第1話 ポンコツ勇者と最強魔王
魔王城にある秘密の地下通路に潜入した勇者、リリアーベル。複雑怪奇な道を進み、ついに敵である魔王の部屋に辿り着いた。
「ここね…!」
彼女は、意を決して扉を開いた。と同時に何やら食欲をそそるような香りが鼻をつく。不思議に思いながら少し部屋の中を覗いてみた彼女。
「間違えました!」
そこは魔王の居室ではなく、城の厨房であった。
(あれ、おかしいなぁ…確かにここだと思ったんだけどな…)
手元にある手書きの地図を見ながら呟く彼女。
そう、リリアーベルは、歴代稀に見るポンコツ勇者だったのだ!
その後、何度も道を間違えながらも、ついに魔王の居室に辿り着くことができた。
(ここが魔王の部屋ね…正面から行っても多分、返り討ちにあうだけだからここは裏からコソッと…)
「誰?さっきから気配ダダ漏れなんだけど」
(な!?秒で気付かれた!?さすが魔王…侮っていたわけではないけど…むむ…こうなったら仕方ない)
リリアーベルは意を決して姿を現した。
「私は…勇者リリアーベルよ。魔王、あなたを倒しにきたの!」
「ゆう…しゃ…?君が、勇者なの…?」
魔王は勇者の姿を見つめると、困惑気味に呟いた。
「そうよ!」
彼女は魔王の方を向いて堂々と答えた。
(それにしても…なんか意外ね。魔王っていうからもっと醜い姿をしているのかと思っていたけど…)
漆黒の髪と燃えるような赤い瞳に、褐色の肌。くっきりした目鼻立ちはどことなくエキゾチックな雰囲気がする。
想像とはかけ離れた魔王の容姿に、彼女は少し驚いていた。
(なんかちょっとタイプかも。よく見るとかっこいいし…)
「王国は女に武器を持たせるほど人手不足なの?」
「なっ…!」
(前言撤回!魔王すごい嫌なやつじゃない!)
「ち、違う!私は…選ばれて勇者になったのよ!」
「そっか。1人で来たの?お仲間は?今までの歴代勇者たちは大体4,5人くらい連れて来てたけど」
「もちろんいるよ。でも、ここにはもういない。安全な場所に退避させたから」
「安全な場所?それってどこ?」
「えっと…確か3本角のうさぎ?とかって…」
「あー、1本角のうさぎ亭ね。3本も角があったら大変だよ」
「そうそう…って!」
リリアーベルはハッと何かに気付いたように口を手で覆った。
「そうやって機密情報を得ようとしてるのね!卑怯よ!」
「いや、卑怯も何も普通に聞いたら普通に答えてたじゃん…」
「とにかく!私は、あなたを倒しに来たのよ!」
「あ、そう」
魔王は特に興味なさそうに呟いた。
「最期に、何か言い残すことはある?」
「うーん…こんなに可愛い子が勇者だなんてびっくりした。今まで色々面倒くさいこととか多かったけど、魔王やっててよかったと初めて思ったよ」
「なっ…!」
魔王の言葉にリリアーベルは顔を真っ赤にした。
「ば、バカにしないで!私は…お飾りの勇者じゃない!」
(でも、魔王に可愛いって言われてちょっと嬉し…いやいや、そんなわけないわ!)
リリアーベルは担いでいた銃を構えると、魔王に照準を合わせた。しかし、当の魔王は銃を向けられているというのにぴくりとも動かない。そんな彼の態度も、なんだかバカにしているようで彼女は腹立たしさを感じた。
「悪く思わないで…これも運命なのよ。さようなら」
彼女は、引き金を引いた。
… …
しかし、何も起こらない。
(あ、あれ?)
