6.従者の矜持
レイン殿下のベッドにソフィア様を寝かせ、隣室へ移動する。
ソフィア様が体調を崩し王城に泊まること、明日公爵家に送り届けることを手紙にまとめた殿下は、セヴラン公爵家までの使いに手紙を渡した。
「さて、私からお前への説教がまだだったな」
体がぴしりと固まったが、無理矢理体を動かして深く跪く。
「護衛としてあるまじき失態の数々、大変申し訳ございませんでした。どんな処罰も受け入れます」
「……ふむ、私の怒りに気づいていたとは思うが、怒りの原因がソフィアと異なるのは気づいていたか?」
ソフィア様はただひたすらレイン殿下のために、そして『アザト』のために怒っていた。
我が主は良くも悪くも自分だけのためには怒らない。
もしかしたらソフィア様は、殿下のために殿下の分まで怒っているのだろうか。
そんな殿下が大事にしているものを考えれば、怒りの理由は自然と浮かび上がる。
「ソフィア様を守らなかったからではないかと愚考します」
「ふ……正解だ」
思ったより殿下の機嫌が良いのは、ソフィア様のおかげかもしれない。
「あれだけソフィアに怒られたお前には申し訳なく思う。だが、私が一番に護衛に求めるものは、私を全力で守れるかどうかではなく、ソフィアを守れるかどうかだ」
レイン殿下を優先すると殿下に怒られ、ソフィア様を優先するとソフィア様に怒られるだろう。苦しい無理難題だ。
「初めにお前がソフィアを抱き上げて距離を取った時、目的次第では怒りはしなかった。だが、あの時お前の顔に浮かんでいたのは迷いと困惑。ソフィアを警戒対象と認識したのだと一瞬でわかったぞ。フィリオ……護衛ならば表情にも気を付けろ」
全て自覚のあることで何も言い返せない。
「……お前が私の護衛である以上、お前はこの私の怒りを受け取る必要はない。ソフィアの語ったものが正論で、私のこの願いは自分の護衛に頼むべきではない間違った願いだからだ。主が間違いを犯した際には従者がそれを正すべしと言われるが、何を思いどう動くかは、お前を含め従者全員の矜持に任せる。矜持は人それぞれ異なるもので、それぞれが正しい。強制された矜持はもはや矜持ではなくなるからな」
自分は、ただ主を守ると愚直に考えていたが、今日のような場合にそれだけでは困るのだと痛感した。確たる信念も矜持もなかったからだ。
人は、芯になるものがなければいざという時に動けなくなるらしい。
主の体を守るなら最優先はレイン殿下、主の心を守るなら最優先はソフィア様。
だから迷ってしまった。自分の役割と主の望みが一致しなかったから。
殿下の言葉が護衛に向けた正しいものではないことも理解できる。
しかし、矜持を持ってそれに従う場合は、尊い使命として自分を誇れるだろうということも理解できる。
何が己にとって正しいのか。それを自分自身で決めていなければぶれてしまうのだ。
これほど真剣に使命や矜持の意味を考えたことはなかった。
それ自体がすでに護衛としての失態なのかもしれない。
「……少しマシな顔になったな。すぐに答えを出さなくても良い。人によっては人生を懸けて答えを出す類のものだ。ただ、いざという時に困らず動けるよう最低限の対策は考えておけ。フィリオ、お前は筆頭従者だ。多くの権限を与えられている。一人でやろうとしなくていい。人も、物も、使えるものは自由に使って最善を探せ」
「はっ」
まだ答えは見えない。けれど、標は見えた。殿下が示してくださった。
あとは我が主のために何ができるのか、考え続け、動き続けるまで。
「ああ……一応言っておくが、お前が私の願いを優先しなくとも、お前を護衛から外したりはしない。安心して悩むがいい。……ただ、今日のように理不尽に怒りを見せることはあるかもしれないが、それは許せ」
そう言われたものの、私にもし矜持があったなら、その結果殿下を優先したのなら、その時は今日ほど怒られないだろうなと思う。
きっと殿下の一番の不安は、迷って優柔不断な私がどう動くか判断できないこと。
ソフィア様を優先しないと理解できていれば、他の者にその役を任せられる。
