2. 亡き友への追憶
レニタフの第一印象は私にとって好ましいものではなかった。彼が傭兵だったからだ。傭兵とは総じて荒々しく下劣な連中だ――そんな先入観が私の中にあった。まあ、それもあながち見当外れと断言も出来ないのだが。
テンベナ義兵団に入団した翌日、私は団の施設である宿舎兼訓練所を散策し、地下に書庫があるのを見つけた。地下とは言え、南側の天井近くの高い部分に小さな窓が取り付けてあり、そこを開放すれば陽の高いうちであれば明かりを灯さずとも十分に文字を読むことが出来たので、私は蝋燭を購入する代金を給料から前借せずに済んだ。訓練所で過ごしたのは数週間程度だったが、私は訓練後や訓練中に抜け出してはずっとそこに入り浸った。他の傭兵たちと顔を合わせることが億劫でそれを避けるためという目的もあったが、そもそも私は島に居た頃から本の虫だったのだ。
蔵書の大半を占めていた軍事教本もそれなりに興味を引いたが、こんな無骨な集団の内で一体誰が読むのか、中には帝国やテンベナ市の歴史書なども置いてあり、私は幸運を天に感謝せざるを得なかった。一度足を運んだ市民図書館では身元不明である私は門前払いを受けたのだ。本は全てパピルスや羊皮紙ではなく紙に書かれたもので、それらが比較的新しいものであることが知れた。
「新入りくん、新入りくん。君、文字が読めるのかい?」
本のページに顔を埋めていると、頭上から声がした。
馴れ馴れしく話しかけるな。それが私がこの男に対して最初に思ったことだった。
「読めるけど?」
ようやく没頭しかけた読書の邪魔をされるのが鬱陶しかったので、私は意図的にそっけなく答えた。仕方無しに視線を上げると、そこにあったのは見覚えのある顔だった。同じ小隊の所属で、実力が近かったために訓練で何度か手合わせをさせられたことがある。
彼は私よりいくらか年上らしかったが、体格は若干小柄な私よりもさらに小柄で、目は丸く鼻は低く、草食の小動物を連想させるような悪意のかけらも感じられない姿の男だった。傭兵としての実力も見た目通りで、私自身も訓練所に来るまでは手にしたこともなかったため剣の扱いに関してはひどいものだったが、それでも数日適当に練習していれば彼よりはずっとましになった。
「やあ、やあ、それはいい。今までこの団の若い子たちの中では文字が読めるのは俺しかいなかったんだ。これからは俺と君の二人だね。本が好きなのかい?」
彼のとぼけたような顔は笑顔ではなかったが、むしろわざとらしい笑みが無い分、その友好的な雰囲気に疑念を持つことは無かった。私のそっけない態度に気付いていないのか、気付かないふりをしているのか、どちらにせよ悪い気はしなかった。私はこれまで、見知らぬ人に好意的に話しかけられた経験が一切無かったのだ。
「うん、まあ…」
「やあ、やった!俺もだよ!今まで共通の趣味の同年代がいなくてねぇ。こっちにおすすめの本があるんだよ。あ、あ、歴史の本のがいいかい?」
彼は私が読んでいたテンベナ市歴に目を落として少し慌てた調子で言ったが、顔の表情は相変わらずとぼけた仏頂面だった。本と一口に言ってもさまざまな種類がある。文字が読めると言うだけで早計に同じ趣味だと決めつけて喜んでいるとは、誰かと趣味を共有するということに対して相当飢えているのだろう。
そう考えると無碍にできたものではない。私は彼の相手をすることにした。
「本なら何でも良いんだ…あんまりためにならない本なら、なおのこと良い」
「はは、なにそれ。おもしろいねぇ」
彼はその時初めて笑顔を見せたのだが、それがあまりに自然だったため、一瞬私はこの男が最初からずっとこの表情をしていたかのような錯覚すら受けた。
「ためになりそうな本を読んで内容が理解出来ないと損した気になるだろ。最初からためにならない本だとわかって読むと気楽でいいんだよ」
「あー、なんとなくわかるかなあ?いや、全然わかんないわ。…あ、この本この本」
受け取った本の表紙を持ち上げ、最初の一ページを読んだだけで、これは全くためにならない本だとわかった。
「…これは作家の自叙伝?いや、小説か。最近紙がどんどん安くなってるせいか、こういった本も増えてきたね。小説ほどためにならない本は無い」
「つまり気に入ってもらえたってことだねぇ!…そういや、君の名前はなんて言ったかな」
「僕はヌビクだ。君は」
「俺はレニタフだよ。ヌビクとは良い友達になれそうな気がするよ」
屈託なく微笑んだ彼が、この時既に抗えない死の恐怖に曝されていたなどとは、私には思いもよらないことだった。
数日経った頃、彼は虫化病に侵されていることを私に打ち明け、それを他の誰にも秘密にするようにと懇願した。貧しい家族のために次の仕事の報酬を受け取るまではどうしても団に残っていたいとの事だった。しかし私がその約束を守ったことで一人の仲間が無駄に死に、レニタフとその家族も救われることはなかった。