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星と羽虫  作者: 病気
第一章・異能の女たち
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6. 女醸造士オーリス



 後で聞いたところによるとオーリスという名は都会においては語感的に男性の名前と思われるらしく、洞窟の入り口にいた若い女性を見たセリトは、目に若干の驚きの色を浮かべ、無言で私に何かを問いかけるような視線を投げた。


 驚くべきことに今回のセリトの先導はまったく正確で、ちょうど半刻ほど馬を歩かせた私たちはほとんど迷うことなくノンド樹海の入り口に到達した。もっとも、どんな道を通ったとしても南を向いて進んでいればいずれは巨大な樹海にぶつかることになるのだが。

 樹海の入口付近の道は平坦で木の根もさほど張り出しておらず、馬車は通れそうにないものの、馬の移動は容易だった。森の中を流れる小川を伝って進んでいくと、目的の洞窟はすぐに見つかった。


 若い女醸造士のオーリスは日焼けした肌と長い足が特徴的な女性で、一目見ただけで明朗で活動的な人物だという印象を受けた。歳は二十歳程度だろうか。腰まで伸ばした栗色の髪は首の後ろで一つにまとめられており、手入れもきちんとされているらしく清潔そうに見えた。目つきや口元の表情は明るく、友好的な雰囲気をくどいほどに振りまいており、大抵の人からは好感を持たれるであろう顔だちをしていた。


 蝙蝠や狼よけだろうか、洞窟の入口にはそこを塞ぐ網が立てかけられており、彼女は収穫したらしいいくらかの茸を入れた籠を彼女自身の馬に括りつけているところだった。様子から察するに、丁度洞窟内での作業を終えたところのようだ。私たちの姿を見てもまったく警戒する様子が無く、近づくと首をかしげて微笑みかけてきた。


「やあ!君たちテンベナ傭兵団の人だよね。こんなところまで哨戒してるの?」


 あまりにも邪気の無い、明るい言葉だった。無防備過ぎて不気味なくらいである。なんだか気の毒にすら思える。


「いいえ…ええと…」


 気の毒なのはどちらかと言えば私の方だったかもしれない。私は女性に悪意を持たずに話しかけられた経験がこれまで一切無かったため、またしてもうろたえ、返答に窮してしまった。


 セリトを見やると、小さくため息をつき、眉毛を少し上げて促すだけだった。前回の自分の非を認めているのか、今度は交渉を私に任せる気のようだ。今回はどちらかと言えば助け船を出してもらいたい状況なのだが…。


 私はオーリスに向き直って言った。


「僕らは…オーリスさんに用があって…来たんです。あなたがそう…?ですね」


 絶望的なまでにうまく喋れない。私はひどく緊張していた。その理由は自分にも明白である。言わずもがな、相手が若い女性であるせいだ。


「うん?確かに私がオーリスだよ。どうしたの?」


 私の隣でセリトが馬から降りた。私は事情を話そうと一瞬口を開きかけていたのだが、馬上から頼みごとをするわけにいかないと言うことに気が付き、急いで飛び降りようとした。が、あぶみの金具に靴紐がひっかかり、空中で大きくよろけて無様に両手と両膝で着地してしまった。


「ありゃあ!大丈夫?」


 すぐにオーリスが近くへ駆け寄って来た。そちらに顔を向けると、彼女は腰を屈めて私に手を差し伸べていた。反射的に、その胸元から見える日焼けしていないつやのある白い肌に目が行ってしまった。そして咄嗟に視線を上げると、木々の隙間から差し込む陽で照らされたその笑顔は眩しいほどの輝きに満ちており、私はそれに心臓が止まるほど驚いてしまった。

 私は差し出された手を掴まず、慌てて飛び退いて立ち上がった。オーリスがくすくすと笑った。私も笑おうとしたが表情筋が引き攣るだけでうまくできなかった。


 お互い地面に立ってみて気付いたが、オーリスの方が私よりいくらか身長が高いようだった。私自身どちらかと言うと背は低い方で、姿勢も良くないためさらに小さく見えるのだが、それでもオーリスは女性としては長身に思えた。見たところ胴の長さは私と変わらないかもしれないが、脚の長さは明らかに私よりずっとあるだろう。


 私の様子に呆れ返ったような視線を投げていたセリトはついに堪りかねたのか、それとも嫌がらせのつもりで私が十分に醜態を晒すまで待っていたのか、ともあれようやく一歩前へ進み出てその口を開いた。


「オーリス=エジヤ。我々はテンベナ義兵団ノラッド小隊の命を受けて来た。私の名はセリト=リベイマ。訳あってノラッド小隊に同行している旅の者だ。彼はノラッド小隊所属ヌビク=リフュルシュ」


 彼は道中で、自分を傭兵団員ではないということを明確にした上で、なんとか自分の名前を先に名乗る口上を考えていたようだ。それにしても、彼の中で私の苗字はその舌を噛みそうな黒魔術の呪文のようなもので確定してしまったのだろうか。


