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星と羽虫  作者: 病気
第一章・異能の女たち
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13. ゼームと山賊




「い、いやだ。絶対に行かないぞ。いいから離せよ」


「神妙にしろこの毛虫野郎!そんな礼儀知らずが大人の世界で通用すると思ってるのか」


「だから謝罪するってなら君も一緒に行くべきだろう。なんで僕一人に行けと?」


「私は悪くない。それにこんな顔で女の前に出られるわけがなかろう。私は貴様のような誇りと言う字すら知らないような恥も外聞も無い田舎者とは違うからな」


「君のつまんない顔なら昨日一日で十分過ぎるほど見飽きたはずだから、今更ちょっと変わってたってわざわざ見やしないよ。大体、誇りと言う字なら三ヶ国語で書ける」


「なんっ…、おい!貴様もう一度言ってみろ!」


「誇りと言う字なら三ヶ国語で…」


「そっちじゃねえよ!…おや、ゼーム殿ではありませんか」


「…何をなさってるんです?」


 私がセリトに襟首を掴まれて村の北側の出口へと引き摺られていると、それを見つけたらしいゼームが心配そうな顔をして馬を走らせてきた。セリトは片手で私の首を締め上げながら顔だけゼームのほうへ向けた。


「これは随分と立派な馬をお持ちだ。お帰りですかな?森へは南の出口からが近いと思いましたが」


「いいえ、あなたたちの様子が…その、異様でしたので、気になって後を追って来たのですが…一体何をなさってるんです?」


 ゼームが華麗な身のこなしで鞍から降り立ち最初の言葉を繰り返すと、ようやくセリトは私の首から手を離した。私は仰向けに地面に投げ出された。


「見苦しいところをお見せしましたな。失礼。そして名乗りが遅れてしまったこともお詫びします。私の名はセリト=リベイマ。旅の剣士です。訳あって彼らの任務を助けてはいますが、私自身は傭兵団での一員ではありません。決して。どうかくれぐれも間違いのなきよう…。彼は…まあ、こいつの紹介はいいですな。状況を説明しましょう。こいつは私たちのこの…この姿の原因を作った者なのですが、昨晩この騒動に巻き込まれたのは私たちだけではありません。それで、迷惑をかけた方々に謝りに行くべきだと優しく諭してやっていたところなのですが、ご覧の通りの困ったクソガキで」


 色々と指摘するべき部分の多い台詞だったが、私はセリトが『自称きこり』に対して敬語を使って話していることに驚いてしまい、それに呆気を取られてしまった。やはり彼もゼームが全身から放つ胸糞の悪くなる得体の知れない高貴な雰囲気に飲まれてしまっているのか、それとも彼なりのどうでもいいこだわりの線引きがあるのかはわからない。


「リベイマですって…?…いえ、とにかく…よろしく、セリトさん。なるほどわかりました。しかしそんな手荒なやり方はいけませんよ。それに謝罪は強制されてやったところで意味が無いでしょう。…しかし一体、その謝罪する相手は誰なんです?この先は村の外れですよ」


「ゼーム殿ならご存知ですかな。この先に住む醸造士のエジヤ姉妹です」


 一瞬、ゼームはその大きな目をさらに大きく見開き、驚愕をあらわにした。


「エジヤ姉妹ですか?オーリスさんとアイリスさんですよね。まさか!」


「何か?」


「彼女たちは無事なのですか…?村の若い女性は全員山賊たちに連れて行かれたと聞いていますが…」


「何ィっ!!」


 今度はセリトが飛び上がらんばかりに驚いた。


「これはいかん!おい、何寝てんだ!起きろマヌケ!聞いていただろう。あの姉妹が危ない!すぐに助けに向かうぞ!」


 セリトは地面で仰向けのまま頭部だけ起こしていた私の首をまたしても引っ掴むと、無理矢理引き摺り起こそうとした。せめて首以外の部分を掴んでくれないものだろうか。


「いえ、待ってください。女性たちが攫われたのはもうひと月以上も前のことですよ」


 ゼームが手の届く距離まで駆け寄って制した。セリトは私の首を締め上げながら視線だけを彼のほうへ向け、少しの間呆気に取られたような顔をしていたが、すぐに意味を理解したらしく、再び私の首から手を離した。私は仰向けに地面に投げ出された。


「…そうでしたか。しかし…この村に来た時は随分のどかな様子だと拍子抜けしたものだが、まさかそれほどの深刻な事態だったとは。確かにあの姉妹以外に若い女がまったく居ないことに気付きはしたが、このようなド田舎には元々ジジイとババアしか住んでいないものだとばかり思っていた…。あの蛆虫ども、やはり一刻も早く皆殺しにする必要があるようだな!」


 ゼームは顎に指を置いて、思考を巡らすように斜め下の地面へと目をやった。


「しかし不思議です。彼女らはどうやって逃れたのだろう。あの時、奴らは総出で村に押しかけて来て、草の根すら分けて探すほどに徹底的に村を蹂躙していったそうですが」


 私は仰向けに寝転んだまま頭部だけ起こした。


「その理由なら心当たりがある」


「貴様、ちゃんと起きて喋れよ」


 私はゆっくり起き上がると、あてつけのつもりでセリトの目の前で自らの服を叩き土ぼこりを上げた。こんなことをしても私の服は最初から泥まみれなので嫌がらせ以外の意味は無い。セリトが咳払いでもしてくれることを期待していたのだが、残念ながら彼は無反応だった。それもわざとだったのだろうか。


「で、なんだって?」


「超能力だ」


 セリトとゼームはまったく同じ顔をして私を見た。どんな顔をしていたかはいちいち記すまでもない。セリトに限って言えば昨日も同じ顔を何度も見た。


「貴様…あの与太話を本気で信じているのか」


「だけどそう考えると辻褄が合うだろう。君は信じていないのか?」


「なあ、占いと言うものを知っているか…。説明するのも無粋だが、超能力を自称するのも信じたふりをするのも言わばお約束。ああ言う余興なのだ」


「占いだとすれば一目見た時点で僕らを警戒しなかった理由にはならない」


 目を背けんばかりに気まずそうにしていたゼームは、このやりとりで私の発言にそれなりの根拠があるようだと悟ったらしく、眉をしかめながらも尋ねてきた。


「なんのことでしょう…。教えていただけますか」


 私とセリトは昨晩オーリスが語った超能力について『覚えている限り』を話して聞かせた。彼はその突拍子もない話に対し、少しも疑うようなそぶりを見せることはなかった。むしろわざとらしいほどにただただ頷くばかりだったが、それはこの話がまったく陳腐なものであると私たち自身も理解しているということをまた理解した上で、途中で私たちが馬鹿馬鹿しくなって話を茶化してしまうことを避けるため、実際に意図的にわざとらしさを演出して真面目な雰囲気を保とうとしていたのだろう。茶化されてしまっては困るということは、つまり結局のところ彼は見た目だけでなく実際にこの話を並々ならぬ興味を持って聞いていたとも言え換えられる。


