよ!行商が来るたびにそれと交渉しに村にやってくる彼の行動パターンを先読みして、待ち伏せして物陰からおっかけたりしてさ。彼とお近づきになるのを想像して二人で一緒に予行練習までしたくらいなのに…。唐突にその機会が巡ってきて今日は本当に嬉しかったのに。こんなのはあんまりだよ!」


 オーリスは腕組しながらそう言うと、私の隣へと移動した。

 それでようやく気付いた。場はもはやすっかり喜劇に移行していたのだ。


 アイリスの頬が急に真っ赤になり、椅子から飛び上がりかけたように見えた。


「うわわ、やめてよ!今そんなこと言わないで!…そもそも、なんで貴方はまだ帰らないんですか!?」


 私を指差すとそう怒鳴った。完全に忘れているのかと思いきや、アイリスは私がこの場に存在しているということを心の片隅に置いていたらしい。


「あはは、暇そうだしヌビクリヒュくんだけでも長居していっていいよ。ビスケット食べる?」


 オーリスがそう言うと、アイリスが言葉を継いだ。


「椅子に根でも張ったんですか?斧持ってきて帰るの手伝ってあげましょうか?」


 今の言葉は彼女なりの冗談だったのだろうか。先ほどの余韻が残っているのか、アイリスの表情は硬いままだったが、奇妙なことに敵意のようなものは感じられない。私の存在を歓迎するようなことは当然無いものの、あれだけ激昂した直後にも拘らず、勢い余って私まで追い出そうとしたりする様子も無い。今日最初に会った際に昨晩の一件を気まずく思う余り私を家に上げようとしなかったことから考えても、この事は少なからず不自然に思われた。


 気まずそうにするどころか、その表情はむしろどこか誇らしげにすら見える。それは一体誰に対してか?


 アイリスは一呼吸置いてから吐き出すように言った。


「あたし、ああ言う善人面したイカサマ野郎が一番嫌いです」


 黒いもやの立ち込めていた私の頭の中に、スッと涼しい風が吹いた気がした。それは待ち望んでいたカードが廻ってきた瞬間の痺れるような閃きだった。私は彼女の言葉の意図を即座に理解したのだ。

 彼女のゼームに対する感情は、私のそれとまったく同じなのだ。そして彼女はその望みを確信に変えるべく、意図してそのカードを差し出した。


 彼女は私の同意を期待している。


 さんざん暴れたため、彼女の長い前髪は再びその小さい額を覆い、両の目も半ば隠してしまっていたが、ひょっとすると私に対して目の色を隠すためにわざとそうしたのかもしれない。

 どうあれ私は応えるべきだろう。


「…イカサマ野郎かい。…そのとおり、彼の手持ちのカードはほとんどが死神だ。あとはたまに毛虫の絵柄が混じってる」


 いつものことなのだが、気の利いた返答をしようと意識する余り、ほとんど意味不明の酔っ払いのうわ言のようになってしまった。自分でも自分が何を言ってるのかあまり意味がわからない。しかし、意味はわからなくても意図は通じた気がした。願望から錯覚しただけかもしれないがアイリスの口元がなんとなく少しにやついたようにも思えた。


 いがみ合っていた人間同士が関係を修復する最も手っ取り早い手段は、共通の敵を作ることだという。今の私とアイリスがまさにそれだった。私たちはゼームに対する不信感という薄汚れた絆によってお互いを見直す機会を得たのだ。


「…やっぱり貴方が言っても僻みにしか聞こえませんね…。本当にみっともない」


「僕もそう思うよ」


 横でオーリスが溜め息をついた。


「二人とも、その場に居ない人をあんまり悪く言っちゃ駄目だよ。まあその場に居たって全然駄目だけどさ。それにゼームくんは本当にあのままの性格のいい子だよ。私が言うんだから間違いないでしょ」


 オーリスはテーブルの上に置かれていた手ぬぐいを取り、茶で濡れたテーブルと椅子を拭き始めた。


「大体可哀相じゃん。だってゼームくんのほうはヌビクリヒュくんのことすごい気に入ってるみたいじゃない」


「いや…それがまったくわかりませんよ…。何か目的があってそう演技してるのでは?」


「その考え方はよくないなあ!よくない!でも…うーん、確かに…ヌビクリヒュくんはああ言うべたべたしてくる子より、ちょっとつっけんどんなタイプと馬が合いそうだよね。セリトさんとか」


