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星と羽虫  作者: 病気
第一章・異能の女たち
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4. 訝しげな少女



「おい、厩舎に戻って馬を取ってきた方が早いぞ」


「いや、林の陰に隠れているけどきっとあそこにオーリス氏の家があると思う」


 これで林の裏が何もない畑だったとしたらセリトは一体どれだけユーモアに富んだ罵り文句を披露してくれるだろうか、想像したくないので私はそれを具体的に考えるのを止めた。だが、そこには村で聞いた通り、村で消費する酒を醸造しているらしいオーリスと言う者の家が確かにあったため、この時点では気難しい金髪男の機嫌は保たれた。

 彼はここへ来るまでの間しばらくは、朴念仁のように空返事ばかりする私へ向けて都会の学校で学んだらしい何やら小難しいことをひたすら解り難く講義するという趣味の悪い遊びに興じていたが、それに飽きてからはずっと私も含めた目に付くもの全てを口汚く罵ることで時間を潰していたため、私はいい加減うんざりしていたところだった。


「往復だけで日が暮れるんじゃないのか」


「さんざん迷ったせいで随分歩いたけどもう道は覚えたよ。帰りは四半刻とかからない筈だ」


「四半刻を一秒でも超えたら許さんからな」


 オーリスの家は村の他の家々から大分離れた場所にある丘陵の斜面部分に建てられており、あらかじめ聞いていた目印通りの小さな池と青い屋根を有していた。壁はひびの無いまっ白な漆喰塗りで、まだ新しいように見えたが、住居部分以外には犬小屋と間違えるほど小さな厩舎があるだけで、他の家々と同じく土地を囲む柵も無ければ、納屋も畑も無く、広い土地には不釣り合いにこじんまりとしていた。


 セリトはわざとらしく疲れた様子で両手を両膝に突きながら斜面に取り付けられた石段を登り、ようやく戸口の前に辿り着くと木戸を乱暴に叩き、例の独自の口調で横暴な大声を上げた。


「テンベナ義兵団ノラッド小隊所属ヌビク…ヌビク=リフュルシュだ。所用があって参った。オーリス=エジヤ。戸を開けてもらおう」


 彼の口から唐突に出てきた名に、私は面食らってしまった。


「なんだいそれ…。勝手に僕の苗字を作らないでくれよ…そもそもなんで僕の名を名乗るんだよ」


「山賊どもがうろつく村だ。傭兵団の名を名乗らないと警戒されるだろう。私は団員ではないから貴様の名を使ったまでだ。貴様に名乗らせてやっても良かったが、貴様の落っこちる蚊のような覇気の無い声では扉越しには聞こえまい。哀れな貴様を思い遣って私が代わりに声を上げてやったのだ。それともまさか私自身に私の名で傭兵風情と名乗れとでも言うのか?」


 彼は大仰に両手を開いた。顔は大真面目だが少しひょうきんな仕草に見えた。


「けっ!私は貴様らを利用しているだけで、隊員になるなどとは一言も言っとらんからな!汚らわしい野良犬どもが!」


 彼は強い口調でそう捲し立てたが、私はだんだん彼の扱いに慣れてきていたので、別に怒っているというわけではないらしいことはわかった。そもそも私はごく当然の主張をしたまでで、怒らせるようなことを言ったつもりはない。


 家の中から足音が聞こえた。返事は無いが、中に誰かは居るようだ。セリトは扉の取っ手を掴んでガタガタと揺らしたが、内側から閂が下ろされているらしく開かなかった。


「ヌビク。そう言えば貴様の本当の苗字は一体何というのだ」


 つま先で軽く扉を蹴りながらどうでもよさそうにそう聞いてきた。

 私はすぐに答えた。


「僕の住んでた島には苗字という文化は無かったんだよ」


 その言葉を聞くや否や、セリトはこの世の終わりを見たかのようなこの上ない驚愕の表情を持って、髪の毛を一層逆立て目鼻口を全開にして私のほうを振り向いた。家柄を重んじる風習のある帝都育ちの彼にとっては、私の島の文化はまったく理解の範疇外らしい。


 無言で絶叫するセリトの背後で、扉の上部に付けられた小窓が音を立てずに握り拳ぶんほどだけ開いた。


 内側から扉を何かで小突くような音が聞こえた。


「…………」


 窓の狭い隙間にゆっくりと現れたのは少女の訝しげな視線だった。栗色の前髪とじっとりした濁った片目だけしか見えないが、その少女は私よりも三、四歳は若いだろうか。子供と言っても差支えない年齢だろう。覗き窓の位置は我々の目線とほぼ同じだったが、顔の幼さから見て男である我々と同等以上の身長があるとも思えない。先ほどの扉を小突くような音は運んできた踏み台が当たる音だったのだろうか。彼女は言葉を発することなくこちらの様子を窺っていたが、無言であっても視線だけで十分に意思は伝わった。山賊が屯するこの村では当然ではあろうが、非常に強く警戒しているようだ。


