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第27話 雪解けの兆しと、谷に忍ぶ黒き影

冬の谷は、毎日が同じようでいて少しずつ違う。

 雪の表面に差す光の角度、畑を覆う白の厚み、そして村人たちの息遣い。

 今日も俺は鍬を肩に担ぎ、雪の下から畝の様子を確かめていた。

 まだ固い。けれど、わずかに土が柔らかさを取り戻しつつある。春が近い証だ。

「おじちゃん、もうすぐ雪がとける?」

 ツムギがスコップを抱えて駆け寄る。

「もう少しだな。春が来れば、また種をまけるぞ」

「やった! 今度は何を植えるの?」

「そうだな……芋に豆、あとは……」

 答えを考えていると、セレスが鍋を抱えてやってきた。

「英雄さま。芋の保存分が心許ないので、春の作付けは早めに決めた方が良いかと」

「だから英雄じゃない。ただの百姓だ」

「ふふ。では百姓さま。今度は豆を増やすといいですね。子どもたちも喜びます」

 彼女の言葉に、ツムギが勢いよく頷いた。

「豆ごはん! 豆ごはん!」

 その笑顔を見ていると、世界の騒動なんてどこか遠いものに思えた。

 午前中は畑の雪かきを弟子のユーリに任せた。

 彼は鍬を持つ手こそまだぎこちないが、真剣さは本物だ。

「師匠! ここはこうで合ってますか?」

「力を抜け。鍬は振るんじゃない、土を待て」

「……待つ?」

「そうだ。土が自分から動きたくなるまで、余計な力を加えるな」

 ユーリは何度も失敗し、転んでは雪をかぶった。

 けれど、顔を上げるたびに瞳は輝いていた。

 その姿を見ていると、押し手だった頃の影はすでに遠い。

 昼。

 暖炉の前で煮込みを食べながら、セレスが話を切り出した。

「英雄さま。昨日の押し手の残党を見かけた者がいるそうです」

「……やはり、逃げ延びたか」

 彼らは畑を狙う。俺の心に鈍い苛立ちが走る。

 畑を荒らす奴は許さない。たとえ世界がどう思おうと。

「師匠……」ユーリが拳を握る。

「俺も戦います。畑を守る弟子として」

「戦うんじゃない。畑を耕せ。それが守ることにつながる」

「でも……!」

 彼の焦る声を、俺は鍋の蓋を閉じて遮った。

 畑は戦場じゃない。だが結果として、俺の鍬は戦場になってしまう。

 その矛盾を、どう説明すればいいのか。

 午後。

 谷の見回りを兼ねて、森に入った。雪解け水が小川を作り、枝の間から陽光が差し込む。

 だが、森の奥には不穏な気配が漂っていた。

「セレス、感じるか?」

「……はい。押し手だけではありません。魔獣の気配も」

 案の定、雪の陰から黒い影が現れた。

 それは狼よりも大きく、角を持つ獣だった。赤い瞳がぎらつき、牙を剥き出しにしている。

「谷に入るつもりか……?」

 鍬を構えると、魔獣が吠えた。

 雪が舞い上がり、森全体が震える。

「下がれ!」

 俺は鍬を振る。大地が裂け、雪と共に衝撃が走り、魔獣は吹き飛んだ。

 その背後から現れたのは――押し手だった。

「やはりいたか」

 押し手の一人が叫ぶ。

「英雄! お前が畑など耕しているから、世界は歪む!」

「世界がどうだろうと知るか。俺は畑を守る」

 鍬を振ると、押し手たちは恐怖に顔を歪めて逃げ去った。

 だが奴らの目には、諦めではなく執念が宿っていた。

 夜。

 暖炉の火が揺れる中、村人たちは今日の出来事を語り合った。

「魔獣まで……谷はどうなってしまうのだ」

「押し手は畑を狙っている。つまり、この谷が標的なんだ」

 俺の言葉に、沈黙が落ちた。

 だがツムギが笑顔で言う。

「でも、おじちゃんがいるから大丈夫!」

 その無邪気な声に、村人たちの表情が少し和らぐ。

 俺は鍬を握りしめ、静かに心に誓った。

(たとえ世界がどうなろうと、この畑を守る。それが俺の役目だ)

 深夜。

 窓の外を見れば、雪の闇の中で影が蠢いていた。

 押し手はまだ諦めていない。畑を潰そうと牙を研いでいる。

 けれど、ここには畑がある。

 俺の、弟子の、村人たちの――生きる場所が。

 ――守る。

 その思いだけが、俺の全てだった。

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