第13話 村の夜祭り
橋ができると、人の呼吸が変わった。
荷車が軽くなり、会話が長くなり、笑い声が深くなる。
そうなると自然に「祭りやろう」という話が出る。冬の入り口を、腹の底から温めるための、夜祭り。
広場に収穫酒の樽が据えられ、焚き火が三つ、風の筋を邪魔しない位置に置かれた。
火は生き物だ。向かい合わせすぎると喧嘩をする。
俺は空気の“縁”を撫でて火の角を丸め、けむりが畝へ戻らないよう、川筋へ細い道をつけてやる。
ツムギは花を編んだ縄を子どもに配り、縄の輪を頭に載せた子の背を押して、火の周りへ走らせる。
守り神は樽の影から顔だけ出して、香りだけを吸って「土が弛む」と満足そうに転がった。
クロは串焼きを狙って尻尾を振るが、セレスに「犬の肝臓に優しく」と言われてしょんぼり座る。かわいい。
「あなたも踊れば?」
セレスに肘で突かれ、「踊りは上手くない」と答えると、ツムギが鼻で笑った。
「畝の肩を撫でるみたいに足を出せばいいんだよ」
どういう助言だ。
太鼓が鳴り、笛が重なり、輪ができる。
最初は遠巻きに見ていた老人たちも、孫に手を引かれて火の前に出て、昔の歌をひと節ずつ思い出す。
言葉を間違えても、拍手が押し流す。
踊りは上手い下手より、輪の形が崩れないことのほうが大切。畝の肩と同じ理屈だ。
山の斜面から、低い太鼓の音が返ってきた。
武器の合図かと身構えたが、現れたのは山の民。獣皮の上に骨飾り、髪は風に焼けて明るく、眼はよく笑う。
彼らは無言で肉と山葡萄を差し出し、代わりに酒を受け取り、輪の外から火を見る。火の音がわかる人たちだ。
ツムギが手を振ると、ひとりが近づいて胸に手を当て、輪の端へ入る。
言葉はいらない。手拍子は共通語だ。
俺は鍋のとろみを見て、スープを混ぜる。
芋と豆と少しのチーズ、香草は控えめ。腹の底に寄り添う味。
婆さまが椀を抱えて現れ、俺の胸を拳で軽く叩いた。
「飲め。あんたが畝を起こした。冬が明るい」
「畝が起きただけだ」
「畝を起こすのは人じゃ」
セレスは「研究員は踊らない」と言い張っていたが、太鼓が二曲目に入る頃には、靴のつま先が小さくリズムを踏み、三曲目には腰がほんの少し揺れていた。
彼女は杯を傾け、頬に色を差し、目尻が丸くなる。
「発酵は気まぐれだから管理がいる」
「気まぐれを祀るのが祭りだ」
「論点のすり替えが上手」
火の上の空気がぐらつく。
祭りの熱、人の呼気、風の向きが重なって、小さな渦が生まれかけていた。
渦が育つと砂を巻き上げて皿をひっくり返す。
俺は空を撫でて角を丸め、けむりの道を川へ逃がした。
セレスが横で頷く。
「雷雲を外したときと同じ動き。あなた、踊らなくても場を踊らせる」
「畝の前では、いつも通りが強い」
「いま名言言った?」
山の民の長はそれを見て短く頷き、火に向かってひと息の祈りを捧げる。
火は機嫌を直し、ぱちと笑った。
クロがその音に驚いて串に鼻をぶつけ、ツムギが大笑いする。
夜が深まると、橋のほうから鈴が鳴った。
向こう岸の子が、橋の真ん中に小さな灯を置いて帰る。
灯は川面に二重に揺れ、風がひとつ咳払いをしてから静かになった。
俺は鍬を杖にして輪に一歩入る。ぎこちない。だが笑われて、笑い返す。
笑いは土を温める。
祭りはいくつかの“役”で回る。
火を見る者、酒を見る者、子を見る者、道を見る者。
セレスは“怪我を見る者”。
俺は“風を見る者”。
役がはっきりしていると、誰も無理をしない。
山の民が歌を披露した。
谷の風をまっすぐに通す、低くて長い歌だった。
歌は土の深いところを撫で、火の上の空気を丸くし、人の体から角を消す。
俺は畝の肩を、歌と同じ手つきで撫でた。
明日の霜を軽くする、ささやかな祈りを込めて。
夜更け、セレスが隣に来た。
「王都で“あなたの噂”が増えてる。橋、巨人、蝗、結界。名前は出ていないけど、数字の周りにあなたの影がある」
「数字の周りに影があるのは、たいがいまともな証拠だ」
「皮肉?」
「褒め言葉」
ツムギは山の民の女の子と手をつなぎ、輪の外へ抜けて星を数えに行った。
守り神は小さな杯を両手で持って匂いだけ飲み、クロは串の端をやっと一つもらって、尻尾で土をぺちぺち叩いた。
火は小さくなり、音は柔らかく、橋の灯は揺れもせずに立っている。
王都の報告は、やはり乾いていた。
――辺境谷にて夜祭、山岳民と交流、治安問題なし。
紙は温度を運ばない。だが土は温度を覚える。
祭りで温まった畝は、翌朝の霜に強い。
俺は寝る前に畝を撫で、「おやすみ、畝」と言った。
畝は、機嫌がいい。




