第5話 こっそりお城を抜け出して
クラウン王国・宮殿にて
魔王城から王国へ強制的に送り返されたジークは、王国到着後、早速王様との謁見を行った。
「楽にせよ、ジーク」
「はっ」
王様の声かけにジークは緊張する気持ちを落ち着かせ、君主の言葉を待った。
「まずは無事に帰ってきて何よりだ。今まで魔王討伐に旅立ってから生きて帰ってきた者はいなかったからな。さて、積もる報告もあるだろうし、茶でも飲みながら話を聞こうじゃないか」
ジークは王の私室に通され、どこか落ち着きのない様子を見せた。無理もない。王女の護衛騎士とは言え、本来であればこうして王と話すことすら叶わない身分の者だからだ。
「お前たちは下がってよい」
王は、茶の用意を終えた侍女たちに命じ、完全に人払いをした。
「単刀直入に問う。あれは、どうなった?一人で帰ってきたということは、死んだのか?」
「あれ、とは?」
「リリアーベルのことだ」
王は若干苛立ちを滲ませながら答えた。しかし、ジークの方はもっと、内心苛立ちを感じていた。彼にとって大切な護衛対象、そして、王にとっては姪であるはずの彼女を、よりにもよって“あれ”呼ばわりしたからだ。
「リリアーベル様なら生きておられます」
「なんだ、まだ生きているのか」
落胆を隠しもしなかった。
「しかし、生きているならなぜ帰ってこない?瀕死の怪我でもしたのか?」
「実は…」
ジークは、今置かれている状況を話した。魔王討伐に失敗し、リリアーベルは魔王に囚われていること、代わりに自分は帰されたことなど。
「そうか。あれに魔王を倒す力がないことはわかっていたが、まさか捕まるとはな」
「陛下、今すぐにでも応援を出し、リリアーベル様を助けに行くべきです。…私では、力になれず…」
ジークはテーブルの下で拳を握りしめた。
「その必要はない。リリアーベルなど、欲しければ魔王にでもなんでもくれてやればよい」
「そ、それはあまりにも…!リリアーベル様は、この国の王女様です。もし、魔王に囚われているのに何の手も打っていないことが判明したら、民からの反発が起こるでしょう」
「ふん、あれがどうなったところで民は何とも思わない。どうせ少し経てばすぐに忘れる」
「ですが…!」
「囚われた姫を救い出すのは騎士の役目だ。そんなに心配ならお前が行けばいいだろう。魔王を倒すことはできずとも、リリアーベルを降嫁させてもいい。救い出すことができればな」
「そんな…」
ジークは絶望した。あんなに強い魔王に勝てるわけがない。いや、勝つ必要は無くなったが、果たしてあの魔王の目を掻い潜って彼女を救出することができるのかどうか。もはや応援も望めない。
「話は以上だ。これから大臣との会合があるのでね」
異論は受け付けない、とでもいうような圧をかけながら王は退出した。
(状況は絶望的だ…とりあえず、リリアーベル様に知らせないと…)
ジークは、空を睨みつけながら思考に耽った。
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リリアーベルは、キャビネットの中を見ながらひどく頭を悩ませていた。
(ドレスはなし…ワンピースも…この色は目立つかもしれないわ。せめて、ここに来る時に着てきた服さえあれば…)
結局、リリアーベルの荷物の行方は分からずじまいだ。しかし、無いものは仕方ない。彼女はたっぷり悩んだ末、茶色のワンピースに黒い布の被り物をし、金糸の髪を隠した。
(よし、これでどこからどう見てもただの町娘だわ!)
鏡の前で一周し、自身の姿に満足した彼女は、早速扉を開け、部屋を出て行こうとした。
「どこに行くの?」
ところが、音もなく現れたアイシャに行く先を阻まれてしまった。
「え、えっと…ちょっと、そう、お腹が空いて厨房に…」
目を泳がせながら歯切れ悪く答えるリリアーベル。
「そう。厨房に行くのに被り物をしていくの?」
「あー…えっと、そ、外は暑いし…」
「ふーん、外に行くつもり?」
「うぅ…」
答えに詰まるリリアーベル。
「ねぇ、本当はどこに行くの?まさか、城から抜け出して王国に帰るつもり?」
「違うわ!」
「じゃあ、そんな格好してどこに行くの?」
リリアーベルは、少し迷った末、意を決して口を開いた。
「実は…ここに来る前に寄ったさん…一本角のうさぎ亭っていう宿屋に少し用事があって、行きたいの」
「どんな用?」
「…忘れ物を取りに行くの」
「そう、なら代わりに私が行く。場所もわかるし」
アイシャの提案にリリアーベルは首を振った。
「自分で取りに行きたいの」
「それは…」
「お願い、アイシャ。私、ここに来てからずっとお城に閉じ込められて、一度も外に出ていないの。このままじゃ気が狂いそうなのよ。だからお願い、見逃して」
リリアーベルは必死に懇願した。
「確かにそうだね、かわいそう…」
アイシャの呟きにリリアーベルは同意するように何度も頷いた。トルコ石のような淡い瞳を潤ませ見つめてくるリリアーベルに、アイシャの心は揺らぎつつあった。
「でも、バレたら魔王様に何て言われるか…最悪私のクビが飛ぶ。物理的にね」
「大丈夫よ、すぐ行ってすぐに帰ってくれば絶対にバレないわ!あの人最近忙しいって言ってたし、大丈夫よ!」
「危険な目に遭ったら…」
「ここは、そんなに危険なの?」
「…はぁ。絶対に、町から出ないこと。町にいれば魔物に遭遇することはないからね」
「わかったわ」
「気をつけて」
結局、アイシャは渋りながらもリリアーベルを送り出した。裏口まで見送り、彼女は意気揚々と出掛けていった。
(違う、そこの通りじゃなくて、こっちの道を…!ああもう、早速道間違えてるし…やっぱり心配だ、着いていこう)
頭を抱えたアイシャは、こっそりリリアーベルを尾行することにした。
その後、リリアーベルは何度か道を間違えながらも無事、一本角のうさぎ亭にたどり着いた。
(中の様子を見たいけど…下手に目立って彼女にバレたら元も子もないか)
ちなみにアイシャの尾行は全くバレていない。しかし、流石に狭い屋内だとバレる可能性が跳ね上がるので、仕方なく遠くの方から様子を眺めることにした。
(宿の主人と何か話してる…けど、流石に声は聞き取れない…ん、何か受け取った?さっき言ってた忘れ物?…よく見えない…)
宿の主人から何かを受け取ったリリアーベルだったが、さっとポケットの中に仕舞ったため、それが何かはよく分からなかった。
(まあいいか。多分、アクセサリーか何かだろうし)
アイシャは特に深く考えず、引き続き尾行を続けた。用事を済ませたリリアーベルは、宿屋を出ると、まっすぐ帰るかと思いきや、露店でお菓子を見たり、衣装を眺めたり、フラフラ彷徨いながら帰路についた。
(あ、城の方角はそっちじゃ…って、どこ行くの!?)