私に何をどこまで任せていいかわからないことが心配なのだ。
だから殿下は示してくれた。自分の意志と願いを。
私はこう思い、こう動く。お前はどうだ、と問うてくれた。
どんどん心の視野が開けてきた私に、殿下が一冊の本を差し出した。
「これは……?」
「急がなくていいが、目を通しておけ。『リゼルカ・ベルゼリア伝記の真実』だ。この本の存在と内容は特級の機密事項として扱うように」
今日何度も耳にした名が聞こえて、心臓が嫌な音を立てた。
「お前が知りたがっていた、私とソフィアの絆と信頼の全てがそこに書かれている」
主に気づかれていた。お二人の関係性を探ろうとしていたことを。
強く知りたいと願う反面、この本を読んでしまったら後戻りできない気がする。
「その本の内容とそこから得られるであろう結論は、信じずとも理解せずとも構わない。だが、お前は筆頭従者だ。ただ知っておくだけでも、これから役立つことや理解できることがあるだろう」
「承知しました。……ソフィア様は、レイン殿下によく似ていらっしゃいますね。その理由も、この本を読めば理解できるのでしょうか」
つい探るように聞いてしまう。お怒りになったソフィア様の言動は、外面を脱ぎ捨てた素の殿下と見紛うばかりだった。
ふ、と微かに笑う殿下。
「あの方が私に似たのではない。私があの方に似たのだ」
それ以上の説明はないようで、殿下は口を閉じた。
「……ソフィア様は、殿下の前でも毒や周囲の者を常に警戒されているのですね」
「私の前だからこそだろう。私が誰かに害されるようなことは全力で避けるからな。飲食物も私が直接差し出した物以外は警戒する癖がある」
殿下の寝室にかけられたソフィア様の結界を思い出す。
透明な護衛と呼ばれるそれは、寝室の範囲内に限り完璧に殿下を守護する。
能力的な問題で寝室以外には結界を張れないのかと思っていたが、今日のお話ではそうではない様子。
ソフィア様が殿下を全力で守ろうとするならば、なぜできるのにやらない。
……育てているのか? 殿下とその護衛である我々を。
ただ守られるばかりでは強くなれないからか。
だから結界について護衛の意見も求めてきた?
もしそうなのであれば、寝室のみに施された結界は、せめて夜だけでも安らかに過ごせるようにという心配りであり、本当は全てを真綿で包んでやりたいのにという不本意な譲歩の表れなのかもしれない。
きっと、今殿下の身も心も一番守っている最大の護衛はソフィア様なのだろう。
私はその足元にすら及んでいない。
矜持を持つと共に、根本から心身を鍛え直さねばなるまいと心に決める。
その夜、殿下から渡された『リゼルカ・ベルゼリア伝記の真実』を読み進めた。
それなりのページ数があったものの、その衝撃の内容に途中で手を止めることができなかった。
『リゼルカ・ベルゼリア伝記』は国で一番有名な悪女物語で、リゼルカ・ベルゼリアは世界一の悪女。
それが、多くの国民が持っている常識だった。
だがしかし、殿下に渡された本の内容が真実だというのなら、リゼルカはただ冤罪を着せられ、犠牲を強いられただけの悲劇の王女ではないか。
そして、リゼルカは一人の従者を何より大切にし、二人きりでお互いを守り合い、お互いを支えに生きていた。
その従者の名はアザト。
レイン殿下が、ソフィア様から何度も呼ばれていた名と同じだった。
従者アザトはリゼルカ・ベルゼリアを毒殺した。
誰より優れた魔術で完璧に身を守るリゼルカ。
彼女を殺せる者は、リゼルカが唯一心を許すアザト以外に存在しなかった。
アザトがリゼルカを毒殺した理由は、隣国にリゼルカを利用させないため。
当時のベルゼリア王家は、隣国の王家とある契約魔術を交わしていた。
契約内容は、リゼルカ・ベルゼリアを隣国王家の奴隷として売買するというもの。
そのために両国間で戦争を起こし、敗戦したベルゼリア王家が賠償のひとつとして王女を奴隷に差し出す。
そしてベルゼリア国は属国として隣国の庇護下に入り、ベルゼリア王家の利益を保障してもらう。
リゼルカ・ベルゼリアを利用することを目的として、全て最初から仕組まれた屑による屑のための筋書きだった。
