第41話:クロハの戦い
「雨……」
「昨日のうちにこの場に辿り着いたのは幸運でしたね」
翌日の早朝、クロハ達の周囲ではポツポツと雨が降り始めていた。
「そろそろ皆起きるかな?」
雨の音に気が付いて起きるかと思い、そう言って四阿で眠っているハンズ達を見る。
「……クロハ殿、やはりあなたももっと休むべきでしたよ、疲れが見えます」
そこで近衛騎士の一人がクロハへそう告げる。
「ヒレさん、それはあなたも同じです」
「私たちはとっくに大人ですが、あなたはまだ子供だ。こういう時は大人を頼るものです……って昨日も言いましたね」
「私も貴方たちと同じく護衛としてこの場に居るので、特別扱いはしないでください」
「……まあ今どう言っても既に遅いのでもう言いませんがね。実を言うと私達も今ではあなたが頼りなんです。だから次からはしっかりと休んでください」
「……はい」
近衛騎士の言葉に、しぶしぶ頷くクロハ。彼女は自分が頼りだと言われてしまい断ることができなかった。
「っ!」
そんな会話をしていた時、突如クロハは何かに気が付いたような様子で焦りの表情を見せた。
「クロハ殿?」
「来てます、それも物凄い数の人の気配、恐らく帝国兵です、早くここから離れましょう!」
クロハが感じ取ったもの、それは膨大な数の人の気配であった。
「皆様起きてください!」
クロハはハンズ達へそう声を掛け始め、近衛騎士も慌てて寝ている近衛騎士達を起こし始める。
「んぅ、クロハ?」
「……おはよう、見張りをしてくれてありがとう」
「お陰で疲れがだいぶマシになったわ」
「良かったです、急いで準備してください、近くに大勢の人が来ています、恐らく帝国兵です」
クロハは全員を起こし、帝国の兵と思われる者達が来ていると告げる。
「そうなのかすまない、急ごう」
クロハの言葉を聞き、ハンズ達は急いで荷物を背負う。
荷物と言っても、大きくも小さくもないバックパックである。しかし中にはサバイバルナイフや、道中採取した木の実などが入っているため、今の彼らには必要な物である。
そうして全員準備が整い、サンクラット方角へ向かおうとしたところ――
「はっ! しまっ――」
「っ!……ぐっ!」
「陛下!」
どこからか現れた者がハンズに襲い掛かった。
ハンズは咄嗟に躱す行動に出たが、太ももに短剣を刺されてしまい、痛みに顔を歪める。
「死んで」
「がっ――」
ハンズが死に至るような攻撃にならなかったことに安堵しながらも、クロハは激しい怒りに包まれ、衝動的に刺客の喉に短剣を刺し、刺された刺客はその場に倒れた。
「お父様!」
「ハンズ、大丈夫!?」
「父上、大腿から血が……」
「大丈夫だ……くっ」
皆が心配する中、ハンズはそう強がって見せるが、痛みによって上手く立つことができず、彼はふらつく。
「ご、ごめんなさい、私が接近に気づけてれば、私が、私が……」
クロハは自分が暗殺者の接近に気づけなかったことに酷く懺悔し、ハンズの惨状を見て顔を青くしながら言葉をぶつぶつと呟く。
今回彼女が刺客に気づけなかった原因は、慢心でも油断でもなく疲れである。体を鍛えているとはいえ、三日程周囲を警戒しっぱなしであり、彼女には多少なりとも疲れが溜まっていた。そのためほんの少し気配に鈍感になっており、今回は運悪くそのタイミングで手練れの刺客が来た、それだけであった。
「私が、私が――」
「クロハ! しっかりするのですわ!」
「っ!」
錯乱しているクロハにリリアが大きな声でそう声を掛ける。それによりクロハはハッとする。
「お父様は無事ですわ、ですから今は早くここから逃げましょう」
「……そう、ですね。ごめんなさい」
彼女が何とか正気を取り戻し、再び皆でサンクラット王国方面へ向かおうとするが。
「いッ……」
ハンズは足をやられたため、上手く歩けない状態であった。
「見えた、思ったよりも数が……っ……気づかれました! 近衛騎士の皆さん、ハンズ様を抱えて行ってください! 私が足止めします!」
「クロハ、何を言っているのですか!?」
「そうだ、大丈夫だ気合で何とか走れる……」
もう既に帝国の軍が、日の出きっていない雨の降る森の中でもしっかり見える範囲に来ている。そして帝国側もクロハ達に気づき近づいてきていた。
帝国軍が自分たちに向かって迫ってくる様子を見て、クロハは誰かが足止めをするしかないと思い、自分が足止めすると言ってハンズ達を行かせようとする。
しかし勿論それは反対される。
「大丈夫です、私は死ににくいです、だから行ってください!」
「でも……!」
「良いから行って! 皆の思いを無駄にしないで!!」
「…………皆様、行きましょう!」
クロハの言葉を受けて近衛騎士の一人がそう言ってハンズを抱える。
「くっ!」
「待って!クロハ!」
しかしやはりリリアはそう簡単にはクロハを切り捨てることができなかった。
「リリア、クロハならきっと……大丈夫よ、強いし何よりも傷が治るのよ、だから我儘言わないで行きましょう、彼女の言う通りここまで守ってくれた騎士の思いを無駄にしないためにも……!」
「お嬢様、護衛とはこういうことです、貴女様も覚悟はしておられたはずです。彼女の思いも無駄にしてはいけません、行きましょう」
「…………」
クロハの思いが届いたのか、これまで自分達に付いてきてくれた彼女と騎士の思いを無駄にしてはいけないという使命感からなのか、リリアはそこで自身の荒れ狂う感情を抑え込む。
「失礼します」
中々動こうとしない、いや動けないリリアを見かねて一人の近衛騎士がリリアを抱える。
「……あなたなら、生きて居られるって信じているわ」
「クロハ……っここまで尽くしてくれてありがとう、絶対に生きてくれ」
「どうか、死なないで」
他の者は先程のクロハの発言を聞いて覚悟を固めた。それぞれが彼女に感謝の思いを告げていく。
「クロハさん、ご武運を」
「はい、あの方々をどうかよろしくお願いします」
「勿論です。皆行くぞ!」
そうして彼らはクロハと共に不安を残して、また歩みを進め始めた。
「ハンズ様に傷を負わせちゃった責任は取らないとだから」
リリア達が去っていくのを確認したクロハは自分に言い聞かせるようにそう呟く。
彼女もまた不安であったのだ。四年前のサンクラット王国でそこそこの数の魔物を相手に戦ったが、その時はほぼ前進するのみの殆ど自我が無いような、一個体が弱い魔物達であった。
しかし、今回相手するのは。
「見える範囲で数百人ぐらいは居る……本気で仕留めに来てる」
しっかりと知能を持ち殺しにかかってくる、個々が実力を持つ手練れた帝国の騎士。それが今回数百人程。
クロハが物凄く成長したとはいえ、このような体験が無い彼女にとっては不安しかなかった。
「どうか、リリア様達に何もありませんように」
更にリリア達を自分が直接守れるわけではなくなったため、彼女たちの心配もあった。
しかし。
(でも、これがあの人達の為になるなら不安も少しは和らぐ、それにきっと近衛騎士の人達が守ってくれる)
そう思い、彼女はリリアから貰った短剣を取り出し、帝国軍に向けて構える。
「私は今度こそ、守る」
そうして段々と強くなる雨の中、クロハと帝国軍の戦いの火蓋は切られるのであった。