 事情を伝え終わると彼は目を閉じ、「ふむ」と大きく頷いてから、私たちの目を見て口を開いた。


「遥か遠くに居る人間の感情や性質を感じ取ることができる…彼女自身がそうだと言ったのなら、本当にそうかもしれません」


「ゼーム殿まで!本気ですか。別にこの世間知らずの田舎者に気を遣う必要はありませんぞ」


「私が知る限り、彼女たち以外の若い女性は、あの日一人残らず連れ去られました。そしてその日から今日に至るまで彼らに捕まることなく、そして日常的にごく自然に外出をして生活している。それが彼女の能力を真だと裏付ける何よりの証拠です。私は彼女たちと直接お話をしたことはありませんが…少なからず興味が沸いて来ました。もしこれから彼女らとお会いになるのであれば、私もご一緒出来ませんか?」


 ゼームの申し出に今度は私が眉を顰めた。見ると隣のセリトも苦虫を噛み潰したような顔をしている。私とセリトの不安の矛先が同じかどうかはわからないが、私は単純に、このような恐ろしいほどの美形と連れ立って女性に会うと言う屈辱的な状況を瞬時に想像してしまったのだ。その屈辱は普段の私でも十分過ぎるほどのものだろうが、今の見るに耐えない姿ではほとんど生き地獄に近い。


「やはり私は絶対に行かない…絶対に行かんぞ…。ヌビク、ゼーム殿をしっかり案内して差し上げろ。いや、貴様が案内して頂く側かもな。なにせ昨晩のことは何も覚えていないんだから!そうだろ!」


「先ほどお聞かせくださった話からすると、よく覚えておいでのようですが…」


「ふむ…そう言えば矛盾しているな…まあいい、どうせ私は行かないんだから…。そういう訳で、もう帰るからな!ヌビク、もう決して私の顔に泥を塗るようなことを繰り返すんじゃないぞ!とっとと行っちまいやがれ!ではゼーム殿、私はこれにて失礼します」


 彼は慌てた様子の早口で一方的にまくし立てると、一度も振り向きもせず小走りでそそくさと帰ってしまった。ひょっとしたらセリトは先ほど私の首を引っ張って歩いていた時点では、なんだかんだ言いながらも一緒に来る意思があったのかもしれない。しかし様子から察するに、やはり私と同様、ゼームの引き立て役としてその隣に立たされることを想像して恐怖を覚えたに違いない。別れの挨拶を返されるのも待たずに急いで立ち去ったのは、きっと、三人で共に行こうとゼームに提案されれば断る理由を見付けられないことに気付いたのだ。


「ヌビクさんとおっしゃるんですか。…やっ、まだふらついてますね。平気ですか?よければ水をどうぞ」


 私が何もない土の上でよろけて転びそうになっていると、彼はまた心配そうな面持ちで私の顔を覗きこんできた。その手には先ほどの水筒が握られている。


「あれ…その水筒…」


「ええ、机の上に乗せておいてくださいましたよね。中が空だったので、井戸で汲んで来ました。先ほどお飲みになった水よりも冷えていると思いますよ」


「君が話の中心に居たから返しづらくて…後で返そうと机の上に置いていたのを忘れてたんだ。ごめん」


 私が恐る恐るゼームの顔を見ると、彼の微笑には一片の曇りも無く、勝手なことだがそれが何故か腹立たしかった。

 この男とはどうにも上手くやれそうもない。


「気にしないで。大丈夫ですか?」


「ありがとう。見た目ほど悪くないよ。ちょっと眠いだけだ」


「それならいいのですが…つらいようだったら遠慮無く言ってください。さあ、ちょっと待っててくださいね…」


 彼は私に水筒を渡すと、自らの馬の鞍をなにやらいじり始めた。私は水筒に口を付けながらそれを見ていた。


「この鞍は可変式でして、こうすると…二人乗りが出来るんですよ。よし、後ろに乗ってください。エジヤ姉妹の家は私も知っていますから、どうぞ任せてください」


「彼女たちの家の場所なら覚えてるよ。不思議じゃない。辿り着いたのは酔う前だったからね」


 自分は何故尋ねられもしていないのにこんな言い訳がましい言葉を選ぶのだろうか。


「そうでしょうね。しかし私が馬を歩かせますので。さ、掴まって」


 ゼームは先に馬上に跨ると、私に右手を差し出した。お姫様にでもなった気分だ。私がその手を掴むと、彼の力は私がその外見から予想したものよりはるかに強く、私はあぶみにかけた右足に力を入れる間もなく、ほとんど彼の右腕一本の力だけで馬上まで引っ張り上げられたような気さえした。


「きこりと言うだけあるね」


 彼は手綱を取り、ゆったりとした歩調で馬を歩かせた。


「ははは、さあ出発しましょう。それほどかかりませんが、良ければ道中お話しませんか?」


「君さえ良ければ構わないけど…僕と話してもまったく面白く無いと思うよ」


「まさか。実は私はノラッド小隊の皆さんの中で、あなたと一番話をしてみたいと思ってたんですよ。あなたは先ほどの私の話を真剣に聞いて下さっていましたし、それに、見たところ私と一番歳が近そうだ」


 彼は話しながら時々振り返った。その度に彼の整った横顔にいちいち感心してしまう。それに、なびく黒髪からはなんだか良い匂いがするような気もした。少なくとも、真夏であるにもかかわらず汗の匂いはまったくしない。


「僕はまだ十五だけど…君はいくつなんだ。二十歳くらいに見えるが」


「やあ、やっぱり同い年だ。私も十五ですよ」


 無駄だと言うのは頭では理解し納得していても、本能だけはそこから目を逸らしたがる。私の中の苛立ちの歯車が急速に回転数を上げた。相手が同年代だとわかると対抗心がより強くなるという少年特有の現象はどうやら私にも表れるらしい。自分が何に対しても無気力な人間であると自覚していた私は、この事に少しだけ驚いた。