彼女は慌てて持っていた銃を点検した。
「安全装置つけたままになってるよ」
「本当だ…!」
魔王から冷静に指摘され、安全装置を切り替え忘れていたことに気がついた。
(は、恥ずかしい…)
彼女は持っていた銃を構え直し、今度こそ安全装置を外した。再び照準を魔王に合わせる。しかし、彼は全く動かない。
「どうして…」
彼女は呟くと、二脚を出して銃を床に置いた。完全に、戦意を喪失した。
「どうして、何の抵抗もしないの?今度こそ安全装置も外したし、本当に撃たれちゃうかもしれないんだよ?なのになんで、戦わないの?」
「もし俺が本気で戦ったら、君が最初に部屋に入ってきた瞬間に全て終わってた」
「きっとそうね。私なんかより遥かに優れた歴代勇者たちでさえ倒せなかった魔王だもの」
「ならどうして無謀な戦いに挑んだ?」
「それは…私が、勇者に選ばれたからよ。魔王を倒してこいって、命令されたからよ」
「…答えになっていないな」
「だから、ジークは安全な場所に逃した。犠牲になるのは私一人で十分だから」
「ジーク?」
「仲間の騎士よ。彼はただ、巻き込まれただけだもの。着いて行きたがってたけど…」
「その考えには共感できないね。君一人が犠牲になってどうする?」
「多分、どうにもならないわ」
「それで…」
「いいの」
彼女は魔王の言葉を遮った。
「元々、私が勇者に選ばれたのだってただの厄介払いみたいなものなのだし」
「ふうん…」
魔王は納得してなさそうな様子だ。
「だから、お願い。本気で私と戦って。歴代勇者と同じように」
彼女は覚悟を決めたような瞳で魔王に懇願した。
「…わかった。君がそこまで言うのなら、お望み通り本気で戦おう」
魔王はようやく自身の武器である杖を取り出した。杖の先についている魔石がキラキラと輝いている。リリアーベルは、魔王の動作に続いて二脚を畳み、銃を構えた。
一触即発。二人の間には、ピリピリとした空気が流れていた。いつ、戦いの火蓋が切って落とされても不思議ではない。そんな時。
「コンコン、入りまーす」
なんとも間延びした声が響き渡った。これには両者とも驚き、思わず扉の方に視線を向けた。
「おい、今は取り込み中だから後に…」
魔王の静止も間に合わず、ガチャ、という音と共に扉が開いた。
「きゃーー!!」
途端、けたたましい叫び声を上げ、リリアーベルは倒れた。
「大丈夫!?」
魔王は咄嗟に倒れ込む寸前のリリアーベルを抱き止めた。
「えっと、一体何が…」
扉から入ってきた男が困惑したように言う。
「ノックをしたからといって勝手に入ってくるな」
魔王はため息を吐いた。
「ええと、すみません…」
「まあ、お前の風貌を見て気を失ったんだと思うよ」
「ああ、やっぱり…」
男は落ち込んだように呟いた。そう、男は、首から下は人間と変わらないが、頭が虫という容貌をした、虫男という種族だったのだ。
「それで、このお嬢さんは…?」
「…勇者だ」
虫男は、小さな目をいっぱいに見開いて驚きを露わにした。
「ええーーー!!こんな普通の女の子が!?何かの間違いじゃないっすか!?」
「俺も最初はそう思ったよ」
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「んっ…ここは、どこ…?」
知らない天井に、知らない部屋。リリアーベルはよく回らない頭を必死に動かし、部屋の中をキョロキョロと見回した。
(そうだ!私、魔王城に単身乗り込んで魔王と戦って…それで…)
どうやら、気絶した後にこの部屋に運び込まれたらしい。
(結局、戦いにすらならなかったのね…)
リリアーベルは深く落ち込んだ。
(まあ、過ぎたことは仕方ないわ。とりあえず、現状を把握しないと!)
