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第26話 谷に訪れた行商人と、畑を狙う影

冬の谷は閉ざされている。

 山道は雪に覆われ、人の往来はほとんどない。だからこそ、村人たちは互いに助け合い、畑の恵みや保存食を分け合って冬を越す。

 そんなある朝、谷に珍しい訪問者が現れた。

 大きな荷馬車を引く行商人だ。雪を踏みしめてやってきた馬車の鈴の音に、村の子どもたちが歓声を上げる。

「行商人だ! 行商人が来た!」

 俺も鍬を持ったまま畑から顔を上げた。冬のこの時期に商人が来るとは、よほどの事情か、あるいは――。

 村の広場に馬車が停まり、行商人の親父が威勢よく声を張った。

「やあやあ、谷の皆さん! 珍しい品を持ってきましたよ!」

 馬車の上には布や塩、乾燥果物、香辛料などが積まれている。村人たちはわっと集まり、懐から少しずつ蓄えていた穀物や毛皮を差し出して物々交換を始めた。

 ツムギが目を輝かせて俺の袖を引っ張る。

「おじちゃん、お菓子! あそこに甘いのあるよ!」

「甘いのは畑のニンジンで十分だろ」

「ちがうの! あれは特別なの!」

 仕方なく、俺は行商人に近づいた。

「干し果物を少し頼む。代わりに畑の干し大根でいいか?」

「おお、これは見事な保存食! ありがたい! では、この干し柿を」

 ツムギが嬉しそうに受け取り、すぐに口いっぱいに頬張った。甘さに頬を緩める姿を見て、まあ良しとするかと思った。

 しかし、俺は気付いていた。

 行商人の荷に紛れて、不自然な視線があった。

 馬車の奥、布の陰から鋭い眼差しが覗いている。

(……押し手か?)

 セレスも弓に手をかけ、警戒の目を向けていた。

 だが村人たちは物々交換に夢中で、異変には気づいていない。

 俺は商人に声をかけた。

「お前、どこの街から来た?」

「ええと、山の向こうのカーヴェルです。最近は押し手の噂も多くてね……この谷は安全と聞いたので」

「安全、ね……」

 俺は鍬を握る手に力を込めた。

 夜。

 村人たちが寝静まった頃、外で物音がした。

 俺が外に出ると、雪原を黒い影が動いていた。

 押し手だ。やはり馬車に紛れ込んでいたらしい。

 彼らは村の蔵に忍び込み、保存食を奪おうとしていた。

 俺が近づくと、一人が気づいて叫んだ。

「英雄だ! こいつがいるから世界が乱れるんだ!」

 次の瞬間、押し手の一人が魔道具を取り出し、蔵に火を放とうとした。

「やめろ!」

 俺は鍬を振り下ろす。地面が裂け、雪が噴き上がり、押し手たちは弾き飛ばされた。

 だが、一人が叫んだ。

「畑を狙え! 畑を潰せば奴は終わる!」

 その言葉に、俺の中で何かが冷えた。

 畑を荒らす? ふざけるな。

 俺は無意識に鍬を振るっていた。

 夜空に轟音が響き、押し手たちは雪原に叩き伏せられた。魔道具も砕け、火の粉が散って消える。

「畑に触れるな」

 低く呟いた声は、冬の空気よりも冷たかった。

 翌朝。

 村人たちは燃え残った布や破片を見て騒然となった。

「押し手が……ここまで来たのか」

「もう谷も安全じゃないのかもしれない」

 不安が広がる中、セレスが前に出た。

「英雄……いえ、我らが守り手がいます。畑がある限り、谷は揺るぎません」

「俺は英雄じゃない。ただの百姓だ」

 そう言っても、村人たちの目は安心と敬意に満ちていた。

 ツムギが干し柿を差し出しながら笑う。

「おじちゃんは百姓で英雄。両方だよ」

 俺は返す言葉を失い、干し柿を受け取った。

 その日の午後。

 行商人は村を去る準備をしていた。

「すまねえな、俺も気づかなかった。荷に紛れていたなんて……」

「いい。お前が悪いんじゃない」

 俺はそう言い、見送りのために雪道に立った。

 馬車の鈴の音が遠ざかる。だが心の奥には、不安が残っていた。

(押し手は畑を狙う。つまり、この谷全体を狙うということだ)

 畑を守る。それはつまり、人々の暮らしを守ること。

 俺の“のんびり百姓”の願いは、どうやら世界の争いに絡まざるを得ないらしい。

 夜。

 暖炉の火の前で、ユーリが鍬を磨きながら言った。

「師匠……俺、もっと強くなります。畑を守るために」

「強くなるんじゃない。鍬を振れるようになれ」

「それが強さだと思います!」

 彼の真剣な瞳に、俺は黙って頷いた。

 ツムギは毛布にくるまって眠り、セレスは窓の外を見ていた。

 雪の闇の向こうに、確かに押し手の影がある。

 けれど、ここには畑がある。俺たちの畑が。

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