「へぇ」


 なんでもなさを装おうとする余り、不自然なほど無愛想な返事をしてしまった。


「確かこれから会うアイリスさんも同じ歳だったと記憶しています。ご存知でしたか?」


「ああ、うん、聞いたよ。彼女は逆に僕よりずっと年下に見えた。驚いちゃったよ」


「ははは、確かに、彼女が同年齢だとは姿からは想像が付きません。や、悪気はまったくありませんが、ここだけの話です!しかし、今日は良い機会だ。同年齢同士で親しくなれるといいですね」


「ああ、うん…」


 正直なところ、ゼームともアイリスともあまり仲良くしたくない。多分一緒に居ても疲れるだけだろう。


「…ところで先ほどの、セリトさんでしたね、彼とは付き合いが長いのですか?」


「えっ!」


 私は危うく落馬しかけるほどのけぞった。何故か丁度セリトのことが思い浮かんでいたからだ。


「いえ…お互い随分気心が知れているように見受けられたのですが…違いましたか?」


 ゼームは私のあまりの驚きぶりに対して驚いたのか、一瞬馬を止めようとする素振りすら見せて振り向いた。


「とんでもないよ。まだ出会って数日だ。彼の傲慢に振り回されてうんざりしてるくらいだね。仲良くするつもりは無いのに、あいつは何故か僕にばかりずっと付きまとって高慢な調子で何かをひたすらバカにするんだ」


 少しの間、ゼームは私の目を見ていたが、すぐに前方に向き直り馬の歩調を元に戻した。そして振り向かずに言った。


「彼が傲慢ですか?とても礼儀正しい方のように見えました」


 彼はセリトが私の首を締め上げたり振り回したりしているのを確かに見ていたはずだし、彼が誰かの自分に対する言葉遣いだけでその人の性質を判断するような浅はかな人間にも思えない。何らかの特定の反応を私に期待しているらしいことはわかった。


「そもそも僕はあいつが君に丁寧な言葉を使ったことにすら驚いたんだ。あれは僕が離島の出身と言うだけでそれを種にして僕を田舎者だとさんざんバカにしたからね。君が自身を森に住むきこりと称しているにも関わらず、君への態度が僕に対するものとまるで真逆に違っていたのはつまり、あいつが人を第一印象だけで決め付けて、丁寧に接するだけの価値が無いと判断した相手は不快にさせたところでなんら心を痛めない、そんな奴だからなんだよ…」


 誰か個人を明確な悪意を持ってここまで悪く話すのは初めてのことだったが、喋っている途中で妙に気まずい気分になってしまった。それはゼームや他の誰に対してでもない、この場に居ないセリトに対してだった。


「最初の印象で人や事象をある程度判断するのは当然のことです。ヌビクさんに対してだけそれを隠さず伝えるなら、それはヌビクさんを信頼しているからこそなんでしょう。彼はあなたに対してある意味最も誠実なんですよ。それに彼はきっと…彼がどのようにして何かをバカにするのかはわかりませんが、きっと彼の本音は態度と裏腹なんだと思います。彼はあなたが思うよりずっと世界を尊敬しているはずですよ。そして、彼が私を丁重に扱ったのは、私を警戒したからなんでしょうね」


「へぇ、何故そこまでわかるのか不思議だね…!オーリスさんと同じ力でもあるのかい」


「いいえ…彼の話し振りから推測したに過ぎませんが、先ほどのあなたと彼のやり取りを見た後では、ほとんど確信めいてすらいますよ。この先も、あの方はあなたにとって得がたい友人となるでしょうね。羨ましくなります」


「へぇ!」


 出会って僅か数刻足らずでそうまで言い切ってしまえるゼームを、私は当然訝しく思った。私はそれを肯定はせず、ただ目を逸らした。


 セリトはかつての私の親友のレニタフと違い、根本の性質が私とまったく異なる人間だ。だからこそ、心の奥底では認めつつあっても、彼を友人と見なすことに躊躇したのだろう。自分が本来最も避けるべきだった者を認めてしまうなどと言うことは、これまでの自分自身の価値観を否定することに繋がる…はっきりとそう自覚していたわけではなかったが、ただ漠然とした異物感があった。


「それにしても何故、彼はあなたたち傭兵団と行動を共にしているのですか?旅の剣士と自称なさっていましたが。ご存知であれば教えてくださいませんか。興味深い」


 私は、数日前にセリトがこの近辺で盗賊に追い剥ぎをされて、私たちの小隊に助けを請うてきたと言う事実を、なるべく彼がみじめたらしく印象付けられるように工夫して説明した。

 セリトを打ち負かした因縁の仇敵である赤毛の盗賊の話をした時、ゼームは一瞬何かを言おうとしてすぐに言葉を飲み込む素振りを見せたのだが、この時は私はそれをさほど気に留めなかった。

 それからしばらく、昨晩の姉妹との食事の件に関して語った。先ほどセリトと共に説明した部分と、私が前後不覚になってしまって以降のことは除外したが、話しながら、私は昨晩のことを何も覚えていないという『設定』を忘れてしまうことが度々あった。しかし、もはや見え透いた演技をすることなどどうだってよくなっていたので、無駄にそれを誤魔化し訂正する気にはならなかった。ゼームもそれに気付いていないはずはないが、彼は話の流れから既になんとなく事情を察知していたのだろう。事情さえわかれば、彼はいちいち得意になってそれを指摘するような下卑た真似をする男ではなかった。


 会話が一段落した。私は一定のリズムを刻む蹄に、断続的な虫の声や鳥の声が示し合わせたように交互に乗っかって流れるのを聴いていた。若干ぬるいものの、緩やかな風が吹きつけることが多くなっていたため、昨日ほど暑さを感じることもない。のどかな午後だ。自分が本来どのような目的でこの村に訪れていたのか忘れかけてしまう。

 そんな風に鞍の上でまったく無関係な遠い世界のことを夢想し始めた時、見通しの良い草原の真ん中でゼームが異変に気付き馬の足を止めた。


「…ちょっといいです?…あそこに人が居るのが見えますか」


 ひょっとしたら私は居眠りしていたのかもしれないが、そのゼームの声は現実のものだったとかろうじて認識した。うつろな意識で見た彼が指さして示していたのは私たちの進行方向だ。数本の木がまばらに生える草原が広がっており、その向こうに小高い丘があるためにオーリスたちの家はまだ見えない。