しかし、次の瞬間には気を取り直し、早速部屋の中を歩き回った。魔王城、というからもっとおどろおどろしい建物なのかと思いきや、城の中は意外にも豪華で、住み心地も良さそうだった。今いる部屋も大きな窓があり、日当たりも良く、調度品などもシンプルで良い。寝室のうちの一つなのだろうか。そして、部屋の中は快適な温度に保たれている。確か外は砂漠地帯で相当暑かったはずだ。しかし、どういうわけか暑さは微塵も感じない。
(不思議ね…一体、どうなっているのかしら)
窓の外を眺めてみたが、やはり外は暑そうだ。ここからだと庭園が見えるが、人の気配はあまりない。
(それにしても、ここはどこだろう…。窓から脱出するしかないのかしら?でも、その前に…お腹が空いたわ)
何を隠そう、彼女は戦いの前夜、作戦を練るのに必死で食料を調達し損ね、昨夜から何も食べていないのだ。
部屋の中に食料はない。そんな時、彼女はどうするのか…
(昔、お腹が空いた時はよくこっそり厨房に行って優しい料理長から食べ物をもらっていたっけ…)
魔王城の厨房の場所は把握している。魔王の部屋に行こうとした時、間違えて入りそうになってしまったからだ。早速、彼女は厨房を目指して歩き始めた。
「どこに行くの?」
背後から聞こえた声に、彼女は冷や汗を流した。恐る恐る振り返ると、そこには、この城の主人である、魔王その人が立っていた。
「あ、え、えっと、お腹が空いたから、ちゅ、厨房に、行こうと思って…」
「厨房はそっちじゃない。本当はどこに行こうと…いや、何を探ろうとした?」
魔王から向けられる疑いの目に、リリアーベルはたじろいだ。
「ち、違うの、何かを探ろうとか逃げようとかそんなことは全く思っていなくて…いや、逃げようとはしたけど…とにかく、昨日から何も食べていなくて、本当にお腹が空いて…」
グゥぅぅーー
その時、なんともタイミング良く(悪く)、リリアーベルの腹の虫が鳴った。あまりの恥ずかしさに彼女は手でお腹を押さえ、俯いてしまった。
「…ははっ、はははっ!」
そんな彼女の様子を見て、魔王は笑い声を上げた。
「まさか、本当にお腹が空いて…ふっ、厨房に忍び込もうとするなんて…ははっ」
彼は可笑しくて仕方がないという風に、お腹を抱えて笑った。
「な、なによ…」
彼女は笑われたことに対する怒りや恥ずかしさからか、涙目で魔王を睨みつけた。
「わかった、お腹が空いたんだね、ご飯にしようか」
魔王の提案にリリアーベルはぱあっと顔を輝かせ、しかし、すぐに表情を戻した。
「そんな、勇者が魔王とご飯なんて…」
「でもお腹空いてるんでしょ?うちの料理長が作るご飯は美味しいよ」
「うぅ…わかったわ…」
リリアーベルは、あっさり魔王に堕ちた。
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「お、美味しい…!」
こんがり焼かれた肉を口にしたリリアーベルは、あまりの美味しさに感激した。
「でしょ?魔物肉のステーキは」
魔王もどこか誇らしげにしている。
「え、魔物の肉なの?これ?」
「そうだよ」
「絶対嘘よ!私も旅の途中食べるものが無さすぎて倒した魔物の肉を仕方なく食べたことはあるけど…こんなに美味しくなかったもの」
「まあ、ただ焼いただけじゃ美味しくないかもね。味付けとか焼き加減とか、色々あるんじゃない?」
「そう…。ここの料理長は天才ね!」
「そうだね」
ちなみに、勇者が食卓につくということで隠れて様子を伺っていた料理長は、リリアーベルの言葉に照れくさそうに微笑んだ。
実に美味しそうに料理を食べるリリアーベルの様子を、魔王は眺めていた。
「ここの料理はどう?口には合った?」
「ええ!」
魔王の問いにリリアーベルは心を込めて返した。
「そう、それはよかった。魔王城で暮らせば毎日食べられるよ」
「それは魅力的…って、勇者が魔王城で暮らすわけないじゃない!」
「ははっ」
(危ない、食べ物に釣られそうになるところだったわ…さすが魔王ね。それにしても…ご飯を食べさせてくれたり、案外極悪非道というわけでも無さそうね)
「ねぇ、魔王って、名前じゃないのよね?本当の名前はなんて言うの?」
「バシャール」
「バ…シャール?あまり馴染みのない名前ね。私は、リリアーベル・クラウンよ」
「クラウン…?」
リリアーベルの本名を聞き、魔王は訝しげに眉を寄せた。
「ええ」
