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115話 人間椅子


 遠く広がるエメラルドグリーンの大海原、水平線の向こうには航跡のように一直線に伸びた白い線状のような雲が空の向こうの果てに見えていた。


 シウラン達はベンガルを出国し、インダス海をシャイン号で航行していた。

 海上では飛魚が群れを成して空へジャンプしていた。

 その群れを追いかけるように、海竜の首が突然現れる。

 その壮大な景観を見て、甲板にいるクロエは呟いた。

「海は素敵ね」

 クロエは優雅に座って船旅を楽しんでいた。

「こっちは最悪よ……」

 ダクダクの汗を掻きながらルァは哀れにも人間椅子にされていた。

 四つん這いになり、その華奢な背中にクロエが遠慮なく腰に全体重をかけていた。

 ルァの腰骨と腰椎神経が圧迫され悲鳴を上げている。

 堪らずルァは苦悶の声を上げた。

「お願いです、クロエ様! 慈悲を下さい! このままだと壊れちゃいます!! もう無理、無理です!!!」

 クロエは知ったことか、と言わんばかりにクッションのように重心を上下に揺らす。

 このままでは腰が破壊されると理解したルァは悲痛な叫びを上げた。

「お願いやめて!! 壊れちゃう!! 壊れちゃうのっ!!!」

 その悲鳴を聞いてクロエはせせら笑う。

「フフフ、あなた。いい声で鳴くじゃないの。いい気分だわ。シウラン、そこじゃないわ。背中の、腕と腕の間を強く揉んで頂戴。いいわ、そこよそこ……」

 シウランはクロエの全身をマッサージしていた。

 シウランは相棒の悲鳴に心を痛めながらもやむなくクロエの身体に奉仕を続けた。

 シウランはクロエがまだ怒っていることを、この役割分担で理解した。

 体力のある自分ではなく、敢えてルァに人間椅子をさせていることに、クロエの黒い感情が渦巻いていることを悟った。

 だが今回の航海でクロエの持っている情報は命綱だ。

 機嫌を損ねる訳にはいかない。

 無念と屈辱を噛み締めながら、泣き叫ぶ相棒のルァをシウランは見捨てた。

 シウランは自分の無力さを呪った。

 しかし、二人がベンガルでクロエにしでかした仕打ちを考慮すれば、これは自業自得、因果応報なのだ。


 そこに眼鏡をかけ、痩せた獣族の青年が少女が泣き叫ぶ姿に見かねて、クロエに苦言を呈した。

「姉さん、流石に可哀想だよ。いい加減許してあげなよ。それにこの女の子達が今回のボディガードなんでしょ? 海賊とかに襲われて肝心な時に役に立てなくなったら、困るの僕らでしょ?」

 シウランはこの旅で初めて同行する獣族の青年に興味を持った。

「クロエ様、この獣族のイケメンメガネ様とはどんな関係なんだよです。紹介してくれです」

 クロエは青年の忠言に、思案した後、再び重心を上下に激しく揺らした。

 ルァの背骨と腰骨がペキペキといい音を鳴らして、脊髄神経に激痛が走る。

 ルァは思わず泣き叫でしまった。

「イヤァあぁーーー! アヒィイぃイィィーーーー!!!」

 その悲鳴を無視したクロエはシウランに文句を言う。

「相棒さんが痛ぶられて感情が昂ってるわね。シウラン、指圧が強くなってるわよ。いつでも平静に気持ちを保ってなきゃ、いつか痛い目に合うわよ。あと敬語の勉強ちゃんとやっておきなさい、けどそうね。自己紹介でもしましょうか、私の末の弟よ」

 すると眼鏡をかけた獣族の青年はぺこりと頭を下げる。

「初めまして、ジャック=ヒューゲルと申します。ハンター組合の専属医師をやっています。今回の件は助かりました。皆、私のことを聞くと厄介扱いされて、困ってたところだったんです」

 シウランは首を傾げた。


 獣族の医者が厄介?

 この性悪女のせいで弟まで迷惑かけてんのか?

 それともコイツもヤベェ、そっち系のハンターとかなのか?


 シウランが警戒する素振りを見せると、クロエが凛とした声色で言い伏せる。

「ジャックは『忌み子』の生まれなの、家族からも一族からも疎まれて、里から捨てられたのを私が引き取ったのよ……」

 クロエは悲し気な目で呟いた。

 だが、シウランは『忌み子』という言葉を知らない。

 こんなことなら仙霊山の村の大人達の話をちゃんと聞くべきであった。

 しかし人間椅子にされているルァの反応は違った。

「まさか、忌み子付きなの!? 冗談じゃないわ! そんな妖しモドキと一緒に船旅なんて!! ああぁ! やめてクロエ様! 体重をかけないで! 嘘です、素敵なイケメンメガネの弟様です! 流石クロエ様の弟様です! だからこれ以上は……!! あぁアァァアーーーー!!!!」

 ジャックがクロエに諌言する。

「姉さん、僕のことは気にしてないから。あんまり女の子を虐めないで上げてよ」

 弟の説得でクロエはやっと重い腰を上げてルァを解放した。

 すぐさま、ルァはズタボロになった脊髄神経と腰椎神経に複体修術を施した。

 さらに、シウランが複体修術をアウトプットし、ズタズタになったルァの背骨と腰骨を修復する。

 そして二人でクロエを睨みつけた。

 しかし二人の反抗的な視線にクロエは不敵に口角を上げる。

「態度に気をつけなさい。今夜は人間ベッドでスヤスヤ安眠したいわね。ひ弱な青髪のお姫様は何時間耐えられるかしら? ナイトのシウラン王子、ちゃんと今宵は守り抜いてみなさい。フフフ……」

 ジャックが意地悪なクロエを窘める。

「姉さん、いい加減に許してあげてよ」

 そこにライエルとイズモが船室から現れる。

「クロエさん、船の操舵をしているデーヴァが航路の確認をしたいそうです」

「ありゃ? またいびられてんのか、この馬鹿娘達は? まぁこれも教訓だな。鼻っ柱へし折られても立ち上がるのが大人になるってことだ。いい勉強だな」

 ライエルの案内に従い、甲板にいた皆が船室に戻っていく。


 複体修術で歪んだ腰を治しながらルァはシウランに背負われて、甲板を後にした。

 そして誓う。


 この屈辱は忘れないと。


 リメンバークロエボディウェイト!


 細い見た目にも関わらず、クロエは意外に重いと仲間達に言いふらすと固く決心した。


 が、その直後、船室にて、相棒のシウランに、


「お前がひ弱なだけだよ、もっと足腰鍛えておけよ」


 と心外な言葉のナイフで心を抉られるだけに終わった。


 シウランの気付かないところで、二人の絆は無情にも綻んでいったのだ……。


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