25話 とある航海士の苦悩
ただ青い海原で釣りをしたかっただけなんだ。
現実は難しい。
そう痛感したのはいつの頃だったろう。
もう忘れてしまった。
言いたいことが言えない現実。
毎朝起きて、朝食を食べて、職場に向かう。
面倒な人間関係に挟まれながら、苦痛な業務をこなして、気づいたら夜だ。
夜寝る前はなんのために生きているんだろうと思いながら、ベッドに突っ伏す。
仕事にやりがいが無いのといえば、嘘になる。
大海原を帆船で走らせるのは悪くない。
ただ胸が躍ったのは若い頃の、最初のひと時だった。
それが仕事になって、ノルマをこなして、毎日やっていけば苦痛にもなっていく。
戦場に行く兵を運んだり、外国に売り飛ばされる子供達を乗せたこともある。
俺がやりたかったのはそんなのじゃない。
故郷の家族、友人達は何かをやっているだろうか。
幸せというものを手に入れたんだろうか。
30過ぎて、恋人の一人もできない。
仕事が忙しいのは言い訳だ。
もうあの頃のように、恋に情熱を持つこともなくなった。
ただ一つの趣味は読書。
仕事の前夜のひとときに読む読書の時間は貴重だ。
世界をかける英雄の冒険譚には胸を馳せる。
俺もこう生きたかった。
自分の人生に非日常をいつも求めていた。
明日も苦痛な仕事に自分を殺して生きていくんだろう。
そう嘆息しながら、本を閉じ、就寝する。
仕事を辞めればいいと周りは言うが、他に稼ぐアテもない。
クソな上司、嫌いな先輩と同僚。
それが今の俺の世界の仲間だ。
本の中の登場人物が羨ましくなる。
鎖に縛られた飼い犬の方がマシな生活を送っている。
誰か助けてくれ。
そう願いながら夢想の海に溺れながら、夜明けに目が覚める。
会社に出社する。
どうも騒がしい。
クソな上司がトラブルを起こしたらしい。
自分のデスクに座ろうとしたら、嫌いな同僚から呼びかけられた。
どうもクソ上司の尻拭いをさせられるらしい。
ニヤニヤ笑う同僚達を横目で見る。
死んでしまえ。
なんで俺ばかり厄介ごとを押し付けられるんだ。
応接室に入るとクソ上司と四人の少女達が向き合っていた。
話を聞けばこのクソ上司、会社の金を横領して、ぼったくりバーに支払いをしたらしい。
クソ野朗が。
「イズモ君、君、確か遠洋航海の経験はあったよね!?」
はぁとだけ答える。
するとクソ上司がほざく。
「よし! 決まりだ。今日から異動だ。配属先は目の前のお嬢様方だ。航海士としての腕を見せてあげてくれ。あ、これ少ないけど」
俺の手元に横領した金貨の袋を手渡す。
俺は口をあんぐりさせた。
こんなにもクソな会社だったのか?
明日からの俺の給料は?
どこに連れてかれるんだ?
突然のことで頭がショートする。
目の前にいる不服そうな赤髪の少女が不満そうな顔をして告げる。
「なんか頼りねぇおっさんだな」
なんだこの失礼なガキは。
青髪の少女は更にクソ上司に脅しをかける。
「私、あんたにレイプされかけたのよ! 警備隊に突き出し立っていいのよ!?」
そいつは歓迎だ。
俺もクソ上司がブタ箱に入ってる姿を拝みたいもんだ。
黒髪の少女は無機質な口調で告げる。
「妥当な取り引きと判断します。長期の船舶で航海するとなれば専門家が必要です。更に言えば航海図を要求するのがベストです」
幼い少女がジュースを飲みながら、クソ上司にふっかける。
「そこのおっさんに船旅で必要なの一式全部渡してやってくれない? さもないとレイプ貿易商って街中に言いふらすから」
クソ上司が慌てふためく。
「わかった! イズモ君! 馬車に船旅で必要なものを全て運んでおいてくれ! すぐにだ!」
赤髪の少女が低い声で告げる。
「10分以内に済ませろ。俺達は急いでんだ」
どうやらこの赤毛が俺の新たなクソ上司になるようだ。
その赤毛が俺に手を差し伸べる。
「紹介が遅れたな、俺はシウラン。長い船旅になるだろうから、頼りにするぜ」
俺はその小さな手を掴む。
何故だ?
こんなあり得ない状況で俺は握手してしまったんだ。
頭の整理が追いつかない。
本来なら絶対にその手を握るなんてあり得ないのに、自然と手を握ってしまった。
見えない力に動かされたかのように。
まぁいい。
ちょうど人生に刺激が必要な時だったのかもしれない。
平穏な人生なんてクソ食らえだ。
クソな会社に、上司、先輩、同僚、これでおさらばだ。
「イズモだ。東の果てまで航海した経験がある。船旅なら任せろ」
これから始まるかもしれない冒険の旅に心に秘めた灯火が燃えた気がした。
しかし30分後、馬車の中でこのクソガキ共が肝心の船を持っていない事実を知らされた時、俺はハメられたと、心の底から運命の神を呪った。