 椅子を拭き終えたオーリスは、手ぬぐいより幾分汚れた雑巾らしき布を台所から持ってきて、床に膝を突くと椅子の下を拭き始めた。


「どうしてあれの名前が出てくるんですか」


 そう返事をしながら首を傾けてオーリスの姿を探すと、テーブルの下に顔を突っ込んで四つん這いになっている彼女を斜め上やや後方から見ることになった。彼女は今日は外出する予定が無いのか短いスカートを履いていたため、私はびっくりして咄嗟に顔を正面に戻した。アイリスと目が合ってしまった。


「なんです?」


「い、いや…なんでも」


「ふぅー、これでよし、と」


 オーリスは汚れた手ぬぐいを持って地下へ降りていった。アイリスはその間も黙って椅子に座り続けていたが、地下への扉が閉まると同時に、台所のほうへと視線を逃がしながら硬直していた私に向かって声をかけた。


「この際はっきりと聞いておきます。結局貴方は、あのイカサマ師と私たちのどっちの味方なんですか。さっきのあの話、自分は聞いてないとか言ってましたけど」


 彼女の声は相変わらず地の底から響くようなじめじめ濁った陰気なものだったが、その言葉には意志を感じた。私は今度は何も考えずに即答した。


「君たちの味方になるかどうかはまだ考え中だ。でも既にゼームの敵だよ」


「なるほど、なるほど。それはいいですね。十分です」


「あの話も実際さっき初めて聞いたんだ」


「はい。そうでしょうね。器用に嘘がつけるほどの演技派には見えませんから。大方騙されてここへ案内させられたといったところですか。ふむ」


 彼女はこのやり取りに満足したらしく、一度だけ得意気に鼻を鳴らすと、もうじっと俯いてテーブルの木目を見つめたままずっと黙っていた。私も特に続く言葉が無かったので、テーブルの中央に置かれた皿からビスケットを数枚手に取ると、それを齧りながら同じように俯いてテーブルの木目を見た。噛み砕いたビスケットから茶ばんだ半透明の小さな粒がぼろぼろとこぼれた。砂糖がまぶしてあるのを期待したが塩だった。この地方では砂糖はさほど高級品ではないが塩ほど安くもない。


「随分打ち解けたね」


 少し経って、オーリスがこの沈黙のテーブルに戻ってくるなりそう言った。笑顔である。他意は無さそうだ。


「そう見えましたか」


「うん。昨日から思ってたけど、ヌビクリヒュくん、アイリスとなんか似てるもんね。絶対気が合うはずだよ」


「へぇ」


 どうにも褒め言葉には思えない。

 こんなやり取りの直後にアイリスのほうへ視線を向けるような勇気は私には無かったので、私はまたテーブルの木目を見る羽目になった。アイリスが私の仕草に気付いたかどうかは不明だが、彼女は特別な反応もせずにすぐに口を開いた。


「で、姉ちゃん。答えを聞かせてよ。結局どうするつもりなの。あいつに付いていくの?多数決ならあたしとこの人で二対一だよ」


 私がゼームに敵対心を持っているからと言って、ゼームの計画にまで反対すると決まっているわけではないのだが、アイリスにはそんな理屈は通用しないようだ。むしろ反対する要素のほうが少ない。オーリスの同行はことによっては私の命を救うことになるかもしれないのだから。


「さっき話したようにアイリス次第だよ。アイリスが行くなと言ったら行かない。でもよく考えて」


「じゃあ行かないで」


「よく考えてって言ってるでしょ。私が行けば死ぬはずだった人が助かるかもしれないんだよ。言い換えれば、アイリスが私に行くなと言ったせいでヌビクリヒュくんが殺されちゃうかもね。どう思う?」


「あ、あたしには関係無いよ…」


「ヌビクリヒュくんに死ねって言うの?」


 勝手に私が釣り餌にされているが、私が餌では食い付かないのではないだろうか。はっきり死ねと言われたらかなりへこむのは目に見えているし、そう即答される可能性も低くないのだが、その時は一体どうしてくれるつもりなのだろうか。


「いや…言わないよ。死ねなんて言ったらなんかこの人あてつけでホントに死にそうだし…」


 さすがに死ねと言われた腹いせに本当に死んでやれるほど安くはない。しかし一応否定してくれたのでとりあえず胸を撫で下ろした。


 勢いに任せて私に死ねと言わなかったことから考えるに、恐らくアイリスは我々傭兵団の生死など知ったことではないと思えるほどに冷血というわけではないのだろう。ただ、私たちの命と天秤にかけられているものがオーリスの安全であるため、その傾きが大きすぎて考える余地がなくなっているのだ。