 扉に向き直ったセリトが何か迂闊なことを言って悪印象を与える前に、私は少女を安心させるために、思いつく限り気楽な挨拶を投げかけた。


「やあ…!オーリスさんは今いるかな?」


 私の声は何故かうわずっていた。そのせいかどうかはわからないが、少女はさらに疑念を強めた視線で、目の下や眉間に皺まで寄せて私を凝視した。


「…………」


「…………」


 言葉が通じていないわけではなさそうだ。何か言ってくれてもいいのに。

 数秒間の長い長い沈黙が流れた。この静寂を気まずく感じたからだとは思えないが、先に沈黙を破ったのは少女の方だった。


「誰ですか…?」


 その声はまるで奈落の底から響く亡者の呼び声のような陰鬱でじめじめしたものだった。

 苛ついた様子を隠そうともせずにセリトが厳めしい顔を小窓に近づけた。


「今名乗っただろ。家にはおまえだけか?私たちはオーリス=エジヤに用があるのだが」


 この金髪男のあまりに横柄な態度はさすがに癪に障っただろう。少女は相変わらず狭い窓から片目と前髪を覗かせているだけであったため、既に眉間に皺まで寄せているその表情の変化はあまり読み取れないが、一瞬空気の色が変わるのを肌が感じたような気がした。少女はセリトに劣らないほど気が短いのかもしれない。その態度や表情、周囲に流れる空気がそう語っていた。


 私は何だか嫌な予感がした。私の嫌な予感は大体的中する。ちなみに良い予感と言うのはこれまで一度もよぎったことが無いのでそっちの的中率は不明だ。


 少女が返事をしようとしないので、今度こそセリトに何かを言わせないよう、私は咄嗟に口を開いた。


「僕らは…怪しい者じゃない…。お酒を…譲ってもらえないかと思って来たんだ。君がオーリスさんかい?」


「違います」


 彼女は叩きつけるように短い言葉を発した。私はひどく緊張しており、脂汗までかいていた。この時はその理由はよくわからなかった。酒を持って帰れなかった場合のリデオからの罰を恐れているからだろうか?


 私は額を拭い、視線を落として扉の木目を見つめた。


「オーリスさんが村の人にお酒を売っていると聞いたんだ。今どこにいるのかな」


 あまり人の目を見て口を聞くことが得意でない私は、言葉を言い切ってから顔を上げて改めて少女の目を見たのだが、その時初めて私は、セリトではなくこの私自身が彼女の機嫌を損ねてしまったらしいことに気づいた。訝しげな視線は敵意に満ちたものに変わっていた。


「不愉快です…」


 それは私の全てを拒絶するかのような強い意志を持った言葉だった。


「えっ…」


「まるで子供扱いして…あなたも私と大して歳は変わらないでしょう」


 あまりにはっきりと言うので私はしばらく黙ってしまった。怒ったわけでも呆れたわけでもなく、純粋に頭が空っぽになって言葉が出なかった。


「人にものを尋ねる立場だと言うのに、相手の顔も見ずに話すなんて最低ですよ。一体何を考えてるんですか?なんにも考えてないんですか?まあそうなんでしょうね。そんな顔してます」


 敵意を露わにするや否や、彼女は唐突に饒舌になった。


 なんて子供だ。この口の悪い陰険な子供が自分の運命を左右するのか。本当についていない。少し経って空っぽの頭に真っ先に湧いてきたのはそんな思いだったのだが、もちろん口に出すわけにはいかない。元々酒を譲ってもらおうという魂胆で来たのだ。金を払わない以上心証がすべてだ。相手が子供であっても機嫌を損ねてしまえば好ましくない状況を生むだろう。


 私は言葉遣いを改めて謝罪することにした。


「いや、ええと…すみませんでした。悪気は無かったんです…どうか許…」


 言い終える間も無く、私は左肩に何か重たいものが強くぶつかるのを感じた。私の体は浮き上がり、短い草の生えた斜面に叩きつけられた。妙な体勢で背中から着地したためそのまま下へ転がり落ちてしまった。

 怒りに耐えかねたセリトが私を突き飛ばしたのだ。私は声も出さずにごろごろと転がりながら、セリトが力任せに木戸を蹴りつける音を上の空で聞いていた。傾斜の一番下まで転がり終えると私は仰向けの状態で止まった。


 振り向いたセリトと目が合ってしまった。


「おい!遊んでないで帰るぞ!」


 私は幸運にも無傷だった。



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