第24話 畑の鍋と、忍び寄る白狼
雪の朝は静かだ。
谷を覆う山々は分厚い雲に隠れ、太陽の光は淡い。吐いた息がすぐに凍り、畑は雪に埋もれたまま眠っている。
それでも、日常は続く。
俺は薪を割り、セレスが井戸から水を汲み、ツムギが干し野菜を並べる。ユーリは慣れない手つきで雪かきをしていた。
「こ、これ、重すぎます……!」
「おにいちゃん、がんばって!」
ツムギの声援を受け、ユーリは歯を食いしばって雪を押す。結局は転んで雪に埋まるのだが、その必死さに周りも笑みを漏らした。
俺たちの“冬支度”は、こうして少しずつ形になっていく。
昼近く、暖炉の上で煮立った鍋の蓋を開ける。
干し肉と豆、根菜を入れたシチュー。香ばしい匂いが漂い、ツムギが目を輝かせた。
「わぁ……! いい匂い!」
「食え。雪かきのご褒美だ」
子どもたちが器を手に集まり、湯気の立つシチューを頬張る。頬を赤くして喜ぶ姿を見ると、ただそれだけで胸が温かくなった。
ユーリも夢中で食べている。
「うまい……こんなにうまいご飯、押し手の集まりでは一度も……」
「そりゃそうだろ。押すより待って育てる方が、ずっと豊かになるんだ」
俺の言葉に、ユーリは真剣な表情で頷いた。
午後は畑の見回りだ。
雪に埋まった畝を掘り返し、根菜が凍っていないか確かめる。冷たい土に触れると、確かに息が白くなるが、不思議と落ち着く。
「英雄さま、畑は……?」
「だから英雄じゃない。ただの百姓だ」
そのやりとりにツムギが笑う。セレスも小さく肩を震わせた。どうやら俺の否定は、谷の定番の笑いになってしまったようだ。
夕刻。
林の方角から、獣の遠吠えが響いた。
「……狼?」
セレスが耳を澄まし、すぐに険しい顔をする。
「普通の狼ではありません。押し手が呼び寄せる“白狼”の気配です」
俺は鍬を握る。白狼――押し手が神獣と呼ぶ魔物だ。彼らが動いたということは、ユーリを奪い返すために本格的に仕掛けてきたということだろう。
やがて雪煙を割り、白い影が現れた。
全身を白毛に覆われた巨大な狼。目は赤く光り、息は白い炎のように見える。背に跨るのは押し手の一人。
「ユーリを返せ!」
その叫びと同時に、白狼が咆哮を上げた。冷気が波となり、周囲の雪が爆ぜる。
ツムギが怯えて後ろに下がる。ユーリは必死に叫んだ。
「俺はもう押さない! ここで生きる!」
白狼が飛びかかる瞬間、俺は鍬を振り抜いた。
轟音。
雪が弾け、風が唸る。鍬の一撃は大地を揺らし、白狼を弾き飛ばした。
「なっ……!」
背に乗っていた押し手は狼ごと転がり、雪に埋もれて呻く。鍬の衝撃はあくまで雪を割るだけに留めたつもりだが、それでも彼らにとっては圧倒的すぎただろう。
「まだやるか?」
俺の問いに、押し手は歯を食いしばったが、やがて狼を引き連れて退いた。赤い瞳だけが、雪の闇に消えていった。
静寂が戻る。ツムギが恐る恐る近づき、俺の袖を掴んだ。
「……おじちゃん、やっぱり英雄さまだよ」
俺は返す言葉を失った。セレスでさえ何も言わず、ただ矢を下ろして小さくため息をついた。
ユーリは雪の上で膝をつき、深く頭を下げた。
「お願いします……弟子にしてください。俺、もう二度と迷いません」
「……まずは畑を守れ。それができるなら考えてやる」
「はい!」
少年の声が雪空に響く。谷に住まう人々の笑いと涙の中で、確かに一つの縁が結ばれた。
夜。暖炉の炎が赤く揺れ、ツムギが毛布にくるまって言った。
「ねえ、おじちゃん。畑の学校、もっともっと大きくなるよ。弟子もいるし、きっといっぱいになる」
「……学校なんかじゃない。ただの畑だ」
「ううん。畑はね、みんなを育てるんだよ」
子どもの言葉に、俺は思わず沈黙した。
鍬を振るだけの人生だと思っていた。だが、いつの間にか“学び舎”として、誰かを育てる場になりつつあるのかもしれない。
窓の外では雪が静かに降り続いていた。
その白さの向こうから、押し手の影はまた訪れるだろう。
それでも――俺は畑を守る。のんびりと、けれど揺るぎなく。




