19話 ラベンダー畑の空に誓って
男はしがない教師であった。
仕事だから、興味の無い学問を授業で生徒に指導していた。
本当は数学や哲学の世界に行きたかった。
だが、学生時代に結婚してしまい、家族を養うために、研究者の道は諦め、教師の道を選んだ。
後悔はしてない。
彼は妻を愛していたからだ。
別に研究するだけなら、仕事にしなくても、自分の時間を使ってやればいい。
教師としては穏やかな性格が幸いして、順調にこなすことができた。
ただ彼は揉め事を嫌う性格であったため、生徒同士のトラブルや進路相談というのは、どうにも苦手であった。
そういう困った時は妻のレイリアに相談する。
彼の妻、レイリアは優しく彼の身体を抱きしめ、優しく背中を撫でる。
「シュナ、あなたは優しい人ね。自分の言葉で人が傷つくのことを恐れているのよ。けどあなたの選んだ言葉で救われる人もいるわ。もう少し勇気を出しましょう」
男は妻のアドバイスに何度も救われてきた。
時がたち、彼には娘が生まれ、すくすくと育っていった。
彼の娘は反抗期という年頃なのに、未だに父である男に懐き、今日も家族でラベンダー畑でピクニックだ。
紫に染まる草原のベンチに腰をかけ、妻と娘が作ったサンドイッチを食べる。
美味しかった。
ふと目を上げると、ラベンダーの花に戯れる妻と娘がいた。
二人がこちらを手招きする。
「お父さん、この花だけ、真っ赤なんだよ。見て、見て」
男はその花を見て、穏やかな声で娘に教える。
「これは突然変異ってヤツさ。ラベンダーの色は紫だ。けどたまにこういう、世界の法則から抗う、変異種が生まれるんだよ」
娘が興味深そうに、大切に赤いラベンダーの花を触れる。
「お父さんは先生だから何でも知ってるね」
すると、男の妻が釘を刺す。
「ノア、お父さんもこの花と一緒よ。国語の先生なのに、こういう所が詳しいんだから」
三人は家族で笑いあった。
ラベンダー畑の真ん中で幸せな家族の談笑がいつまでも続く。
男は思った。
この幸せな時がいつまでも続いてくれればと。
これが自分のかけがえのない大事な物なんだと痛感した。
これが愛なんだと。
これを守るためなら、世界を敵に回したっていい。
自分は家族を守るんだ。
男は空を見上げた。
空は青かった。
それを瞼に焼き付けて、誓う。
家族は俺が守る。
風に乗って、ラベンダーの花の薫りと花弁が舞い散る。
不幸は突然やってきた。
未知の伝染病の流行。
感染者を必ず死に至らしめる不治の病。
その病の感染力はその男の世界を崩壊させた。
男はその病で最愛の妻と娘を失った。
男は一人になった。
男が助かったのは、あの赤いラベンダーのように、病に免疫があった突然変異だったからだ。
孤独と絶望の中で男は誓った。
必ず家族を救う、と。
幾星霜の歳月を経て、男は死者蘇生の錬金術を研究し続けた。
すでに男は秘術を編み出した。
材料の魂21gはすでに手にしていてある。
残すはそれに適合した器である素体であった。
男は長い時を生きて世界の法則を学んだ。
死んだ人間の身体は輪廻の因果で再び世界に再誕することを。
そしてその器がニュークの街にあることを。
喧騒した街に男は足を運んだ。
ラベンダーの薫りをその身に包んで。
男の名はシュナ。
世界有数の賢者の一人であり、星霜の賢者と人々は尊称していた。
だが、全ては仮初の姿であった。
ただ愛する妻と娘に再会したい、一人の父親、それがシュナである。
シュナがニュークの街の人混みの中でボソリと呟く。
「今は赤い髪色をしているみたいだな、ノアは……」