「人だって?僕は見かけによらず目は悪くないほうだが…うーん、確かに黒っぽい何かがあるのは見えるけど、背の高い茂みか、雲の影にだって見える」


「距離があるので私にもはっきりは見えませんが、馬に乗った人が四人。こちらへ向かって進んでいるようです」


「…君がそう言うんなら、そうなんだろうな…」


「嫌な予感がします。迂回しましょう」


 ゼームは馬身をほとんど半回転させ、全速力ではないもののやや駆け足で馬を駆った。割と遠くの位置に見える小さな林の裏側に回りこみ、身を隠しながら迂回して元の進路に戻るつもりらしい。


「ベナラハタ小隊の連中かな。もしくは村人か、旅人かもしれないな」


 わざと一つの可能性を除外してそう呟くと、ゼームは一瞬後ろを振り向き、すぐに前方へ向き直った。


「盗賊です。ほとんど確定しました。奴ら気付いたらしい。追ってきます」


 その言葉を受けて私も後ろを振り返って見ると、その光景に驚いた。岩か植物と見分けが付かないほど距離があったその四つの影は、いまやはっきりと馬を駆る人間の形をして見えるほどに近づいていたからだ。


「すごい速さだ」


「こちらも速度を上げます」


 そう言って手綱を打ったものの、気持ち速くなった程度で、あまり変化は無かった。


「この速度が限界のようです」


「二人乗りのせいかい」


「荷を乗せていないのでむしろ普段より軽いくらいです。この馬自体がもう相当な老齢ですので、そのせいでしょう。無理をさせれば転倒する危険もあります」


「セリトが良い馬だと言っていたが」


「彼のユーモアでしょう」


「すぐに追いつかれそうだ。もし戦闘になったら…あぁ、そう言えば、僕の槍は昨日使った馬の荷に縛ってあったんだけど、昨晩馬ごとオーリスさんの家の厩舎に置いてきたんだっけ…」


 淡々と喋るゼームに負けじと、私も落ち着いた様子を演じながら答えようとしたが、こんな時にまた下らない失敗を一つ思い出してしまい、そのせいで口ごもり台無しになった。そして、帰りは馬があるので二人乗りしないで済みそうだ。などと一瞬のんきに考えてしまったが、当然それどころではない。


「武器も含め、荷物を持っていないことがむしろ好都合かもしれません。あなたを村人だと思わせれば抵抗しない限り殺されはしないでしょう」


「命乞いするってことかい」


「あなたさえそれで良ければ…それに…気をつけて!」


 その瞬間、馬身が大きく右に揺らいだので、私は咄嗟にゼームの肩に掴まる羽目になった。左前方に矢が一本落ちるのが見えた。


「奴ら撃って来たんだな。命乞いするまでもない、問答無用で僕らを殺す気だ。それにしてもあんな距離から届くのか。当たったのかい?」


 当たったのであれば馬が平然と走り続けているはずはないのだが、私は人間から武器を使った攻撃を受けるのは初めてのことだったため、何が何やらわからなくなっているようだった。


「いいえ、かわしました。しかし馬を駆りながら、しかもあれだけ離れた位置からこうも正確に撃てる者はそう居ないはずです。…先ほど赤毛の盗賊の話をしていましたよね…彼がそうだとすれば…私と面識のある者かもしれません」


「面識だって…?顔を見る前に串団子にされそうだが」


 そう言いながらも、私たちの周囲に矢が何本か落ちてきた。私は振り向きざまに顔面に矢が突き刺さらないことを願いながら背後を見た。弓を構えているのは先頭を駆ける赤い長髪の男だけだったが、他の三人は片手に剣を構えていた。もはやどう見ても盗賊か集団通り魔以外の何者でもない。矢をかわし続けることができたとしても、追いつかれ次第斬り倒されるだろう。


「撃ってるのはその赤毛の奴だけみたいだ。でもいずれ当たるんじゃないか?距離も狭まってきてる」


「その通りです!やはり馬を止めましょう!どちらにせよ追いつかれます」


「えっ、止まったら当た…ふぎゃあ!」


 矢が私の心臓を貫こうとその背を捉える寸前だった。ゼームが私を抱きかかえて馬上から飛び降りたために、串団子にならずに済んだ。

 彼は器用に空中でぐるりと身を翻し、まず両足で着地すると、馬の速度で人間二人分の体重の衝撃を受けることになる膝を巧みに折り曲げ骨折を回避し、さらに勢いを相殺できないまま前のめりに倒れかけた上体を空中で再び半回転させ天を仰ぐと私を庇って地面の上に背を投げ出し、土の上を滑って止まった。

 …彼のこの着地動作の描写については私の想像だ。そんなのを観察している暇など当然無かった。ただ竜巻の中の木の葉の感覚を味わっていただけだった。しかし少なくともこの着地においては私は傷を負うことはなかったし、恐ろしいことに彼の方もせいぜいかすり傷程度で済んだようだった。ただのきこりとは思えない身体能力である。

 しかし無事に着地してそれで終わりではない。激しく地を蹴る四頭分の蹄の音が猛烈な勢いで近づいてくる。

 私はもはやどう足掻いても仕方無い気がした――即ちやけくそになっていたのでこのまま地面に突っ伏してじっとしていたかったのだが、ゼームに腕を掴まれ引きずり起こされた。


「そのまま突っ込んで来ます!逃げて!」


 四人のうち三人の盗賊たちは私たちが落馬したことで既に速度を落としていたが、先頭の赤い髪の男だけは馬を駆る速度を緩めるどころか、今にも私たちを挽き潰さんばかりの勢いでさらに加速していた。

 私はゼームに背中を突かれ、成り行きでそのまま駆け出していた。振り向くとゼームは身を呈して馬の行く手を遮ろうとしていたが、盗賊が止まる気配を見せなかったため、激突する寸前で飛び退いてそれをかわした。


 赤毛の男はそのまま駆けてくる。最初から私を狙っていたのだ。


「ギャハハハハハハハ!!」


 気の違ったカエルのような、甲高いながらもひどく濁った笑い声が、私のすぐ頭上で響いた。彼は既に得物を刀に持ち替えてあぶみの上に立ち上がっていた。彼は表情まではっきりと見えるほどの位置にまで接近していた。真っ赤な髪の間から覗いたその顔は片目だけが大きく見開かれており、口は顎でも外れたかのように全開まで広げられ、牙のような鋭い犬歯が剥き出しになっていた。それは狂気じみた笑い声に相応しいひどく歪んだ笑顔だった。


