第48話:朱殷
――もうこんな世界
壊れちゃえ――
刹那クロハの何かが音を立てて崩れ落ちた。
その何かは彼女がクロハであるのに必要なものであった。
彼女の奥底、本質。魂の色が変わる。黒色の魂は、まるで時間が経過した血のような黒ずんだ赤色に。
それと同時に髪色までもがその色へと変化しだした。
「――ぁ」
"クロハ"という少女の意識はそこで消失した。
「ん、あー、あー。えっとぉ、ここはどこ?」
もはやクロハではない"それ"は声を発し始めた。
「魂の記憶?……へえ! 私の名前は朱殷って言うんだ!」
朱殷は幼く陽気な、しかしどこか狂気を孕んだ声を、嬉々とした様子で上げる。
「あはっ! とりあえず、憎しみが差す方向へっ!」
彼女はそう言って地面から足を離す。
彼女は空を飛び始めた。
「あれは大きい街? 人がいっぱい居る! あはっ! 暴れたい、暴れたいっ! あそこを壊したい!!」
凄まじい速度であっという間にアズラ王国とラストリア帝国付近まで来ていた朱殷。彼女は新しいおもちゃを見つけたかのように嬉しそうな様子を見せる。
特にラストリア帝国に興味を示しているようであった。
「焼き払ってあげるっ!」
朱殷がそう言った瞬間、雲を突き破る程の大きさの炎の大剣が、彼女の前に現れる。
彼女がどこからか出現させたそれは、まるで憎しみに侵食されているかのように所々が黒く染まっていた。
「あははっ!」
そして朱殷はその剣を両手で掴み。
「えい!」
それをアズラ王国とラストリア帝国目掛けて横なぎに勢いよく振るう。
その瞬間、世界から音が消えた。
数秒遅れて轟音と眩い光が世界に響き渡る。
「あははっ! あはっ!」
その様子を見て愉快そうに笑う朱殷。
しばらくして光が収まると人間や建物は消えており、アズラ王国とラストリア帝国が存在した場所は、ほぼ全てが黒い炎に焼かれる更地となっていた。
「まだまだ暴れ足りないっ!」
この程度で朱殷、クロハの中に溜まっている負の感情は消えず、彼女は更に破壊活動をしようと、その場から移動しようとした。しかしそこである者が彼女の目の前に現れた。
「強大な魔力反応があって戻ってきてみれば、一体何があってこんなことになっているのじゃ…………して、お主は、クロハなのか?」
「誰?」
どこからか現れた者、それはラードルであった。彼は先程の朱殷の大規模な攻撃を大陸越しに感知し、戻ってきたのだ。
髪色が変われど、顔つきなどですぐにクロハだと判別するラードル、しかし彼は彼女のあまりの変わりように困惑していた。
対する朱殷はラードルのことを知らない様子であった。やはり肉体は同じであるといえども、もうクロハとは別人のようだ。
「まあいいや、知らない人だし死んでね」
朱殷にとって、今は溢れ出る暴れたい欲を処理することのほうが重要であった、故にラードルを殺そうとする。
彼女は炎の大剣を片手剣サイズに縮小化し、素早くラードルへと振るう。
「……危ないのう」
しかしラードルは朱殷の攻撃をあらかじめ用意していた防御魔術で防ぐ。
「へぇ、防ぐんだ! あはっ! ちょっとは楽しめそう!」
難なく自身の攻撃を防いだラードルを見て、朱殷はまたもや嬉しそうに声を上げる。
「……これは、殺すしかないのう」
そんな彼女の様子を見て、ラードルは様々な魔法陣を同時に構築しながらそんなことを呟く。
「あなたに私が殺せるのっ? 私が逆に殺しちゃうよ!」
「このままではお主はここの者を全員殺してしまうじゃろう。この大陸の者には色々と助けてもらったこともあるからの、儂は殺さねばならんのじゃ、それに儂ももう寿命じゃ、安心して掛かってくるのじゃ」
「あははっ! じゃあ行くね!」
