89話 イズモ人情物語
黒く染まった大海、その果てには夜空まで広がり、輝きを放つ星空が輝いていた。
三日月の月光と星の光が眩く光る闇夜の海の空であった。
イズモはライエルと共に食べ終えた料理の片付けを済ませて、ひと段落したところで、船室から出て看板の上でタバコを一服する。
シウランの過去を聞いて、流石に驚愕したが、今の彼女達の姿は明るく、その笑顔はイズモにとって眩しかった。
シウランの野朗め、とんでもねー育ち方してやがったな。
奴らに比べりゃ、俺の生い立ちなんてかわいいもんだ。
そういや、今日食べたウドン美味かったな。
チクショウめ、故郷が懐かしくなっちまった。
故郷の港の連中は楽しく生きているか、やりがいとか、生きがいとかを見つけたのか。
あの頃はその日を生きるのが精一杯だったな。
けど、いつかはどでかいことやってやろうって野心に溢れてた。
夢ってやつか。
そんな形のないよくわかんねーものに、ひたすら走ってたな。
現実ってのは残酷だ。
若者が憧れる夢や希望を現実ってやつが躊躇なく切り裂きやがる。
それに溢れる野心が枯渇して、何もない大人に成り下がっちまうのさ。
笑えるよな。
成り上がるんじゃない、歳をとる度に下り坂になってきやがるんだ、人生ってのは。
俺もつまんねー大人ってやつになっちまったな。
俺は吸い終えたタバコを吸い殻に入れ、もう一本のタバコに火をつけ、深く肺にいれた。
立ち昇る揺れるタバコの煙から自分の過去を振り返る。
最初に乗ったのは帆船のマストの数はいくつだったかな。
太い縄をマメだらけの両手で握って、あの頃の仲間と一緒に引っ張った。
精一杯だ。
上を見上げて、揚げた帆が開く瞬間が最高だった。
潮風に靡くマスト。
あの潮の薫りのする風を全身で浴びたんだ。
肩を並べた仲間達の目は輝いていた。
眩しかった。
その光の中を生きていたんだ。
笑い合った仲間達。
かけがえのない絆だった。
俺があの頃を生きていた確かな証明だ。
あいつらもまだ海の上を走ってやがるのか。
まだ夢ってやつを追いかけてるのか。
俺みたいにつまんねー生き方をしてるのか。
少なくとも時代の荒波には抗ってくれ。
しかし我ながら不甲斐ない生き方しちまったもんだ。
船長だった親父。
当然息子の俺もずっと同じ船に乗って、隣で笑い合える毎日が続くと信じてた。
まさか、俺が前の嫁と祝言を迎えた18の頃に、難波して死にやがるなんてな。
地元が貿易港なのが助かった。
航海経験がある俺はなんとか商船に潜り込むことができた。
ついてないことは乗り込んだ船が遠洋航海用のキャラック船だったことだな。
なんで東の果てのちっちゃい島国に外国の貿易商船があるんだよ。
長い船旅生活のせいでロクに故郷に帰れねーもんだから嫁が娘を連れて逃げちまったよ。
まぁ俺も遠い船旅の先で、仕事先の港に現地妻を作ったりはしてたが、俺は悪くねー。
ちゃんと豊かに暮らせるだけの生活はさせてきたつもりだ。
まぁ寂しい思いはさせたかもしれないがな。
そうか、娘も大きくなって、シウランやルァと変わらない年頃か。
こんな脳筋や毒舌な娘にはなっていないことを切に願おう。
今更会いたいとは思わないが、あの小さな娘がどんな女に育っているのか、元気に生きているのか、あの故郷の海でどう生きているのかは気になるな。
そうか、気付けば34歳か。
つまんねー大人になった自覚はある。
夢なんて幻想はもう抱いていない。
けどあの頃に抱いた眩しい希望の光は胸の奥に焼き付いてやがる。
確かにつまんねー生き様を送っちまったが、俺の人生はこれからだ。
シウランと出会った。
そして今この船に乗ってる。
正直何度か死にかけた。
だが生きてるって実感を日々感じてる。
共に旅に出るという選択肢は多分間違いじゃない。
船室の中ではあの頃の俺や仲間達のような眩しい笑顔を放つ連中がいる。
あのかけがえのない光が輝いてやがんだ。
俺もその中にいる。
変わったのは景色だけさ。
俺の運命の歯車は確実に変わってきている。
シウラン達と出会ったことで色褪せた俺の心が彩り始めてきた。
もうニュークの社畜で人生が終わると思った。
けど俺の人生は始まってもなかったんだな。
これからだ。
これからなんだ。
俺はあの頃と変わっちゃいない。
あの光を失っちゃいない。
タバコの匂いに混ざって、あの頃の潮風の薫りが鼻をくすぐりやがる。
ウドンか……。
そういえばシウラン達に故郷の話をしたことがなかったな。
今度故郷の昔話をしてやろうか。
遠い東の海の果てにある島国の昔話はアイツらも面白がるだろう。
遠く離れた娘にはしてあげることの出来なかった昔話を聞かせてやろう。
ちっ、潮風が目に入っちまったか……。
その後、嫁と娘に逃げられたのは、そのしつこい性格のせいだと、シウランやルァに指摘された時、なんだか哀しい気持ちになった。
反抗期って辛いな……。
イズモの背中には中年の哀愁が漂わせていた。