 こいつはまともじゃない。笑いながら人を殺す。自分はきっと助からない。


 しかし目が合ったのはほんの一瞬だけだった。彼がすぐに馬上から飛び出し、生身で私に掴みかかってきたからだ。

 何が起こったのか一瞬理解出来なかった。ゼームは例外的なものだったが、普通は全力で駆ける馬から飛び降りればただでは済まない。私を捕らえるにしろ殺すにしろ、もっと効率的な手段がいくらでもあったはずなのだ。しかも彼はゼームのように受身を取るどころか、自分の身に危険が及ぶことがまったくどうでもいいことでもあるかのように、露出した手足をまったく庇おうともせずに、かなりの距離を私を巻き込んだまま転がった。


「なんだ、もっと楽しそうに見えたのによ。こんなもんか!くそったれ!」


 彼は起き上がるなりそう怒鳴った。何を言っているのか意味がよくわからなかった。

 盗賊は着地の際に頭でも打ったらしい。意味不明な言動からそう察したのではなく、実際に彼の赤い頭髪の隙間から、それよりさらに赤黒い血液が流れ出ていたのだ。私の方はと言えば、奇跡的にも手足の擦り傷だけで済んだようだ。なんだかここ最近地面を転がる機会がやたらと多いような気がするが、奇跡が起こっていなければ既に二、三度は死んでいるのではないだろうか。先ほどのゼームとの着地で無事だったのもひょっとしたら私の奇跡のおかげだったのかもしれない。


 私はとりあえず身を起こしてその場に胡坐をかいて座り込んだのだが、突然の出来事にそれ以上何をする気にもなれず、そのままの姿勢で両目と口を半開きにして黙っているしかなかった。


「大丈夫ですか!?…ああ、よかった。無事のようですね」


 ゼームが駆け寄りながら、土煙の中で魂が抜けたようになっている私に向けてそう呼びかけた。続いて、赤毛の盗賊の方へと振り向く。


「…ホルズ、私です。どうか手荒な真似はしないでください」


 残る三人の盗賊たちも私たちの周囲を囲むように集まって来た。そのうちの一人が呆れたような口調で言った。


「ホルズさん相変わらず無茶しやがるなあ。目の前で馬から飛び降りられたからって、そんなことにまでいちいち対抗意識燃やすんスか」


「うるせーぞ!てめえらごとき雑魚が俺のやることをとやかく言うんじゃねえ!なんにもわかりゃしねーくせによ」


 どうやらゼームが馬から飛び降りるのを見て、その真似をしてみたくなったと言う訳らしい。無茶苦茶な男だ。見たところ年齢は二十台半ばあたりだろうか。背丈は長身のゼームよりもさらにいくらか高く、服の上から見た体つきはやや細身にも見えたが、袖から出た両腕の筋肉は鍛え上げられていた。彼は怒りを湛えた視線を持って小言を言った賊を睨み付けていたが、相変わらず片目だけは大きく見開かれ、不自然に顔を歪めていた。


「んで、おい…ええと…おいこら!この伊達男!てめえの名前はなんてったっけな」


「ゼームです。あなたに名乗るのはこれで四度目ですよ、ホルズ」


 どうやらゼームが言ったとおり、彼とこのホルズと言う名らしい赤毛の盗賊は実際に面識があったようだ。他の三人の取り巻きも、特に説明が無いにも拘らず事情を飲み込めている様子から、ゼームのことを知っているように思えた。同じ森で暮らしているのだ。ひょっとしたら山賊全員と交流があるのかもしれない。


「テーモのほうはいいけどよ、そっちのボロ雑巾みてーなのはなんだ。旅人じゃねーのか?」


 ホルズは首だけを私のほうへ向け、私の頭からつま先までをじろじろと眺め回しながら問いかけた。


「五度目ですね。テーモではなくゼームです。わかった上で聞いていらっしゃるのだと思いますが、旅人はこんな軽装で外を歩くことはありませんよ。彼はケヌーさんのところの次男です。仕事中にニワトリにつつかれてひどい怪我をしたのでこの先に住んでいる治療師まで乗せて行ってくれと、今朝山羊の乳を買いに村に寄った際にケヌーさんに頼まれまして」


 ゼームの口からはまったく自然にすらすらと嘘が流れ出た。ケヌーと言う者が実在するかどうかも怪しいが、それは大して重要なことではないのだろう。盗賊たちはいちいち村人の名前など把握していないだろうし、ゼームがそれをわかっていないはずはないからだ。


「…ふーん…確かにニワトリにイジメられそうなツラしてんな…。ふっ、ふふ…とんだ骨折り損だったぜ…ふふふ…」


 赤毛は今までほとんどずっと全開にしたままだった口を閉じると、目を伏せ、含み笑いをし出した。自嘲なのか、何か他に意図でもあるのかはわからない。ひょっとしたらまったく関係無いことを唐突に思い出して笑ったのかもしれない。彼の表情の変化はそれだけ予測し難い異常性を孕んだものだった。


「あなた方にも問いたいですね。一体何故こんなことを?シギミヒさんによると皆さんには給金も十分に支払っているとのことですし、奴隷もこの間攫った方たちで十分だとの話でしたが」


 ゼームの口から耳慣れない奇妙な発音の人名が出たが、山賊に給金を支払っているということはきっと彼らの長か何かだろうと推測した。


「いや、定期的に旅人を襲って金を巻き上げて来いってのは、そのシギ…なんたらが言ったのさ。どうせ山ん中篭ってたって穴掘りくらいしか仕事はねーんだ。あのクソ外人はムカつくが、落盤でくたばるよりはこっちのがよっぽどおもしれーからとりあえず聞いてやってっけどよ。それに俺があそこに居たって他のカスどもが喧嘩売ってくるしな」


「理由に依らず、一緒に生活している人たちをカス呼ばわりなどしてはいけません。経緯は知りませんがその様子だと喧嘩になる原因はあなたのほうにあると見受けられますね」


「ハッ!てめえみたいな野郎は一生僧院から出てくるんじゃねーよ」


 このような狂気じみた男を相手に物怖じせず説教を始めるゼームにも驚いたが、それに反論したホルズの口調が、先ほど彼の部下だと思われる賊たちに対して怒鳴ったよりもずっと穏やかだったことにもまた驚かされた。少なくとも自分の部下よりもゼームのほうをより信頼しているらしい。


