1話 闘技場の闇
新シリーズ開幕です。
前作、幻想世界無法者英雄伝ミュラーの世界観が舞台のファンタジーです。
このアウトローシリーズはノベルデイズで5万アクセス達成した人気作です。
小説家になろうの読者の皆様にも楽しんで読んで頂けたら、と願っています。
前シリーズ未読の読者様でも楽しんで読んでもらうように、用語等はまた作中で改めて説明します。
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彼女の住んでいる所は荒海の小さな岩のようなものだ。
少女はその岩から飛び出し、波高い大海に泳ぎ出さなくてはならない。
苦難から人は自分の存在を知ることができるのだ。
ルシア帝国の南方に位置する港街、ニュークの歓楽街は不夜城である。
日が沈めば売春店から奴隷娼婦が客寄せに歩き周り、道端では奴隷商人が商品の競売を露天商気分で始める。
集まってくるのは戦争の敗残兵や傭兵、盗賊、殺し屋たち。
特にこの街を象徴しているのがホテルムルロア。
表向きは白い石を平らに削って積み上げて造られた美しい高級ホテルだが、中は無法者と品の無い金持ち連中の集まり、カジノと娼婦のセリ市、そして地下闘技場で、刺激に飢えた人々が賭博で賭けた金であぶく銭を得ようとしていた。
そんな悪の吹き溜まりの薄暗いバーで、椅子の周囲に店の女たちをはべらせ、ぶどう酒の入った高級グラスをたしなむ様に傾ける、眼帯をつけた中年がいた。
硬質な黒髪を髪油で後ろに立てるようにまとめ上げ、どうにも人相が悪い中年である。左目に眼帯をしているためかとも思われるが、しかしたんなる街のゴロツキとは違った、一風変わった雰囲気を醸し出している。
それは中年が身につけている、黒光した高級そうなプレートアーマーせいもあるだろうが、よく見ればその中年の顔立ちが、街のゴロツキにはありえないほど品格を醸し出しているからだろう。
男は異国からこの国に流れ着いた遺跡攻略者か海賊の類だと思われた。
景気良くあぶく銭の銀貨をばらまき、深い赤の絨毯にはいつくばるようにして拾う店の女たちを、ほくそ笑んで見下している。
「賭けは調子が良さそうですね」
酒を運んできたウエイターは、眼帯の中年の隣にあるテーブルに積まれた銀貨の山をちらっと見ながら言った。
しかし眼帯の中年はひじかけに右肘をついて、退屈そうに煙草を取り出し始めた。
「つまらん」
ドスのきいた低い声だが、まだ威厳がうかがえられる。
眼帯の中年は手慣れた動作で煙草に火をつけ、深く吸う。
男の周りに戻った取り巻きの女たちが、椅子のひじかけや背もたれに座り、体にしなだれかかって口々に言った。
「すごいんですよ。さっきから闘技場の賭け、当たりっぱなしなんです。お客様!」
「まるで勝つ人、見ただけでわかるみたいなんです!」
ウエイターがバーに作りつけられた大窓から下を見ると、劇場型の闘技場でトーナメントが行われていた。
円形の闘技場はホテルの地下の中心にあり、どこからでも見下ろせるようになっているのだ。
「どちらにお賭けになったのですか?」
眼帯の男は煙を吐き出しながら、心底つまらなそうに言った。
「白と紺の道着のチビだ」
「おいくらほど?」
「金貨五枚だ」
「なっ!?」
そんな大金を賭けるほど、勝敗が分かりやすい試合だろうか。
