3話 キア
翌朝。
煙まみれの部屋の中、二人の少女は死体のようにぐったりと横になって寝ていた。
ハッパの吸いすぎで完全にダウンしていた。
すると突如、ボロボロの借家が軋むほどのノック音と共に甲高い声が響き渡る。
「シウランー! ルァー! 朝だよ! いつまで寝てるのさ! 起こしにきたよ! わざわざ朝ご飯作りにきたよ! 早く中に入れて!」
頭痛に苦しみながら、シウランが目を覚ます。
声の主はシウラン達の妹分、近所のスラム街に住むネムだ。
12歳という幼さなのに、このニュークの下町で逞しく働き、今日もシウラン達の家事の世話でやってきた。
シウランがフラフラとした足取りで部屋の扉を開けると、毅然としたネムが立っていた。
日に焼けた浅黒い肌は健康的で、過酷なスラムを生きてきた証しだ。
今のシウラン達とは真逆だ。
無邪気な笑顔が今のシウランには眩く見えた。
シウランのやつれ具合にネムは心配する。
「顔色悪いけど、大丈夫? 聞いたよ! 仕事クビになったんだって? まぁご飯でも食べて元気だしなよ!」
「……誰に聞いた、ネム」
「近所じゃもう噂になってるよ! いっそのこと、兵隊とかになればいいのに」
もう噂が出回ってるということに、シウランは大きく肩を落とす。
追い討ちのようにルァが呼びかける。
「その短気じゃ、兵隊は務まらないわよ。どうせ上官ぶん殴ってまたクビよ」
ルァの言葉にシウランは何か言い返そうとしたが、ネムが無遠慮に部屋に入り、その部屋の惨状に悲鳴のような言葉をあげる。
「なにこの部屋!? ありえない! なんで一日でこんなに散らかせるの!? しかもこの煙、この床に散らばったハッパ! 独身中年男でもまだマシな部屋に住んでるよ!!」
ネムの悲痛な叫びにも、お構いなしにルァが容器からブクブクと音を立てて煙を吸う。
「大人の女には色々あるのよ。ネムもわかる時が来るわ」
「あんたら、まだ15歳でしょうが! ハッパ吸ってるぐらいなら働け!」
「あら、私はネムの朝食を優雅に食べたら、薬屋で仕事に行くわ。無職なのはそこの脳筋女よ」
ルァの意地悪な言葉のナイフはシウランの心に深く刺さった。
そこにネムの追い討ちが襲う。
「……シウラン、見損なったよ。ハッパに手を出すなんて。闘技場のスターだったあんたがこんな女の子だったなんて……」
妹分の軽蔑の眼差しに耐えられず、シウランは床に平伏してしまった。
言えない、こんな無垢なネムに八百長やってたなんて……。
……オレは最低だ。
「ありゃ? 食卓に先客だ。シウラン、いつミケ猫なんて飼ったの? こりゃ可愛いい子猫だ。おーよちよち、今ミルクあげるねー」
猫?
勝手に人ん家に入りこみやがって……。
シウランは険しい顔をして、食卓に目をやる。
そこには天使がいた。
つぶらで、愛くるしい瞳。
ふわふわとした毛並み。
むいぐるみのような小ささ。
子供のミケ猫が食卓の前にいる椅子にちょこんと座っていた。
その小さな目とシウランの青い瞳が合う。
シウランはそのつぶらな瞳に心を奪われた。
胸がトキメキ、心が晴れるような気持ちになった。
思わずシウランは子猫を優しく抱きしめた。
シウランの豊かな胸から小さなミケ猫が愛くるしい鳴き声をあげる。
「キューン」
その声に、シウランは雄、雌かの問題なく、躊躇うことなく口づけをした。
相棒の様子を見て、ルァは怪訝そうな顔をする。
「汚らしい野良猫ね。私、猫苦手なのよね。シウラン、さっさと追っ払ってよ」
ルァの非情な言葉にシウランは我が子を守る母猫のように、子猫を庇う。
その様子を見て、ミルクを用意したネムがルァに呼びかける。
「ルァは猫が苦手なの? けど凄いね、ミケ猫だよ! この国じゃミケ猫なんて希少種だよ。ペットショップだったら金貨100枚でも買えないよ!」
金貨100枚の言葉にルァの心が揺らぐ。
「シウラン、大事に育てて、繁殖させましょう! 猫なら一回の出産で4〜5匹は産むわ! 私達は金の卵を産む猫を見つけたわ!」
こうして可愛いらしい子猫がシウラン達の新たな家族となった。
その小さなミケ猫はシウランによって、キアと名付けられた。
その名は涼風を意味し、名の通り、荒んだシウランの心に清涼をもたらした。