 セリトはオーリスよりも背が高い。だからというわけではないだろうが、胸を張ってはっきりと声を上げる彼の姿は私には自信に満ちて見えた。私は軽い嫉妬を感じざるを得なかった。


「よろしく。ええと、セリトさんと、ヌビクリヒュくんね。話がよく見えないんだけど、傭兵団さんが私に何の用なのかな」


 私の名前が違っているのだが、それにはお構い無しに、セリトはまったく躊躇することなく答えた。


「不足物資の援助を願いたい」


「あはは、なるほど」


 神妙な面持ちでセリトの自己紹介を聞いていたオーリスは、私たちが会いにきた用件を聞くや否や、安心したようにけらけらと笑った。


「わざわざこんなところまで私に会いに来るってことは、その不足物資ってのはお酒でしょ?傭兵団さんは盗人どもを退治してくれるんだからそのくらいの援助は喜んで!」


 肩の荷が一気に下りた。こんなに簡単なことだったのだ。私はこの瞬間まで、無償で物を譲ってもらうという行為を、人の好意に付け込んだ卑劣なことであるかのように感じていたのだが、オーリスの笑顔を見るとそんな考えはどうでもよくなってしまった。


「素晴らしい」


 セリトは得意げに片眉を上げてオーリスに右手を差し出した。彼女は笑顔でその手を握り返した。手を離すと、オーリスは私を見てまたにっこりと笑い、首をかしげて見せた。私も手を差し出すべきか迷ったが、結局その機を逃した。いや、機などいくらあっても逃し続けただろう。私に女性の手に触れる勇気は無かった。


 肩の荷は下りたものの、それとはまったく別のもやもやが胸の中に生まれているのに気付いた。


「そ…その、僕らはお金を持っていないんですが、お酒は譲っていただけるんですか…?」


 私の口から出たのは何故かそんな言葉だった。笑顔で握手する二人を見た後で、なんとも空気の読めていない台詞である。


「もちろん!」


「ありがとうございます」


 本当はそんなことはどうだってよかった。ただ、何でもいいから何か言いたかっただけなのだ。


「どういたしまして。じゃ、帰ろっか。お酒ならうちにいくらでもあるからね」


 オーリスはそう言って自分の馬の方へと寄った。私はその後ろ姿を見ながら、自分がだんだんと不愉快な気分になっていることに気が付き、そのことに対してまたしても驚いた。彼女の長い脚、まっすぐ伸びた背筋、細い腰、つややかな髪、その一つ一つを眺めていると、眺めた分だけ感情は増大していった。

 不快な気分の正体はすぐにわかった。それは劣等感だろう。厳密に言えば、うまく喋ることのできない自分への歯痒さと、そのことで哀れな醜態を晒している自分自身への卑屈な自己陶酔である。私は自分の醜さを客観的に眺めることにある種の快感を感じていたのかもしれない。

 この親切な笑顔の女は引き金を引いただけに過ぎない。


 島での孤独な生活で忘れ去られていた私のいくつかの感情は、こうした人との出会いによって一つ一つ思い出されていくことになる。大抵は、この様なろくでもないきっかけで。


 オーリスに対して悪いとは思いつつも、むしろそう思えば思うほど、私の胸の中にある黒い物はじわじわと拡大していくようだった。いっそのこと、もっとひどい醜態を晒してしまいたい。この腐ったヘドロのような心地よさに溺れてしまいたい。


 私はこの時、このかつてない感情の波が訪れた理由は、ひょっとしたら自分が彼女に一目惚れをしたからではないだろうかと思ったのだが、私はこの後出会うことになる女性の大半に対して同じような卑屈な不快感を覚えることとなるので、結局のところそれはきっと違うだろうと結論付けた。単に女性と接するのが極端に苦手なだけだ。


 同時に、このすぐ前にオーリスの家で会った少女に対しても同じようにうまく喋れなかったことを思い出した。相手が子供だという先入観があったせいで自覚するには至らなかったが、私の心の深い部分は彼女もまた女性として認識していたのだろう。


 私は軽いめまいを感じながら、彼女が振り向く前に自らの馬へと向き直り、その背に跨った。


「用事は終わったんですか?」


 私はやはり答えがわかっていたが、何かを言わなければいけないという強迫観念はいまだに拭えず、意味など無いが尋ねざるを得なかった。


「丁度終わったところだよ。大体いつも日が暮れるまでには帰るようにしてるから」


「まあ、馬の歩幅ならゆっくり行っても日暮れには帰れそうだな」


 既に馬上に跨ったセリトが、木々の隙間から見える傾きかけた太陽へ向いて言った。


 オーリスの準備が整うと、セリトが先頭を切って馬を進め、オーリスがその半馬身分後ろに並んだ。私はわざと少し間隔を空けて付いていった。どうせうまく喋れやしないのだ。帰り道は二人でずっと話しているといい!



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