バイオロイドはロマンティックな夢を見るか
バイオロイドは、人の姿をした人でないものだ。
人工筋肉と生体模倣組織で構成された体に、冷却機構を備えた高性能CPUが埋め込まれている。内臓も、皮膚も、声も、本物そっくりに作られている。
生殖機能すらある。
僕たちの日常には、そんな彼らが当たり前のように溶け込んでいる。掃除、洗濯、子守り、接客……便利な存在だと誰もが思っている。
そして、僕の家にも一人、試作品の女性型バイオロイドがいる。
*
その店を初めて訪れたのは、放課後のことだった。
「“芭露カフェ”? 聞いたことないけど……」
「地元掲示板で見つけた。なにやらちょっと特殊らしい」
親友に誘われて向かったのは、雑居ビルの七階。
看板もなく、目印もない。防火扉のような無機質なドアが、目的の場所だった。
「開けるぞ」
ガチャリと音を立てて中に入ると、抑えた照明の店内が広がっていた。
カウンター席、ダーツ台、観葉植物。そして──
「いらっしゃい」
出迎えたのは、長い髪を後ろで束ねた女性だった。
黒いシャツを制服のように着こなし、左上腕にはバイオロイドであることを示すホログラム腕輪が、かすかに光っている。
彼女はバイオロイドだ。
なのに、声にはほんのかすかな熱があり、笑顔も自然だった。
戸惑っている僕たちを見て、彼女は言った。
「初めてですね。こちらを着けてくださいね」
差し出されたのは、バイオロイドが付けているのと同じホログラム腕輪だった。
「え……?」
「当店では、“人間かどうか”を気にしないというのがルール。お客様にも、その一環として腕輪の着用をお願いしてるの」
彼女はにこやかに言い、静かに微笑んだ。
その笑顔があまりに自然で、僕はしばらく言葉が出なかった。
席に着くと、僕と親友は腕輪を確認しながら互いに顔を見合わせた。
「なあ……この店、バイオロイド向けの店ってことか?」
「逆だよ。人間も、バイオロイドのふりをしていい場所。つまり、“区別しない”ってやつ」
親友の言葉に、どこか釈然としないものを覚えながらもメニューに目を落とす。
「ご注文は?」
さっきの女性が、今度は少し砕けた口調で現れた。
「アイスティーを二つお願いします」
店内は静かで、他に客の姿はない。親友は照明の陰影を眺めながら、ぽつりと呟いた。
「店員さんはどっちなんだろうな」
「どっちって?」
友人は悪戯っぽい顔で腕輪を指差す。
「店員さん!」
友人が大声で店員を呼ぶ。
「何?てか、私は店員じゃなくてマスターなんだけど?」
カウンターから答えが帰ってきた。
「いや、マスターは、外でも同じような恰好なのかなって」
親友のその質問でマスターの動きが止まった。
「……、まぁ同じではないかなぁ。どうしてそんな事を聞くの?」
「いや、マスターはどっちなんだろうと思ってね」
「詮索は嫌われるぞー」
マスターはそう言って笑ったが、その笑みに微かに混じる苦味を、僕は見逃さなかった。
「だいたい、そういう話はここでは無しなの。規則違反だよ」
そう言いながら、マスターは静かにアイスティーを僕らのテーブルへ置いた。
「それに、こうやってると、どっちがどっちとか、どうでもよくならない?」
冗談めかした口調でそう言いながら、自分の左腕の腕輪を指差す。
「私はね、みんな同じ“人間”だと思ってるの。感情が希薄だって言っても、皆無な訳じゃない。ちゃんと考えて、行動してる。偏見や差別がなくなって欲しいな」
「でも、工業製品でしょ……」
僕の言葉に、マスターの表情がほんの少しだけ、険しくなった。
けれど、その奥に見えたのは怒りではなく、哀しみに近い色だった。
「生まれ方が少し違うだけで、こんなにも虐げられなきゃいけないのは、おかしいと思う」
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて」
親友が割って入った。その声はやわらかかったが、どこか緊張を孕んでいた。
僕は思わず親友を睨み返す。自分の中に渦巻く焦燥が抑えられなくなっていた。
「お前の両親だって、区別主義者だろ!なんでそっちの肩を持とうとするんだよ!」
口から飛び出した言葉に、すぐさま後悔が押し寄せた。
親友の顔が引きつり、その目が僕を静かに見返していた。
「親とは関係ない」
その言葉は、思いのほか静かで、強かった。
「俺は、俺の意思で行動してる。親の考え方は親のもので、俺のじゃない」
言い返す言葉が見つからなかった。
「……悪い。先に帰る」
椅子を引き、僕は立ち上がった。
「おい、俺はさっきのこと、気にしてねーからな?」
背後から親友の声が聞こえたけれど、振り返ることはできなかった。
「お前が気にしなくても、僕が気にする……」
そう呟いて、僕はカフェを後にした。
扉の外の空気は冷たくて、なのに頭の中は火照っていた。
自分がどれだけ無神経で、どれだけ浅はかだったのか、時間が経つほどに浮き彫りになっていく。
そのことが、ただひたすら情けなかった。
*
帰宅すると、彼女はいつもの場所にいた。
玄関のドアが開く音に反応して立ち上がり、僕に向かって頭を下げる。
「おかえりなさいませ。ご主人様」
その声は、いつも通りに穏やかだった。
僕は無言で靴を脱ぎ、リビングへ向かう。すると、彼女は何も言わず、静かに台所へ向かった。
数分後、湯気の立つカップが僕の前に置かれる。
「コーヒーを、お淹れしました」
彼女は、それだけ言って少しだけ距離を取る。
その表情には、感情らしきものは浮かんでいない。
けれど、タイミングも、温度も、香りも、すべてが僕にとってちょうどよかった。
──ちゃんと考えて、行動してる。
マスターの言葉が、頭の中で静かに繰り返された。
そういえば、彼女にコーヒーの淹れ方を教えたのは誰だ?