 顔を上げるとオーリスと目が合ったので私は口を開いた。


「オーリスさんの力と言うのは…どこまで本当なんですか」


「どこまでも何も、私が言ったことは全部本当だよ」


 昨晩のことは何も覚えていないという設定だったはずだが、この時には私もオーリスもそれをすっかり忘れていた。


「もし昨日言ってた通りのものなら…山賊どもの視界に入る位置まで決して近づかないようにすれば、危険はまったく無いんじゃないですか…?」


 私はアイリスに向き直った。


「君はオーリスさんの身の危険を理由に拒んでるんだろう」


 彼女は一瞬吃驚したような表情を見せたか思うとすぐに俯き、もごもごと籠もるような声で言った。


「いや…蛇とか…熊とか出るかもしれないし…」


 そんなものはキノコの栽培をしている洞窟までの道中でも出没する可能性はあるだろう。


「…って、結局貴方はどっちの味方なんですか!」


「僕は僕の味方だよ。この件に関してはさっきまでは否定的に考えてたけど、気が変わったんだ。僕が救われてオーリスさんにも危険が無いならそちらを選ばない理由はなくなると思って。君もそうなんじゃないのか。ゼームに従うのは癪だけど」


 アイリスは黙ったまま私の目を見たかと思うと、やはり一瞬で目を逸らして俯いた。反論しようとはしない。


「んん?なんか風向きが変わってきた?ヌビクリヒュくん流石だね。やっぱりアイリスと波長が合うのかな」


「ちょ、ちょっと待ってよ。絶対に安全なんて言い切れないよ。予想外のことだって起こり得るよ。何があるかわからないって」


 もはや惰性だけでとりあえず否定しているといった感じだ。アイリスを言いくるめることに関してのみ言えば、ゼームよりも私のほうが優れていたようである。成り行きでゼームの手助けをするような形になってしまったが、なんだか悪い気はしない。アイリスには申し訳ないが、結果として私のちょっとした優越感の犠牲になってもらうことになった。


「実際どれだけ安全なのか…それによって僕の意見は揺らぎますけど…。オーリスさんの力というのも話に聞いただけでこの目で見たわけではないので、どれほどに確実なものなのかいまいちぴんと来ませんから…」


「えー。昨日色々して見せたけど、足りなかった?」


 この危険なノンドバド村において初対面で警戒せずに家まで上げてくれたこと、私とセリトの性格をはっきり言い当てたこと、そして何より、今日まで山賊の魔の手にかかることなく生活を送ってきたことが彼女の能力の証と言えなくもないのだが、どれも考えようによってはこじつけ、占い、そして偶然の範疇と取れるものばかりだ。


「疑ってはいないですが…、誇張が無かったとも思っていません」


「疑ってるじゃん!全部本当だって言ったよ」


 超能力それ自体が真実であっても、その力に何かしらの制約があるとすれば、彼女の絶対の安全を保障できるほどのものであるかどうかは疑わしい。彼女が昨晩の時点で、私たちに信じさせるためにいくらか大袈裟に話したという可能性はある。それで大ごとになって後に引けなくなってしまっている…、または少なからず危険を伴うことは承知の上で、私たちに心配をさせないがためにそれを隠しているかもしれない。


 私が黙っているとおもむろにオーリスが立ち上がった。


「ようし!じゃあ疑り深いヌビクリヒュくんのために今度こそ本当にはっきりとした証拠を見せるよ。ちょうど都合よく、ついさっき私の『捕捉範囲』に人が入ってきたんだ。誰だと思う?」


 私はほとんど脊髄反射で即答した。


「セリトでしょう」


「せ、正解…。え…なんで…?」


「僕もそろそろ来る頃なんじゃないかと思ってました」


 誰だと思うかと訊く時点で私とオーリスの共通の知人であるとわかる。そんなのは極めて限定されている。


「もー、偶然なの!?私のは単なる予想じゃないよ!でもいいや。実はもう一人居るんだ。こっちはきっとヌビクリヒュくんの知らない人。彼はこの家から離れたところを通過して村の中心に向けて移動してるみたい。途中でセリトさんを拾ってこの人を見つけよう。そうすれば信じてくれる?」


 問いかけながらもオーリスは壁にかけてあった帽子とベルトを手に取り身に付け始めた。私の返答は決められているらしい。


「信じますよ。…その人の行動を予めオーリスさんが知ってるわけじゃなければ…」


「本当に疑り深いなあ!私も知り合いじゃないよ。この人はこれまで何度か『捕捉』したことがあるけど姿を見たことは一度も無いし。それに大体この人は…いや、まあ…見ればわかるよ…」


