第6話 温室という名の秘密基地
冬の気配が谷に近づき始めた。
朝、畑に立つと霜がうっすら降り、葉の端が白く縁取られている。寒さに弱い作物はそろそろ限界だ。
「アッシュさん、葉っぱが凍ってる!」
ツムギが駆けてきて、霜を手にとって見せる。
「このままだと枯れちゃうよね……?」
「そうだな。だから“温室”を作る」
「おんしつ?」
「畑の秘密基地みたいなものだ」
ツムギの目がきらきら輝いた。
昼。
俺は畑の端に木の杭を打ち込み、骨組みを組んでいく。セレスは興味深そうに観測器を片手に眺めていた。
「温室……つまり外気から遮断して、内部の温度を保つ仕組みね。王都の研究所でも試験段階だったけど、ここでやるの?」
「畝を守るためだ。霜で苗が死んだら困る」
「あなた、ほんと畝のことしか考えてないのね」
「当然だ」
木枠に布や獣皮を張り、隙間には泥と藁を詰める。屋根には透明な油紙を伸ばす。光を通し、熱を逃がしにくくするためだ。
「わ、明るい! しかもあったかい!」
ツムギが中に入ってはしゃぐ。クロも尻尾を振りながら駆け回る。
「ここに冬越し用の作物を植える。葉物や豆、あとは薬草もいいな」
「秘密基地って感じだね!」
「……温室だ」
守り神も土から顔を出して頷いた。
「いいな、ここ。寝るには最適だ」
「仕事をするところだ」
「仕事の合間に寝るのさ」
俺は額を押さえた。
だが、完成を喜ぶ暇はなかった。
夕暮れ、谷に冷たい風が吹き抜けたかと思うと、山の斜面に巨大な影が現れた。
氷雪の巨人。冬の前触れとして現れ、畑や村を踏み荒らす厄介な存在だ。
「ひ、氷の巨人だ!」
村人たちが悲鳴を上げ、戸に鍵をかける。
セレスが剣を抜いた。
「来るわよ、アッシュ!」
「畝に近づけさせなければいい」
俺は温室の前に立ち、鍬を構えた。
巨人が大地を踏み鳴らすたびに、地面が凍りついていく。白い霜が瞬く間に広がり、作物を凍らせる。
「……霜対策だな」
俺は鍬を振り下ろし、畝の間に深い溝を刻む。
すると溝から暖かな蒸気が立ち上り、巨人の冷気を遮った。
「な、なに……?!」
セレスが目を見開く。
「畝の下に、温泉の名残がある。少し通しただけだ」
土の奥で眠っていた熱が、溝を通して解き放たれる。温かな蒸気が巨人を包み込み、凍りついた体を軋ませる。
「グオオオ……!」
巨人は呻き声をあげ、足元から崩れ落ちた。蒸気に溶かされ、雪解けのように霧散していく。
「……終わった」
俺は鍬を土に突き立て、深呼吸をした。
翌朝。
温室の中はぽかぽかと暖かく、霜の被害を受けた様子はなかった。ツムギが芽を見つけて声を上げる。
「ほら、ちゃんと元気だよ!」
「温室のおかげだな」
「秘密基地最高!」
「温室だ」
守り神はあくびをしながら言った。
「なあ、アッシュ。あんたが畑を守るたびに、眠っていたものが次々目を覚ましてる気がするよ」
「そうか?」
「そうだとも。次は何が目を覚ますか、楽しみだ」
セレスは観測器を見つめながら呟く。
「……局地的な温度制御、風向きの安定。これ、もはや自然現象じゃない。あなたの“畑仕事”が世界規模の気候を調整している可能性がある」
「畑を耕してるだけだ」
「……その一言が、一番恐ろしいのよ」
クロが温室の中を走り回り、ツムギが笑いながら追いかける。
俺は静かに畝を撫で、土の柔らかさを確かめた。
その夜、王都にはこう記録された。
――冬の氷雪の巨人、突如発生した温泉噴出と熱気流により消滅。周辺被害なし。観測不能の力によるもの。
世界は騒ぐ。だが俺にとっては、畝を守るための温室――秘密基地をひとつ作っただけの話だ。