表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/38

第30話 晒し地図と、春の鍬ぶえ

翌朝、谷の白はひと筋だけ薄くなっていた。

 屋根の縁からとととと水が走り、橋の板はぱんと一度だけ笑う。喉は温かい。畝の肩は、指先ほど緩んだ。

 鍋の湯気に柑の皮を一枚。守り神が土の下で「よし」と寝返りを打つ。

 ツムギは黒板を抱え、ユーリは鍬を磨き、セレスは観測器の針を点検している。ヨルドは晒し札の束を胸に抱えてにやにやだ。

「さて、図にするか」

 俺は羊皮紙を広げた。橋、畝、温室、鍋の位置。それから昨日の“二刻の置き”で通した湯気の道、拍の輪、歌の合いの手。

 細い線で矢印を描き、ところどころに丸。丸は“角を丸めた場所”、三角は“風を受け流した場所”。

「字は私が」

 セレスが端から注釈を書き込む。観測語と畝語を併記し、言い換えの余地を残す。

「晒すのは?」

「広場。橋の喉が見える位置」

 ヨルドが即答した。「喉の前で嘘はつきにくい」

 ツムギがぽん、と手を打つ。

「じゃあ“鍬ぶえ”も晒そう!」

「鍬ぶえ?」

「この前、折れた柄。穴をあければ笛になるよ。拍の合図にぴったり!」

 言うが早いか、ツムギは小刀で古い柄に穴を開け始めた。ユーリが横で真面目に穴の間隔を測る。

「師匠、音階は……」

「畝に訊け。鳴れば合格だ」

 二人は顔を見合わせ、なぜかやる気だけ満点になった。

 昼。広場の晒し台に図を貼る。

 《畝の置き方・春待ち版》

 《湯気の道・香りの配合》

 《拍の輪・合奏の順番》

 《鍋は共同・保証の貼り場所》

 村の面々が集まってきて、うんうん頷いたり、首を傾げたり。わからない顔はその場で質問、わかった顔は隣のわからない顔に指をさす。

 ヨルドが声を張る。「図は更新する。間違いを見つけたら、その場で黒く塗れ!」

「黒で?」

「間違いは、見えたほうがいい」

 そこへ、クロがわふと一声、温室のほうを見た。

 見張りの若い役人が息を切らして駆け込む。

「谷の端で旅人が倒れていました! 地図持ちです。凍えかけ!」

 俺とセレスは走った。雪の縁に、毛皮の外套がひとつ。胸は浅く上下して、腕には水濡れの筒。

 温室に運び込み、火と蜂蜜湯。守り神が「香り」と一言、俺は柑の皮を二枚、蜂蜜は少なめ。眠らせずに温める。

 ほどなく旅人は目を開けた。頬は削げ、だが目は強い。

「……地図を。谷の肩の“すべり”を描いた」

 筒から出てきた紙には、等高線の肩に細い斜線が刻まれ、風骨の“掛け具”が描き添えられていた。

「白紋会は五日後、“肩すべり”をやる。二刻押しを、日に何度も重ねるやり方だ」

 セレスが顔をしかめる。「喉を乾かさずに疲れさせる、いやらしい方法」

「だから先に、肩を丸めておくんだ」

 俺は晒し図に赤い丸をいくつも足した。「歌と拍の輪を増やす。湯気の道も」

「なら班を分けましょう」セレスが指を折る。

「畝班・橋班・鍋班・香り班・札班・見張り班。畝班の副長はユーリ、橋班の合図はツムギ」

「は、はい!」

「やった!」

 ヨルドは札班の前に立ち、《班長は怒鳴らない》《間違いは黒で》《ご褒美は鍋》の三枚を足した。

 午後の鍬稽古は“鍬ぶえ”で始まった。

 ツムギ作の笛は、穴が少しずれていたが、かえって可笑しい音が出る。

 ふえぇ……ふぉ……ぴっ

 橋がぱんと笑い、踊り場の麦殻がしゃらと返す。

「拍、よし!」

 ユーリの鍬が半拍遅れてとん。雪の上に“土枕”が点々と生まれ、畝の肩がゆるむ。

「震えても置け」

「はい!」

 遅れは、今日も宝だった。

 夕方、旅人は少し色を取り戻し、地図の端に追記をした。

「“肩すべり”は風下へ甘く匂う。油断の匂いだ。谷は酸いを混ぜろ」

「香り班、聞いたな。柑は多め、蜂蜜は控えめ、薪は乾きを」

「らじゃ!」ツムギが鍋班の前で敬礼し、クロが尻尾をぺちぺち。

 夜。晒し台の前で、みんなが寄り合う。

 セレスが図の端にもう一つ、淡い線を引いた。「“春迎え合奏”の導線。鍋を真ん中に」

「鍋、真ん中?」

「鍋は共同。真ん中に置けば、誰も嘘をつかない」

 ヨルドが満足げに頷く。「それから“晒し地図”の更新時間も決める。朝と夕。二度晒せば、二度整う」

 そこへ、黒羽が一羽、低く滑ってきた。

 撃たない。温室の屋根も裂かない。

 代わりに、俺は“鍬ぶえ”を借り、三音だけ吹いた。

 ふぉ・ふえ・ふぉ

 返事はなかった。けれど、黒羽は少しだけ高度を上げ、雪の向こうへ消えた。

「凍えるな」

 誰にともなく言って、笛をツムギへ戻す。

 鍋は静かに湧き、香りは柔らかく広がる。

 旅人は碗を両手で抱え、言葉少なに礼を言った。

「……肩を丸める、という発想は初めてだ。地図には載らない。だが、地図の上を歩く足には載る」

「なら、歩くほうを信じろ」

「うむ」

 寝る前に、俺は畝の端を撫でた。雪の下がうんと二度頷く。

 種袋を並べて、春の相談。豆、芋、麦――それから、ツムギがどこからか持ってきた花の種。

「これ、畝の角に蒔きたい」

「角を丸める花か」

「うん。名前は“おやすみ”」

 誰がつけたのか知らない、優しい名だ。

 灯を落とす直前、橋がぱんともう一度笑った。

 谷は返事をする。

 五日後、白紋会は“肩すべり”を仕掛けてくるだろう。こちらは五日間、毎日二度、晒し図を塗り替え、歌を増やし、拍を太くする。鍋は真ん中、香りは酸い多め。

 いつも通り――の段取りを、少しだけ念入りに。

「明日も畑を耕す」

 小さく言うと、守り神が「香り」と寝言を言い、クロがくうと寝息を立てた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