ウェイターが試合を見渡すと、この眼帯男が賭けたという白と紺の上下の道着を着た、赤毛で小柄な闘士の相手は、この闘技場でナンバー2の腕前の剣闘士だ。
体格はまるで巨大な熊のようだし、エモノは鉄球に斧、対して小柄な闘士は丸腰、とても勝ち目のある試合じゃない。
むしろ本命として賭けるならば剣闘士の方だろう。
ウエイターは何らかの手段であぶく銭を得た眼帯の男が戯れに、このひ弱そうな闘士に賭けているのだと思った。
「ずいぶんはぶりがいいですね」
しかし眼帯の中年は意外な答えをウエイターに返す。
「全財産だ」
「えっ!?」
眼帯の男は煙草を指に挟んで、にんまりとウエイターに笑って見せる。
「お前みたいな奴のおかげで賭けの配分が高くなった。これで金貨三十枚が手に入る」
「そんなわけが……」
『シウラン選手KO勝ち! 決勝戦進出です!』
場内が衝撃にざわめく。
「また俺の勝ちだ」
ウエイターが振り返ると、闘技場で小柄な闘士がガッツポーズをしている。
眼帯の男は思案顔で煙草をくわえ、呟く。
「決勝戦か……」
別のウエイターがやって来て、少年のテーブルの上に賞金の金貨三十枚を置こうとする。
それを男は、煙草を挟んだ手で制した。
「おい待て」
「はい?」
「その金貨全て、またさっきの奴に賭ける。いくら入る?」
「本気ですか? 次の対戦者はうちのチャンピオンですよ?」
「二度も言わせるな。いくらだ?」
「もし勝てば金貨百五十枚ですが……」
眼帯の男は、にやりと歪んだ笑みを浮かべる。
「陰気な店かと思ったが、なかなか面白いじゃないか、その金をもってさっさと失せろ」
金を持ってウエイターは立ち去る。
代わりにさっきまでいたウエイターが、ごまをするような笑顔で言う。
「お客様、負けたら女たちはいなくなりますよ」
「下で殺り合ってる奴等は負けたら死ぬ」
「チャンピオンは元王宮騎士です。今までの奴等とは相手が違う」
「見ごたえのある試合になりそうじゃないか」
眼帯の男は煙草を吸うと、トントンと軽く踵で床を叩き始めた。
「試合までまだ時間があるな」
「はぁ、後もうしばらくは」
すると眼帯の男は、ニタリと嫌な笑みを浮かべた。
「お前は気が利くウエイターか?」
「はい、お客様。ご注文ですか?」
「灰皿を用意しろ」
「失礼いたしました。すぐにご用意致します」
ウエイターがテーブルから離れようとすると、突然グッと右腕を掴まれた。
「灰皿ならあるじゃないか」
「え?」
「この右手は何だ?」
掴まれた右腕にさらに力を込められる。
「灰皿ならここにあるよな?」
眼帯の男の鋭い右目が、ウエイターの顔を睨みつけている。
ホテルのウエイターなどゴミとも思っていない目だ。
まさかこいつ、オレの右手を灰皿代わりに!?
握られた腕はミシミシと嫌な音を立てていく。
……このままじゃ折られる!
ウエイターの頬骨を、冷たい汗が流れ落ちていった。
「……ど、どうぞ……わ…私の右手をお使いください……」
冷や汗を床まで滴らせたウエイターは、右手を恐る恐る差し出した。
「気が利くなぁ、気に入ったぞ。チップだ」
ウエイターの右手の平に銀貨一枚が置かれ、眼帯の男はその上で煙草の吸殻をもみ消した。
「ハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ!」
ウエイターは屈辱に奥歯をかみ締めた。
何て嫌な高笑いをする野郎なんだ。
全財産無くしたら、身包み剥ぎ取ってつまみ出してやる!