案の定、彼女は帰り道も迷いながら歩き、なぜか入り組んだ路地に入っていった。そう、そこは都の中でも夜のお店などが連なる地区であり、治安があまりよろしくないところだった。
「…あれ、ここ通れば近道だと思ったのにな…」
リリアーベルの呟きにアイシャは再び頭を抱えた。本人は気付いている様子がないが、先ほどから建物の影に隠れて男たちがリリアーベルの不慣れな様子を伺っている。まだ日が出ているため、そこまで危険な雰囲気はないが、それでも用心するに越したことはない。早速、彼女の様子を伺っていた男の子が近づいてきた。薄汚れた服に、正気のない瞳。おそらく、物乞いだろう。
「…」
彼女の前にすっと現れた彼は、無言で手を差し出した。彼に気付いたリリアーベルは、驚きつつもしゃがみ込み、彼と目線を合わせた。風の音でよく聞こえなかったが、何事かを囁くとポケットの中からお菓子を取り出し、男の子に渡した。彼は物珍しそうにお菓子を見つめると、微妙な顔でお菓子を受け取った。
その時、一際強い風が吹きつけ、リリアーベルの被り物を剥ぎ取った。露わになった金糸の髪を隠すように慌てて手で押さえようとする彼女だったが、布は無慈悲にも風に煽られ飛んでいってしまった。呆気に取られる男の子を尻目に、必死に布を追いかけるリリアーベル。先ほどから彼女の様子を見ていた男たちの一人がどこからともなく現れると、布を拾い上げた。
「これ、お前の?」
(リリアーベル様になんて無礼な…!)
「ええ」
「髪の色って地毛?」
「…?そうよ」
「ふーん、珍しいね、チョーかわいい。目の色もめっちゃ綺麗」
「あ、ありがとう。その…」
(早く布返しなさいよ。リリアーベル様も戸惑ってるし)
「てかよく見るとめっちゃ美人だね。さっきは布で顔隠してたからわかんなかったけど」
「その、布を返し…」
「なぁ、お前どこの出身なの?この辺じゃ全然見かけないけど」
「私は…」
困ったように口をつぐむリリアーベル。
「てか名前は?」
「…」
言い淀むリリアーベルにさらに畳み掛けるように質問を重ねていく男。気がつくと他の男も来てリリアーベルを取り囲んでおり、彼女は完全に怯えている。
(そろそろ潮時か)
「てか俺タイプなんだけど。ちょっとさ、こっち来て一緒に…」
「やめて」
一人がリリアーベルに触れようとしたが、彼女ははっきり断り、男の手を跳ね除けた。
「な、お前…!」
「彼女嫌がってるんだからやめなよ」
その場に響き渡ったのは音もなく現れ、男たちを止めに来たアイシャの声だった。
「どうして…?」
突然現れたアイシャに驚きつつも、ホッとしたような表情を見せるリリアーベル。
「帰りが遅いから探しに来たの」
アイシャは、まるで今来たとはがりにさらっと嘘をついた。
「何だお前…!全然気配感じなかったんだけど」
「そんなに消したつもりなかったけど?」
「まあいい。俺たちはその子に用があってね。邪魔すんなよ」
「ふっ、手元を見たら?」
アイシャの言葉に思わず手を見た男だったが、気がつくと先ほどまで握っていた布が消えていた。
「あっ…!」
「間抜けなあんたたちに私の相手が務まるとでも?…早く帰ろう」
「え、ええ、そうね」
アイシャは取り返した布を煽るようにひらひらと振ると、リリアーベルと共にその場を離脱した。
「ありがとう、アイシャ。助かったわ。あなたがいなかったら私、今頃…」
「いいよ。リリアーベル様にお怪我がなくてよかった」
(もし怪我の一つでも負わせたら私のクビが飛ぶ。物理的に)
「それにしても、よく私の居場所がわかったわね。実は、お城に帰ろうとしてたんだけど、道間違えちゃったみたいで…」
「なんとなくわかったよ」
(まさか、ずっとリリアーベル様を尾けてたなんて言えない)
「そう。そろそろ日が暮れるわ、早く帰りましょう」
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日が暮れる前には魔王城に帰ってきたリリアーベルたち。裏口から城に忍び込み、部屋に戻ってきた彼女たちを待ち構えていたのは…
「おかえり、リリアーベル」
(あ、終わった)
満面の笑みを浮かべた最強最悪の魔王様だった。