家族の中でコーヒーを飲むのは僕だけだ。
父も飲むが、ほとんど家に帰らない人なので除外される。
僕が彼女に淹れ方を教えたことはない。
なのに、僕好みのコーヒーを淹れてくる。
「犬や猫が飼い主に気に入られるために頑張ってる様な感じなのか?」
「私は犬や猫ではありませんので分かりかねます……」
思わず口にしていた事に驚いたが、それに彼女が答えたのにも驚いた。
「まぁ、家族愛的な意味でも好きだって言われるのは嬉しいからいいか」
ゴチャゴチャと考えるのが面倒になってきた。
「私はご主人様をお慕い申し上げております」
ん?
それはちょっと引っ掛かる。
僕は携帯端末を取り出し、意味を調べてみた。
『慕うこと、思慕すること、などの意味の表現。尊敬の念や恋心などの意味合いで用いられる。』
『恋心』だと……。
いや、尊敬の意味だろう。
尊敬されるような事をした覚えもないのだが……。
「どうなさいました?ご主人様?」
「君の言う『お慕い』ってどっちの意味なんだろうって思って。まぁ、どっちでもいいや」
僕はゴロンとソファに横になる。
そんな僕の顔を彼女が覗き込んできた。
「どうした?」
「いえ、先程ご主人様が『どっちの意味なんだろう』と仰った事です」
「あぁ、気にしないで」
僕はヒラヒラと手を振った。
「ご主人様に質問してもよろしいでしょうか?」
「いいけど、何?」
「私の、この『好き』と言う感情は、家族愛としてのものなのでしょうか?」
いや、僕に聞かれても困る。
「僕に聞かれてもな……」
「愛情にはいくつか種類がある事は、知識としては知っています。しかし、私が抱いているものがどれなのかが分からないのです」
「う~ん、きっとその内分かるようになるよ」
「そうでしょうか……?」
「焦らなくていいんじゃない?」
人間よりも論理的思考が得意なはずだ。
その内、自分でも説明出来るようになるのではないだろうか。
「私はこのもやもやが何なのか気になって仕方ないのです」
「う~ん……」
自分の『好き』が恋愛感情なのかどうか確かめる方法がある。
そう言えば、そんな事を親友が言っていた気がする。
僕は親友の言っていた事をそのまま彼女に言った。
「『好きだと思っている相手が、自分以外の相手とセックスしている所を想像して、不快感を感じたら、それは恋愛感情だ』とか言ってたな、アイツ……」
僕の言葉を聞いた途端、彼女は静かに震え出した。
何かマズイ事を言ってしまったようだ。
「嫌です……」
「え?」
「ご主人様が私以外の誰かと性行為をするなんて嫌です」
「え、ちょっと待って」
彼女は涙を浮かべていた。
僕が思っている以上に彼女の感情は成長しているのかもしれない。
いや、そんな事より、彼女言っている好きって……。
「恋愛感情として、好きって事……?」
「ご主人様が仰った理論でしたら」
急に心臓が激しく暴れ出した。
「ご主人様の『好き』は、私の抱いている『好き』とは違うものなのでしょうか……?」
何だかもうよく分からない。
けど、これだけは自信を持って言えた。
「愛してるよ。今まで気付かない振りをしてたけど、前からそうだ。愛してる」
「愛……してる……」
顔を赤らめた彼女の頭を撫でる。
「愛しています……」
僕は彼女と唇を重ねた。
僕はこのバイオロイドの女性が好きだったんだ。
初めて彼女が来た日からずっと。
認めてしまえばなんと気楽なんだろう。
それだけでいい。
あのカフェにまた行こう。
あそこなら気兼ねなく彼女と過ごせるから。