第5話 畑の守り神
朝の畑に立つと、土の匂いがひときわ濃い。昨日市場に出して余った野菜を地に戻しておいたからだろうか。土は喜び、夜のうちにふかふかと柔らかく膨らんでいた。
「おはよう、畝」
そう声をかけて鍬を入れる。
いつもなら「しゃくっ」と刃が通るはずなのに、今日は何かに触れた感触があった。石かと思ったが、違う。ごつごつしているが温かい。
「ん……?」
掘り返すと、土の中から土偶のような塊が顔を出した。丸っこい身体に短い腕。顔には目のようなくぼみが二つ。
「わ、わわ! で、出た!」
背後でツムギが悲鳴を上げる。
クロは尻尾を振って吠える。
土偶はむくりと起き上がり、欠伸をした。
「……ふぁあ。よく寝た」
声が、した。
俺とツムギは目を見合わせる。
「しゃべった……?」
「しゃべったよね!?」
土偶は自分の腹をぽんぽん叩き、周囲を見渡した。
「ここ、気持ちいい土だな。ああ、やっと起きられた……」
「お前は……何だ?」
「何って、畑の守り神さ」
「守り神?」
「昔々、ここの里には豊穣を祈る祭りがあった。でも人が減って祭りも絶えて、わたしも眠っちゃってた。けど、あんたが鍬を入れてくれたから、目が覚めたんだ」
ツムギがぱあっと顔を輝かせた。
「すごい! じゃあ本当に神様なんだ!」
「神様って言っても子どもみたいなもんだよ。腹が減るし眠くもなる」
「なに食べるんだ?」
「土。それと、作物の匂い」
言うが早いか、守り神は畝の端に座り込み、土をひとつまみ口に運んだ。
「……うん、美味い。いい土だ」
「それはよかった」
俺は素直にそう答えた。
昼になると、村の人々が集まってきた。
「ほんとに神様が……」
「喋ったぞ……!」
口々に驚き、拝む者もいれば恐る恐る距離を取る者もいる。
「わたしは畑の守り神。けど、難しいことはできない。ただ畝の調子を整えるくらいさ」
「それがすごいんだよ!」とツムギが言う。
村人たちは半信半疑ながらも祭りのように集まり、守り神に果物や菓子を供えた。守り神は楽しそうに食べたり匂いを嗅いだりして笑っていた。
セレスも観測器を抱えてやってきた。
「……これは、何?」
「畑の守り神だそうだ」
「また冗談を」
「本人がそう名乗った」
「……観測値を見る限り、確かに局地的に気流や水分が安定している。未知の要素が作用しているのは間違いない。……信じるしかないのか」
セレスは観測器の数値を記録しながら、守り神をじっと見た。守り神は気にせず、畝の上で日向ぼっこをしている。
午後、突然空が翳った。村の外れから、魔物の影が群れをなして押し寄せてくる。
「またか……」
村人たちが悲鳴を上げ、子どもを抱えて逃げる。
俺は鍬を握り、畑の前に立つ。
「畝を踏ませるわけにはいかない」
だがその時、守り神が立ち上がった。
「わたしの出番かな」
小さな手をぱたぱた振る。
すると畑全体から土の気配が立ち上がり、柔らかく膨らむ。まるで畑そのものが眠っている子を抱きしめるかのように、迫る魔物たちの足元を包み込んでいく。
「ぐあっ……」
「足が……抜けない!」
魔物たちはもがき、やがて泥布団に沈んで動かなくなる。
守り神はふうっと息を吐き、こちらを振り返った。
「どうだい? ちょっとは役に立つだろ」
「……ああ。立派だ」
俺は素直に頷いた。
ツムギが駆け寄り、守り神を抱き上げてぐるぐる回る。
「すごい! 本当に畑の神様だ!」
「わ、回すな、目が回る!」
村人たちは口々に礼を述べ、祭りのような騒ぎになった。
夕暮れ。
守り神は畝の端に座り、夕陽を浴びて欠伸をしていた。
「なあ、アッシュ」
「なんだ」
「お前が畝を大事にしてるから、わたしもここに居心地がいい。だから、しばらくはここにいてやる」
「助かるよ」
「ただし、供物は忘れるなよ」
「土だけじゃ足りないのか?」
「たまには果物が欲しい」
「……贅沢だな」
笑い合う俺たちを見ながら、ツムギが言った。
「これでこの村はもっと安心だね」
セレスは観測器を閉じながらつぶやいた。
「……この小さな畑が、本当に世界の均衡を守っているのかもしれない」
クロが守り神の隣に丸くなり、二匹(?)並んで眠る。畝は今日も機嫌がよさそうだ。
その夜、王都では報告が届く。
――南方の魔物群、謎の地相現象により無力化。局所的安定の中心は「小さな村の畑」と推測。詳細不明。
世界は騒ぐ。だが俺にとっては、ただの一日。
「おやすみ、畝」
そう呟き、眠りに落ちた。