「…シギミヒさんの考えは大体わかりますよ。山賊のふりをしていれば発掘物の存在を悟られないとでも思ってらっしゃるんでしょう。こんなことには何の意味も無いのに!ホルズと皆さんは今から帰って彼にそうお伝えなさい。要らぬ殺生はいずれ自身に返ってくるともね。言伝を頼む代わりと言う訳ではないですが、先ほど私を殺しかけた件については伝えなくても結構ですので」


 話の間、ホルズはそっぽを向いて頭を掻いたり欠伸をしたり、会話をする気があるのか無いのかわからない素振りを見せていたのだが、ゼームの言葉の端に、自分をシギミヒと言う男よりも格下と見ているらしき表現を捉えると、一瞬で形相を変えた。


「おい、なんだそりゃ!言葉に気を付けやがれ!俺があんな貧弱なクソ外人ごときにビビってるとでも思ってんのか。ヤツも…それにてめえもだ!俺がその気になったらいつだって絞めッ殺してやれるんだ。そこんとこわかっとけよクソが!聞いてんのかクソッ!」


 彼は叫びながら、左手でゼームの襟首を捕まえたと思うとすぐにそれを突き離した。そして右足を前へ踏み出すと同時に今までずっと右手に握っていた刀を恐るべき速度で振り上げると、数歩後ろへよろめいたゼームの首筋にぴたりと当てがった。


「今頼んだシギミヒさんへの言伝は、そのままあなたにも言えることですよ。剣を収めなさいホルズ」


 ゼームは表情一つ変えない。私はゼームの整った顔が胴体から切り離されることを一瞬想像した。彼のすまし顔に苛立たしさを覚えるのは確かだが、かと言って目の前で死なれては気分がよくない。しかし私が間に入って止めようとしたところで状況は好転しないだろう…などと悩んでまごついているうちに、ホルズは大きく一回舌打ちしてそのまま刀を持つ手を下ろした。


「てめえもムカつくが、ムカつくことにこれでも他のカスどもよりかはちったーマシなんだよな。今んところは殺さないでおいてやるぜ。それにてめえをぶっ殺してあの『双子』と対立しちまうのも今じゃまだ時期ショーソーだしな。まぁいずれあのアホ共も殺すが」


 ゼームは口元に指を当てて一瞬考える素振りを見せてから訊ねた。


「『双子』とはなんのことです?」


「なんだてめえ、会ったことなかったのか…。じゃあなんでもねーよ!」


「………」


 『双子』とは一体何者なのか、私にとっても何が何やらまったく意味不明で本当にどうでもよかったのだが、ゼームの怪訝そうな顔を見るに、彼もとぼけているわけではなく本当に知らない話らしい。


「んじゃあ、話もキレイにまとまったことだし、俺らの恩人様のご命令どおり、今回の狩りはこれまでにして一旦砦まで退散するとすっか。そろそろ潮時でもあるしな。こないだの騎士様以来ここ数日まったく獲物がいやしねーし」


 彼が口にした『騎士様』という言葉を聞いて私は反射的に顔を上げ、赤毛男の金色にぎらつくその目を見た。誰かに騎士と皮肉られて呼ばれそうな人物に心当たりがあり、またこの『真っ赤なロン毛のクソ野郎』を目の前にして丁度彼のことを思い出したところだったのだ。


「あ?何ガンつけてんだこのボロ雑巾!」


 ホルズが私に向けて歯を見せて怒鳴った。黙っていればいいものを、私は思わず言葉を口にしてしまった。


「今、騎士がどうとか言ったか?」


 ゼーム含め、その場に居た五人が一斉に振り向いた。


「…こいつ口が聞けたのか…」


 私が口を開いたことが相当奇妙だったようだ。

 大勢からじっと見つめられたこともあり、後に続く言葉を考えてもいなかったので、私はその先の言葉に窮してしまった。

 ゼームは珍しく不満げな様子で口をへの字に曲げていた。せっかく大したいざこざも無く五体満足で解放されそうだったところに、私が要らぬことを言って台無しにしてしまうことを心配しているのだろう。


「ああ、言ったぜ。それがどうかしたか、こら」


 とにかく今さら黙っているわけにもいかない。


「…それらしき男が数日前に…村に…駆け込んで来たんだ。金髪を逆立てた若い剣士だ。赤毛の男にやられたと言っていたから、おまえたちのことかと思った」


「ふん、間違いねーな!こないだ俺がボコボコにしたツンツン金髪クソ野郎だ!で、あいつどこ行った?まだこのへんに居やがるのか?」


 彼は鼻と鼻がくっつくのではないかと言うほどの至近距離まで一瞬で近づいて私を睨んだ。


「彼ならおまえを探している」


 そう言うと、ホルズは竹が弾けるような勢いで唐突に爆笑し出した。


「うひゃひゃひゃひゃっへへへ!ひっ!?おいおいおいおい!探してる!俺を?聞いたかよカスども!ひひひひひ!こないだみじめったらしくパンツ一丁でとんずらしやがったあの騎士様が俺らを探しているとよ!俺を見つけてどうする気だ。今度はパンツもくれるのか?え?良かったなオイ!」


 彼は部下たちへ顔を向けると、上着のポケットから何やら上等な紙で作られた手紙大の証書らしきものを取り出し、それを目の前でひらひらとはためかせて見せた。


「俺が言ったとおりだったろ!こいつがある限りヤツは必ず戻ってくるってな。ハハハハハ!!」


 紙にはノギントリ教国の証印が押されており、ノギントリ教国語とデウィーバ帝国語の二種類の言語で同じ内容の文章が綴られていた。

 それはセリトが聖都まで行ってようやく手に入れたと言う帝国騎士への推薦書だ。どうやら四人のうちの誰かは文字を読むことが出来、またその証書の価値を知っているらしい。ホルズがセリトを騎士と呼ぶのにも合点が行った。


 その場に居た者たちはホルズ以外誰も笑おうとしなかった。目を細めたまま、賊の一人が低い声で言った。


「まだこの辺にいるなら見つけ出してぶっ殺そうぜ。テベフを殺りやがった野郎だ。やっぱり許せねえ」


「ああん?テビス?こないだ奴をなめてかかってアホみてーに返り討ちでぶっ殺されやがったてめえの弟分の便所蠅野郎のことか?そんなのはどうだっていいけどよ、以前言ったとおりさ…二度目はねーよ。もちろんぶっ殺すぜ。ああ、楽しくなってきたなあ!あれだけ遊べる獲物はそういねー。あいつとまた殺し合えるのか!そのために剣まで持たせてリリースしたんだ。そうこなくっちゃ困るぜ。へへへ!」