 口ごもる際、オーリスはちらりとアイリスを見た気がした。それで私はなんとなく嫌な予感がした。オーリスはその者を私の知らない人と言ったが、ひょっとしたらそうではないかもしれない。やはりなんとなくだが、そう思った。


「アイリス!あんたはここに居なさい。誰が来ても絶対に扉開けちゃ駄目だよ!」


「うん」


「さっ、行こ。ヌビクリヒュくん」


「はい」




 何も考えずにオーリスに付いて行き、彼女が家の脇の小さな厩舎へと向かっているのを見てからようやく私は小隊の馬を昨晩ここに置いていったことを思い出した。


「ああ…すみません。丸一日ここに置きっぱなしでしたね…」


「うん、いいよ。ご飯とお水はあげといたから安心してね。二頭ともいい子だね。団で飼われてるってことは軍用として調教されてるの?」


 彼女はそう尋ねながらも、どことなく上の空のように見えた。何か他の事を考えているようだが、それでも無理に私に話しかけてくるのは何か意図があるはずだ。しかしそれが何であるかはこの時点ではわからなかった。


「…何から何までありがとうございます。どのように調教されたのかは…さて…わかりません」


「ふーん」


 彼女が厩舎の中へ入り、格子戸を開けて馬の縄を引いて出てくるまで、ものの数分とかからないだろうと踏んだ私は、すぐに出られるよう中へは入らず、近くの木の下の日陰でその姿を見ながら待っていた。彼女はやはりすぐに小隊の馬を二頭曳いて歩いてきた。


「私はこの子に乗ってこうかな。そう遠くまで行かないし帰りは歩こうっと」


 彼女は昨日セリトが使っていた馬の背を撫でながら言った。私はもう一頭の馬のほうへと向き直り、それに騎乗するため鞍に片手をかけたのだが、もう片方の手を不意に掴まれた。


「ねぇ、ヌビクリヒュくん」


 驚いて振り向くと、オーリスが私の目を真っ直ぐ見ていた。彼女の手は柔らかく、暖かかった。それは私にとっては驚くべき感覚だったため、それを自覚した瞬間に私はさらに大きく驚き、驚きに驚きが上乗せされた相乗効果で危うく卒倒しかけた。


「…はい。な、なんですか」


「ヌビクリヒュくん。さっきは本当にごめんね」


 沸騰しかけた頭を無理矢理かき回して、一体何について私は謝られているのか、必死で探してみたが何も得られなかった。


「別に…謝られるようなことは何も…。ええ…?どうしたんです」


 すると今度は片手で握り締めた私の指に、もう片方の掌まで乗せてきた。私を殺す気だろうか。


「私、ゼームくんがやって来たことでひどく舞い上がっちゃってさ。そのせいでヌビクリヒュくんに無神経なこといっぱい言っちゃったよね。そのたびにヌビクリヒュくんが傷ついてるの、私にはわかってたのに…。なんとかしなくちゃいけなかったんだけど、結局ヌビクリヒュくんは苦しい気持ちを抱えたまんま。こういうこと、はっきり言っちゃうのもそれはそれであまり良い気分はしないかもしれない。だからすごく言いづらかったけど、他に良い方法が無いんだ」


 この時点で私は完全に信じた。彼女の超能力はやはり本物なのだ。単に人の気持ちを読むのが上手いという次元ではない。私の恥ずべき感情の波はすべて見抜かれていた。顔から火が出そうでどうにもいたたまれない。彼女の言う『良い気分はしない』というのはこれのことだろう。


「きっと誤解しちゃったと思うけど、私はゼームくんと同じだけヌビクリヒュくんとも仲良くなりたいと考えてる。ヌビクリヒュくんは…ことあるごとに自分をゼームくんと比べてるみたいだけど…その…たとえ心の中でも、あまり自分を卑下しないで!ヌビクリヒュくん自身も他人からすごく誤解されやすい性格をしているけど、他の人がどう言おうと、私だけはヌビクリヒュくんがどんなにいい子か知ってるよ」


「謝るべきなのは僕のほうです。オーリスさんの言う通り、僕は…」


 彼女は手を離すと、その人さし指を私の唇にそっと当てた。


「ううん、言わなくていいよ。私は君を救いたいんだ。だからあまり暗くならないで。私は味方だからね。それだけ言いたかったんだ」


 アイリスが彼女を信仰している理由がわかった気がした。


 この姉妹の味方になるかどうかはまだ考え中だ、などとは先ほど口にしたばかりのことだが、早速その答えが出た。



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