魔術による契約は神への誓いとなる。
途中で契約を放棄しようとしても、約束が果たされるまで逃れることはできない。
たとえ履行前に契約者が死んでも、二親等以内の血縁者が契約行使の責を負わされる。
契約魔術を未履行で破棄できるのは、契約者と二親等以内の血縁が全員命を落とした場合と、契約で差し出されるものがこの世に存在しなくなった場合だ。
アザトはその契約魔術を知った時、最初に思っただろう。
契約者とその血縁を殺せばいい。
しかし不運なことに、契約者はどちらも王家だ。秘された血縁、落胤がいれば簡単には探しきれない。
そして最大の不運は、契約者の近い血縁にリゼルカ・ベルゼリア自身が含まれていること。
だからアザトは、リゼルカ・ベルゼリアを殺すことで守った。
薄汚い者達の手で与えられる、奴隷という生を歩まなくて済むように。
本に書かれていたその後のアザトの生き様は、実に痛々しいものだった。
魔力なしという体でありながら、陰で暗躍し、闇に潜み、ベルゼリア王家の者を一人ずつ屠っていった。
その後は隣国に移り、隣国王家の者も同様に地獄へと送る。
約二か月という短期間で復讐を果たしてみせたのだ。
リゼルカ・ベルゼリアに鍛え上げられたアザトは、魔力なしでも恐ろしいほどに強者だった。
しかしその最後は、リゼルカの墓前でリゼルカと同じ毒を飲むという、静かなものであったようだ。
本を読み終え、無意識に大きな溜め息を漏らす。
同じ従者であるせいか、アザトに酷く感情移入してしまい気疲れしていた。
アザトの無念と苦しみが、自分のもののように感じられる。
稀に生まれる前の記憶を持つ者がいる、という伝承を聞いたことがあった。
きっと、そういうことなのだろう。
レイン殿下とソフィア様は、きっと『そう』なのだ。
ソフィア様の不思議な魔術も、レイン殿下の底知れなさも、狂気的にも見えるお互いへの執着と愛情も、全ては前世から引き継いだもの。
勿忘草に込められていた絆と信頼は、想像以上に重く苦しいものだった。
「そりゃあ……怒られますよねぇ」
こんな人生を生きてきた二人にとって、私の仕事ぶりは温くて仕方がないと感じるだろう。従者としても、護衛としても、あまりに不適格だ。
魔力なしのせいで王に疎まれているレイン殿下に、まともな護衛が与えられることはなかった。
騎士団の中で評価が低い者と、将来の側近候補である騎士見習いしかいない。
私は高い護衛能力を評価され同い年の王太子の従者になる予定だったが、王太子殿下本人の強い願いを受けてレイン殿下を守ることになった。
私以外の護衛を側に置きたがらない殿下。
他の護衛はいるものの、その者達には少し離れたところからの警戒と護衛を主に任せている。
人嫌いで警戒心が強い故だと思っていたが、単なる実力不足で側に侍るのは不要と判断されていたのだろう。
きっと殿下にとって、側に置ける護衛として最低限の基準を超えた者が私しかいなかったのだ。
これまで主を一人で闘わせていたのだなと、深い後悔と反省が胸を潰した。
翌朝顔を合わせたレイン殿下は、私が借りていた本を差し出すと「もう読み終わったのか」と声を掛けてきた。
「全てを理解した顔だな。これからも私に仕える気はあるか」
問われてすぐさま跪いて答える。
「もとより生涯お供する覚悟です。これからは私自身も他の者達も、今まで以上に鍛えていく所存です」
「フィリオに隠し事がなくなった今、私も動きやすくなる。望むなら私がお前達を鍛えるが」
思わぬ言葉に勢いよく顔を上げた。
「これまでフィリオ以外の護衛は放置で良いと思っていたのだが、ソフィアが心配しそうなのでな。お前たちを鍛えればソフィアの心配も減る」
回りくどいが、殿下自身にもメリットがあるから気を使わず教えを乞えと仰りたいらしい。
「恥を忍んでご教示願います。どうぞよろしくお願いいたします」
「私の鍛錬は優しくないからな。文句は聞かぬ」
そこからしばらく鍛錬などの予定について話し合っていたが、ソフィア様が目覚めたという知らせを受けて移動することになった。