 これでセリトと初めて会ったときの彼の異常な風貌の説明が付いた。彼を襲った賊が異常だったのだ。これほどわかりやすい説明は無い。


 彼の三人の部下たちは、浮かれるホルズの背に向けて憎悪の視線を投げかけていた。どうやら相当嫌われているらしい。セリトを解放したのもホルズの独断だろう。弟分の仇に復讐心を燃やしている三人の手下たちがそれを許すとは思えない。


「予定変更だ!あの金髪クソ野郎を殺してから帰ることにするぞ!おいこのボロ雑巾!ヤツはまだ村に居やがるのか!居場所まで案内しろ!」


 ホルズは私の眉間に刀を向けてそう怒鳴った。すると今まで目を伏せてこのやり取りを聞いていたゼームが堪りかねた様子で口を挟んだ。


「金髪の旅人なら今朝すれ違いましたよ。北の峠の村へ向かうと話していました」


「そうか!よし、てめえら今日中に峠の村まで行くぞ!馬の足が折れるまで全力で走らせろ!」


 ホルズは手を一切使わずにひとっ跳びで馬の背に跨ると、一目散に駆け出して行ってしまった。

 後に残った賊たちは馬に跨りながら言った。


「ゼーム、今言ったことは本当か?奴が俺たちを追ってノンドバドまで来たのなら今更峠の村まで戻るような気はしないんだが」


「私がこれまでに嘘をついたことがありますか?」


 ゼームは真っ直ぐ相手の目を見てそう言った。


「…おまえがホルズを寄越してから俺たちは散々だ。これならテンベナの路肩に寝てた頃のほうがまだマシだったぜ。シギミヒを紹介してくれた時には感謝したが…今となっちゃおまえは疫病神だよ。おまえのおかげで、俺は何人も殺した…」


「…もし先ほど私が言ったことをホルズが忘れるようなことがあれば、皆さんのうちのどなたかが代わりにシギミヒさんに進言してください。聞き入れられれば、今なさっている略奪の仕事からは解放されるはずですし、これ以上ホルズの直属にされることもないでしょう。私の意見だと言えば彼も無視はしないはずです」


「どうかな。シギミヒに新しいボディガードどもが来てからは奴も頭のイカレたホルズを持て余しているようだしな。おまえが何を考えているのかは知らんが、あいつが外回りの略奪なんぞをやらされてんのは厄介払いの意味もあるんだぜ。自らトラブルを拾ってくるボディガードを従えるなんてシャレにしかならないからな」


「先ほどホルズが口にした『双子』とやらがその新しいボディガードですか?シギミヒさんも身の危険を感じているのなら守りを固めるよりも先にやるべきことがあるでしょうに…」


「元々何か目的があったらしいし、最初に略奪を始めた理由はおまえが言った通りかもしれんが、シギミヒの野郎は今じゃもう山賊稼業が楽しくてしょうがないのさ。おまえも気付いただろう?奴が女共を攫った時点でな」


「…嘆かわしいことです。…とにかく…色々と話したいこともありますので、三日後の朝か昼過ぎあたりに私も要塞に伺います。重要な話ですのでその日は皆さん要塞の中に留まっていて下さるとありがたいですね…全員決して外に出ないように…ね」


「伝えておくぜ。それまでにテベフの仇が討てたらな。あばよ」


 残った三人もホルズの後を追い、ノンドバドとは正反対の北の峠に向けて馬を駆って行った。ゼームは彼らの姿が見えなくなるまでその後姿を見送っていたが、やがて気まずそうな表情でこちらに振り向いた。


「君は大嘘つきだな」


 私は意識的に無表情を作りながらそう言った。


「山賊たちと交流を持っていたこと、そしてそれを隠していたことに関しては謝ります。しかし混乱が起きるのは間違いない。ですので、どうか他の皆さんには内密にお願いできませんか?」


「………」


 真剣な眼差しの深い赤色の奥に何が隠されているのかはわからない。ほんの一瞬だけ、どうにかしてそれを暴けないものかと考えてみたが、ゼームの話しぶりから察するに、もはや私を丸め込むための言い訳を既に考え終えているらしい様子なので、それはきっと無駄だろう。

 私ごときの知性では、この男に敵うはずなどないのだ。私が彼を疑おうとも信じようとも、それには何の意味も無い。少なくともこの時点ではそんな諦めから来る無関心に支配されていた。


 彼は、私がどのように会話を切り出そうと、きっと同じようにしたであろう言い訳を喋り始めた。


「その目は、疑っていますね?無理もありません。しかし、私が山賊団の壊滅を望んでいるのは事実で、そのために動いている皆さんに対して提供した情報もいくつかの例外を除けば一切偽りはありませんし、これからも尽力するつもりでいます。長くなりますが事情を説明いたしましょう。どうか信じてください。私は賊どもの味方ではありません」


 彼は自らの胸に手を当て、私をまっすぐ見つめていた。どうせ説得されるとわかっている言い訳を長々とされてもだるくなるだけなので、私は話を短縮するためにそれとなく立ち位置を示しておこうと釘を刺した。


「疑うよ。君の良心を。疫病神呼ばわりなんかしてたけど、実際は盗賊たちは君のことを随分買っているように見えた。君はそんな彼らを騙して背中を刺すんだね」


「えぇ、そっちですか…」


 ゼームはほとんど肩を落とさんばかりに拍子抜けした顔を見せた。


「むしろ、それだけさ。どうせなるようになるんだ。君が実際に何者かなんてのは僕には大して重要な問題じゃない。もし僕が君に対して反感を持つようなことがあれば、それは個人的な感情…もとい感傷以外に理由は無いだろうね」


 私はさほど深く考えずにそう口にしたのだが、何故だろうか、この言葉はゼームにとってひどく印象的なものだったらしい。


 彼は何年も先までこの時の私の言葉を覚えていた。


 ゼームは私の目を見つめたまま驚愕によって大きく仰け反ったため、そのあまりの唐突な仕草に私も逆に驚かされ身構えてしまった。


「な、なんだよ」


「いえ、これは失礼。まったく予想もしなかった言葉を聞いたもので…しかしあなたは不思議な人ですね」


「そうかい」


 彼は一瞬だけ視線を遠くへやった後、またすぐに私の目に戻した。仕切り直しということなのだろう。結局私が一番望んでいた思いは通じなかったらしく『予め決められた言い訳』の続きを演るつもりでいるようだ。