「確か、王国の名前がそんな感じだった気が…」
「そうよ。私はクラウン王家の王女なの」
リリアーベルの出自に魔王は驚き、思わず聞き返した。
「君が?でもどうして、王女様が勇者なんかに…?」
「話せば、長くなるわ…」
リリアーベルはポツポツと自分が勇者になった経緯を語り始めた。
前国王の末姫である自分は、他の姉妹たちと違って良い縁談に恵まれず(適齢期の王族がいない)、嫁き遅れていること。ただでさえ前国王の娘という微妙な立場なのに、国から出ていけないため、叔父である現国王に疎まれていること。そこで降って湧いたのが、リリアーベルを勇者にする、という選択肢だった。
「いやいや、お姫様を勇者にするなんておかしいだろ」
「もちろん誰も私が魔王を倒すことなんて期待してなかったわ。実際、倒せなかったわけだし…」
「じゃあ、なぜ…?」
そもそも、今代の魔王が強すぎるせいでここ最近、魔王討伐に行って無事に生きて帰る勇者がいなかった。そのため、年々勇者志願者は減少していき、ついにゼロになった。しかし、王国としては国内の諸問題から民の目を背けさせるためにも魔王との対立を煽り続けており、今更魔王討伐をやめます、なんていうわけにはいかなかった。
「クソみたいな国家だな」
「…」
そこで白羽の矢が立ったのが、王女リリアーベルだった。王女が勇者となって旅立てば、いやでも民の関心はそちらに向く。失敗すれば、王女の弔い合戦となってまた多くの勇者が立候補するだろう。そして、なにより…邪魔な王女を合法的に厄介払いできる。
「本当にクソみたいな王様だな。でも、なんでそこまでリリアーベルを敵視したの?別に王位を継げるわけでもないだろうに」
「それが、前国王の時に王国法が変わって王女でも王位を継げるようになったの」
「なるほど。…それにしても気に食わないな」
「何が?」
「自分の都合のために何の戦闘力もないリリアーベルを勇者に仕立て上げ、俺に殺させようとした。このまま勇者を返り討ちにすればヤツの思惑通りになるところだった」
「少しくらいなら戦えるわ!確かに筋力もないから剣は使えなかったけど…代わりに銃を扱っているし」
「…ここに来るまで相当強い魔物もいたはずだけど、それも全部君が倒したの?」
リリアーベルは気まずそうに目を泳がせた。
「えっと、それは…ジークが剣でスパッと…」
「なるほど」
魔王としてはか弱いリリアーベルがどのようにして本拠地に辿り着いたのかが疑問だったが、これで納得した。きっとジークは相当腕が立つのだろう。迫り来る魔物は全て彼が対応し、おそらく旅の方も彼が手配したのだろう。
「それじゃあ私、ご馳走になったしそろそろ帰るわ」
リリアーベルは席を立とうとした。
「待て。帰ってどうするの?どうやら王国は君をあまり歓迎していないみたいだし」
「ウっ…それはそうだけど…」
「もう少しゆっくりしていくといいよ。まだ旅の疲れも取れていないだろうし、ほら、デザートもあるから」
リリアーベルは目を輝かせ、彼の言う通りにしばらく魔王城に滞在することにした。決して、デザートに釣られたわけではない。
「冷たっ!」
クリーム色の物体をスプーンで掬い、恐る恐る口に入れたリリアーベルは、そのあまりの冷たさに驚いた。まるで、柔らかい氷を食べているような感覚だ。しかし、味は甘く、美味しい。彼女はすぐにこのデザートを気に入り、瞬く間に平らげた。
「初めて食べたけど、とても美味しかったわ」
「それはよかった。これはね、“あいすくりん”っていう最近流行っているデザートだよ」
「そうなのね!でも不思議ね、こんな冷たいものをどうやって…?」
「魔法で冷気を閉じ込めた箱に入れて保管してるんだよ」
「へえー、魔法って便利なのね!」
ちなみに、外がクソ暑いのにも関わらず、部屋の中は快適な温度を保っているのも、そういった魔法をかけているからである。
魔王城は、ハイテクなのだ。
こうして、魔王城に滞在することになった勇者、リリアーベル。一方、その頃…
《一本角のうさぎ亭にて》
宿の一室で、腰に剣を下げた1人の男が落ち着きなく歩き回っていた。
「…遅い、いくらなんでも遅すぎる…。やっぱり、リリアーベル様をお一人で行かせたのが間違いだった。僕がついていれば、こんな…。まあいい、ここでウダウダしてても仕方ない。少し様子を見に行こう。場合によっては、僕が代わりに…!」
彼は、腰にある剣を力強く握った。その目は、やる気に満ちていた。