#Prologue 百鬼鏖祓伝
海門家。起源すら明らかではない長く続く防人の一族。末代当主 海門 朔一郎は先の戦争においても鬼神の如き躍進を魅せ、千の屍と萬の血の上にて、その生涯を終えた。
1945年から1952年に掛けて発生した、後に“百鬼夜行”と呼ばれる、世界で初めて亡魔が発生し、幽魔そのものが認知された出来事。戦争によって、あるいは困窮による死者が怪物として蘇り、生者を襲う。幽喪災害と名付けられ、現代においてもその脅威は未だ続いている。
幽魔には刀剣類を始めとした現代兵器が一切通用せず、当時は物理的質量で退ける他無かった。
そんな中、朔一郎の娘の一人、海門 栞(1945年当時 八歳)は、民々を守るために刀を振るった。
海門 栞が使用した刀、刀 無銘 日軍改 三霊一祈之日神は現在、伊勢の皇大神宮にて奉納されており、一般人、ひいては皇族ですら拝見することを赦されていない。
起源は1947年、海門 栞が使用していた三振りの軍刀。九四式、三式、太刀型が破損したものを、無名の職人が打ち直した至高の一振り。幽魔への対抗手段が発見されていなかった当時、それの存在は大きく、防戦一方だった“百鬼夜行”を一気に覆すこととなった。
その職人は自らの銘を彫らず、日軍改 三霊一祈之日神(この刀は争う為に非ず、三つの魂を捧げ一つの祈りとし、大御神の加護があらんことを)と刻んだ。また、その職人の技は秘伝であったため、現在は絶えてしまっている。
本来、聖火による加工を施された刀剣は刀身が黒く染まるのだが、三霊一祈は幽魔に対し有効であるのに、その身には白金の輝きを宿している。そもそも、当時は聖火の幽魔特効が発見されておらず、仮に発見されていたとしても急拵えの鍛冶場にあるはずがなかった。そのため、一説では職人の魂が焔に宿り、それが聖火となったのではと言われている。
それに由来して、昨今の聖火研究では意志や魂などが関係しているという説も挙げられている。もっとも、確実性はおろか、科学的根拠も無いため信憑性は限りなく薄いものとされている。
海門 栞、及び他の英雄達の戦功により、亡魔は日に日に減少し、1952年のサンフランシスコ平和条約の発効と同時期に“百鬼夜行”は終幕を迎えた。しかし亡魔、さらには“百鬼夜行”に触発され活性化した霊魔達のテロ染みた行為は続き、1953年 9月、警察庁内に特殊亡霊災害対策課。通称 対魔課が創設された。
当時16歳だった海門 栞はその代表として参加し、約40年の間、幽喪災害から民を守り続けた。
そして迎えた1964年東京オリンピック直前の聖火リレーにて、聖火ランナーが霊魔に襲われる事件があった。しかし、ランナーが聖火を向けると、それに触れた霊魔はたちまち苦しみ出し、一目散に逃走した。(その霊魔は護衛に来ていた海門 栞によりその場で処理された)
それをきっかけに、聖火が幽魔への対抗手段として研究されることとなる。
五年後、聖火を利用し製造された道具 “Vulcan”が完成し、その正式な第一作目の、〇〇一番 旭日之衣が海門 栞を始めとした、第零格の対魔課隊員達に贈呈された。
旭日章の着けられた制帽に、純白のマントと制服は、現在でも力と平和の象徴として崇められている。
海門 栞は生涯、伴侶を作ること無く、その血を残すことも無かった。76歳で認知症を患い、現在はある病院で寝たきりとなっている。
稀に、薫という名を呟くことがあるが、その人物をが何者かは判明していない。




