第3話 色彩の徴収、甘美なる囲い込み
公爵領の冬は、生き物を……命を拒絶する世界だった。窓の外に広がるのは、あらゆる生命活動を停止させる死の白。しかし、東の塔に隣接して突貫工事で建てられた巨大な温室の中だけは、そこだけが、冬に喧嘩を売るように繁茂していた。
庭師のピエールは、閣下からの無言の圧力を背に受けて震えていた。事の発端は、彼が「奥様が雪の下から凍えたハーブを救い出そうと、素手で土を掘っておいでです」と報告したことだった。
その翌日には、王都から魔導暖房の専門家が召集され、本来なら数ヶ月かかる温室が、公爵家の財力と権力によって常識を踏み潰す速度で完成した。
「寒い場所で震えられては、私の損失だ。……彼女の体温が下がれば、抽出される色彩の純度が落ちる」
ギルベルトは、温室の熱帯植物の陰から、土をいじるエルナを見つめていた。彼女へ投資する理由は、それで足りる。だが本音は別だ。失う想定をしていない。見つけた瞬間から、手放す選択肢はなかった。
エルナは、実家では「泥遊びは卑しい女のすることだ」と禁じられていた庭仕事に、夢中になっていた。かつて実母が愛したというミントやローズマリーの苗を、慈しむように植え替えていく。
「見てください、閣下! この子、こんなに小さな芽を出しました」
エルナが泥のついた手で、満面の笑みを向ける。瞬間。ギルベルトの視界に、暴力的なまでの「若草色」が灯った。新芽の緑、湿った土の深い焦げ茶、そして彼女の頬を彩る、かつて実家では見ることのなかった健康的な生命の赤。
「緑……」
ギルベルトは、その色を肺の奥まで吸い込むように深く呼吸した。───徴収。
彼女が幸福を感じ、その感情を色彩として放出する。彼はそれを視覚から摂取し、公爵家の呪いを補填する魔力へと変換する。理屈ではそう定義している。だが指先だけが、理論に従わない。
だが、その理論を構築する脳の裏側で、彼の指先は、彼女の泥のついた頬に触れたいという衝動に、じりじりと焼かれていた。
食事は、もはや「儀式」を超え、ある種の「飼育」へと変貌していた。東の塔のダイニング。ギルベルトはエルナを自分の膝の上に座らせ、同じ皿から料理を分け与える。
「……あの、閣下。重くありませんか? 私、最近、ボキューズさんたちが美味しいものをたくさん作ってくださるから、少し体が重くなった気がして……」
「問題ない。君の重さなど、この城の一石にも満たない。むしろ軽すぎる。もっと重くなれ。……それに、よく育っている。その方が、私の目に映る色が豊かになる」
ギルベルトの声は、低く、熱を帯びていた。エルナは、実家では「食費の無駄」と罵られ、皮と骨ばかりになるまで痩せ細っていた。だが今、彼の腕の中に収まる体は、日を追うごとに柔らかさを増し、肌は真珠のような光沢を放っている。
「さあ、一口食べろ。ボキューズが、君に『おいしい』と言わせるためだけに、寝る間も惜しんで煮込んだソースだ」
エルナが素直に口を開け、深紅のソースが絡まった若鶏を咀嚼する。
「……美味しい。お肉が、唇で解けるみたいです。幸せ……」
瞬間、視界に紫がかった深紅が広がる。料理長ボキューズは厨房の影で、その様子を祈るように見つめ、ガッツポーズを作っていた。
今や城の料理人たちは、ギルベルトではなく、エルナを「厨房の女神」として崇める信徒ではない。崇拝者だ。彼女の「おいしい」という一言が、この凍てついた城の住人たちにとって、唯一の救いとなっていた。
ギルベルトはエルナの頬に差した桃色を指でなぞり、満足げに目を細めた。実家で虐げられていた彼女を、自分好みに、自分の色に染め上げていく。それは、支配と救済が入り混じった、甘美な愉悦であった。
「閣下!! これ以上の暴走は、カイル・フォン・カレウスの名にかけて断固拒否いたします!」
執務室に、またしてもカイルの悲鳴が響き渡った。彼は震える手で、一通の買収契約書を突き出す。
「王国南部の、伝説とまで言われる最高級ワイナリーを一軒、丸ごと買い取るなど、正気の沙汰ではありません! 運搬コストだけで我が家の年間維持費の数%を占有します! 投資効率が悪すぎます!」
「彼女が、そのブドウの香りが一番好きだと言った」
「それがどうしたと言うのですか!」
「合理的だ、カイル」
ギルベルトは、感情の読めない銀の瞳でカイルを射抜いた。
「彼女の幸福感から抽出される色彩こそが、我が領の防衛術式を維持するための高純度魔力源だ。ワイナリー一軒で防衛力の底上げができるなら、これほど割に合う投資はあるまい」
「そ、それは……理屈では、そうかもしれませんが……っ! 閣下、それは愛着を合理という言葉で塗り潰しているだけではありませんか!?」
「黙れ。……さっさとハンコを押せ。彼女の夕食の時間だ」
カイルは天を仰いだ。五杯目の胃薬を飲み込みながら、彼は確信した。死神公爵は、今や一人の少女が放つ「色彩という名の麻薬」に、一国を傾けかねないほどの依存を始めているのだと。
夜。暖炉の火が爆ぜる音だけが聞こえる、静かな東の塔。ギルベルトは、焼き菓子を幸せそうに頬張るエルナの横顔を眺めていた。
「幸せです。こんなに温かくて、甘いものを毎日いただけるなんて……実家にいた頃は、想像もできませんでした」
蜂蜜色の色彩が、波紋のように広がっていく。ギルベルトはその光を、乾いた大地が雨を吸うように、全身で享受し続けた。
「……もっと、甘いものを用意させよう。君が飽きぬよう、世界中の砂糖を買い占めても構わん」
「そんな、閣下! 本当に太ってしまいます……」
不安の灰色が色彩に混じるのを防ぐように、ギルベルトは彼女の顎を優しく、しかし逃がさぬ強さで持ち上げた。
「構わない。痩せる必要も、節制する必要もない。君は、私のために、この城の中で、ただ満ちていればいい」
その言葉は、宝石で飾られた、けれど決して出ることの許されない「優しい檻」の完成を意味していた。
実家の家族から「呪われた子」として疎まれてきたエルナにとって、この重すぎる執着は、初めて自分を必要としてくれる「愛」のように感じられた。
「……はい。閣下が喜んでくださるなら、私、嬉しいです」
その瞬間、視覚を焼き尽くすほどの、柔らかな「桃色」が爆ぜた。ギルベルトはたまらずエルナを抱き寄せ、その細い首筋に顔を埋めた。依存。渇き。これはもはや、防衛のための「徴収」などではない。
彼女が放つこの色がなければ、自分は再び、あの死よりも冷たい灰色の世界へ逆戻りしてしまう。その恐怖が、彼をさらなる溺愛という名の狂気へと駆り立てる。
「逃げるなよ、エルナ」
「逃げません。こんなに温かい場所にいさせてくれる閣下を置いて、どこへも行きません」
素直な、あまりにも無垢な誓い。窓の外では、雪が世界を白く、静かに閉ざしている。だが、氷の城の内側では、色彩という名の麻薬に溺れた公爵が、琥珀色の瞳をした少女を、永遠の檻の中に閉じ込めようとしていた。逃がす気はない。見つけた瞬間から、もう決まっていた。
───そして、この甘い檻の扉を、欲にまみれた土足で踏み荒らそうとする「過去の亡霊たち」が近づいていることに、二人はまだ気づいていなかった。




