第9話 市場の噂と眠りの温室
一輪道が整ってから初めての市場日。俺たちの露店は、前回よりも人の流れが滑らかで、荷の上げ下ろしも焦らずに済む。
「いらっしゃい、ハルノの野菜!」
ツムギの明るい声が広場に跳ねる。クロは足元で尻尾を振り、守り神は籠の陰から顔だけ出して客の反応を観察する。
「甘い……」「香りがすごい」「日持ちしそう」――斜め前の商人が眉をひそめる。赤鼻に立派な前掛け。看板には“ガンジオ商会”。
「坊やたち、若いのに景気がいいじゃないか」
「坊や?」とツムギが眉を寄せる。
「すまない、俺は農夫だ」
「わかってるよ、農夫さん。だがね、ここの市場には“流儀”ってものがある。急に人気をさらうと、恨まれることもある」
「畝を恨むなって伝えてくれ」
「畝?」
「俺の世界の半分だ」
「……はは、面白い」
赤鼻の男は冗談に変えて笑ったが、その日の午後、隣の乾物屋と通りの端の香辛料屋から「同時に」価格を下げる圧がかかり、うちの客をそっちへ流そうとする動きが見えた。
セレスが帳面に×印をつける。「わかりやすい連携。独占にはさせない」
「戦うの?」とツムギ。
「戦いじゃない。次の収穫まで市場全体が息切れしないよう、均したい」
俺は露店の前に小さな札を立て、“順路くじ”と墨書した。竹筒に入れた短い棒に“露店番号”を振り、野菜以外の買い物は、くじで引いた店から回る遊びだ。引けば笑い、回れば会話が生まれる。
「そんなもんで……」と赤鼻は鼻で笑ったが、子どもが面白がり、親が付き合い、店同士が「今日は当たりだった」「うちはハズレだが、明日はうちに回せ」と冗談を言い合ううち、圧は自然に和らいだ。
「お前、商売がうまいな」と赤鼻。
「畝の回転を見ているだけだ。偏りが出たら、風を作る」
「風?」
「風が流れれば、腐らない」
「……やっぱり面白い」
帰り道、温室に灯りをつけると、中に見慣れない影がいくつもうごめいた。
「アッシュさん、中に何かいる!」
ツムギの声に俺とセレスが駆け寄る。そこには――
「……野ウサギ?」
「それから、森ネコと、ちいさい鹿」と守り神。
小さな獣たちが温室の隅で寄り添い、気持ちよさそうに眠っていた。
「追い出そう」
「待って」とセレス。「被害は?」
「苗の先をかじった跡が少し。でも温室の中ほどじゃなくて、端だけ」
「温度勾配の低い場所を“寝床”に選んでる。あなたの温室は居心地が良すぎるの」
「居心地がいいのは、畝のためだ」
「獣も畝の“ため”に休んでるのかも。荒らす気配がない。……“眠りの温室”ね」
噂は早かった。翌日から、「怪我した小鳥が温室に入って朝には飛べるようになった」とか、「夜中に通ったら子狐が並んで寝ていた」とか、温室の周りに町から「見学」が来る。
「お金を取るつもりはない。畝の邪魔をしない約束だけ」
「約束札」を入口にぶら下げる。“走らない、踏まない、触らない、匂いを嗅ぐのはOK”。
「最後の一行が緩い」とセレス。
「匂いを嗅ぐのは畑の礼儀だ」
「あなたの礼儀でしょ」
夜。温室の隅で、守り神が獣たちの寝息に合わせてうとうとしている。
「ここ、いい。土の音が静か」
「静かなのが、いちばん贅沢だ」
「うん」
王都の報告。
――辺境の里、温室に小動物が集まり“眠る”。住民の被害報告なし。温度勾配・湿度・臭気の組成、人体に良性。
よくも悪くも、事務的だ。けれど“良性”の二文字は、畝にも、読者にも、きっと効く。