「…確かに裏切ることは心が痛みますが、彼らはこれまで多くの罪の無い人々を殺めています。報いを受けるのが当然の人たちです。私はともかく、あなたが気にやむことではありません」


「………」


「まずどこから説明しましょうか…たった今、傭兵団の皆さんに伝えた情報の中にいくつか例外的に偽りがあったと説明しましたが、そのうちの一つが要塞の地下に埋蔵されていた古代遺物の存在です。先ほどのやり取りから既に察しが付いてらっしゃるかもしれませんね。リデオ副長が指摘したことは実際真実で、祭殿と呼ばれる部屋の下にそれは埋められていました。私はその存在を発見したシギミヒと言う男に協力し、鉱夫として付近の小規模な山賊団や街の浮浪者を勧誘して、要塞へ呼び込んだと言うわけです」


 やはり話を聞いたところで、無駄でしかない。結局どこまでが真実なのか私には確かめる手段は無いのだ。もしかすれば彼の話していることは全てこの場をうまくやり過ごすためのまったくのデタラメなのかもしれないが、たとえそうであっても私にはそれを鵜呑みにするしか選択肢は無い。話の内に何かしらの矛盾を見つけられれば別だが、私でも気が付くことができるような矛盾をゼームが犯すはずはないだろう。


「地下に埋められていた…過去形かい?さっきの連中の口ぶりだといまだに発掘作業が続いているかのように聞こえたけど」


 私には彼の想定内の指摘をすることしか出来ない。


「もうひと月ほど前になりますね。考古学的価値の高い品が掘り出されたとシギミヒから連絡を受け、私もそれを見ました。私はそれ以上に価値のあるものはもう埋蔵されていないと思うのですが、あの男はそう考えてはいないようです」


「つまりもう目的のものは掘り終えたから無用な鉱夫を片付けるために傭兵団に協力したと言うことか?だとすれば君の本当の目的は…」


 私はまたしても思い付きを口にしようとし、途中でそれを飲み込んだ。ゼームは話のところどころに罠を仕掛けている。相手にわざと指摘をさせてそれをやり返すことでより説得力を強めようと目論んでいるのだ。もちろんそんな気力はまるで無いが、もし彼を出し抜こうとするのであれば、月並みの指摘は意味が無い。先ほどのようなまったくとんちんかんなことを言った方がまだ見込みがある。


「いいえ!まさか!あなたは私が彼らから発掘物を横取りするために彼らを滅ぼそうとしていると考えているのですか?断じて違います。理由は単純に、彼らが落ちてしまったからです。苦しい労働に従事する鉱夫は賞賛されるべき人々ですが、山賊は人の社会にあってはならない駆逐されるべき存在です。ただそれだけのことです。そもそも私は、人の命を奪うことを生業とする山賊に、真っ当な仕事を紹介したのですから、最初のうちは善行を施したような気持ちすらしていました…しかし紆余曲折あり、努力も適わずこのような結末に辿り着いてしまったことは本当に遺憾に思っています」


 彼はやはり私が飲み込んだ言葉が何だったかを瞬時に理解し、即座にそれを否定して見せた。そして私の指摘に批判的な意味合いが含まれていたのを汲み取ってか、事実を淡々と述べるだけだったその話しぶりは正論と感情論で自己の行いを正当化する方向へ移行したように感じられた。『予め決められた言い訳』は私の指摘が加わって初めて完成するものだったのかもしれない。まったくもって不愉快なことだが、結局私は踊らされた。


 ならばこれ以上はやはりただ黙って聞いているのが得策だ。私が彼に対して疑念を持っているかどうかは置いておくとしても、要らぬ指摘をして疑念を持っていると思われてしまえば、仮に彼が我々傭兵団の不利益になることを企んでいた場合に、余計に対策を考えられてしまうことになる。彼はきっと私を試しているのだ。私の無気力が本物かどうかを見極めようとしている。やはり不愉快ではあるが、今は何も対抗心を燃やす必要は無い。


「そうかい…。ちょっと思い付いちゃったから聞いてみただけだよ。別に責めようとしているわけじゃない。きっと君も悩んだんだろう」


 こんな茶番は一刻も早く終わらせるべきだ。


「ええ、私は何度も彼ら個々人や長であるシギミヒに殺生をやめるよう話しました。彼らはそれを聞き入れることはありませんでしたが、それでもいずれみんな、更生することができるだろうと信じていました。当時の私ならおそらく、皆さん傭兵団がやって来てもどうにかして戦いを回避しようと努力したはずです。しかし大規模な発掘を終えた直後の、ついひと月前に行われたノンドバドの略奪の件で私は決心したんです。彼らが奪って行ったものは金品ではなく、奴隷です。そして彼らはその時労働力は必要とはしていなかった…攫われたのは主に若い女性です…」


「…そういう話は気分が良くないし、考えたくないね。もういいよ。…それより…それより、ええと…そうだ、シギミヒは何故埋蔵物の存在を知ったんだ?聞くと外国人らしいが」


 私が話題をずらすと、ゼームはすぐに口調を元に戻した。


「そこまではわかりません。彼は姿や名前からして西方の氷の砂漠にあるメメトー王国からやって来たと思われますが、自らの素性に関しては話そうとしません。しかし流暢な帝国語を喋りますし、おそらく財宝を求めて大陸中を飛び回っている類の人なんだと思います。どこか遠い地方の伝説からノンド樹海の埋蔵品に関して知ったのかもしれませんね」


「ふーん…そうかい。まあ、そんなことは…どうだっていいけどね。いや、しかしえらい目に遭ったな。僕はともかくとして、君は特に災難だったね。これから女性に会うのに服をひどく汚して」


 私がゼームの馬のほうへ歩み寄ると、彼は「もう終わりですか?」と言わんばかりの得意げな微笑を口元にかすかに浮かべた。…ように見えた。そんなはずはないのだが。


 今はまだいい。


 しかし、こいつはやはり信用ならない。いや、信用できるかどうかなど些細な問題に過ぎない。とにかく、仮に彼が本当に何の企みも持たない単なる根っからの正義漢だったとしても、自分だけは決して彼を快く思ってはならない。

 密やかに芽生えたそれは明確な意志ではなく、この時はまだ漠然とした夢や希望、空想のようなものだった。


「いえ、お互い無事で何よりでした。さあ、先を急ぎましょう」


「うん」




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