第21話 静かな雪と、不穏な便り
冬至市が終わった翌日、谷は嘘のように静かだった。
昨夜まで人声と音楽と焚き火の匂いで賑わっていた広場も、今は雪に埋もれて白一色だ。遠くで薪を割る音と、家畜の鳴き声が聞こえるだけ。
俺は鍬を担ぎながら、雪に覆われた畝を見回した。
「……よし。異常なし」
雪はまだ分厚く残っているが、その下に畑は確かに生きている。昨日の騒ぎも、まるで幻だったようだ。
ツムギが雪に埋まりかけながら手を振ってきた。
「おじちゃん! 雪かき競争しよ!」
「おい、また埋まるぞ」
「大丈夫だよー! クロが引っ張ってくれるし!」
見ると、クロが子犬のように雪を掘り返し、ツムギを助け出していた。相変わらず賑やかなコンビだ。
セレスは弓を抱えたまま、広場をじっと見つめている。
「どうした?」
「……昨夜の押し手たち。あれで本当に終わったのでしょうか」
「終わったことにしておけ。冬の間くらいは落ち着きたい」
俺は笑って見せたが、セレスの横顔は固い。胸の奥で、彼女と同じ疑念が芽を出しかけているのを否定できなかった。
昼前。村に一人の旅人が入ってきた。
背中に大きな荷を背負い、厚い毛皮で顔の半分を隠している。観測局の役人だ。昨夜来ていた若い男とは違い、もっと年嵩で落ち着いた雰囲気を持っていた。
「英雄殿」
「……やめろ。俺は百姓だ」
「失礼。しかしあなたの名は、もうあちこちで囁かれております」
旅人は荷を降ろし、雪を払って腰を下ろした。
「私は観測局北支部の巡察官、リズヴァルトと申します。昨夜の件、報告を受けました」
「報告なんて勝手にしろ。俺は何もしていない」
「そういうことにしておきましょう」
まただ。昨夜の若い役人と同じ言い方をする。俺は鍬を握り直した。
「で、何しに来た」
「“押し手”についてお伝えせねばならないことがあります」
リズヴァルトの話は簡潔で、だが不穏だった。
押し手たちは、近頃あちこちで現れては“加速”を試みている。大地や川や風にまで干渉し、季節や星々の巡りを無理に早めようとしている。
彼らの言い分は「世界は遅れている。このままでは破綻する」。
「そして昨夜――あなたの畝の“歌”が、それを拒んだ。押し手にとっては、最大の障害となったでしょう」
「……ふざけるな。畝はただ眠っていただけだ」
「眠りを守ることこそ、彼らにとっては敵なのです」
リズヴァルトの眼差しは静かだが、底が見えなかった。
「あなたの鍬の“拍”も、観測局では注目しています。今後、各地からあなたを求める声が増えるかもしれません」
「俺は谷から出る気はない」
「その意思が、いつまで通せるか……」
そう言い残して、巡察官は村長の家へ向かった。
昼過ぎ。
セレスが鍋をかき回しながらぽつりと言った。
「やはり……押し手たちは、畑だけを狙っていたのではないのですね」
「かもしれん。だが俺には関係ない。俺は畑を守るだけだ」
「……でも、その畑が世界にとって鍵なら?」
返す言葉が見つからなかった。
ツムギが大根を抱えて転がり込んできた。
「見て見て! 掘り出したよ!」
「おい、それは貯蔵庫のだろ!」
「だってスープに入れたらおいしいかなーって!」
彼女の笑顔に救われる。
世界がどう遅れようと、この谷では雪の下に大根が眠り、俺たちは飯を食う。それで十分じゃないか。
夕暮れ。
広場の雪だるまはさらに数を増していた。子どもたちは「畝の神さま」と名付けて遊んでいる。
俺はそれを眺めながら、鍬を肩に担いでつぶやいた。
「明日も畑が耕せますように」
小さな祈り。
それだけで十分だと、思いたかった。