眼帯の男は再び煙草に火をつけると、口の端だけで笑った。
「余興はおしまいだな」
『決勝戦開始!』
試合が始まるやいなや、小柄な闘士はチャンピオンの剣さばきに防戦一方。
ウエイターの目からは、かわすだけで精一杯のように見える。
「ほら、言わんこっちゃないですよ」
それでも眼帯の男は無表情に試合を眺めている。
「ケリはすぐつく」
とうとうチャンピオンは小柄な闘士をコーナーに追い詰めた。
とどめの一撃に剣を振り下ろされる。
「ああ、終わった」
ウエイターが自分のことのように嘆く。
だがチャンピオンの振り下ろした剣の先には小柄な闘士の姿が消えていた。
眼帯の男は静かに呟く。
「後ろだ」
チャンピオンが振り返った途端、後ろに待ち構えていた小柄な闘士が猛烈な蹴りの連打を繰り出した。
不意の攻撃に避けることの出来なかったチャンピオンは攻撃をモロに食らい、コーナーの反対側まで吹っ飛んでいった。
「全て急所をついてやがる」
眼帯の男は鋭い右目で、その攻撃を見定めていた。
猛烈な攻撃を食らったチャンピオンはコーナーから崩れるように倒れ、仰向けになったままピクリとも動かない。
それを見た審判は叫ぶ。
『優勝はシウラン選手です!』
ウエイターは呆然と、眼帯の男に話しかける。
「……本当に勝っちゃいましたね」
男は煙草を床に落とすと、そのまま踏み消す。
ジュッと音を立てて絨毯が焦げる、嫌な臭いがした。
「気に入った、本当の強さを教えてやる」
すると眼帯の男はリングへと歩み寄る。
そして審判員と観客に告げた。
「これからエキシビジョンマッチだ! 胴元には金貨500枚をくれてやる! そこのチビが勝てばその倍をくれてやる! この挑戦を受けるか!? 俺はラサン! 黒鷲のラサンだ!」
黒鷲のラサン。
眼帯の男の正体だ。
またの名を傭兵殺しのラサン。
彼は数多の戦場で歴戦の傭兵達を屠り、時には海賊に雇われ、護衛についた猛者たる傭兵の命を奪った。
ラサンの名に、一瞬会場は静まり返る。
だが、ラサンがリングから、金貨をばらまき始めると会場は歓声に湧きだした。
こうなれば収拾がつかない。
審判と闘技場の支配人が渋い顔をしながら話だし、頷く。
そしてアナウンスが始まる。
「新チャンピオンに新たな挑戦者が登場! 黒鷲のラサン! これよりベルトを賭けた防衛戦です」
ラサンは自慢のロングソードを天高く掲げ、上段に構える。
屋根の構えである。
ラサンは自身の奥義、天辺切りという、相手の間合いの外から、全身全霊の力を込めて切り下す、強烈な斬撃で数々の強者を破ってきた。
そして新チャンピオンの小柄な闘士、シウランに宣告する。
「先ほどまでの戦い、見させてもらったぞ! お前の動きはすでに見切った! 間合いに入る前に、このロングソードの斬撃であの世に送ってやる!」
対するシウランは構えもせず、呆れた声で構えるラサンに呼びかける。
「……あのなぁ、おっさん。……さっきまでのファイトさ……。全部八百長だったんだよ……。手加減してたんだ。盛り上げるために……」
ラサンはシウランの忠告を虚勢と言葉による誑かしと読んだ。
シウランはためらうことなく、ラサンに近寄る。
そして迂闊にもラサンの間合いに入る。
ラサンの容赦ない斬撃が振り下ろされる。
響いたのは金属が砕け散る甲高い音。
ラサンは驚愕した。
自慢の剣の平がシウランの鋭く、重い右前蹴りによって粉砕される光景に目を疑った。
……人間業ではない!
化け物か!?
驚きのあまり隙だらけになったラサンを見逃すほど、シウランは甘くなかった。
一瞬で身体を高速回転させ、体重を込めた左回し蹴りをラサンの自慢の黒いプレートアーマーに叩き込む。
狙った部位は左胸。
心臓のある位置。
シウランの師は心臓震盪により、心臓の機能を麻痺させ、相手を失神させる神技を神業をかつてシウランに見せた。
動く胴体の中にある心臓の左心室に、脈拍を正確に捉え、重い一撃を加えることで相手を気絶させる高等技術だ。
今の自分ならできる!
そう確信したシウランは渾身の蹴りをラサンの心臓めがけて叩き込んだ。
しかしシウランは忘れていた。
この技は心室細動と呼ばれる心臓の筋肉が痙攣し、心肺機能が停止し即死させる危険性があることを。
シウランの蹴りの凄まじさに、ラサンのプレートアーマーは砕け散る。
そして崩れるようにラサンは地面に倒れ伏した。
すぐに審判が駆け寄り、ラサンが立てないことを悟り、シウランの勝ちを告げる。
大歓声と喝采の中、無邪気にシウランは勝利を喜んだ。
誰も倒れたラサンが息が絶えていることを知るよしもなかった
。
いじめられていたウェイターは、あれだけ大口を叩いたラサンの無様な様に、胸がすくうような気持ちだった。
ニュークの不夜城は今宵も盛況だ。