そうして朱殷は目にも止まらぬ速さでラードルに斬りかかる。
「むぅ~!」
「儂の中でも最も硬い防御魔術じゃ、そう簡単には壊せないわい。こちらも遠慮はせんからの!」
ラードルに斬撃を放った朱殷であったが、彼の防御魔術によってそれが簡単に防がれると、不満そうな顔をした。
対するラードルは本当に遠慮するつもりが無く、その隙に氷属性上級魔法・グレイシアアローを無詠唱で放つ。
「っはは!」
「……まさか防御もしないとはのう」
朱殷は防御もせず、ラードルの魔法を直に受けた。勿論彼女はただでは済まず、左半身が消し飛んだ、しかしすぐに体は再生され、またラードルに斬りかかる。
「なら物量で押し込んでやるわい!」
すぐに肉体が再生し斬りかかってくる朱殷を見て、彼は再生できないほどに魔法を打ち込もうと考え、使える全ての属性の上級魔法を大量に朱殷に放つ。
「あはっ! 痛いよぉっ!」
大量の上級魔法を受け、朱殷は痛そうな素振りを見せるが、彼女はまだ笑っていた。
「良いよ! 私もやる気がでちゃったっ!」
刹那、朱殷に向かっていたラードルの魔法は全てが一気に弾かれていた。
「なっ!」
「あははっ! もうなんとなくあなたを斬れる気がする!」
「そんなわけが――ぐっ! なんじゃと……!?」
大量の魔法が瞬く間に弾かれたことに驚いていたラードル、次の瞬間には彼の左腕が切り落とされていた。
彼は防御魔術を発動させているのにも関わらず、あっさりと腕を斬られたことに更に驚いていた。
(どのような原理か知らぬが、防御魔術が破られたとなると儂に勝ち目は無さそうじゃの、ならせめて別の所に連れて行くわい)
どうして防御魔術が破られたのか、など疑問はあったラードルだが、防御魔術を破られたことで勝ち目が無いと判断し、転移魔術の魔法陣を大急ぎで構築し始めた。
彼は朱殷をどこかへ飛ばすようだ。
「なにかしようとしてるねっ! あはっ! させないよぉ!」
「すまんの」
彼は魔法陣を完成させ、謝罪の言葉を述べたと同時にその魔術を発動する。
その謝罪は朱殷、もといクロハに向けたものなのか、それとも彼女を飛ばす先にいる者達なのか、それは分からない。
「あは――」
その瞬間、朱殷は姿を消した。ラードルの転移魔術がしっかり発動したようだ。
「ゴフ……」
しかし次の瞬間、彼は血を吐いて力なく地面へと落ちていく。
(……そうか、儂は斬られたのか)
彼は始め困惑していたが、少しして胴体が切断されていることに気が付いた。
(寿命ではなくこのような最期とはのう……なぜクロハはああなったのじゃ、儂が居ればもしかしたらあのようには……)
そんな疑問と後悔を抱きながら、ラードルの意識は闇に消えていった。
◇
「むぅ~つまんないの」
一方そのころ、ラードルによって別大陸へと飛ばされた朱殷は不満を呟いていた。
「〇◇%□」
そこで別大陸の人間の男がやってきて彼女に何かを告げる。
「なんて言ってるの~?」
クロハの言語能力しか無い朱殷に、その言葉が分かるはずもなく。お互い意思疎通はできない。
「〇〇△%」
「うるさいなぁ、何言ってるか分からないし……あ、もしかして殺してほしいの? うん、私もちょうど不満があったの、いいよ! 殺して上げるねっ!」
「ここにも人間が沢山いる! あはっ! 一人残らず殺してあげるっ!」
その後、その大陸の国や町は全て滅ぼされ、後に人間は朱殷だけとなった。
気分が落ち着いた彼女は、その後自然の中で日々を過ごしていくのであった。
その大陸の人間は朱殷だけ、しかし彼女は肉体的にも精神的にも人間の領域を逸脱しており、もはや彼女が人間なのかは定かではない。
ただそのような問いがあれば、その大陸の者達は全員もれなくこう言うであろう。
――怪物
と。